To DoリストよりもWant toリスト

 

 ぼくは忘れっぽいので、ToDoリストをスマホで書いています。

 

 今のぼくのToDoリストにはこんなことが書いてあります。

 

・車の社内に掃除機をかける。

(洗車場でやるよていなのだが、雨続きでできていない)

・脱衣所の床の修理

(我が家は中古の平屋なのだが脱衣所の床がフワフワしてきているので床下から修理してくれと相方から言われている)

・テレビアンテナの撤去

(うちはテレビは見ないし、アンテナがズレて映らないのだが、NHKの集金人がしつこいのでアンテナ自体を撤去して二度とうちに近寄らせたくない)

 

 うん、どれもやらなくてはいけないことだけど、やらなくてはいけないこと=義務、というのは、みているとちょっと憂鬱になります。

 

 一方でぼくはWant toリストも作っています。これはやりたいけど、ちょっと今はできないことをメモっておくリストです。

 

 お金が掛かることもありますが、掛からないこともあります。

 

「やりたいこと」なんて、わざわざメモっておかなくても、覚えておけるでしょ、忘れるっていうことは、大してやりたくないんだよ。

 

 という意見もありますが、実際、我々、人間は自分で思う以上に忘れっぽい生き物なのです。

 

 例えば、テレビで映画をやっていて「ああ、これ観たいと思って、そのまま忘れてた映画だ」なんてことはありませんか?

 実際、「やりたいことWant to」というのは「やるべきことTo do」と違って、自分以外の誰も気にかけてくれません。

 

「やるべきことTo do」に関しては相方が風呂に入る度に「床が抜ける」と騒いだり、NHKの集金人がやってきたりして、嫌でも思い出させてくれるのですが。

 

 だからこそ「Todoリスト」よりも「Want toリスト」の方が大事なのです。

 

 人生でやりたいことというのは宝物です。やりたいことは生きる原動力です。人生で偉大なことをやり遂げる偉人ではない僕らは、小さな幸福を拾い集めて、人生を幸福に織り上げていくことが大切だと思うのです。

 

「Want toリスト」に書くものは、別に大げさなことではなくてもいいのです。

 

 よく自己啓発系の本では、5年後に独立とか、世界一周とか、厳しい競争を乗り越えるモチベーションとしての、やりたいことリストが紹介されていますが、それは目標であって、僕の考える「Want toリスト」とはまったく違います。

 

 好きなアーティストの新曲をYouTubeでチェックでも、気になっていたマンガをブックオフで・・・、テレビでやっていたアイスのちょい足しレシピを試してみるでも。

 

 やろうと思えば、すぐにできるし、どれもうっかりしていると消えてしまうような些細ことですが、どれもせっかく見つけた幸福の種で、やればきっとその時間、自分を幸せにしてくれます。

 

 ちなみに僕のWant toリストにはこんなことが書いてあります。

 

・ネットフリックスに一か月だけ入って「バンドオブブラザーズ」を一気見する。

・Huluに一か月だけ入って「森の中の小さな家」を一気見する。(実行中)

・無料マンガアプリで30巻まで読んだジャイアントキリングの続きをブックオフで・・・。

・おかずのクッキングで見た土井善晴先生のフランスパンのフレンチトーストを作って食べてみる。

・夏に植えられる野菜を調べる。

 

何かを買わせようとする人はこれほどいるのに、買わせないようにする人はいない。

 セールスマンは世界中にいます。

 

 セールスマンとは何か?それはサービスやモノを人に売る職業である。その為に時に訪問し、時に説得し、時に嘘もつきます。

 

 セールスマンが買わなくてもいいということはほとんどありません。

 

 もし言ったとしても、それは別の何かを買わせるためです。

 

 人にモノを買わせる職業の人はこれほどいるのに、人にモノを買わせないようにする職業はないのです。

 

 まぁ、もちろんそこに金銭的メリットが無いからだが、それにしてもあまりにもバランスが悪いのです。

 

 何かを買えと迫ってくるのはセールスマンだけではありません。こうしてインターネットをしていても、何かを買ってくれという広告は押し寄せてきます。

 

 買わせよういう勢力がこれほど強力でありながら、買わないようにさせる勢力はほとんどいないというのが現実です。

 

 せいぜい家族と、財布のヒモぐらいでしょうか? しかし、売ろうという勢力は、プロフェッショナルでしかも大軍。一方で家族は素人。財布の限界も、サラ金やら、ローンやらは軽く飛び越えるようにと誘ってくる。

 

 結局、僕らはこの歪んだ構造の中で、さして欲しくもないモノを買い、その支払いの心配をし、好きでも無い仕事に長時間従事して、人生を切り売りしていく。

 

 セールスマンの反対語を検索してみましたが、適当な言葉は存在していないようです。名前すらないのだから、戦いは絶望的です。

 

 帝国軍に対して、共和国軍、連邦軍に対して、ジオン軍と、相手がいくら巨大な勢力でも、弱小勢力側にも名前があるものですが、この「セールマン帝国」の反対側の勢力には名前すらない。

 

 と、ここからはぼくの妄想です。

 

 セールスマンの反対語が存在しないので、とりあえずアンチセールスマンと名付けてみようと思います。

 

 アンチセールスマンは30分3000円で、あなたが何かを買わないように説得する。

 

 例えば、新車を買おうとしているなら、販売店に行って、セールスマンの話を30分聞いた後、アンチセールスマンに会いに行って、3000円払って30分、話を聞く。

 

 数百万の買い物に関しての相談料としての3000円の出費なら、高くはないと思う。

 

 席に着くと、アンチセールスマンはあなたに言う。

 

 自動車ローンの金利は高く、あなたが支払う金額は本体価格より、相当高くなること。

 

 自動車ローンの金利や、諸経費を含めて、支払う700万円を手にするためには、税金や社会保険料を支払う為、1000万円近い金額を稼がなくてはならないこと。

 

 新車を買えば、その瞬間は喜びを感じるが、その喜びは決して長く続かないこと。

 

 あなたの新車はあなたの者になった時点で、市場では中古車となり、大きく価値が下がること。

 

 ピカピカの新車は、嬉しいかもしれないが、ショッピングセンターの駐車場に止めれば、誰かがキズを付けないか心配になったり、サッカークラブの帰りの息子を迎えに行けば、泥足で乗ろうとした息子を、怒鳴ってしまうかもしれないこと。

 

 そのどちらも、今、乗っている中古車に乗り続ければ避けられること。今まで通り、息子が泥足で乗ってきても、笑って済ませることができること。

 

 新車の輝きを維持しようすればそれなりのコストと手間が掛かること。

 

 さらに手を掛けても、大金を掛けたピカピカの新車が、やがてはありきたりの古ぼけた一台になっていくのを見ることは避けられないこと。

 

 さらに大きな視点で言えば、あなたは息子の為に新車をと、考えているかも知れないが、新車を買うという行為自体が、息子たちが生きる次の時代に残すべく、地球環境を破壊する行為であること。

 

 と、まぁ、アンチセールスマンが言いそうなことを並べ立ててみましたが、どうでしょう。

 

 人生で大きな決断をする時、僕らは色々な人の意見を聞きます。結婚や、子供を持つかどうかなどが最たるもので、結婚して幸福な人、不幸な人、幸福な子育てをしている人、子育てに苦労している人、自分の親、祖父母に至るまで、子供の頃から、いろいろな意見を聞いて、決断をします。

 

 しかし、僕らがモノを買うときは、あなたにモノを売ったらお金が貰える人の話を聞いて決断するという何とも、一方的な意見にまみれて決断してしまいます。

 

 もちろん、いろいろな人の意見を聞いて決めるという人もいますが、それでもハンコを押す瞬間に目の前で口を開いているのは、あなたがそれ買うことで、お金を貰える人です。

 

 今回は車ですが、新築の家を建てるとか、保険に入るとか、アンチセールスマンが必要な場面は人生にあると思います。

 

 ぼくは働きたくないので、やりませんが、誰かどこかで開業しませんか?

 

 

『世界史の針が巻き戻るとき』マルクス・ガブリエル

 

 

『世界史の針が巻き戻るとき』マルクス・ガブリエル

【目次】

はじめに−編集部より
新しい哲学が描き出す、針が巻き戻り始めた世界とは

第1章 世界史の針が巻き戻るとき
19世紀に回帰し始めた世界
ヨーロッパは崩壊に向かっている
ヨーロッパは戦争への応答として生まれた
国家規模の「擬態」が起きている
誰も真実を求めなくなった時代
リアリティーの形が変化している

時計の針が巻き戻り始めた世界における「新しい解放宣言」
新しいメディアよ、いでよ
インターネットは民主的ではない

第二章 なぜ今、新しい実在論なのか
新しい実在論とは何か
「世界は存在しない」の意味
現実は1つではない
「新しい実在論」が注目を集める理由
リアルとバーチャルの境目があやふやになった世界で
「意味の場」とは?
「3つの立方体」を新しい実在論ではどう数えるか?
すべては同等にリアルである
新しい哲学が世界の大問題を解決に導く
「新しい実在論」がもたらす劇的な変化
気候変動問題をどう議論するか
重要なのは、正しいか否か
モダニティーが人類を滅ぼす
統計的な世界観が覆い隠すもの

第3章 価値の危機
非人間か、普遍的な価値、ニヒリズム

「他者」が生まれるメカニズムを読み解く
なぜ争いが起きるか
言語と文化はソフトウェアのようなもの
道徳を考える際に必要な3つのカテゴリー
ヒジャブ問題があらわにしたもの
議論されているのは、解決策ではなく非人間化の手段
偏見が醸成される仕組み
相手を善悪で捉えることの過ち
「意味の場」を学ぶことがなぜ必要か

価値の闘争はまだ続いている
冷戦は終わっていない

フランシス・フクヤマヘーゲル主義とは
我々はニーチェが19世紀に描いた世界を生きている
倫理を学科として確立せよ

日本が果たすべき役割とは
新しい実在論と禅の共通点
日本人は「世界は存在しない」ことを容易に理解できる

第4章 民主主義の危機
コモンセンス、文化的多元性、多様性のパラドックス

民主主義の「遅さ」を肯定する
明白な事実に基づいた政治を

民主主義的思考と非民主的思考の違いとは
独裁主義と「明白な事実」

文化的相対性から文化的多元性へ
文化は時に明白さを否定する

多元性と相対性の違い
地域の視点を超えるために

民主主義と多様性のパラドックスを哲学する
ラッセルの解決法」が示すもの

間違いか否かを決める思考実験
人間は皆間違っていると言う事は、ファクトである
尊厳とは何か

第4章
資本主義の危機
コ・イミュニズム、自己グローバル化、モラル企業

グローバル資本主義は国家へ回帰する?
資本主義が持つ「悪」の要素とは

資本主義には悪の潜在性がある

「モラル企業」が22世紀の政治構造を決める
資本主義の矛盾を解決する「コ・イミュニズム」

「コ・イミュニズム」と言う提案
短期的な企業利益に偏らない方法
グローバル化国民国家弁証法から生まれる「自己グローバル化
資本主義が生み出す「内なる他者」
モラル企業、そしてモラリティーの資本主義とは

統計的な世界観から逃れるために
「グランドセオリー」を構築せよ

新しい実在論VS、ネオリベラリズム
「グランドセオリー」の構築が必要だ

第6章
テクノロジーの危機
「人工的な」知能、GAFAへの対抗策、やさしい独裁国家日本

自然主義と言う最悪の知の病
我々は人間を軽んじすぎてきた

自然科学は価値を論じることができない
科学への進歩は原始的な宗教への回帰のようだ
メディアが喧伝する「科学的成果」に騙されてはいけない
知識とイデオロギーを分けて思考する

人工的な知能など幻想だ
ライプニッツの法則で人工知能を哲学する

自動化の負の側面
自動化でできた時間はさらなるネット消費に振り分けられるだけ
人工知能ライプニッツの法則で哲学すると
機械の機能性と信用性を分けて考える
労働力が機械に置き換わるほど経済は停滞していく

われわれはGAFAにただ働きさせられている
彼らを規制すべき理由

デジタル・プロレタリアートが生まれている
日本はテックイデオロギーを生み出す巧者
やさしい独裁国家・日本

第7章
表象の危機
ファクト、フェイクニュースアメリカの病

フェイクとファクトの間で
表象とは何か

イメージには、良いか悪いかといった属性はない
イメージに騙される世界
人々は民主主義の機能を理解していない

イメージ時代をよく星始めた人々
イメージの大国・アメリカで起きているもう一つの危機

補講
新しい実在論が我々にもたらすもの

グラスは存在しないマイナスそして世界も存在しない
視点には、良いものもあれば悪いものもある
「普遍の人間性」と言う考え方
「私が考えることは全て嘘だ」と言う思考は存在しない
「信念の網」が社会を作る
社会の最高の価値が「真実」である理由
統計的な世界観が失敗するのは何故か
「私」は実在している

訳者あとがき

感想

 

【読書メモ】

 

面白いもので、共通点がない者同士が敵対する事はありません。誰かの敵であると言う事は、その人と共通点があると言うことです。闘争が起きるためには、共通点がなければいけません。中国とアメリカのソフトウェアは基本的には物質主義で、非常に似通っています。ページ63

 

人から人間性を奪うには、2つの方法があります。1つは相手を悪だと思うことで、もう一つは相手を善だと思うことです。本来なら善悪などありません。相手も自分と同じ、ただの人間なのですから。ページ82

 

^_^ 人を悪だと決めつけることで人間性を奪うと言うことに関しては考えが及んでいたが、相手を善、つまり崇拝の対象にしてしまうことでも人間性を奪うことになるのだと言う視点は持っていなかった。

これは芸能人に対する熱狂的なファンの視点にも共通しているのかもしれない。芸能人は人間性を奪われることでどんな小さな間違いも許されない、なぜなら完全な善であるはずだから。
坂本龍馬は、どんな偉人に会っても、その人がセックスをするときの必死の表情を思い浮かべて、緊張することはなかったという話を聞いたことがある。これは相手を崇拝してしまいかねない弱さを避け、相手に人間性を認識して向き合う1つの方法だったのかもしれない。

 

「歴史の終わり」フランシス・フクヤマ

新版 歴史の終わり〔上〕: 歴史の「終点」に立つ最後の人間 (単行本)

アイデンティティー−尊厳の要求と憤りの政治」フランシス・フクヤマ

 

民主的な制度の機能は、意見の相違に直面したときに暴力沙汰が起きる確率を減らすことです。ページ103

 

^_^ この点で考えれば中華人民共和国の最大の弱点はいずれ国内に革命やクーデターという暴力沙汰が起こる可能性を内に秘めていると言うことに尽きるだろう。
何しろ独裁国家では、民主的な手続きによる権力の刷新が行われないからである。それはいずれ破壊的に行われることになる。
その一方で、現状は独裁国家であるメリットが顕在化している。コロナ対策、デジタル化など。独裁国家といえども、民主主義といえども、そこには良い点と悪い点が存在しているのだ。

 

民主的な環境で自分の敵と戦いたい場合、非常に複雑で緩慢なプロセスをたどることになります。そうなれば遅かれ早かれ、「戦う事は合理的ではない、だからもっと前向きなことに集中しよう」とあなたは言うでしょう。それが民主的な制度の役割です。ページ104

 

^_^ 民主主義が緩慢である事にこれほど価値があると言う意見は初めて見た。そしてふに落ちる部分もある。
日本の裁判制度が判決まで時間がかかると言う問題を抱えているとされているがそのおかげで裁判沙汰までいかず妥協的な結論に到達できていると言う考え方もできるというわけだ。
一方でアメリカのように裁判を肯定的に捉え弁護士が大金を稼ぐ状態はより劣った民主主義と考えることすらできるのかもしれない。

 

頭に浮かぶ事ならどんな戯言でも口にできるのが民主主義だ、と思っている。でもそれは民主主義ではなくFacebookです。地球全体に拡散した、アメリ憲法修正第1条(「言論の自由」条項)の曲解です。我々は民主主義の本質その価値を理解しなければなりません。緩慢な官僚的プロセスが前であることを理解しなければなりません。ページ104 

 

 

非民主的思考と言うのは、「これが消えて欲しい」と言う考え方です。物事がいつも完全に機能する、しかも自分の利益を実現する形で機能すれば良いと言うような思考です。それは民主主義ではなく、まさに独裁主義です。中国のような独裁主義国家では、自分の敵を潰す事ははるかに簡単です。文字通り敵を殺害する方法があります。それは基本的に民主国家では不可能です。ページ105

 

^_^ つまりは民主主義上では相手を、時には敵を認めざるを得ないと言うことで、それこそが民主主義の本質と言うことなのだろう。

 

社会のゴールは、企業のゴールも含めて「人間性の向上」になるべきです。収入の増加ではなく、モラルの進歩を目指すのです。これは完全に実現可能です。ページ135

 

^_^ 現代社会は神の見えざる手が経済以外にも存在するかのように振る舞っている。企業は金儲けをしていれば、世の中を良くすることができていると思い込んでいるし、政治家は権力闘争に勝ちたいすれば、世の中を良くすることができると思い込んでいるし、人々は金儲けさえすれば幸せになれると思い込んでいる。それはまるでナイフを振り回していればいずれ美しい彫刻が出来上がると信じ込んでいるように見える。美しい彫刻は美しい彫刻を掘ろうと思わなければ掘ることはできない。皆が棍棒で殴り合いながら世界が良くなるということはない。なぜなら神は存在しないのだから。

 

^_^ 著者は企業には解雇不可の倫理委員会を設置して倫理学者を雇えというが、それは一部のエリートが学問だけではなく、経済も支配するという危険な思想ではないだろうか?
そもそも倫理には正解はあるのか?世界の巨大プレイヤーたる企業に倫理を持たせる方法は他にはないのだろうか?
GAFAのようなもはやインフラとすら言える独占企業には一般の企業よりも強い縛りを国家が与えるという方が現実的な気がする。

 

^_^ もはや我々は欲しいものを持っていて、商品の価値に差はさほどない。人々は結局見栄での消費に走るしかないのだ。そういう点で例えばエコな自動車であったり、エコな家なんていうのはある意味のブランドでもある。
その一方で例えば洋服のブランドで1着を買うと発展途上国や難民の人々に着るものを10着届けるというブランドがあったとしたら人々は買うのではないだろうか?
それを着ているだけで善行の証を示すことができるのだから。

 

人間の定義は、「一生懸命動物にならないようにしている動物」であり、だからこそ技術があるページ165

 

ベーシックインカムは、そういう人たちへの口約束でしかありません。実施はされないでしょう。私はベーシックインカムに賛成ですが、福祉国家の制度として最善の解決策だと思うから賛成なのです。ページ183

 

^_^ 気鋭の哲学者であるマルクス・ガブリエル氏もベーシックインカムに賛成であると言う事は心強いものがある。一方で彼も実現が不可能であると思っている事は悲しい現実なのだ。

 

感想まとめ
マルクス・ガブリエルはいかにもヨーロッパ的な哲学者であると言う印象だ。楽天的なアメリカ的な哲学者とも違い、一方で日本に対する親近感も持っている。
彼は企業に倫理学者が入れば世界は変えられると考えているが、それはエリートに世界の舵を任せることができると考える官僚的な考えだと思う。
彼は人工知能は知能ではないと述べているが、そんな議論に意味があるとは思えない。自動車は馬車ではなかったが、馬車を駆逐した。そして当初自動車は自動馬車と呼ばれていた。人工知能が知能と同一であるとは世の中の多くの人が思ってはいない。人工知能を定義するのに、人間の知能を比喩として利用することが有効だと認識しているに過ぎない。
ニューヨークはとても住みにくかったが、ニューヨークに住むことが外から見ると幸福に見えることから、ニューヨークには多くの人が住んでいると言う理屈はとても愉快だった。
他人に幸福に見られることが自分自身が感じる真の幸福よりも優先してしまう現代人の悲しい習性を映し出しているようだった。
だからこそ、映える写真を撮り人々をFacebookにあげるのだ。
ガブリエルはテクノロジーの進歩を評価していないが、その点でも僕自身の考えとは異なる。
自動車の発明をガブリエルは最悪の発明と述べているが、僕はそうは思わない。
もちろん問題がなかったわけではないが。
確かにテクノロジーは様々な問題を生じてはいるが間違いなく発展し続けているものの1つだ。テクノロジーによって生じた問題は結局テクノロジーによって解決するしかないのではないかと考える僕はアメリカ的なのだろうか。
その一方でテクノロジーの進化は結局人類の破滅をもたらすと言う予感を僕は常に持っている。なぜならいずれガレージで核兵器を作れる時代がやってくるだろうからである。そうなれば人類はおそらく存続できないだろう。
人類はそれまでの間、テクノロジーを使って、幸福なダンスを踊り続けるしかないのだ。

「2円で刑務所、5億で執行猶予」浜井浩一

 

2円で刑務所、5億で執行猶予 (光文社新書)

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  • 作者:浜井浩一
  • 発売日: 2009/10/16
  • メディア: 新書
 

 

【目次】

 

はじめに

第1編
犯罪と犯罪予防

ある内閣総理大臣所信表明演説
減る少年犯罪、増える高齢者の犯罪

治安の悪化?
何が犯罪不安を作り出しているのか
殺人は増えているのか?
暗数の問題
科学的な犯罪統計の開発
日本の治安は世界一だが……
なんでもかんでも心の問題?
今問題なのは少年非行ではなく高齢者犯罪
万引きは今や高齢者の犯罪
高齢者の殺人
狙われる高齢者?
少年犯罪の低年齢化は真っ赤な嘘
性情報の氾濫が性犯罪を増加させている?
外国人犯罪が治安悪化の元凶?
情報の垂れ流しが体感治安を悪化させる

間違いだらけの犯罪対策
ニューヨークを安全にしたのは「割れ窓理論」か?
全米で暴力の認知件数が減少傾向にあった
拡大解釈に過ぎない
監視(防犯)カメラに防犯効果はあるのか?
青色防犯灯や青パトには防犯効果があるのか?

エビデンスに基づいた犯罪対策−キャンベル共同計画
キャンベル共同計画
非行防止の万能薬か? −スケアード・ストレイト(反面教師)プログラム
再販を促進する効果
徴兵制やブートキャンプ(新兵訓練)は非行を抑止するか?
効果あるプログラムとは?
心から悔い改めさせれば再販を防げるのか
真の構成とは?
ミーガン法、電子関し、防犯マップ活動
刑罰の重さと被害感情

第2編
刑事政策(刑罰)
ある知事の演説
すべては検察官のさじ加減ひとつ
犯罪認知件数と刑務所人口に因果関係は無い
犯罪者はどのように罰せられるのか?
検察官は治安の番人か?
最後のセーフティーネットとしての刑務所
刑務所でのワンシーン−処遇審査会
刑事司法の現場
負け組と勝ち組を分けるもの
5億円の詐欺でも執行猶予、無銭飲食で実刑
数字で見る受刑者
遠山の金さんはいらない
「自業自得社会」から「お互い様社会」へ

人はなぜ犯罪を犯すのか−犯罪理論について
犯罪者はなぜ懲りないのか?
なぜ高齢者は犯罪を繰り返すのか? −犯罪学理論あれこれ
就寝経過する無期懲役
そもそも無期刑(終身刑)とは?
殺人の再犯率は17%?

法律と科学
裁判で真実は明らかにならない
ある野球部顧問の業務上過失致死事件
法律家の思考と科学的思考
法律家にとっての科学
法律は、例外から一般法則を検討する
裁判員制度−裁判官は真実を見つけるプロではない
調書裁判
刑法第39条問題
被告人の構成に対する関心が芽生える可能性

ポピュリズムと厳罰化
劇場型司法
空気に流されるポピュリズム
光市母子殺害事件の報道
先進国に共通した現象
ニュージーランドにおけるポピュリズムの例
ポピュリズムに強いフィンランド
誰が何のために日本の厳罰化を進めたのか?
日本は恥の文化?
死刑支持率80%?
誰が死刑を支持するのか?
死刑の犯罪抑止効果
厳罰信仰

貧困と犯罪
「自己責任」を主張する政治家は信用するな
ホームレスを自己責任だと思う人へ
刑務所は失業の調整弁?
新自由主義は宇宙からの侵略者?

「刑務所太郎」はなぜ生まれるのか?
刑務所志願
「刑務所太郎」はなぜ生まれるのか?
刑務所依存症
人が立ち直るために必要なもの
回復のプロセスは共通
切り捨て型コンプライアンス社会

終わりに

主な参考文献

 

【読書メモ】

 

家族内殺人は、心理学的には自殺と同じような心理機制を持っていると言われている。日本は、先進国の中で自殺の多い国である。そして、その背景には、経済的な困窮などによる社会的な孤立がある。家族内殺人が、もし、増加するとすれば、それはモラルの低下や家族制度の崩壊ではなく、家族を支える社会のセーフティーネットが弱まり、社会的に孤立する家族が増えたためである。ページ43

 

様々な問題を心の問題にしてしまうのはとても簡単であるし、政治家にとっても都合が良い。心の問題は、個人の問題、つまり自己責任に還元できるからである。しかし、心の問題の背後で、より大きな社会の問題が隠されてしまいがちである点に注意が必要である。ページ46

 

日本で現在格差拡大が進んでいる最大の理由が、小泉改革による影響ではなく、人口動態的に格差の最も大きい高齢者層の割合が増加したことによるのと同じ理屈である。ページ47

 

重要な事は、単なる不審者情報など曖昧な情報を一方的に流さないと言うことである。犯罪学の実証研究でも、不審者や犯罪発生に関する情報提供だけでは防犯にはほとんど効果がなく、犯罪不安を高める作用が大きいことがわかってきている。ページ62

 

対策の効果が懸念される場合、そのほとんどが単なる成功事例の報告であることが多く、注意が必要である。成功事例はダイエット食品の個人的な成功体験と同じである。その人の体重の減少が喧伝している商品の効果とは限らないのである。そして多数の失敗事例は決して報告される事は無い。ページ91

 

刑罰の重さと被害感情や被害者の受ける精神的なダメージを必ずしも比例関係は無い。ページ92

 

^_^ 強盗に比べて恐喝が刑期が短いのは疑問だ。実際、恐喝の方が被害者感情が悪いことがデータ内で示された。恐喝は被害者を締め上げて金を取る行為であり、締め上げられている時点で被害があり、その期間も強盗にくらべれば遥かに長い。

 

そのものは、ある意味意味を反映したものであり、それ自体が悪ではないことである。問題なのは、そのみーがマスコミ等の不正確な情報に基づいて作られ、徐々に流されやすい店にある。今後の課題は、エリート主義の会議ではなく、専門的な知識を見に行かに反映させ、健全なポピュリズムをどう作るのかと言うことにあるのかもしれない。ページ188

 

^_^ ポピュリズムに反対してエリート主義を推進する考えでもあるが、僕が支持したいのは一般市民が知識や教養を得たうえでのポピュリズムだ。そうなると質の高いマスコミが必要になってくる。

 

死刑には暴力を促進する効果があることが指摘されている。刑罰と言う国家が見せしめに人を殺すことが、ある意味「悪い奴は殺しても構わない」と言うメッセージにつながり、かえって殺人を増加させてしまう効果である。ページ197

 

「啓蒙思想2.0 政治・経済・生活を正気に戻すために」ジョセフ・ヒース

啓蒙思想2.0 政治・経済・生活を正気に戻すために」ジョセフ・ヒース

 

 【目次】

 

序章
頭VS心

第一部
古い心、新しい心

第1章
冷静な情熱
理性-その本質、期限、目的

第二章
クルーズの技法
ありあわせの材料から生まれた脳について

第3章
文明の基本
保守主義がうまくいく場合

第4章
直感が間違う時
そして、なぜまだ理性が必要か

第5章
理路整然と考えるのは難しい
新しい啓蒙思想の落とし穴と課題

第二部
不合理の時代

第6章
世界は正気をなくしたか
……それとも私だけ?

第7章
ウィルス社会
心の害悪ソフト

第8章
「ワインと血を滴らせて」
現代左派の理屈嫌い

第9章
フォレスト、走って!
常識保守主義の台頭

第三部
正気を取り戻す

第10章
砲火には砲火を
あるいは、なぜ豚と戦うべきではないのか

第11章
もっとよく考えろ!
その他の啓蒙思想から無益な助言

第12章
精神的環境を守る
選択アーキテクチャー再考

第13章
正気の世界への小さな一方
スロー・ポリティクス宣言

エピローグ
謝辞
原注
訳者あとがき
索引

 

【読書メモ】 

 

集団への忠誠はナショナリズムを生じる。敵への復讐は全体主義を助長する。では純粋さは?これを現代の価値体系の中で優位に戻すべきと唱えるのは、ホロコーストを経た後では鈍感すぎるように思われる。直近の歴史からの教訓は、人はある種の本能を抑制する必要があると言うことだ。これは例えば残酷さを楽しみたいと言う衝動など、明らかに反社会的な傾向ばかりか、自分の家族、友人、民族集団への関心のような、排他性のある忠誠をもたらす反社会的な本能にも当てはまる。ページ15

 

^_^ これは一理ある。しかし完全に抑制できるものでもない。結局は折り合いをつけていくしかないのだ。

 

革命からこっち、フランスと言う国は、数え方によって10から17の政体を(いまだに最初の政体のままであるアメリカ合衆国とは対照的に)経験してきた。フランスは現在、第5共和制だが、革命期に君主制、形成、軍事独裁ナチスの属国だったこともあった。これに比べたらアンシャン・レジーム(旧制度)がまともに見える位の政体の変遷だ。ページ72

 

^_^ この見方は面白い。フランスはフランス革命があったこともあって民主主義の殿堂のような捉え方をする向きもあるが、実際は政治的には七転八倒を繰り返している。そう考えると、アメリカの民主主義の崩壊などと言われている昨今ではあるが、アメリカの民主主義政体はトランプの登場程度では揺るがないのかもしれない。

 

近代の保守主義はこうした啓蒙思想の高慢への反動として誕生した。その事はヘーゲルの力強いが曖昧な「現実的なものは合理的」と言う命題に、見事に要約されている。つまり理にかなわないように思える場合にも、よく見れば、物事がそうなっている理由は大概あることがわかる、と言うことだ。人々がそれがどういう理由かを説明できないかもしれず、結局それは最大の理由では無いかもしれないが、現状を弄る前に、ましてや解体や再建しようとする前にその理由が何なのかを理解することが必要だ。ページ97

 

^_^ 何かしらの伝統を破壊しようとするときは、なぜその伝統がここまで続いてきたのかを理解することは最低限守るべきルールだと言える。昨今は皇室に女系をという声も大きいが果たして我々現代人はなぜ今まで皇室が男系男子にこだわってきたのか?を本当の意味できちんと見据えられているのだろうか?

 

理性がうまくいかないのはどんな時だろうか。これは確実に弱いと言う分野は、因果関係を見つけにくいか、介入から結果を出すまでに長時間の遅延が生じている場合である。例として、子育て

ページ103

 

^_^ 子育ての成功とはそもそも何なのか?という問題にも帰着する。

 

保守派の好む言葉通り、「作られた理由が分かるまでは塀を壊してはならない」ページ125

 

^_^ これは名言。

 

直感は「正しくても正しくなくても、自分が正しいと告げる奇妙な本能」ページ129

 

科学的方法は私たちに、実は行動に不自然なことを強いる。すなわち、自分がどのように間違い得るかについて考えること、確証だけではなく反証を求めることである。ページ162

 

話が1つを除く全ての標準的な期待に沿っている時こそ、人は純粋に興味をそそられるのだ。ページ219

 

^_^ 例として幽霊が挙げられている。幽霊は壁をすり抜ける事はできるが、床に沈みこむことはない。また人間同様の感情を持っている。つまり特異な点は1つに絞られているのだ。
そう考えると人面犬口裂け女などの都市伝説も複数の特徴を持っているものではない。なんでも盛りすぎれば、人々の興味を引くことができなくなるらしい。

 

宣伝は(中略)必ず基本的に単純で反復的でなければならない。長い目で見れば、世論に影響与えると言う基本的な結果をもたらすのは、知識人の反対にもかかわらず、問題を最も単純な言葉に変え、その単純な形でずっと繰り返すことができる勇気のある人物だけである(ゲッペルス)ページ220

 

^_^ そう考えると小泉政権時はまさにそれをうまくやっていたと考えられる。少なくとも政治の話が不快ではなかった。何しろ単純でわかりやすかったし、小泉支持で自分が正義の味方で改革派だと思えたから。恐ろしいことでもある。

 

ショッピングモールに出かけるに際して子供に1つだけ助言を与えられるとしたら、良いアドバイスは「いいか、ここで売っているものは全部−ほんとに一つ残らず−お前のお金を騙し取る仕掛けなんだ」と言うことだ。ページ224

 

^_^ このアドバイスは子供よりもむしろ大人に必要なのではないかと思う。

 

多くの社会主義者の心の底に潜んでいる動機は、ただ単に秩序に対する異常なまでの願望なのではないか。現場が気に食わないのは、救助を招いているからでも、増して彼らの中が侵されているからでもなく、現場が乱れきっているからなのだ。彼らが根本的に望んでいるのは、この世界をチェス盤のように単純に割り切ってしまうことである。(ジョージ・ オーウェル)ページ247 

 

 

^_^ 確かにそういう一面もあるなぁ。

 

左派がまだ科学者の発言を平気で無視する分野もたくさんある。地球温暖化に関する科学的コンセンサスは、子供のワクチン接種の重要性や、特定の除草剤の安全性や、ホメオパシー医療の無益さについての科学的コンセンサスに劣らず包括的なものであるが、こうした意見はしばしば、「気候変動懐疑派」が温暖化研究の成果を見せるために利用する陰謀論を根拠に、無視されるか却下される。ページ260

 

受け継がれてきた教育技術は、何千年にもわたる発達と改良を経ているものだからだ。あちこち微調整するのは何ら問題ないが、実のところ、子供がどのように学ぶかをあまり理解していない時に、学校をゼロから作り直し、全く新しい方式に取り替え可能であるべきと考えるのは典型的な合理主義の傲慢である。ページ268

 

私の知る最も仕事ができる人たちは、かなりの度合いで生活の中で最高のトリックを仕掛けている。これは私自身にも当てはまる。私たちの賢い部分は、仕事をするために、あまり賢くない部分が多くを機械的に反応するように物事を組み立て、パフォーマンスの高い結果を生むような行動を起こさせる。自分がなすべきことをするように自分を騙すのである。ページ350

 

スナック菓子を山ほど買っておいて食べないように努めるより、そもそも買わないようにすることだ。すると、ぐうたらで街角の店まで買いに行きもしないことがーそれ自体はセルフコントロールの欠如だがー俄然、セルフコントロールを働かせる間接的な手段になり得るのである。ページ380

 

人はたとえ生まれつき人種差別主義者ではないとしても、生まれつき時集団中心主義ではある。ページ382

 

人種差別をなくすには人々の意識を人種以外のものにフォーカスさせる必要がある。人種差別をなくすため。例えば黒人の文化を褒めたとしてもそれは人種を人々により意識させることになり人種差別をなくすことには繋がらない。

 

^_^ 著者の意見に沿えば、性的マイノリティに置いてもその文化やマジョリティとの違いを訴えれば訴えるほどその違いに人々はとらわれるようになるということか。著者は変化できる髪型などの際に注目させるべきというが、本当に効果的なのだろうか?学び合いにより相互理解は融和の近道ではないのだろうか?

 

第二次世界大戦中イギリスにはナチのスパイだった捕虜専用の収容所がありました。そこの職員は手を挙げても、暴力を振るうと脅しただけでもクビになりました。これはロンドンが毎晩空襲されていた頃の話ですよページ403

 

.「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」ほぼ日刊イトイ新聞・編

 

 【読書メモ】

 

人間はやっぱり、自分のやったことを褒めてくれたり喜んでくれたりする人がいないと、肌には登らないと思うんです。ページ18 

 

 

^_^ 的確でかつどこか優しい言葉だなぁ。

 

非常に興味深いことに、その時態度が高圧的だった銀行さんほど、その後、早く名前が変わりました。それだけ、あちらも深刻だったんでしょうね。ページ25

 

^_^ 高圧的だったから銀行の名前が変わったと普通の人なら言いそうなところを、それだけ向こうの状態が深刻だったと考えられるところに岩田さんの凄さがあるような気がする。

 

「判断とは、情報集めて分析して、優先度をつけることだ」と言うことがわかったんです。「そこで出た優先度に従って物事を決めて進めていけば良い」と思うようになりました。ページ26

 

^_^ ここに重要な肝があるように思えるが、つかみ切れない自分がもどかしい。

 

人は逆さにして降らないと、こんなにもものが言えないのか
ページ28

 

^_^ これは社員と面談したときの岩田さんの感想。人を理解するということが思っているよりはるかに手間のかかることかと言うことを岩田さんは感じたのだろう。

 

私は「人は全員違う。そしてどんどん変わる」と思っています。もちろん、変わらない人もたくさんいます。でも、人が変わっていくんだと言うことを理解しないリーダーの下では、私は働きたくないと思ったんです。ページ28

 

^_^ 「人は全員違う」までは多くのリーダーがたどり着けるだろうが、「そしてどんどん変わる」を理解できるリーダーは少ないのかもしれない。人に対して3次元に+時間の1次元を追加してより多面的に見ているということだろう。

 

言いたい事は言ってもらいますし、言いたいことを言った後だったら、ある程度、入るんですよ、人間て。ページ30

 

^_^ つまり人に話を聞いてもらいたければ、まず話を聞けと言うことだろう。

 

人が相手の言うことを受け入れてみようと思うかどうかの判断は、「相手が自分の得になるからそう言っているのか」、「相手が心からそれがいいと思ってそう言っているのか」のどちらに感じられる日が全てだと私は思うんですね。
ですから、「私心と言うものを、どれだけちゃんとなくせるかが、マネジメントではすごく大事だ」と、私は思っているんです。ページ30

 

^_^ 私心を無くす。上に立つものに一番大切なマインドなのかもしれない。

 

HAL研究所の社長をしていた頃、私は、「もし自分より社長として適性のある人がいたら、いつでも変わりたい」と、心から思っていました。ページ37

 

^_^ これが私心がないということか。

 

自分たちは、何が得意なのか。
自分たちは、何が苦手なのか。
それをちゃんとわかって、
自分たちの得意なことが生きるように、
苦手なことが表面化しないような方向へ
組織を導くのが経営だと思います。
ページ41

 

^_^ これは人生にも同じことが言えるのかもしれない。人生は自分自身の経営と考えれば、自分の得意不得意を理解し、得意を生かし、不得意を表面化しないように対応する。それができればより良く生きられる。そんなことを考えた。よく考えれば、経営に関係ない人などいない。家族を持てば家族を経営することになるし、家族がいなくても、生きていれば自分自身を経営することからは逃れられない。

 

仕事をする時、同じ位のエネルギーを注いでいるはずなのに、妙に喜んでもらえる時と、あまり喜んでもらえない時があるんですよ。自分たちとしては、欠けている手間も黒も同じ位なのに。同じ100の苦労をした時もなぜかこっちの仕事のお客さんは100喜んで、こっちの仕事のお客さんは500喜んだ、みたいなことが起こるんです。
もっと簡単に言うと仕事をやっていてものすごく辛いときと、そうでもない時があるんです。ページ44

 

^_^ なるほど。自分の消費エネルギーとお客様の歓びでより効率的な点を探すということか。

 

苦しそうな事は、本当はやめたほうがいいんですよ。だって、それは向いていないので。ページ46

 

^_^ 苦しい事は全てを避けることはできないが、できるだけ避けて通れるように努力すると言うことも必要なのだろう。

 

あらゆることがそうですけど、仕事って、必ず「ボトルネック」と言われる一番狭い場所ができてしまって、そこが全体を決めちゃうんですよね。逆に、全体をどうにかしたかったら、ボトルネックがどこなのかを見つけて、まずそこを直さないといけません。ボトルネックより太いところをいくら直したとしても、全体はちっとも変わらないんです。ページ48

 

^_^ 改善のポイントを見つけるコツと言うことなのだろう。僕の人生経営のボトルネックはなんだろう?

 

人は、とにかく手を動かしていた方が安心するので、ボトルネックの部分を見つける前に、目の前のことに取り組んで汗をかいてしまいがちです。そうではなくて、一番問題になっていることとは何か、自分しかできない事は何かと言うことがちゃんとわかってから行動していくべきです。ページ49

 

^_^ これは肝に銘じたい。しかし1番の問題と向き合うのには精神力が必要だよね。

 

「今までやってきた仕事の中で1番面白かったことって何?一番辛かったことって何?」と言うことなんです。ページ55

 

^_^ これは是非、自分に聞いてみたい。

 

考えようによっては、仕事って面白くないことだらけなんですけど、面白さを見つけることの面白さに目覚めると、ほとんど何でも面白いんです。この分かれ道はとても大きいと思います。ページ58

 

^_^ なるほどなぁ。なんでも面白いか。まぁ、そういうマインドって大事だよね。

 

自分がものすごく忙しく感じていた頃に、「自分のコピーがあと3人いればいいのに」って思ったことがあるんです。でも、今振り返ると、なんて傲慢で、なんて視野の狭い発想だったんだろうって思うんですよ。だって、人は一人ひとり違うから価値があるし、存在する意味があるのに
ページ62

 

^_^ プロジェクトや会社をパズルとすると、パズルを組み上げるのに同じピースは二つ必要ないということなのだろうな。

 

正しいと言うのは、なかなか扱いが難しい。
ある人が間違っていることがわかっていたとしても、そのことを、その人が受け取って理解して共感できるように伝えないと、いくら正しくても意味がないわけです。ページ79

 

^_^ 正義と言うものに関してとても深い示唆を感じる一文だ。共有できない正義は意味がないだけではなくむしろ害悪でしかないのかもしれない。その点で、我々は正義を打ち立てるよりも、正義を共有することにより多くの力を注ぐべきなのだろう。
「共有できない正義は意味がないだけではなくむしろ害悪である」
「共有できない100の条文よりも、共有できる3つの条文の方がはるかに価値がある」

 

才能と言うのは、「ご褒美を見つけられる能力」のことなんじゃないだろうかと。「成し遂げること」よりも、「成し遂げたことに対して快感を感じられること」が才能なんじゃないかと思うんですよね。ページ82

 

知識は増えるんですけれど、知識が増えるだけだと達成感がないんです。「明日、これが使えるぞ」っていうことがないんですね。そうすると、「ご褒美」が感じられないわけです。ページ83

 

^_^ 面白いと感じられる本の1つのパターンとして、実際に使えると感じられるというのはある。明日これを試してみようと思える本はやはり夢中になって読んでしまう。この本はそういう要素がたくさんある。

 

プログラムの世界は、理詰めです。だから、もしも完動しないとしたら、原因は全部、プログラムしたこっちにある。
私は、人と人のコミニケーションにおいても、うまく伝わらなかったらその人を責めずに、自分側に原因を探すんです。コミニケーションがうまくいかないときに、絶対人のせいにしない。「この人が自分のメッセージを理解したり共感したりしないのは、自分がベストな伝え方をしていないからなんだ」と思うようにすると決めたんです。ページ84

 

^_^ これは深いなぁ。親兄弟家族と話すときも心がけたいものだね。

 

自分が何かにハマっていくときに、
なぜハマったかがちゃんとわかると、そのプロセスを、別の機会に
共感を呼ぶ手法として生かすことができますよね。ページ98

 

^_^ それよりも自分が何者で何を面白いと思っているのかを知ることができるというのは大きな収穫だと思う。

 

「アイディアと言うのは、複数の問題を一気に解決するものである」ページ104

 

^_^ 例えばお金が儲かると言うのはアイディアではなく、お金が儲かる上に人に喜んでもらえると言うのはアイディアなのだろう。

 

宮本さんは何も知らない人を捕まえてきて、本とコントローラー渡すんですよ。で、「さぁ、やってみ」ってね、ページ108

 

^_^ 知らないということの価値について日ごろから考えていたが、ここにもその価値を理解している人がいた。

 

「いっこのことで複数の問題を解決するアイディア」と言うものは、近くから見れば見るほどわからなくなってしまうんです。視点を犯さなければ気がつかないようなポイントだからこそ、普通の人には思いつけない。ページ110

 

山内さんは、「任天堂は喧嘩したら負ける。よそと喧嘩したらアカンのや」なんておっしゃっていましたが、それって、今のビジネスの言葉で言い換えると「ブルーオーシャン戦略」なんですよね。ページ122

 

^_^ なるほど。山内さんはそれを肌感覚で理解していたわけか。すげぇなぁ。

 

私が見つけた「天才の定義」があります。
「人が嫌がるかもしれないことや、
人が疲れて続けられないようなことを、延々と続けられる人」、それが「天才」だと私は思うんです。
考えるのをやめないとか、
とにかく延々と突き詰めていくこと。
それは、疲れるし、見返りがあるかもわからないし、
大変なことだと思うんです。
でも、それは、それができる人にとっては苦行じゃないんですよ。
それを苦行だと思う人は、苦行じゃない人には絶対勝てない。
だから、それが才能なんだと。
自分が苦労だと思わずに続けられることで、
価値があることを見つけることができた人は、
それだけでとても幸せだと思います。ページ136

 

^_^ 人にできないことを延々と続けられるそれが才能、それが天才ということか。

 

新しい人が入り続ける事はとても大事なんです。新しい人が入るようにしておかないと、いつか必ずお客さんはいなくなってしまう。
ページ158

 

ゲームの中に意味もなく置かれている石ころがある。
「どうしてこれを置いたの?」と聞くと、
「なんとなく」とか言うんですけど、
「なんとなく」は一番だめなんですよ。
ページ159

 

エンターテイメントの世界では、
他とどう違うのかを一言で説明できないだけで
人は興味を失ってしまいます。
ページ165

 

「制約はクリエイティブの母」ページ165

 

お互いに得意な分野が違うというのがいいんですよね。(中略)逆に、得意なことが似通っていると、対立も起こりやすいし、どちらかが譲らなきゃいけないと言う場面も増えてくる。ページ176

 

^_^ 才能の凸凹コンビというのは有効なのだね。

 

「その会議で答えを出そうと本当に思っている人(ファシリテーター)」がいることがどんな会議にとっても大事なんだ
ページ185

 

「コンピュータにできる事は、コンピューターにやってもらえばいいんですよ」ページ197 

 

 

^_^ 人工知能にできる事は、人工知能にやってもらえばいいし、他の人にできる事は、他の人にやってもらえばいい。自分は自分にしかできないことをやるべきなのだろう。

 

「反逆の神話 カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか」ジョセフ・ヒース+アンドルー・ポーター

 

 

【読書メモ】

 

人には大勢の押し付けてくるニーズと関係なく、自らの快楽の源を発見しようと努めることが(中略)必要だ。
ページ11

 

文明の歴史とは要するに、社会の抑圧装置を少しずつ内在化した歴史なのだ。社会がいよいよ複雑に、秩序だったものになるにつれて、個人は基本的な欲動いっそう断念するとともに、厳しく自制することが求められる。だから現代は弱虫とクレーマーの社会になった。だから僕らは心底から不幸なのである。生活の外的条件が計り知れないほどに改善されたことには、大して意味がない。不幸は外的ならぬ内的条件から生み出されている。
ページ56

 

^_^ 思いつきなのだが、歴史が進むにつれて、刑務所の待遇は改善しつづけているが、同時に娑婆の自由は減り続けている。つまり、刑務所は娑婆化して、娑婆は刑務所化している。その証拠にもはや娑婆でもタバコを吸う場所はない。我々はいずれ生まれた時から刑務所にいることになるのではないか。

 

俺たちは狩人として作られながら、買い物の社会に生きている。もう殺すものは何もない。そのために戦うものは何もない。克服すべきもの、探求すべきものはない。そんな社会的な虚勢の中で、こういう凡人が作られるんだ
映画「ファイト・クラブ」より

 

世界をひどく抑圧的にしているのは「アダムの呪い」−人間は額に汗して自活しなければならないと言う要求だと言うのだ。
ページ70

 

^_^ アダムの呪いか。

 

カウンターカルチャーの思想はつまるところ、誤りに基づいたものである。カウンターカルチャーの反逆は、せいぜいが偽の反逆なのだ。進歩的な政治や経済への影響など一切もたらさず、もっと公正な社会を建設すると言う喫緊の課題を損なう、芝居がかった意思表示に過ぎない。つまり、ほとんどは反逆者のお楽しみのための反逆でしかない。悪くすると、カウンターカルチャーの反逆は実のところ有効に機能している社会規範や制度を揺るがしたり、その評判を落としたりして、不幸をどんどん広めてしまう。とりわけカウンターカルチャーの思想は、民主政治に対するかなりの軽蔑を生み出したせいで、30年以上にわたって、進歩的左派の多くを政治的混乱などを陥れてしまった。
ページ77

 

人はしばしば逸脱行為を1種の意義申し立てとして正当化しようとするからだが、自己欺瞞の強さのせいでもある。逸脱行為に陥る人の多くは、自分が行っている事は良い申し立ての一形態だと、本気で信じているのだ
ページ94

 

^_^ 法に異議を申し立てるのに法を犯すものを認めてはならない。しかし、法を守りつつ法の内容に抗議するモノの話を蔑ろにしてはならないということだろう。
ボクサーの刺青問題も、違反としてしっかり処分し、違反者の意見を取り入れるべきではない。しかしルールを守っているものからの抗議はその分、重く受け止めなくてはならない。

 

私は決して方の目をくぐったら侮ったりすることを唱道する者では無いのです。そういう行為は無政府状態を招くことでしょう。不正な法を破るものは、あけすけに、愛情を込めて、進んで刑罰を受ける気持ちでそうしなければなりません。良心が不正なものだと教えてくれる法に違反し、地域社会の良心がその不正に覚醒するように進んで勾留の刑罰を受けるものは、実際に法に対して最も尊敬の念を表明しているものだと私は考えます
マーティン・ルーサー・キング
ページ95

 

^_^ キング牧師は僕の考えよりずっと先に行っていた。不正な法は破るにしてもその刑罰は進んで受けろということか。確かに。

 

社会全体がより豊かになるにつれ、消費行動はどんどん軍拡競争と構造が同じになってくる。隣から聞こえる音楽を消すためにステレオの音量を上げるようなものだ。
ページ134

 

特に隣人への対抗意識はなくても「見苦しくない」生活水準を保ちたい人なら、歳を大事に出が増えていく羽目になる。こうした人たちの消費は「防衛的消費」と言う形をとる。概ね不面目を避けようとしているだけだからだ。つまり世間に遅れをとるまいとしているのだ。
ページ134

 

消費主義は根本的には、富が個人のアイデンティティーを表現もし、規定もすると言う考えに由来している。
ページ214 

 

 

「なんで家の子にポリオの予防接種を受けさせなきゃいけない?」と人々は声を上げる。「誰かがポリオになったって最後に聞いたのいつだっけ?きっと製薬外車が儲けようとしているだけでしょ」。あるいは「どうしてお産のために病院に行かなきゃいけないの?誰かが出産で死んだと最後に聞いたのはいつだっけ?多分男の医者が女を管理し抑制しようとしているだけでしょう」。
ページ320

 

^_^ 救いようがない。

 

グローバル資本主義を最大限に利用するとは、どういうことだろうか?それは市場の失敗をくまなく探し出し、見つけたら、どのように解決できるかを創造的に考えることだ。20世紀の福祉国家の歴史は、市場の倫理との1連の戦いと言うよりも、様々な形の市場の失敗の克服として解釈されるべきだ。
ページ380

 

^_^ 概ね賛成。穏当な保守派らしい意見だ。大切なのはそこでどう生きるかだ。

 

まとめ


結論としてはルールは必要だと。それを逸脱することを良しとするカウンターカルチャーには価値はない。それは認める。しかし、問題はルールが平等に課されない問題であるのだが、それに関しては著者はあまり言及していない。不公平感が人々に逸脱をもたらしていること、法の殆どが庶民のためにではなく、豊かなモノのために作られていることなど、現状に問題も多い。まぁ、的外れな左派が多いことは認めざるを得ないが。結論としては理知的に考えろ、左派も右派もというところだろう。