5章 買い物編06 値引きに弱いという弱点

 何しろ、月額6万5千円で生活しているので、売る側の売り文句には強い耐性を持っています。

 

 新製品が"良い"と言われれば、今までの旧製品は"良くなかったのか"と考えるし、現実問題として、大抵、旧製品と大して変わらない。

 

 しかし、値引きには弱い。

 

 ぼくクラスのプロの貧乏人になると、スーパーに行っても、値引きシールが貼ってあるものしか目に入らない。

 

 もちろん、値引きシールの貼っていないモノも買う場合があるので、自分の中のスイッチを入れると、値引きされていないモノは意識に上らないようになるのです。

 

 逆に値引きには敏感で、20%や30%までは無視もできるが、半額のシールが貼ってあると、それを買わない理由を考えなければ、その場を離れられないのです。

 

 コロッケが半額なら「これは油ものだから、あとあと肥満や糖尿病という高い代償を払うことになるぞ」

 

 シュークリームが半額なら「これも、あとあと・・・しかし、我慢しすぎるのも、ストレスは非常に体に悪い、嫁に聞いて嫁が食べると言ったら買おう」

 

 カレールーが半額なら「賞味期限を確認しろ、何?来年までいける?しかし、我が家には半額のカレールーが5箱はある」

 

 しかし、かごに入れて嫁のところに持っていくと「我が家にはカレールーが10箱はあります、インド人じゃあるまいし」と言われ、しぶしぶ棚に戻すのです。

 

 もはや半額のモノを買わないことで自分が損するのではないかという妄想に取りつかれつつあるなぁと思いつつ、それでも買い物を楽しめているのでそれでよし、という月額6万5千円生活なのです。

 

 

 

あなたの一票は無駄なようで無駄じゃない。

 あなたは今まで選挙に行って、あなたの一票で当落が決まったという選挙があったでしょうか?

 

 恐らくなかったと思います。ではあなたの一票は無駄だったということでしょうか?

 

 いいえ、無駄だったとは言い切れません。選挙はもちろん当落が大事な要素ではありますが、それ以外にもたくさんの節目があるからです。

 

 例えば政治家が、Aという政策を実行しようか悩んでいた場合、選挙の結果、Aという政策の支持派の得票率が30パーセントを超えたら、政策を実行しようと考えていたとします。

 

 もしかしたら、アナタの一票がその30%のラインを超えるか超えないかのボーダーだった可能性もあるのです。

 

 しかも、そのボーダーは恐らく政治家ごとに、政策ごとに存在しているでしょう。その政治家が意識しているかしていないかに関わらずです。ですから、あなたの一票があなたの知らないところで、その後の政治の動きは変えている可能性はあるのです。

 

 さらにその変化は連鎖する可能性も持っています。あなたの一票が一人の政治家の決断に影響を与え、その政治家のその政策の態度が、より大物の政治家の決断に影響を与える可能性は十分にあります。つまり、あなたの投票行動が結果的に国の政治の方向性に影響を与える可能性はありえるのです。

 

 この論でいくと、何も数年に一度の選挙時だけが、有権者が政治に影響を与える機会というわけではありません。

 

 何かの政策を決定する局面で、地元の政治家の事務所に電話して、政策の支持、不支持を伝える、政治家のFacebookにコメントを残す。政治家自身に電子メールを送るという手段も影響を与えうるのです。

 

 それがどんな形でもの目に触れれば、その決定にその政治家が意識するかしないかに関わらず影響を与えるからです。

 

 例えば、あなたがメッセージを送らなかった場合、269件のメッセージを読んで、秘書は議員にこう告げます。

「先生、今回の政策に対して、200件を超える不支持のメッセージが届いています」

 

しかし、あなたがメッセージを送ることで、一件増えて270件のメッセージを読んで、秘書は議員にこう告げるのです。

「先生、今回の政策に対して、300件近い不支持のメッセージが届いています」

 

 あなたの一件のメッセージで議員が受ける政策に対する地元の空気の印象が変わってくる可能性があるのです。

 

 その点で言えば、常に一人の政治家が当選しつづけている無風選挙区の住人は政治に影響を与えることは難しいでしょう。そのような政治家はあなたの意見など無視しても、既存の支持団体の言うことを聞いていれば次も当選できるからです。

 

 しかし、常に二人以上の政治家がしのぎを削っている選挙区であれば、その影響力は大きなものになります。

 

 あなたの住んでいる選挙区はどちらですか?

 

まったく反対の「政治は天気だと考える」という記事も書いています。ぼく自身悩ましい問題なのです。

 

 

 

 

政治は天気だと考える

 

 

 政治は天気と同じです。

 

 明日が雨で都合が悪いからと言って「天気」を変えようという人はいないでしょう。おそらく多くの人が「カサ」を持って出かけるという方法を選ぶと思います。

 

 実は政治に関しても99%の人にとっては天気と同じことです。

 

 あなたの父親が小泉純一郎でその地盤を継げるとか、そんな立場にでもいなければ、一庶民が政治を変えるには、恐らく人生のすべてを捧げてやっとどうにか若干の影響を与えるかも知れないという程度の話でしょう。

 

 つまりプロになる覚悟がないなら、政治は天気と同じだということです。

 

「天気の決定には参加できないが、政治には投票で参加できる」そう言う意見もあるでしょう。

 

 では、あなたが、今まで参加してきた選挙で2票差で当落が決まった国政選挙がありますか?

 

 日本は民主主義ではありますが、あなたの一票にはなんの影響力もありません。それが事実です。

 

 それでも我々は政治に参加しているつもりで、新聞を読み、Yahoo!ニュースをクリックしています。

 

 そして、政治の問題に嘆き、何とか政治を変えなければと考え、それがかなわず、暗たんたる気持ちになるのです。消費税増税やら、政治家の失言やら、政治なんて天気と同じなのに。

 

 政治のニュースを読むことは必要です。明日の天気を知ることが必要であるのと同様に。

 

 それによって「カサ」を持ったり、「補助金」を申請したり、仕事のやり方を変えたり、環境の変化に対応しなければならないからです。

 

 しかし、アナタは政治の影響は受けまずか、政治を変えることはできません。あなたが政治家を目指すのでなければ、政治はショーでしかないのです。

 

 しかも、メンバーの代わり映えのしない実に下らないショーです。出演者は老人ばかりです。たまに若いやつが出てきたと思ったら二世三世ばかりです。

 

 政治は天気と同じ、変えられない。そう割り切れればあとは天気同様、消費税が上がろうが、年金が危うかろうが、自分の手が届く範囲で対応するのみです。

 

 貴重な日曜日に投票に行くぐらいなら、バイトでもして老後に備える方が正しい選択です。

 

まったく反対の「あなたの一票は無駄なようで無駄じゃない」という記事も書いています。ぼく自身悩ましい問題なのです。

9章 ベーシックインカム編01 ベーシックインカムに反対する人へ

 ベーシックインカムに反対する人は大抵こう言います。

 

ベーシックインカムなんて導入したら、人々は仕事もせず毎日、寝転がってテレビを見て暮らすようになるに決まっている」

 

 本当にそうでしょうか?

 

 そんな人に「あなたもベーシックインカムが導入されたら、仕事をやめて、毎日、寝転がってテレビを見て暮らすようになりますか?」と聞いてみます。

 

 すると、多くの人がこう答えます。「わたしはそんな怠け者の連中とは違う、仕事もやめないし、有意義な日々を送る」

 

 なぜ自分はダメ人間にならないのに、他の多くの人はダメ人間になると決めつけるのでしょうか?

 

 自分の運転技術は上・中・下でどれですか?とたずねると、なんと7割の人が「上」と答えるという調査結果があります。

 

 7割の人が平均より運転が上手ということはあり得ません、つまり人間は自分を過大評価する傾向にあるのです。

 

 つまりは平均的な人間はこう考えているのです。

「平均より優秀な自分はベーシックインカムの導入でも、身を持ち崩さないが、自分より出来の悪い平均的な人間はダメ人間になる」と。

 

 あなたは平均的な人で、平均的なあなたがベーシックインカムの導入で、ダメ人間にならないのなら、たいていの人はベーシックインカムの導入でダメ人間にはならないのです。 

 

 これはベーシックインカムに限りません。大麻の合法化でも、同じことが言えます。

 

大麻の合法化なんかしたら、みんな大麻に溺れて、やがてそこから危険な覚せい剤なんかに手を出すようになる、もちろん私は人より優秀だから、そんなことにはならないがね」

 

 

 

 

 

ぼくがベーシックインカムを支持する理由

 ぼくがベーシックインカムを支持する理由の一つは、現在の福祉制度では、給付金制度が人のできることを奪っていくということです。

 

 現在の福祉制度では、たとえば障害を持つ人は、歩けないとか、立ち上がれないなどのできないことを証明し、アピールすることで給付金を受け取ります。

 

 逆にできることが増えれば給付金は減らされます。歩けない人が歩けるようになり、立ち上がれない人が立ち上がれるようになり、働けなかった人が働けるようになると、給付金は減らされるのです。

 

 つまり、福祉が人からできることを奪う、できることができなくなるようなインセンティブが働いているのです。

 

 その点、ベーシックインカムはどんな人にも生きていけるだけの給付金を与えるので、そのような悪しきインセンティブは働きません。

 

 寝たきりの人が起き上がること、立てなかった人が立ち上がること、歩けなかった人が歩けるようになること、働けなかった人が働けるようになることが、そのまま喜ばしいこととして、皆で喜ぶことができるのです。

 

 

 

 

2章 考え方編20 貧困から抜け出す二つの方法

 貧困から抜け出すには二つの方法があります。

 

 ひとつはお金をたくさん手に入れて「貧」から抜け出すこと。これは古今東西、いろいろな人が語り、騙り、誘い、様々な人が努力してきた、やり方です。

 

 ぼくがこのブログで求めて生きたいのはもう一つの方法「困」から抜け出す方法です。貧しくても「困らない」生き方。貧しくても「楽しい」生き方。

 

 紀元前の哲学者セネカも書き残しています。「楽しい貧乏はもはや貧乏ではない」と。

 

 

2章 買い物編 ぼくらの幸福は本当はそんなにたくさんのモノを必要としていない。

 

 普通は何かを持つというのは良いこと、幸福なこととされている。

 

 でも、本当にそうだろうか?

 

 あなたが何かを手に入れたとき、あなたにはそれを管理する義務もまた負うのだ。

 

 たとえボールペン一本でも、無くせば少しは探すだろう。

 

 新しい高級な服を買ったら、高級であるがゆえに、飴をしゃぶりながら幼い子が近づけば顔色を変えて逃げ出し、タンスにしまえば防虫に気を遣う。

 

 ピカピカの新車を買ったら、盗まれないかと駐車場所に気を使い、当て逃げにあっていないかと乗るたびに点検し、家族を乗せる時はその靴に泥がついていないかと気が気でない。

 

 ベッドルームが何部屋もある豪邸を買えば、ほとんど使わない部屋まで掃除しなければならないし、掃除が嫌で家政婦さんを雇えば、その人が信用できるのか、大事な家の備品をくすねやしないかと心配しなければならない。

 

 家族だって同じようなものだ。パートナーを持てはパートナーがどこかで浮気をしていないかと不安になり、子供を持てばもちろん気苦労が絶えない。

 

 かと言って人は何も持たずには生きられない。

 

 ではどうしたらいいのだろうか?

 

 本当に欲しいものだけを欲しがろう。本当に必要なものだけを手に入れよう。

 

 本当に好きな人と付き合い、本当に欲しい家を買い、本当に車が欲しい車を買い、本当に欲しい洋服を買おう。

 

 そして、それらに精一杯愛情を注ごう。そうすればぼくらはそんなにたくさんのものを持てないと気づく。人生には限りがあるのだから。

 

 人が一度に着れる服は一着だし、乗れる車も一台、住める家も一軒だ。そして、しっかり抱き締められる相手も、一度にひとりだけだ。

 

 何かを買う時は自分に問いかけてみよう。本当に欲しい?本当に必要?これを管理する義務を負う覚悟がある?

 

 ぼくらの幸福は本当はそんなにたくさんのモノを必要としていない。