『RE:THINK 答えは過去にある』
1 はじめに−再発見の時代
必要なものを、必要な時に
下衆の後知恵
私たちの時代からは、どのような社会通念が後世の人々に決まり悪い思いをさせてしまうだろうか。ページ21
^_^ これは一度考えてみるべき面白いテーマだ。畜産や肉食?貧富の差?一部の過激なスポーツ?性的嗜好(ロリコンや死体を愛する人、近親相姦)に対する差別?
第1部 テーゼ
2 古きものの衝撃
状況に応じて
最先端の吸血動物
ストイックな姿勢
^_^ ストア派は常に出てくるなぁ。
3かけていたピース
ベルリンの壁
フランスの進化の父
さぁ、手を洗おう
エピゲノム
生物の後天的な変化が子孫に反映されること。例えば心的迫害を受けた親の子が、親とは遺伝子以外に関わりがなくても親が受けていた心的迫害の影響を受けるというもの。マウス実験で実証され、人間でも、ユダヤ人迫害などを受けた人の子孫などのデータから証明されつつあるが、認めない学者も多い。
瞑想もエピゲノムを変化させる方法の1つだと言う。「同じタイプのアイディアですから− 人は自分の脳を使って潜在的な問題を解決できる、と言う」。ページ65
どうして正しいのか理解できないけれど正しい古いアイディアが、他にない方が驚きだ。作用する仕組みがわからないからといって、作用しないと言うことにはならない。そういうわけで、思考する人間が見捨てられた古いアイディアから着想を得て、それが確かに作用することを示す重要な欠落したピースを探し求めることもある。ページ70
^_^ 確かにそうだ。笑うことの効用とか、運動の効用、森林の効果とか、よくわからないが、確かに効果のあることはそこにある。
4 ゲームチェンジャーたち
偽情報は自由を求める
ベーコンの保存と復活
探査機
トリップ
「多くのアイデアは、それが芽吹いた頭の中よりも別の頭に移植された方がよく育つ」オリバー・ウェンデル・ホームズ ページ71
あなた方は予測しているのではない。むしろ可能性の空間について考えているのです。ページ83
抑うつ状態や依存状態にある人は、決まりの形に沿った考え方をするとよく言われる。繰り返しにより強く固められた心理的な“轍“である。そのような轍から、どうやって抜け出せば良いのだろうか。すでに述べられたように、心理学的な教えでは繰り返しがちな良くない考えを認識し無意識の思考パターンを断ち切ることを勧めている。幻覚剤の働きとは、脳内のニューロンの発火パターンの構成全体を遮断できることである(これは“広帯域にわたる皮質の脱同期化“として知られている)。恐ろしげに聞こえるかもしれないが、ともかくこれが必要な人もいるのである。“轍“がニューロン発火の固定されたパターンであれば、パターンを遮断するものがそれを平らにならす、あるいはリセットするのを助けるだろう。ページ91
^_^ 思考の轍というのはとてもいい表現だ。我々は思考の轍にはまり込まないように注意しなければならない。
5 まだ追いつかないの?
電子タバコの再登場
欲望の原子
コオロギを評価しないのはフェアじゃない
ホッパー准将なくしてiPhoneなし
新しい科学的事実が勝利を収めるのは、反対派を説得し啓発するからではなく、反対はがやがて死にたえ、その事実に慣れ親しんだ新しい世代が育つからである。マックス・プランク ページ94
^_^ 今、受け入れられていない科学的事実とはなんだろうか?実は子の育ち方には親の影響は少ないこととかかな。あとは昆虫食とか。
「人は「ずっとこうやってきた」と言いたがります「ホッパーは言った。「私はそれと戦うつもりです」。そして、確かに戦った。ページ115
^_^ 意味のない伝統を探してみよう。
第2部 アンチテーゼ
6 太陽の下には新しいものもある
巨人の肩に乗る
新しくて古いガジェット
相互確証破壊
たくさんの世界
現実に戻る
永遠のインフレーション
誤りでない
プラトンへの回帰
行動主義科学のイメージを決定づけるものとして、行動主義の代表的な理論家の1人、B・F・スキナーにちなんで名付けられた“スキナー箱“がある(正式には“オペラント条件付け箱“)。スキナー箱には様々なタイプがあるが、典型的なものは電気を通下床と2つのレバーを備えている。ラットは箱に閉じ込められ、特定のライトがついたときに正しいレバーを押すことを強要される。ラットが正しいことをすれば、餌が与えられる。誤ったレバーを押せばブービートラップが仕掛けられて床から、痛みを伴う電気ショックを食らう。すぐにラットは毎回正しいレバーを押すことを学習する。だが、試験者が前触れなくレバーの機能を変えると、ラットは混乱して消極的になり、抑うつ状態に陥る。ページ129
私たちは自分自身を、オペラント条件付けによって改善すべき対象として扱っている。つまり自発的に巨大なスキナー箱に入っているのである。ページ129
^_^ 違いは自分の意思であるかどうか、しかし、結果的にはどうなりたいのか。良い消費者?笑える。
7 陪審はまだ外で審議中
ソックスに話しかける
ベートーベンをぶっとばせ
なぜ光はともるか、
「驚いた!あらゆるものは知的だ!」
選択点
妥当な選択
長髪の連中の言う事
心のブラックボックス
地球の終わり
永劫回帰
橋からの眺め
芸術におけるアイデアは、決して論破されて弁明されたりする事は無い。単独の達成が全てである。ページ153
^_^ 物質には意識がないとすると、我々も意識がないことになる。何故なら我々も物質でできているからである。それともあなたは魂の存在を信じるのだろうか?
8 ゾンビの攻撃
ゾンビたち
世界は平面である
陰謀の市場
真実はそこにある
西喧嘩、消滅家
出版バイアス
抵抗
賭けをしろ
^_^ あらゆる研究論文は半分しか公表されない。失敗した、あるいは意図した結果の出なかった論文は発表されないからである。そのような論文は机の中に仕舞われるが、それら残りの半分の研究結果を公表しようと言う運動がある。メリットとしては同じ実験を他の人は繰り返す必要がなくなる。また、意図した結果を得られなかったと言う事は失敗ではなく意図した結果を得られないと言う実験結果を得られたと言う実験の成功でもあるからだ。
後に正説となるアイデアを拒絶した過去の人々を指さして笑うのはあまりにも短絡的だ。拒絶されたことにより、新しいアイデアはいっそう強い説得力を持つよう改良されたのであり、むしろ拒絶した人々は非の打ち所がのないやり方で、科学を実践していたことになる。ページ200
9 間違える方法
因果はめぐる
原理に反する
パラダイムを壊す
フィールドに戻る
足がかり
誤り再び
ますます奇妙
10 プラシーボ効果
妄想とは“他の十分な数の人たちが信じないことを信じること“としか言いようがありません ページ252
研究者の多くは、精神病者と“普通の“人の2つしかいない区別ではなく、誰もがどこかに位置づけられる精神障害のスペクトラムと言う観点で捉えている。ページ252
^_^ 史実ではなくてもプラシーボ効果で、その名の通り効果的なことがある。例えばこれは練習だと思って本番に挑めばうまくいく。そんなことである。
人々が考える“プラシーボ効果“とは、実は数々の、それぞれが固有の生化学的機序を持って別々の効果が一まとめにされたものである。ページ253
例えば何らかの宗教の教えに従うかどうかを決める妥当な方法は、その宗教が正しいか否かと思いをめぐらせることではなく、その教えに従えば自分自身の人生をより良くすることができるかを自問することだ ページ262
第三部 予測
11 戻ってきたユートピア
経済的自由とは、経済からの自由−経済的な力関係によるコントロールからの、そして日々の生存競争からの、生計を立てることからの自由を意味する ページ282
^_^ ベーシックインカムの反対論によくあるのは、誰もがテレビを見て働かなくなるだが、あなたは?と尋ねると私はもっと有意義に暮らすが、多くの人はただの怠け者になると述べる。自分だけは特別で他の人はダメになるという、まぁ、呆れた論理になるのだ。
金額が十分であれば、障害のある人が常に自分の病状の重さを強調し続ける必要はなくなります逆に、前向きに物事を行うようになり、自分に何ができるのか強調し始めます。ところが現在は、“自分の症状がどれだけ重いかを証明しなくてはならない“のです。人々の健康状態は給付金を得るための過程を一通り終わるまでに悪化するのは見ていてわかるんです。ページ290
^_^ 確かに金受け取るためにはできる限りできないことを証明しなければならない。それがどれだけ人を傷つけるか。
^_^ ベーシックインカムの財源は不労所得や著作権や特許権の巨大なものに優先的に的を絞るべき。土地は本来みんなのものだし、アイデアは一人で考え出したものではない。
メッセージを送った人が気に入らないからといってメッセージを拒絶すべきではないと言う原則の、考える最も極端なケースである。ページ318
^_^ ドラックの合法化も、ベーシックインカムの導入も、反対派の言い分は私は合法化されてもドラックには手を出さないし、生活できるだけのお金をもらっても怠け者にはならないが、世の中の多くの人は私よりも愚かなので、ドラックを合法化すればドラックに耽溺し、生活できるだけのお金をもらえば、すっかり怠け者になって、日がな一日テレビを見て過ごすようになるというものである。
これは、自分は人より優れていると思い込む悲しい人間の心のバイアスの発露なのかも知れない。
ほとんどのドライバーは、自分は平均よりも優れたドライバーだと思い込んでいるのだから。
12 善悪の彼岸
13 信じるのはちょっと待って
役立つトリックが1つある。それはクーリングオフ期間である。アイディアは、誕生した時はほぼ必ず素晴らしいと感じるものなので、新しいアイデアを少なくとも24時間は実行してはならない ページ343
私たちは新旧のアイディアについて考えるための、様々な方法について論じてきた。そしてそれらの方法がうまくいくかはどれも、信念の保留を維持できるかにかかっている。そうすることによって1つのアイディアを、もしかしたらもっと有意義かもしれない角度から眺める時間が生まれ、おそらくその継続的な力を再発見することになる。アイディアを手に取り、それがブラックボックスでないかどうかを確かめよう(ラマルク主義)。アイディアの成功は気にせずに、プラシーボ効果が働く可能性を考えてみても良い(ウィリアム・ジェームズの感情についての議論)。あるいは、もし間違っているとしても、それは必要な足がかりではないだろうか(暗黒エネルギー)。アイディアが拒絶されたのは馬鹿げているからではなく、パワーアップアイディアだからではないかと問い掛けよう(多言語プログラミング)。馬鹿げている度合いが1番低い選択肢に真剣に目を向けよう(汎心論)。私たちが知らないと知っていることを明らかにして、好奇心を刺激するのも良い。常識を捨てて市場に逆張りを仕掛けてみよう。簡単すぎてうまくいくように思えないことを、もう一度見直そう。“明日からの眺め“を取り入れて、啓発された視点から今の思考を見てみよう。信念の留保は発見の、そして再発見の強力なエンジンなのである。ページ352
89点
『セネカ 現代人への手紙』貧乏人には多くのものが足りないが、 欲張りには何もかもが足りない。
「楽しき貧乏とは」と彼はいう、「尊敬に値する事柄だ」と。もし貧乏が楽しいものだったら、それはもう貧乏ではない。持つことの少ないものではなく、物が上にも持ちたがるものが、貧しいのだ。つまり問題は、金庫の中にいかに多く入っているかではないんだ。倉庫の中にどれほど積まれているかではない。どんなに多くの家畜を養っているかでも、どれほどの財産を貸し付けている日でもない。そんなものがいくらあろうと、もしその男が他人の財産を狙っていたり、自分の持つものに満足しないでさらに所有を増やすことばかり目論んでいたら、いくらあろうと満足する事は無い。では、富の限度とは何か、と君は聞くかな?第一、必要なものを持っていること、第二、足るを知ること、これだ。ページ10
美味・珍味を探し求めるのは贅沢の印であるように、ありふれた安い値段で手に入るものを避けるのは愚かしさの印だ。哲学は質素な暮らしを求めるけれども、苦行は求めない。しかし質素でも清潔でなければならない。僕が好きなのは中庸を得た生き方で、正しい態度は厳しい掟と群衆どの掟の間にあるだろう。ページ27
僕はまだただのいちども、家を出るときに持って担当と同じ心の状態を持って帰宅したことがないんだ、と。僕がきちんと整えておいたものが引っ掻き回されていたり、僕が追っ払っておいたものがまた心の中に戻っていたりする。ページ37
なんであれ、群衆に気に入るものは避ける。偶然がもたらしたものは避けよ。思いがけない幸運に出会ったら、疑いと不安を抱け。獣や魚は誘惑する希望に欺かれる。君たちはそれを運命の「贈り物」とでも思っているのか?それは罠だ。君たちのうち誰か人生を安全に送ろうと思うものがいたら、自分にできる限り、この接着剤付の贈り物は避けよ。どうせ欺かれて惨めな思いをするだけだから。ページ45
^_^ 宝くじでも当たればいいなぁなんて思っている凡人には目の覚めるような言葉だ。
食は飢えを静めればたる。飲は渇きを癒せばたる。衣は寒を防げば足る。住は風雪を凌げは足る。住居が芝草で作られていようが、世界各地の色とりどりの石で建てられていようが、何の違いもありはしない。藁葺き屋根でも金葺き屋根でも人間が保護されることに変わりはないとしれ。いらぬ労力を費やして化粧や飾りとして作られたものは、すべて軽蔑せよ。ページ46
何であれ欲望によって得たものは全て、他人のものだ。
運命が君のものにしてくれたものは、君のものではない。
与えられたような善は、すぐまた取り戻される。ページ49
^_^ 賢者は友人も財産もときには手足すら失っても嘆いたり苦しんだりしない。それらはそもそも自分の支配下にないものであるからだ。しかしあったらあったで便利だとは考える。しかし一瞬にして、それらを失っても賢者は動揺しない。
今自分の持っているものがこの上なく素晴らしい宝に見えないものは、たとえ全世界の主人であろうと、それでも不幸な人だ。ページ57
全公衆の前で祈れること以外何一つ上に乗らない、そういうところまで君が来たら、その時君はあらゆる欲望から自由になるページ61
われわれは現実そのものによってよりも、想像によって苦しめられることの方がよほど多いのだ。ページ68
^_^ これは善の考え方にも繋がる。我々を苦しめるのは現実ではなく、妄念なのだ。
その時が来る前に不幸になるな ページ68
^_^ これは名言。
多くの人にとって哲学に入ることを妨げたのは、実は富なのだ。貧乏は自由で、何の心配もない。戦闘ラッパが鳴り響いても、貧乏は俺には関係ないことだと知っている。洪水警報が出ても、貧乏はどこへ逃げ出すか考えるが、何を持ち出すかは考えない。船旅に出ても、港港で大音響が起こることもなければ、たった1人の人間のお供連中で岸辺に喧騒が起こることもなく、奴隷の群れが取り囲むこともなく、その奴隷を養うために海の向こうから豊かな実りを調達する必要もない。
少人数の、よく訓練された胃袋を養うのは容易だ、腹がくちくなることを求めるだけだから。空腹は安くて済むが、怒った口調は高くつく。貧乏はさしあたりの要求が満たされ済すれば満足する。なのになぜ君はこの良き仲間を断るのかね?金持ちでも理性ある連中はその真似をするものなのに。ページ78
^_^ 金持ちでも賢い連中は貧乏人のマネをするというのは慧眼だ。
僕は財産を断念せよなどと言っているのではない。ただ君が震えずに財産を持てるようにしてやりたいだけだ。そういう境地に達するにはたった1つの道しかない。それは君が財産などなくとも幸福に暮らすことができると確信したときに、財産とはいつなくなるかわからのものだと君が常に見放せるようになった時だ。 ページ88
君は、君自身放棄するのか、君の持ち物は何かを放棄するのか。ページ91
奴隷状態が人間を捉えている事は滅多にない。たいていは人間の方が奴隷状態を掴んで離さないのだ。ページ100
^_^ これはまさに言い得て妙。誰もが働きたくないといいつつ、仕事から離れられず、地位を守るために自分の時間を捧げ続ける。
荷物を背負ったままで泳いでいて、助かったものは1人もいない。ページ100
われわれは日々死んでいるのだ。という事は、人生の一部分は、我々が成長している時でさえ1日1日と奪いさられていると言うことだ。われわれはまず幼年時代を失った。次に少年時代を、最後に青年時代を。昨日という日まで、過ぎ去った時がすべてなくなったのだ。今、我々が送っているこの日だって、われわれはそれを私と分かち合っているのだ。水時計を空にするのは最後の一滴でなく、それ以前に流れ去ったもの全部であるように、我々が生存を止める最後の瞬間が私を完成するのではなく、それはただ終わりの封印をするだけだ。その時われわれは私に到達したのであって、それまでの長い間、我々は私に向かって歩み続けてきたのだ。ページ111
人は自分以外の何かのおかげで幸福なら、それが真の幸福ではない。運命(偶然)が与えたものは、いつまた運命の気まぐれによって取り戻されるかしれないからだ。そういう幸福は安定していない、確かでなく、長続きしない。では真の幸福はいかにして得られるか?人は神に自分自身のもの、何人にも奪われにないものによって幸福である時のみ、真に幸福だと言える。その誰にも奪われないものとは、言うまでもなく本当に自分にのみとし、自分の力の内にあるものでなければならない。それは心魂精神と呼ばれるもの以外にない。人は自分の体でさえも自由にすることができないのだから。すなわち人は、運命が与えたままの自分を受け入れ、それを肯定し、それに満足し、自分だけで充足した時、誰にも奪われない幸福を得たと言える。ページ174
私を軽視としすれば、その苦しみは耐えやすくなる。
何よりも君は、君の苦しみを自分でさらに悪くするな。嘆きで自分に重荷を負わせるな。痛みは、想像力が何も付け加えなければ軽いものだ。そしてもし君が逆に「こんな事は何でもない、いずれにしろ大した事じゃない、耐えてみせようじゃないか、そうすればやつもまもなく止むに違いない」と自分に語りかける言葉に出して言うなら、君が相手をそういうものだと思っている限り、君はそれを軽くするだろう。すべては想像力にかかっているのだ。名誉欲、浪費、所有欲がそれを目指すばかりでない、苦痛もわれわれは想像力によって感じるのだ。自分はこうだと思い込む分だけ人は惨めになる。ページ196
特に多いと本質的なものは何か?未来をあてにしないこと、生きた日数を数えないことだ。それは考える最も小さな時間体の中で永遠の価値を実現する。ページ225
^_^ これは今を生きるであり、三昧の境地である。と思う。
長く生きるには運命が必要だが、満足して生きることは君の心次第だからだ。ページ226
^_^ そこに考えが及ぶところまで育たぬうちに死ぬから、子供の死は大人の死よりも悲劇なのだ。
神に服従するのではなく、神に同意せよ、と。自分が納得して神に従うのであって、避けがたいものだから従うのでないと。だから今後も決してて、僕が悲しい気持ちで受け入れること、勝負所を受け入れる事は決して起こらないだろう。どんな罪でも僕はいやいや払うことはしない。そのことで我々がため息をつくこと、その前で震えることの全ては、生きることにかけられた税金なのだ。ページ254
^_^ 運命に対する強い意志を感じる。神に従うのではなく、神に同意せよ、か。
運命の女神の視野にあるあらゆるものは、それを所有する人間が自分自身を支配していて、所有物の支配下にない場合だけ、役にも喜ぶべきものとなるのだ。だからルキリウス、運命が我々に善なる者役なるものを直接配るのだと考えている人は間違っている。運命は善なる者悪なるものの材料、つまり物事の本を我々に与えているだけで、それは我々の責任において前ともなれば悪ともなるのだ。これはどういうことかと言えば、どんな運命の計らいよりも強いのは人間の精神でやって、精神自身がそれらの物事を2つの方向に導き、幸福なら人生、惨めな人生の原因とするのだ。ページ256
^_^ 出来事をどう受け止めるかは本人次第ということだろう。宝くじが当たるという幸運で身をもち崩す人がいるのがいい例かも知れないなぁ。
貧乏人には多くのものが足りないが、
欲張りには何もかもが足りない。
欲張りは誰にとってもよくないが、自分自身にとって1番悪い。ページ274
人間は、求めること最も少ないものほど、最も少なくて足りる。
足るだけを望むことのできるものは、望むものの全てを持つ。ページ275
88点
『幸せな選択、不幸な選択』幸せとは快楽とやりがい。
「幸福」とは、喜びとやりがいの両方が得られる経験に満ちた生活のこと ダニエル・カーネマン ページ8
幸福を感じるかどうかは、自分の行動が招く影響について、自分自身が受けるフィードバックなのだ。ページ12
有意義なメッセージを与えてくれる人と言うのは3つの特性を備えている−信頼できる人物であること、エキスパートであること、そしてあなたと似ていること。ページ13
ウォームアップ
2新たな経験 7
7たっぷりの睡眠 3
16健康的な体 3
もう一つが思い浮かばない。
自分の行動が感情にどう影響するかと言うことに注意を向けるのは、何があなたを幸せにし何があなたを幸せにしないかを理解する上でとても重要なことなのだ。ページ19
行動を変えて、幸福を高める事は、ポジティブなことに注意を向けるとともにネガティブな事から注意をそらすことでもある。ページ20
幸福は「自分の注意を何にどう割り振るか」で決まる。あなたが注意を向けるものが、あなたの行動を決定し、あなたが幸せになるかどうかも決める。ページ20
幸福の鍵は日々の生活の中に快楽とやりがいを見つけ出すこと ページ24
人生において今の幸福と将来の幸福をトレードオフすること(将来の幸福のために今の幸福を犠牲にする、あるいはその逆)は少なく、それよりも快楽とやりがいを様々なタイミング、様々な割合でトレードオフしているのだと考えている。ページ50
どんな瞬間も特別扱いするべきではない。死ぬ間際だって特別扱いしてはいけない。いまわの際で自分は人生をどう振り返るんだろうと心配している人も多いだろうが、人生の価値は生涯にわたっての快楽とやりがいの経験で決まるもので、あるタイミングで判定するものではないページ54
注意しなければいけない事はある。収入は、生活満足度に影響を与える他の要素に影響することで、間接的に幸福にも影響している。幸福な人たちは概して友人が多く、結婚しており、健康状態が良いなどの傾向がある。すべて生活満足度を高める要素だ。よって、収入を単独で考えないで-経済学者がやりがちなことだが−他のすべての要素にその影響を分散させて考えるべきだ。ページ74
^_^ 逆に考えれば、友人が多く健康状態が良く結婚していれば別にお金は必要がないと言うこともできる。
収入や健康状態といったインプットを幸福に変換してアウトプットする製造プロセスがある。では幸福の製造プロセスとは一体どのようなものだろう?幸福を長期的に見た快楽とやりがいの糧と捉えた場合、この問いの答えは時間の使い方に関係しているとすぐ思い出すだろう。あなたは収入や健康状態といったインプットを取り入れ、あなたの時間を様々な活動に振り分けることで、これらのインプットを工夫に変換する。だが、時間は何をやることだけに使われるのではない考えることにも使われる。実際のところあなたの時間の大部分は、愛犬あなたが取り組んでいる事とはほとんど関係のない刺激に注意が向けられている。ページ87
^_^ 人間をインプットから幸福をアウトプットする製造プロセスとする考え方は面白い。
幸福になるための鍵は、自分を幸福にしてくれるものに多くの注意を払い、そうでないものにはそれほど注意を向けないことだ。ページ90
^_^ これは禅や哲学のいう今を生きるという事に戻ってくるのではないだろうか?そう考えると対して新しい発想でもないかも。
^_^ 人はエクササイズをするとそのご褒美としてより多くのカロリーをとってしまう傾向がある、そのためエクササイズのみに頼ったダイエットはあまり効果が出ない。
学生たちに、不採用の通知を受けたらどの程度気分が落ち込むかを予想してほしいと要請する。学生たちは、10段階評価で、今の気分より平均2ポイント落ち込むと推定した。これとは対照的に、実際に不採用通知を受けた場合の影響は、同じ10段階評価でわずか0.4ポイントの低下だった。こうした影響も、すぐに消えてしまう。通知から10分後には被験者の幸福度レベルは通常の状態に戻っていた。ページ114
^_^ これは人が不幸を過大評価していることの表れではないだろうか?つまり実際に不幸が訪れても大したダメージらないのにその前の想像の段階で実際よりも大きなダメージを受けてしまっている。
人生の悪い出来事に関する24傘を解決することは、ひょっとするとあなたの幸せに役立つかもしれない。あなたの注意は、起こるかもしれないし起こらないかもしれないことへの不安(さらには、それに伴うあらゆるストレスや緊張)からそれで、きちんと計画・管理され得る未来へと向かっていく。後理解すれば、別離が迫っていくにつれ生活満足度は著しく落ち込むものの、離婚した途端にまで跳ね上がる理由が説明できるだろう。ページ119
^_^ この点は示唆に富んでいる。つまり答えが明確に出ていない問題は人を不幸にする。修理費用のわからない車、何の病気かわからない体の痛みなどだ。だからそれらはサッサと見積もりを取ったり、病院で検査するのが幸福度を高めるやり方なのだ。
目標達成すると言うのは、「評価する事項」を幸福にするものであり、それ自体とても気分の良いものだ。ページ125
何かを達成したいと言う願望は特定の目標達成する意味では役に立つだろうが、それは同時に工夫と言うもっと重要な目標を犠牲にしていると言う事実を消して忘れてはならない。仕事で成功したいと言う意欲を持つのは良いことだが、そのために健康や人間関係を犠牲にしたのでは意味がない。ときには、その対象に熱中するあまり、目標達成することだけが重要になってしまう。何かを成し遂げるために極端な犠牲を払う人だっている−エベレスト登頂と言う思いに取り付かれ、山頂で命を落とした多くの登山家のように。こうしたケースでは、目標達成のために幸福と言う大きすぎる代償を払ったことになる。ページ128
未来の幸福で現在の不幸を埋め合わせる事は本当の意味ではできないと、心しておこう。失った幸福は永遠に失われたままなのだ。ページ129
あるものが自分の幸福に大きく影響すると思っているのは、あなたがそれに注意を集中させているからなのだ。ページ144
^_^ 認知的不協和は人を不幸にする。自分もそれにとらわれないように注意したい。
相手を思うままに操る最も効果的な方法は、自発的にするをやっていると相手に思わせることだ。強制されていると感じたら、大抵抵抗するだろう。相手が自分自身であっても同じだ。ページ162
完璧な人間なんて1人もいない。どんな人との関係においても幸せになりたいなら、相手の欠点も全てひっくるめて受け入れるか、さもなければ離れていけばいい。もちろん、あなたは自分自身とは永遠に離れられない。つまり、あなた自身の不完全なところも、買われる部分も全部受け入れざるを得ないと言うことだ。ページ164
5章 幸福を決断する
日々の活動の多くは、音がよく聞こえないままピアノを弾いているようなものだ。つまり、快楽ややりがいを経験していても、その経験にきちんと注意を向けていない。しっかりとインプットに注意を向け、どう感じるかに気づくことで、音が耳に入ってくる。171
^_^ つまり幸福ややりがいをきちんと意識的に味わうと言う事か。
不確かで辛い事態に直面しているなら、それを適用できる現実に変えることが得策だ。あなたが今、封がされたままの請求書に悩まされているなら、封を開けてしまえばいい。その問題について、いずれ何かやらなければいけないなら、それをやってしまえば、あなたの幸福に影を落とす影響が薄らぐ。あなたを辛い気持ちにさせる不確かさを解消し、すぐにでも適用プロセスに入るにはその不確かに正面から立ち向かうべきだ。不確かで辛い時代を解決できたと言うことを自分にフィードバックすれば、どんなことでもさっさと乗り越えられると思えるだろう。173
^_^ これは正に不確かな不幸が人を不幸にするということだ。不幸も実は確かなものになってしまえば不幸の力は弱くなる。殴られる予定があるならさっさと殴られて病院に行った方がいい。殴られる恐怖が人を不幸にするのだ。
実際の経験は自分の願望よりも信頼できるものだ。レディー・ガガのようなスターになれば幸せになれるだろうと思い、その思いを叶えようと試みたところで、その過程であなたが経験するのは惨めなことばかりだ。仮にその思いを叶えたところで、スターによって幸せになれるかどうか不確かで、その過程で快楽もやりがいも経験していないなら、不幸になるかもしれない未来のために、今の幸せを手放すことになる。あなた自身の経験から得たフィードバックに耳を傾け、幸福と言う最終目標に目を向けて欲しい。ページ173
^_^ 空想や妄想よりも自分で体験した幸福に目を向けろということだろう。歌って幸福なら歌うがいい。名声を得て幸福になれると思っても名声を得たことがなく、自分が名声を得て幸福になれるかわからないならそれを追い求めるのは、賢い選択とは言えないのではないか。ということ。
食事に注意を向けていないと、工夫のためのフィードバックがあまり顕著でないので、食べることからあまり快楽が得られなくなり、その結果もっと快楽を得ようと、食べ過ぎてしまうのだ。理論的に言うと、食事に注意を向けると食べるのはゆっくりになり、食事をより楽しむことができ、その結果食事の量が少なくて済む。176
^_^ こんなところにさりげなくダイエットのコツが書いてある。
(いずれどこかのタイミングで取り戻せるだろうと言う誤った信念に固執して)あまりに長い間たくさんの幸福を諦めていてはいけない。今日体験できる幸福は明日に先延ばししないこと。178
ある行動を続けるには、ポジティブなフィードバックが必要になる−しかも今すぐ必要なのだ。ある行動によって幸せを感じていて、彼もそれに気づいているなら、それを続けていけるだろう。180
選択肢についてほんのわずかの間考え、その後しばらく意思的に考えるのをやめ、再びわずかな間考えるようにすると、より良い決断ができると示す調査結果がある。197
^_^ よくよく悩み、寝てしまって起きてから決断すると言うやり方が実験結果でも良い結果を出すというのは面白い。今後は実践しようか。
第6章 幸福を設計する
^_^ 事前に会う約束をしてしまう。そしていけない時は断りの電話を入れると参加率が上がる。
^_^ 事前に自分が使う金額を前約束をしておくとお金を使う罪悪感が減るらしい。これはいいかも知れない。お金を使うたびに辛い思いをしなくて済む。
新しい仕事や住む場所を考える際には、家族や友人が近くにいるかどうかを考慮に入れると良い。つまり、住む場所を選択する際に、最初に問いかけるべき基本的な質問は、「私の幸福に最も貢献してくれる人たちはどこに住んでいるか?」と言うことになる。220
^_^ 面白い考え方だ。真剣に幸福について考えていて面白い。
第7章 幸福を実行する
物品よりも経験の購入を多めにする方が良いのは確かだ。ページ233
比較的快楽が得られる活動において幸福感が薄らぎ始めたら、比較的やりがいが得られる他の活動すればいい233
^_^ 限界収穫低減の法則は人はあらゆる場所に存在している。
人は実際の環境よりも、本人が注意を向けているものから強い影響受けていると言うことが、再び明確になった。254
^_^ 客観的に不健康であることよりも、不健康であると言うことを自分で考えることが人を不幸にするのだ。
お金は経験に多く使い、物にはあまり使わない。快楽を得られる活動とやりがいが得られる活動の間で切り替えをする。音楽を聴く。毎日今よりもう少しだけ長く、気の合う人と会話を交わすと自分に誓う。PCや携帯電話にかじりついている時間を1日少しだけ減らす。注意が散漫になると自分自身が消耗し疲れて幸せを感じなくなるので、1時に1つだけのことに集中する−そして、EメールやFacebookの更新を絶えずチェックするのやめよう。262
^_^ ゲームをしながら本を読んでしまうボクって、、、。
自分を元気づける1番良い方法は、他の誰かを元気付ける事だ マーク・トゥエイン 280
結論
自分の行動を決定する際に、私たちは「経験する自己」よりも「評価する自己」の意見を聞きすぎる294
^_^ 評価よりも実際に体験する自分の意見を聞こう。立派な本よりも面白い本を読むべきだということだ。
89点
感想
やや理屈っぽいが読む価値はある一冊。つまりは幸せとは快楽とやりがい。そのバランス。幸せになりたければ幸せになれる行動を取れということ。
『誰もが「人と違うこと」ができる時代』手元に置いて繰り返し読みたい。
成功とは多くの場合、他の人たちを出し抜くことで得られるものではなく、 行動起こす絶好のタイミングを待つことでこそ得られるものである ページ3
「最初の1歩」をどう考えるか
既知の物を目の前にしながら、新たな視点でそれを見つめ、
古い問題から新たな洞察を得ることだ。26
リスクを嫌い、
アイディアの実現可能性に疑問を持っている人が起こした会社の方 が、存続する可能性が高いそして、 大胆な勝負師が起こした会社のほうがずっと脆いのである。 ページ42
^_^ これは考えなければならないことだ。
ある分野で危険な行動を取ろうとするなら、別の分野では慎重に行動することによって全体的なリスクのレベル を弱めようとするのだ。44
最も優れた起業家は、あらゆるリスクを犯そうと言う人ではありません。 リスクテイキングからリスクを取り除こうとする人です46
きらりと光るアイディアとは
ある分野における天才的な創作者は、同じ分野に取り組む他の人たちよりも、 特に創作の質が優れているわけではない、と言う。ただ、 大量に創作すると、多様な作品が生まれ、 オリジナリティーの高いものができる確率が高くなるのだ。( 中略)「 影響力のあるアイディアや成功するアイディアを生み出す可能性は 、創出されたアイディアの総数が多いことがプラスに働く」68
直感が頼りになるのは、予測可能な環境で判断を下す経験を積んだときだけ96
ある考え方に10回から20回繰り返し触れると、好感度は上昇し続ける。134
例えば上司に何かを提案したいのなら、まずは火曜日にエレベーターの中で30秒ほど話、 翌週の月曜日その話題に再度簡単に触れ、 その週の終わりに意見をもらうのがいいかもしれない。135
^_^ 日本に対しても?
課題のことを一旦ちょっと考えてから、意図的に先延ばしにしたときだけ、 意外な可能性にまで考えが及び、 面白いアイディアが生み出された。160
先延ばしは「生産性の敵」かもしれないが、「創造性の源」にはなる。161
先発企業の失敗率は47%、そして後発企業はわずか8%だったのだ。先発企業は後発企業よりも約6倍、 失敗率が高かったことになる。先発企業は、生き残っても、 平均10%の市場を占有するのみで、 対する後発企業の占有率の平均は、28%だった。意外なことに、 先発企業となる事は、 利点よりも不利な面が大きいことがままある。172
「2番目か3番目になって、先発者がどうしたかを見届けて……それから改良するほうがいいと思いませんか?」(中略)「 アイディアや世界がどんどん複雑になっていく中で、 1番手の人が全てを解決できると考えるのは愚かでしょう。 良いものは、考え出すのに時間がかかりますから」175
アメリカの自動車業界を100年近くにもわたって観察してある研究によると、先発企業は生存率が低かった。その理由は、 製品そのもののニーズを確立することに苦労したり、 まだ地上に存在しない慣習を作ったり、 消費者の求めるものが明らかになるにつれて時代遅れになったりし ていたからだ。176
新しい科学的事実が勝利を得るのは、反対する者を納得させ、理解させたからではない。反対するものがいずれ死ぬからだ。 物理学者マックス・プランク 178
パワフルな結束を作る人の見分け方
非常に似通っている者同士のわずかな違いこそが、互いの間に違和感や敵といった感情を生み出す原因になっている ジークムント・フロイト 192
オリジナルの人が成功するには、「節度ある過激派」になることが必要203
内部の人間が考える同盟の代表者と外部の人間が考える同盟の代表者とでは明らかな違いがある(中略)外部の人間にとっては、 グループの代表者とは最も極端な物の見方をする人だ。208
^_^ そう考えると最も過激な発言をする韓国人が韓国を代表していると
態度が一環しない人との付き合いは、感情的なエネルギーを消耗し、 うまく対処するための方策がより多く必要となる(中略) 両価的な関係はマイナスな関係よりも肉体的にも不健康であること を発見した。ある研究では、 両価的な関係が多いほどストレスを感じたり、鬱になったり、 人生に不満を感じたりする割合が高くなると言う結果が出た。 212
「フレネミー」を切り捨て、敵を味方にするようにした方が良い(中略)最高の味方となるのは、 はじめは反対していたが次第に味方になってくれた人たちだ。 214
どこに可能性が隠されているか
「不正をしないでください」と言う言い方ではなくて、「不正を働く人にならないでください」 と言う人格に訴える言い方に変えることで抑制をする被験者が半分 になったのである。
風通し良く、進化を遂げる仕組みづくり
「強い文化を持つこと」と「カルト集団のようになってしまう」事は紙一重なのである。280
少数派の視点は大切だ。意識の幅が広がったり、違った考えが生まれたりするからだ。 たとえ少数意見が間違っていたとしても、 より良い解決法を見つける時や、決断をする際の役に立ち、 結果的に良いものが生まれる290
悪魔の代弁者を「誰かにやってもらう」のは確かに魅力的ではあるが、本物の悪魔の代弁者を「発掘する」 ほうがさらに効果的なのだ。300
建設的に異論を交わせない人々が、人間にとって最大の悲劇を生み出す303
医学の分野では、「証拠の確実性」は6段階に分類できると言う考えで多くの専門家が一致している。 うち、確実性が最も高いものは、 連続して無作為に行われる対象事件により導かれた客観的な結果だ 。逆に、最もおぼつかない証拠は、「 権威もしくは専門家の団体の意見」である。319
強烈な感情を抑圧しようとするよりも、違う感情にすり替える方が簡単だ332
地殻を変動させるような大爆発を起こすのが、神の革命なのではありません。 じわじわと燃やし続けることこそが革命なのです336
恐怖心で誰かを黙らせると言うのは、暴君でなくてもできるものだ。
自分1人の意見が違うと言うだけで、確固たる信念を持つ人でさえ強くなって、 多数派に合わせてしまう。
宮宮ゲー子を予防するための最も簡単な方法は、反対派を1人加える事だ。
起業家のデレク・シーバスは、「ひとりめの支持者が、孤立した異端者をリーダーに変える」と述べている。 被験者が他の7人と一緒に座っている時、 6人が誤った答えを選んでも、残りの1人が正しい答えを選ぶと、 被験者が同調する確率は劇的に低下した。344
行動が安全だと相手が思うなら、行動によって生じるすべての良いことを強調すべきだ− そういった利益を得るために、 相手はすぐさま行動を起こそうとする。 だが行動にはリスクが伴うと考えている場合には、 この方法は役に立たない。 相手は既に現場に満足しているため変えることの利益を示されても 魅力を感じない。
そのため、現場揺るがし、行動を変えないことで起こる悪いことを強調する必要がある。 行動しなければ確実に損失がある場合、 リスクを犯すことに魅力を感じるようになる。356
最も素晴らしいプレゼンターはまず「今はこのような状況です」と言う現状を示す。その上で、「 どうなり得るかを示して現場と比較」し、「 その違いをできるだけ大きく見せる」と言うことだ。358
「他者に対して「怒りを感じていると復讐心が生じるが、「他者のために「怒りを感じていると、 正義はより良いシステムを作る動機になる。 人を張したいのではなく、助けたいのだ。367
『科学的に正しい筋トレ 最強の教科書』筋トレは現代人必須の習慣だ
序章 筋トレに関する7つの「新常識」
「タンパク質の食品源をきちんと見極め、過剰に摂取しなければ、腎臓にダメージを与えない」28
週2回以上の筋トレは顔の死亡率を3割減少させ、すべての病気による死亡率を2割減少させる。30
^_^ これはもう筋トレする以外の選択肢は無いでしょ
第1章 これが科学的に正しい「筋トレ方程式」だ!
筋肉を大きくしたければ、高強度でトレーニングをしようから、筋肉を大きくしたければ、トレーニングによる「総負荷量」を高めようへ 49
^_^ 高強度が良いと言う事は時間が短くて済むと言う考え方もでき、飽きっぽい僕には嬉しい。
年齢やトレーニング経験の有無にかかわらず、6秒以下の運動スピードが筋力増強の効果を最大化させる98
第二章
これが、科学的に正しい「トレーニング」だ!
筋トレはジムに行ってから始まるのではない106
^_^ なんかかっこいい。
カフェイン、タバコ、アルコールの光を控えるべき(中略)トレーニングの前日の午後2時以降の「カフェイン」を控える良質の睡眠を得るためには、トレーニング前日の午後2時以降のカフェイン摂取は避けること。111
^_^ カフェインがこんなに敬遠すべきものだとは。カフェインレスにするか。
どうしてもストレッチをしたい場合は、1つの筋肉に対するストレッチの時間を「30秒以内」にしてください。30秒以内のストレッチであれば、運動パフォーマンスに影響しないことがシステマティックレビューで報告されています。また、30秒以内のストレッチでも怪我の予防に有効であることも報告されており、パフォーマンスを落とさずに怪我の予防ができる可能性があります。119
^_^ そもそもストレッチをする習慣がないのでよかった。(いいのか?)
疲労は乳酸から生じるのではなく、水素イオンの蓄積によって筋肉が酸性(アシドーシス)になることが要因185
^_^ 乳酸は関係なかったんだ。
クールダウンに意味は無い。
疲労が取れる×
筋肉痛が減少する×
脳疲労が改善する×
体が柔らかくなる×
筋力を回復させる「筋グリコーゲン」を合成できる×
心拍数呼吸数が回復する×
心理的ストレスや睡眠量を回復させる×
^_^ 心理学にピークエンドの法則と言うものがあり、人は最高潮の瞬間と最後の瞬間を体験を評価する際に重視するので、クールダウンでトレーニングの最後を楽なものにすることで、トレーニングの体験に対する良い印象を得られると言うことではないだろうか?
第3章
これが、科学的に正しい「タンパク質摂取法」だ!
筋トレをする→筋タンパク質の合成感度が高まる→タンパク質を摂取する→筋タンパク質の合成が促進される→筋肥大が生じる201
トレーニング強度に関係なく、疲労困憊になるまでトレーニングを行えば、合成感度の上昇は24時間後まで継続すること。もう一つは、合成感度の上昇が24時間継続する事は、トレーニング経験の有無に関係しない。205
^_^ つまり筋トレ後12時間のゴールデンタイムは実際に存在するが、筋トレ後の筋タンパク質合成は24時間程度続くので、ゴールデンタイムだけでなく、その後24時間の間意識してタンパク質を摂るようにしなければならない。と言うこと。つまりは日ごろからバランスよくタンパク質を取れと言うことだろう。
アミノ酸スコアはしばしば「桶」に例えられます。9枚の板で組まれた桶に水を貯めた時、背の低い板があるとそこから水が漏れ、1番背の低い板の高さまでしか水はたまりません。同様に、基準値に満たない必須アミノ酸があると、その食品のアミノ酸スコア1番少ないアミノ酸に合わせて低くなってしまいます。つまり、1部の必須アミノ酸が豊富に含まれていても、全体としてバランスが取れていなければ、体内では100%の力を発揮してくれないのです。210
^_^ なるほど。ボトルネックということか。
BCAAの摂取だけでも筋タンパク質の合成は高まるが、合成作用をより高めるためには、すべての必須アミノ酸を十分に含んだタンパク質の摂取が推奨される212
^_^ アミノ酸スコア100の、肉、卵、牛乳、大豆を意識して取れと言うことだろう。
筋タンパク質の合成を高める良質なタンパク質とは、「アミノ酸スコア100」であり、かつ「ロイシンを2グラム以上含む」食品やプロテインであると考えることができます。215
赤身肉を摂取すればするほど、腎臓病の発症、末期腎臓病の悪化のリスクが高まる253
鶏肉魚卵大豆など他の食材は赤身肉に対して約半分のリスク254
・赤身肉(牛肉、豚肉、ひつじ肉など)は、腎臓にダメージを与える傾向がある
・乳タンパク質は鶏肉などの白身魚や魚と同様に腎臓へのダメージはほとんどない
・ (過剰な赤身肉の摂取を控えれば) 1日あたり1.62グラムパーキログラム程度のタンパク質の摂取量では腎臓にダメージを与える可能性は低い
255
筋トレ後は全乳を摂取したほうが筋タンパク質の合成が高まりやすい265
卵白だけでなく、卵黄も一緒に摂取した方がトレーニング効果が高まる
^_^ コストの面から考えても、サプリメントを避けたい僕としては、牛乳と卵は筋トレの強い味方となってくれるそうだ。食事としてとるなら食費から出せるわけだし、食材としても安価なので助かる。
第4章
これが、科学的に正しい「筋トレの続け方」だ!
筋トレは、ガンによる死亡率を33%減少させる295
すべての病気の死亡率が23%減少する(中略)この死亡率の現象は、1週間に2から3回の頻度で継続的にトレーニングを行っている場合によりであり、それ以上(例えば週5回)では死亡率の現象効果が低いことが明らかになりました。なぜ「週2から3回」が最適なのか?この理由の1つに「トレーニングの継続性」が挙げられています。例えば、週5から7回のトレーニングを行うとします。その場合、ほぼ毎日トレーニングを行うことになり、心的飽和や疲労で継続することが難しくなるのです。そのため、トレーニングを継続できる最適な頻度として「週2から3回」と推測しています。298
自宅で腕立て伏せやスクワット等の自重トレーニングを行うことで、ジムと同等の結果が得られる299
^_^ 自宅で週3程度で自重トレーニングをしている自分には朗報でしかない。
トレーニングが死亡率を減少させるメカニズムには、次のことが挙げられます。・トレーニングによる血圧低下
・糖尿病のリスク低下
・グルコース代謝の改善
・全身性炎症の減少
・抑うつ症状の軽減
・認知機能の改善
・筋肉量の維持・増加300
筋トレは、健常者の不安を大幅に階段させるとともに、不安障害などの患者の不安も改善することが示された311
^_^ 確かに筋トレをすることで不安は減少したような気もするが、それよりも体が大きくなることでの自信のようなものの方が大きいような気もする。
大切なのは、意志力を強化することではなく、限りある「資源」を「上手にマネジメントする」ことなのです。324
あらかじめ「もし(if)誘惑に直面したら、そのときは(then)こう行動しよう」と決めておくだけで、意志力を使わずに誘惑を回避できる 329
現代の脳科学では「情動反応で生成されるが、末梢(全身の期間)からも脳に情報がフィードバックされ情動を修飾し、変化させる」とされています。好きになるためにドキドキする必要はありませんが「ドキドキすることによって好きな気持ちはますます強くなる」と言うことです。334
立ち上がり、歩き出すことでドーパミンの放出を高めて行動覚醒を生じさせ、その後に小さな目標を達成することでさらに行動を強化させる。これによりごろごろしたいと言う欲求を遮断し、筋トレをしようと言う情動を活性化させ、ジムに向けて出発することができるのです。339
^_^ これを色々なことに応用したい。起きたらすぐに瞑想ができるようにしたり、食べ過ぎを止めたり、早めに布団に入るようにしたり。
96点
実際のトレーニングの動き方についてはやはり書籍では伝わりづらいところもあるが、筋トレの意義や効率的な立ち回り方を最新の医学的見地から、解説してくれる価値ある一冊。筋トレはやっぱりやったほうがいいですね。
『超予測力 不確実な時代の先を読む10カ条』投資をする人もしない人も一読するべき一冊
超予測力―ー不確実な時代の先を読む10カ条 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者:フィリップ・E・テトロック,ダン・ガードナー
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2018/05/02
- メディア: 文庫
第一章 楽観的な懐疑論者
人々の置かれた状況を改善する上で、測定することがいかに重要かを痛切に感じた。明確な目標設定しその目標に向けた進歩を促すような手法を見つければ、素晴らしい進歩を達成できる。(中略)当たり前のことに思えるかもしれないが、それがなされていないことが驚くほど多く、またきちんとやるのはとても難しい ビル・ゲイツ ページ29
^_^ 状況改善に寄与する数字を見つけることそしてそれを良い方向に変える方法さえ見つかれば状況は改善できうるということだろう。それはダイエットにおいては体重や体脂肪率、摂取カロリーなどだろう。実際、計測することで改善していく。
第二章「知っている」と言う錯覚
誰かがある事実を不確かだと認めた場合は、真剣に受け止めたほうがいい。一方、誰かがあるジーズについてかなり自信があると言う視聴する場合も、その人物が頭の中で辻褄が合うストーリーを組み立てたと言うだけであり、必ずしもそれが真実とは限らない ダニエル・カーネマン 60
第三章 予測を評価する
まとめ
予測には複数の視点を持った狐形が望まれる。ポーカーで言えば自分の視点だけではなく相手の視点を取れるものが勝つ。数字当てゲームなら論理だけではなく心理学、統計学などあらゆる面から予測を立てることができる。
第4章 超予測力
ビギナーは次のカードが勝利をもたらす可能性を過大評価し、大金をかけ、雲に恵まれて勝利することもある。しかし勝利したからといって、愚かしい賭けが、後から賢い賭けに変わるわけではない。反対にプロが、勝利する確率は極めて高いと正しく分析し大金をかけ、賭けにも負ける事はあるかもしれないが、だからといってその賭けが愚かだったわけではない。優れたポーカープレイヤー、投資家、企業経営者は皆これをわかっている。わかっていなければ経験から誤った教訓を引き出し、その結果次第に判断の質が低下し、自らの分野で優れた成果を出し続けることができなくなる。118
^_^ これは肝に銘じておきたい。結果と過程を切り離して考えられれば、勝利からも敗北からも教訓を得られる。
第5章「超頭が良い」のか
研究では、被験者に「最初の予測が誤っていたと思ってほしい、その理由を真剣に考えて欲しい、それからもう一度予測を立ててほしい」と要求するだけで、1度目の予測を踏まえた2度目の予測は他人の意見を参考にした時と同じ位改善することがわかっている。1度目の予測を立てた後、数週間経ってからもう一度予測を立ててもらうだけでも同じ効果がある。この方法は「群衆の英知」を参考にしていることから「内なる英知」と呼ばれる。ページ167
「自らの意見とは死守すべき宝ではなく、検証すべき仮説に過ぎない」171
^_^ 面白い。ムッチャ面白い。
第6章「超数字に強い」のか
「正しいが不合理」であった。その逆が「誤りだが合理的」178
我々の頭の中で「0%」と「100%」は経済学者のモデルでは説明できない分不相応な重みを持つ。183
^_^ これはある意味、合理的とも言える。なぜなら0%であれば、その反対にすべてをかけることができる。そして100%であればそれにすべてをかけることができる。ときには家族の命も全財産も。しかし、1%と99%では愚か者でなければ、文字通り全てを賭けることができない。
80%の確率で何かが起きると言うと、大抵確実に起きるとか相手に受け取られたのだ。186
^_^ 確かに降水確率20%と言われると僕は傘を持っていかない。20%雨が降ると思っていると言うより降らないと判断してしまう。
われわれは歴史が論理的展開を遂げてきた、先行きは予見できたはずだと思いがちだが、そんなものではない。それは後知恵の幻想である ロバート・シラー(ノーベル賞経済学者)199
^_^ そうなのだ。偶然の積み重ね。信長の桶狭間もちょっとしたバタフライエフェクトで違った結果になっていたかもしれないし、二次大戦の結果も米国に疫病が蔓延するなどすれば結果は違ったかも知れない。われわれはうっかり歴史はこのように流れてくることになっていたのだと思いがちだがそれは大きな誤りである。
運命論的思考をする人ほど、予測の正確性は低くなる傾向が見られた。裏を介せば確率論的思考をする人ほど、予測の正確性は高かった。このように人生の出来事に意味を見いだす能力は、幸福さと正の相関があるが予測能力とは負の相関がある。201
第7章 「超ニュースオタク」なのか
リスクに関する判断(「銃規制によって安全は高まるか否か」など)はエビデンスを慎重に考慮した結果ではなく、自らのアイデンティティーに大きく影響されることを証明している。銃規制に関する見解と気候変動に関する見解には、論理的には何の関係もないにもかかわらず相関が見られるのはこのためだ心理が論理を駆逐するのである。213
^_^ なるほど。理屈じゃないって事だ。
第8章 永遠のベータ
ときには間違えたって構わない。間違いがすぐに正されるならなおさらだ メイナード・ケインズ 230
失敗から学ぶには、失敗したときにそうとわかる必要がある。お座りからひっくり返って赤ちゃんにはそれがわかる。自転車から落ちて膝をすりむいた少年にもわかる。簡単なショットをバンカーに放り込んでしまった会計士も。わかるからこそ、どこが悪かったか考え、修正し、もう一度挑戦できる。236
後知恵バイアス=「私には初めから全てお見通しだった効果」
第9章 スーパーチーム
「事前分析」と言う方法もある。作戦が失敗したと仮定し、その理由を自分メンバーに説明させると言うものだ。そうすることでリーダーは計画に対して抱いていた懸念を表明しやすくなる。263
第10章 リーダーのジレンマ
支えた国家体制が邪悪だったとは言え、第二次世界大戦中のドイツ軍が個のレベルでは人類史上最高の軍隊であったことは認めざるを得ないジェームズ・コラム(歴史家) 283
企業社会には、軍隊は厳格な階層組織で、部下は上司に命令されると敬礼して機械的に従わなければならないと言う思い込みがあると指摘する。これほど時代遅れのイメージもない。むしろ軍隊出身の経営コンサルタントは企業幹部に、地位や肩書を気にせず部下が担当部署に権限を委譲し、組織共通の目標を達成する最適な方法を彼らに選択させるべきだと解くことが多い。(中略)「皮肉なことに、今では企業の方が軍隊より「指揮命令」にこだわる傾向がずっと強い」291
^_^ 目標だけ与えて手段を個々に権限委譲するというやり方は面白い。僕自身軍隊は上位解脱の権化のようなものだとずっと思い込んでいた。どうやら僕自身時代遅れだったようだ。確かに僕は現代の軍隊について何も知らない。
まとめ
人に対する謙虚さは無くても、物事に対しての謙虚さは持ち合わせるべき。この私がそう感じているのだから間違いないなんていう判断は完全に罠にはまっている。なぜナチスドイツの国防軍を優れた軍隊として紹介したのか?それはナチスドイツが憎悪の対象であるからだ。道徳的に誤っている事と能力は相関しない。心理的抵抗を乗り越えて、判断しなければならない。ドイツ国防軍は優秀な組織であったと。
第11章 超予測者はそんなにすごいのか
私の初期の研究「専門家の整理をする」では、専門家の予測の正確さは5年先を境に入れました。それにもかかわらず、その凄さをわかってくれそうな期間も含めて、長期良さは広く行われている。例えばアメリカ議会は4年に1度、国防総省に国家安全保障環境に関する20年予測を立てさせている。リチャード・ダンジグ本海軍長官は「4年ごとの防衛計画の見直し」の作成に膨大な労力がかかっていると語る。312
^_^ 5年以上の長期予想は役に立たないと知っておくだけで役にたつかも。
第12章 進むべき道
まとめ
世の中は曖昧な予測が蔓延し、予測の評価を行なっていない。また、予測の異なるもの同士が、対立するばかりで結果を互いに検証し、互いの学びとするという社会が一段と賢くなるというチャンスを失っている。我々は予測を検証できるものとして、評価を行うべきだ。
^_^ そう考えると予測市場というものはとても良くできている。もし有力な根拠を何かしらの理由で得た人はそれを大きな金額で市場に反映させる。まず、それが市場を賢い予測者にする。
第二に市場であればかける対象は厳密である。曖昧な予測は許されない。期日がくればイエスノーがハッキリする問いである。
そして、第三に市場であれば予測をはずしたものは掛け金を失い、当てたものは利益を得る。その結果、互いの損益はチャラになり対立関係は失われるので検証を共同で行いやすい。
98点
何度か読むべき良著。自分がそして世の中がいかに直感に頼っているかがわかる。エビデンスというと人は渋い顔をするがそれこそ直感の霧を払って真実を見せてくれるレンズなのだ。
3章 お仕事編 あなたの仕事は本当に必要な仕事なのか?
なぜ働くのかという問いに多くの人は収入を得るためと答えますが、一方で人は仕事をするべき、神様もそう言ったし、誰かのために働くということは尊いこと、働かざるものは喰うべからずという意見の人もいます。
しかし、本当に世の中にある仕事は本当に必要な仕事なのでしょうか?
あなたが収入を得ている仕事は本当に社会に必要な仕事ですかという、厳しい問いです。
『BullShitJobs』(=どうでもいい仕事、クソ仕事)という言葉があります。これは文化人類学者デヴィッド・グレーバー教授の造語です。
消防士、必要です。
ゴミを回収する人、必要です。
学校の先生、必要です。
他にも必要な仕事がたくさんあります。でもいらない仕事も実はたくさんあるのです。
例えば、会計士や税理士。これは代議士と官僚が"仕事"としてつくった法律によって、税金が複雑化して専門知識がなければ対応が難しくなったため、会計士や税理士が"仕事"として客から報酬を受け取って税金の処理をするというものです。
マッチポンプというか、形式的には塀越しに互いに石を投げあっているようなものです。そして社会的には代議士も税理士・会計士も収入の多い立派な仕事と考えられています。面白いですね。
ファッション業界はこんなに巨大である必要があるでしょうか?毎年トレンドを決めてもう十分に洋服を持っている人たちに、大量の洋服を売りつけています。
日本の鉄道事業はどうでしょう?例えばリニア。東京大阪間をこれ以上時間短縮する必要はありますか?
建築業界にも疑問があります。飯田産業は年間46000戸の家を建てた、日本一だと宣伝していますが、365日で24時間、一年は8760時間。つまり一時間に5.25棟ずつ、家を建て続けているわけです。(飯田産業さんには何の恨みもありません、日本一だというのでデータを利用させて頂きました)
日本には家が余っています。空き家率は年々昇し、少子化で人口が減る日本で、お客にローンを組ませて新築を建てさせる必要は本当にあるのでしょうか?
もっと言えばセールスマンという仕事は必要な仕事でしょうか?
セールスの仕事と言えば、需要に気づいていない、もしくはそもそも需要がない人から、需要を掘り起こすという仕事です。
例えば、訪問販売や電話セールス。内閣府の調査では96.3%が来てほしくない、電話してほしくないと言っています。
訪問販売・電話勧誘販売等の勧誘に関する問題についての検討(内閣府).pdf
これほどまでの人が迷惑だと感じているのに、社会的には彼らは仕事をしているということになっています。(なぜ政府が、段階的にでも、訪問販売、電話セールスを禁止しないのか不思議でなりません)
訪問販売がなくなったら、どうでしょう?少なくとも、ぼくは今日、昼寝の最中に叩き起こされることは無かったわけです。
そう考えるとこの社会は、他人に余計な消費をさせて、仕事をさせるための仕事がどれだけ多いのかと、驚かされます。
じつは不要な仕事は世の中にたくさんあるのです。つまりぼくたちはこんなに働かなくても世の中は回るのです。
ですから、安心して仕事を減らしましょう。そして、もっとお金のためではなく、自分のために時間、つまり自分の人生を使いましょう。