『スモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫)』書評・目次・感想・評価

【著者・F・アーンスト・シューマッハーさんの気になる著書リスト】

 

スモール イズ ビューティフル再論 (講談社学術文庫)

スモール イズ ビューティフル再論 (講談社学術文庫)

 

 

【『スモール イズ ビューティフル』目次と読書メモ】

第一部 現代世界
 
第一章 生産の問題
 
 人類は地球から受け取っている資源を資産ではなく所得として考えている。
 しかし実際は量が減っていく資産である。資産を食いつぶしているのである。
 地球経済が企業であるとしたら、経営者は企業に大きな問題が生じていると考えるであろう。
 
 また資源の問題として期待されている原子力の毒性の高い物質が後世まで残ることを考えるとより重大な問題を抱えていると言える。
 
第ニ章 平和と永続性
 
 金持ちは喧嘩しないのだから、何よりもまず経済発展させ、世界中が金持ちになれば平和が実現するだろうというのは欺瞞である。
 金持ちになっても、より金持ちが存在しそれに対しての嫉妬などは消えず平和になるとは言えない。
 ケインズは経済が発展しさえすればやがて精神的にも安定した世界が現れるとしたが世界中の人が現在の先進国のような生活を求めれば地球は支え切れない。
 
名言
大地は一人ひとりの必要を満たすだけのもの与えてくれるが、貪欲は満たしてくれない(マハトマ・ガンジー)
 
第3章 経済学の役割
 
^_^ 経済学には奇妙なところがある。仕事をしている企業などはとにかく経済的でなくてはならないし、合理的でなければならない。しかしその企業構成する1個人が帰宅した途端に消費者と言う存在に変化し、消費を楽しむ、と言うより消費を楽しまなければならない存在に変わる。
それは次々と生産される機能的には何も変わらない洋服を買い替え、僅かずつバージョンが変わる電化製品を買い替え、人からの評価が高いと言うという理由だけで高級車を買い、一晩住んだだけで中古住宅と呼ばれる新築の家を数十年ローンを組んで買うことが正しいとされる。
 
 経済計算の適用できる範囲には限界があることに気づいていないままでいると、彼は物理学の問題を聖書の引用で解こうとした中世の神学者に似た過ちを犯すことになろう。
 どんな学問もその限界の中でこそ役に立つのであって、その限界を踏み越えれば悪となり害を及ぼすことになる。ページ61
 
^_^ 経済成長に変わる指標としてゼロ成長でも構わないので、悪しき経済をより良い経済と入れ替えることに力を注ぐと言うのはどうだろう。指標の作り方としては研究が必要ではあろうが、同じ罪を生み出すにしても、より環境負荷が少ないとか、犯罪者が減って刑務所が閉鎖になる一方で幼稚園が建設されるなどよりよいGDPに入れ替えられていくならばゼロ成長でも問題はないと思う。
実際、戦争や自然災害でもGDPは上昇するわけで、、、。
 
第4章 仏教経済学
 
紹介書籍「豊かな社会」

 

ゆたかな社会 決定版 (岩波現代文庫)

ゆたかな社会 決定版 (岩波現代文庫)

 

 

 消費は人間が幸福を得る1手段に過ぎず、理想は最小限の消費で最大限の幸福を得ることであるはずだからである。ページ74
 
紹介書籍「人類の未来の課題」
 
 仏教をベースにした経済学を考えてみる。
 通常の経済学では区別をしない、再生の効かない化石燃料環境負荷の高い原子力等より、再生可能な風力、太陽光、薪等に価値を置く。
 労働分業制にして人間性よりも生産性を重視する経済学と違い人間人間性を重視したまま労働できることを重視する。
 
^_^ 確かに現在の経済学では、働く人の満足度は計算には入れず、生産性だけを重視する。楽しく働いて5生産するよりも、苦痛に満ちた労働して10生産したほうが価値が高いのが現在の経済学。
 
^_^ 現代社会では労働と消費がワンセットとなっており、労働で右に行った分消費で左に行く、トータルで移動していない状態に多くの時間が費やされている。その、新しい考え方としては、その行為自体から幸福をえれば、労働で最大限幸福を得る。消費で最大限幸福を得る。どちらでも果実を受け取ることができる。
 
第5章 規模の問題
 
 大国においては特に人々は巨大都市に集中し、地方は荒廃する。
 国家内の移動が外国へ移動することと比べて、たやすいからである。
 規模が大きければいいという盲目的な信仰に近い意識が蔓延している。
 もし逆に小さければいいと言う盲目的な信仰が広がればそれはそれで対応しなければならない。
 どちらも行すぎが問題なのだ。
 もしデンマークがドイツに支配されたままであり、ベルギーがフランスに支配されたままだったとして、彼らが独立を求めれば、それは空想的、理想主義的、日和見主義的、彼らは規模が小さいので成り立たないと叩かれたことだろう。
 人々が集まり独立したいと言う意識を持ったと言う事は独立してやっていく気概があると言うことで彼らを止める理由は無い。
 物を中心とした経済を止めて、人を中心とした経済を推し進めるべきである。ものは後からついてくる。
 
第二部 資源
 
第一章 教育ー最大の資源
 
 世の中の問題には拡張する問題と収斂する問題がある。
 拡張する問題には答えはなくただ耐えるしかない。
 収斂する問題は答えがある。
 政治や結婚など現代人が直面する問題の多くは拡張する問題である
 
^_^ 正直、抽象的すぎて半分ぐらいわからなかった。

第二章 正しい土地利用
 
紹介書籍「土と文明」

 

土と文明 (1975年)

土と文明 (1975年)

 

  土地は自然から預けられたもので、人間が作ることができる自動車のように扱うべきではない。何しろ土地は人間に作ることができない。

 農業生産を経済の観点から就業者を減らし、工業生産へ移行させる政策がとられているがそれが正しいこととは思われない。
 農業に対するGDPの負担は3%、年3%成長するヨーロッパで衰退産業である農業そのような金額を拠出することができないと言う。
 
^_^ 自然を扱い、食べると言う生き物として根本である事柄に対して、全く経済学思ってして無駄であるとか改革が必要であるとか言うことに関して個人的にも疑問がある。
しかも土地を汚染してしまえば、元に戻すことができない。農業工業と同列もしくはその下位とみなして扱って良いものだろうか?
例えば全ての人々が体の後を持って、自分の食べるものの全部もしくは1部を生産する社会はきっと豊かな社会だろう。心の奥底にそういう願望があるから、余裕のある人は郊外に引っ越し、家庭菜園を営むのだろう。
 
第三章 工業資源
 
 イギリスが石炭坑を閉鎖してしまったのは誤り、石油は地政学上の問題があり、原子力は汚染物質が生じる。
 そのリスクを考えれば石炭坑を維持しておくのが正しい。
 
^_^ この後イギリスは北海油田を見つけて、石炭なんて全く不要になるんだよね。
 
第4章 原子力ー救いか呪いか
 
 原子科学者が自分たちの世界に与える影響について述べる際になぜ楽観的なのかと言えば、それにが強い個人的な事情があるのだ。
 つまり角による破壊兵器の製造に携わっていることを誰もが自分自身に納得させなければならないからだ。(我々原子炉関係者でさえ、核兵器の関係者よりほんの少しだよ感が薄いだけだ)」ページ185
 
^_^ 何度考えても、原子力発電を擁護する人々を理解ができない。あの福島原発の破壊を目の当たりにしたこの日本でも原発が維持され再稼働が続いていることが不思議でならない。やはり核兵器開発の手段として、原子力利用を続けていく必要性があると言う政治的な理由だろうか?
 
第5章 人間の顔を持った技術

 生産力強化によって、機械化され人が喜んでできない仕事が細切れの仕事が大量に生まれている。
 その一方で管理など実際には直接生産していない仕事が増えている
 それよりも人間として手を使ってものを生産する喜びに満ちた生産活動を再開しするべきである。
 それはもはや仕事とは言えないかもしれない。
 そのような喜びに満ちた生産活動は現代社会においては豊富な資産を持つ富裕層が楽しむものになってしまっている。
 
^_^ まず、現代人はは他人のために働きすぎなのではないだろうか? 自分と家族のために料理を作り、自分と家族のために畑を作る。自分と家族のために洋服を縫い、、、。うーん、これじゃただの懐古主義か、、、。
 
第三部 第三世界
 
第一章 開発
 
 援助をする側の先進国で良い事は、援助を受ける発展途上国側でも良いことだと言う発想は誤りである
 
 技術移転だけが援助ではない。富の中心は人なのであるから、援助は人に分け入って行わなければならない。
 
第二章 中間技術の開発を必要とする社会・経済問題
 
 独り立ちできる人たちを助ける方が、できない人を助けるよりも常に容易だからである。ページ226
 
 援助は莫大な資本を用いて一人当たりの生産力の高い最新技術をもって行うより、多くの失業者雇用できる中間技術を開発しそれを持って援助する方が良い。
 なぜなら、途上国では多くの人を雇用することが大切であって、1部の人間に援助が集中しては意味がないからである。
 さらにそこで働く労働者が、10年貯蓄すれば同じような施設を購入できるような規模であれば、労働者のモチベーションにもなる。
 それを先進国が賃金100年分以上の施設を導入しても、もともとそこにあった生産力の低い労働者からやる気と仕事を奪うだけの結果に陥る。
 
^_^ 先進国の技術と言うのは、賃金が高い故に、最低限の労働者で最大限の生産を行う技術革新が行われている。それをそのまま発展途上国に持ち込めば、発展途上国の都市の1部が豊かになるだけで、多くの人に仕事やる恩恵を与えることにはならない。その点で技術の枝分かれを少し戻って、労働者は多く必要だが、生産性は最大ではない生産技術を見直し、それを導入するというのは非常に面白いやり方だと思う。
これは今話題の、マイクロクレジットでも実践されていることでは無いだろうか?労働者自体が生産手段を手に入れる助けになっているわけだから。
 
第三章 200万の農村
 
 援助を行うには都市ではなく農村に注目しなければならない。
 善意に基づいた新植民地主義は善意に基づいているが故に悪質にもなりうる。
 発展途上国の上位層が先進国に憧れ、先進国のものを欲しがり、同胞の貧困に目を向けない。
 先進国に依存し、先進国なしではやっていけなくなってしまう。
 例えば貧困層のために低コストで作れる住宅のマニュアルを作り、地元の大工たちにその手法を伝えるなど。

第4章 インドの失業問題ーロンドンでのインド開発グループへの講話
 
 世間には、物事をまだ始めてもいないのに、その効果を最大限にする名案をあれこれ考える人がいる。
 私の考えでは、「少しでも実行すれば、しないよりはマシだ」とつぶやく愚かな人の方が、1番有効な方法がなければ何事も手をつけようとしないお利口さんより、ずっと賢い。ページ283
 
 インドが生んだ賢者の1人である釈尊は、その教えの中で、良き仏教徒は例外なく、少なくとも5年に一本木を植え、これを育てるべきだと説かれた。
 この教えが守られていた間は、広いインドの国土は木で覆われ、汚れを知らず、水と緑陰と食料と様々な原料が豊かにあった。ページ285
 
第4部 組織と所有権
 
第一章 未来予言の機械?
 
 基本的には人間の自由意志が入る事柄はは未来予想はできない。
 したがって経済学はコンピューターを用いたとしてもたいして役には立たない。
 予定表を見るより、常に現状把握しようとする努力のほうがはるかに役に立つ。
 
第二章 大規模組織の理論
 
名言
現場へ出かけて現場の人たちから学び取れ。次に彼らの経験と原則を理論にまとめよ。再び現場に戻り、彼らに呼びかけてその原則、理論を実際に応用して問題を解決し中と幸福を実現するように努めよ(毛沢東)ページ329
 
第三章 社会主義
 
狂信と言うものは、例外なく知的な弱さの表れ
 
第4章 所有権
 
 自ら生産手段を用いて労働し利益を得る小企業の所有権と、資本家が規制する形で利益を収奪する中大企業の所有権は区別すべきである。
 中大企業の所有権は害悪でしかない。
 
^_^ なかなか過激な理論である。まぁ実際、株式市場と言う淘汰システムが公金でズブズブになっている以上、資本家の役割はその利益ほどには社会の役には立っていないような気もする。
 
第5章 新しい所有の形態
 
 法人税を廃止する代わりに、会社の所有権を半分、会社の存在する自治体が保有する形にする。
 すると、株主配当増やせば、当然自治体の受ける収益も増える。
 また地元の人はその会社が利益はあげれば自分たちの利益ともなるので地元の商品を使うようになる。
 
^_^ これはなかなか面白い発想だな25年経った今でも実行されていない。