2章 考え方編10 姫も助けずドラゴンも探さずスコア(お金)を求める人生とは
今回は人生をゲームに例えてみましょう。
まず「スーパーマリオシリーズ」。このゲームは敵のボス、クッパを倒し、ピーチ姫を助けるという目標があります。
次に「ドラゴンクエストシリーズ」。これは姫や、街のひと、時には魔物も助け、仲間と協力しながら、その過程を楽しみ、最終的には魔王を倒すという目標があります。
2周目、3周目ならともかく、初めてプレイするなら「人々に害をなす敵を倒し、愛するものを助けだす」が目標のはずです。
では、人生はどうでしょう。
あなたの人生の目標は「愛するものを見つけて」「人々に害をなす敵を倒す」となっているでしょうか?
愛するものとは「人」とは限りません。昆虫研究を愛する人もいるでしょうし、楽器演奏にすべてを捧げる人もいるでしょう。
しかし、一方で愛すべきものを探さず、多くの人が求めているからと「お金」に安直に人生を捧げる人がたくさんいます。
それは「スーパーマリオ」でコインが最も多く取れるという理由だけで同じステージを延々とプレイし続けることや、ゴールドマンに出会ったら冒険を辞め、ゴールドマンだけを延々と倒し続けているようなものです。
そして、面白くないゲーム(人生)だと延々と愚痴をこぼしているのです。
お金には「わかりやすい」「わかってもらいやすい」という危険な罠があります。お金を持っていればとりあえずうまくいっているいっているような気がしますし、人生の成功者として、世間から認めてもらいやすいものです。
しかしそれは人生を食い潰しかねない危険な罠です。
一方で、ドラゴンクエストでも冒険を続けるにはゴールドが必要です。宿にも装備にもお金が掛かります。スーパーマリオではコインを集めると残機が増えるので冒険を続ける上で役立ちます。
人生でもゲームでも、お金が必要なのは否定しません。しかし、人生そのものをお金で売り飛ばしてしまうほどあなたの人生の価値は安くはないはずです。
ピーチ姫を助ける過程で手に入ったコイン、世界を冒険する中で溜まっていくゴールドであればいいのです。しかしそれをゲーム自体の目標にしてしまうのは歪んていませんか?
もし、あなたが人生2周目、3周目だというなら、コインやゴールドにこだわった偏執プレイもありだとは思います。
しかし、恐らく1回しかない人生、お金ではなく、本当にあなたが価値あるものだと思えるものを見つけてそれに掛けてみませんか?