「もっと、もっと」という気持ちをなくす『樹木希林さんが貫いた「ものをもたない、買わない生活」』

樹木希林さんが貫いた「ものをもたない、買わない生活」

2018年9月15日に永眠された女優の樹木希林さんの言葉を集めた本『一切なりゆき』(文芸春秋社刊)。実売100万部を突破し、まだまだ売れ続けています。

女優として、女性として、母として、その魅力的な生き様を私たちに教えてくれた希林さん。今回は、希林さんが残した数多くの言葉から、お金やものとのつき合い方を紹介します。

樹木希林さんはどのようにしてお金やものと向き合っていたのか
本のタイトルどおり、潔く人生をまっとうされた希林さんが、さまざまな項目について語っています。
ここでは、お金やものとのつき合い方について、深くて重みのある言葉のひとつひとつを抜粋してお届けします。

樹木希林さんが貫いた「ものをもたない、買わない生活」
希林さんの魅力がギュッと詰まった1冊
『一切なりゆき~樹木希林のことば~』
樹木希林/著
文春新書(文藝春秋社刊)¥864
樹木希林さんが、雑誌のインタビューなどで遺した数多くの言葉を収録。「生きること」「家族のこと」「病いのこと、カラダのこと」「仕事のこと」「女のこと、男のこと」「出演作品のこと」などについて章ごとにユーモアを交えて語った1冊。

 

一切なりゆき 樹木希林のことば (文春新書)
 

 

●「『もっと、もっと』という気持ちをなくすのです」
『一切なりゆき』(65ページより)

「もっと、もっと」という気持ちをなくすのです。「こんなはずではなかった」「もっとこうなるべきだ」という思いを一切なくす。自分を俯瞰(ふかん)して、「今、こうしていられるのは大変ありがたいことだ、本来ありえないことだ」と思うと、余分な要求がなくなり、すーっと楽になります。もちろん人との比較はしません。

 

 自分の手元にあるものに感謝する。他人と比較しない。これは楽に生き、お金に振り回されなない方法だとわかってはいる。でも言うのはかんたんでも、実践するのはなかなかむずかしいですよね。

 人の持っているものは欲しくなるし、人の目が気になるし、そのむずかしい生き方を実践していたからこそ、樹木希林さんは自然体でしなやかな印象だったのかも知れません。

 

これはやはり、病気になってから得た心境でしょうね。いつ死ぬかわからない。諦めるというのではなく、こういう状態でもここまで生きて、上出来、上出来。そのうえ、素敵な作品に声をかけていただけるのですから、本当に幸せです。
(「表紙の私 ありのままで」『婦人公論』2018年5月22日号より) 

 

 順風満帆のときには人はなかなかそういう心境にはなれないものなのかも知れませんね。つらい思いをしてわかるというか、傷ついてわかるというか。

 

●「モノを持たない、買わないという生活は、いいですよ」
『一切なりゆき』(22ページより)

靴も昔から、長靴を含めて3足と決めています。長靴は40年ほど前に業務用のものを買って履き続けていたんですが、先日、履いているうちに中がちょっとしみてきてしまって。仕方なく出先で別の長靴を買ったので、一瞬だけ家に靴が4足ある状態になりましたけど(笑)。

 

 これが他の人にどうみられるだろうとか、流行遅れだとか、気にしていたらとてもできることではありません。

 ある意味、樹木希林さんは自分に自信があって、靴が古かろうが流行遅れだろうが、自分の価値には微塵も傷がつくことはないと思っていたのでしょうね。

 この強さは自分がやりたいことをやり続け、自分にとって大切なものをしっかりと見極めることで、身に着けたのでしょうね。改めてすごい人だなぁと思います。

 

洋服は、自分で買ったものはほとんどなくて、どなたかからお古を譲っていただいて、それを着やすいように自分で胸ポケットをつけてみたり、ちょっとリメイクして着ています。家具にしても同じ。どなたかが「もういらなくなった」というものをいただいて使っています。

 

 ものにこだわらないようでいて、自分でアレンジして楽しんだりもする。その遊び心が素敵だと思います。もはやカッコいい。

 

もともとケチだということもありますけど、一度使い始めたら、それをできるかぎり活かして、最後まで使い切って終了させたいんです。「始末」ですね。

 

 これも考えさせられますね。ぼくたちは簡単にものを買うけれど、それを最後まで使い切るのはとても大変。本当は時間も掛かります。そして、ものを最後まで使い切った時にはただ買うよりも強い満足感があると思います。

 最後まで使い切るということを考えると、簡単にモノなんて買えませんし、それが大量生産大量消費ではないもう一つの生き方なのかも知れません。

 

先日も、近所の方が引っ越しをする際に、家具を捨てていったんです。たしかに古ぼけていましたけど、昔の家具というのは素材がよくて造りもしっかりしているので、ちょっと直せば十分使える。その家具も自分で表面を塗り直して、今使っています。

 

 そのまま使うんじゃなくて、塗り直して使うっていう部分に、遊び心と、ケチではない心の豊かさがあると思います。

 

モノを持たない、買わないという生活は、いいですよ。部屋がすっきりして、掃除も簡単。汚れちゃったけど、いまは忙しいから掃除ができない、どうしよう……なんていうストレスもない。暮らしがシンプルだと、気持ちもいつもせいせいとしていられます。
(「歳をとるのはおもしろい」『PHPスペシャル』2015年7月より)

 

歳をとるのは面白い

歳をとるのは面白い

 

 

 ミニマリズムなんて言葉が流行するまえから、樹木希林さんは実践していたんですね。もともと物を持たないから「断捨離」すら、必要ないですものね。

 

●「モノがあるとモノに追いかけられます」
『一切なりゆき』(24ページより)

着飾っても甲斐がないし、光りものも興味がない。それより住むところを気持ちよくしたいなあって。 

 

 結局、大切なのは自分にとって何が大切か、覚悟をもって選ぶということなのかもしれませんね。

 何が自分にとって大切なのかわからないから、流行やセールストークに踊らされて、時間やお金を無駄にする。それは人生を無駄にするということでもあるのでしょう。

 

若い頃は安物買いの銭失いだったんですよ。でも、モノがあるとモノに追いかけられます。持たなければどれだけ頭がスッキリするか。片づけをする時間もあっという間。
(「50歳からの10年が人生を分けていく」『婦人公論』2016年6月14日号より)

 

 反省するばかり、次々と手を出して、家はモノがあふれて、お金はなく、ストレスはたまる。手放すことを覚えなければ、モノが自分を支配する。

 

●「不自由なものを受け入れその枠の中に自分を入れる」
『一切なりゆき』(50ページより)

日常生活では、手を抜くことがいちばん。そのためには、徹底してものを増やさず無駄を出さない暮らしをしています。まず買わない。

 

 楽に生きること。それはお金を使って便利なものをかうことではなく、自分が管理しなければならないモノを最小限にするということなのかも知れませんね。

 

靴下は3年くらい前に4足1束で売っていた、はき口が広がってる締めつけないものを今も使っています。ブラジャーも締めつけないものでダラっとね。ゆったりといちばんラクに、布をまとっているという着方です。

 

 まったくぼくの個人的な話なのですが、靴下を右左そろえるのがメンドクサイ。そこでまったく同じ黒の靴下(葬式にもはいていける)を20足ほど買ってあとは捨てたいと思っているですが、今までの靴下が捨てられないんですよね。

 

年をとると、メガネだけでも何種類も増えるでしょ。そういうことをなくしてなるべく使うものを減らす。とにかく減らす。何かと何かを兼用できるとか一生懸命考えて、思いついたときはもう最高に幸せ(笑)。不自由? もちろん不自由でしょうよ。不自由なものを受け入れその枠の中に自分を入れる。年をとるというのは、そういうことです。
(「人生でやり残しはないですね。この先はどうやって成熟して終えるか、かしら。」『いきいき』2015年6月号)

 

 現代社会で生きているとモノを増やさせる圧力が強いですよね。新しい、便利だ、流行だとか、そこら中にセールストークがあふれていますし。だからこそ、しっかりと自分の価値観をもたないとあっという間に家はモノであふれ、お金は無くなり、仕事で人生は埋め尽くされ、自分のやりたいことはわからなくなる。

 そんな中でしっかりと自分を貫いた樹木希林さんの話は、自分の目標とする自分がそれほど間違ってもいないのかも知れないな、というちょっとした自信を与えてくれる内容でした。

 

希林さんの言葉の数々は、どれも深くて心にじーんと沁み入るものばかり。あなたの人生を輝かせる、その一助になりますように。

<文/ESSE編集部>

 

 よいコラムでした。まとめてくれたESSE編集部の方に感謝します。

 

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