お金に対する幻想と人の目を気にするから人は幸せになれない『ひろゆき流“オワコン日本”の幸福論「他人とズレていたほうが幸せになれる」』

ひろゆき流“オワコン日本”の幸福論「他人とズレていたほうが幸せになれる」

8/1(木) 7:30配信 ITmedia ビジネスオンライン


ひろゆき流“オワコン日本”の幸福論「他人とズレていたほうが幸せになれる」
「オワコン日本」で幸せに生きる方法を語るひろゆき
 令和の時代が始まって3カ月が経ちました。ただ、残念ながらこのまま行くと、日本に明るい未来はやって来ないでしょう。こんな予想はハズれたほうがいいに決まっていますが、いろいろなシミュレーションをしてみても、日本経済が悪くなる以外の方向性は見えません。

 

 「日本に明るい未来はやって来ないでしょう」ってどういう意味でしょうか?誰にとって明るい未来なんでしょう?

 日本経済が悪くなる以外の方向性がないとか、経済予想というのはまず当たらないですし。さらにたとえ経済がこのまま停滞しても、お金が増えない=不幸という図式が、ひろゆき氏が言う通り古い発想だと思います。

 

【画像】ひろゆきの経歴

 ただ、誤解がないように言っておくと、これは日本全体の話です。そんな中でも個人一人ひとりは、いくらでも幸せに生きられます。

 近刊『このままだと、日本に未来はないよね。』(洋泉社)では、これから日本がどんなふうにヤバくなるのか、沈みゆく日本で生き抜くためにはどうしたらいいのかをまとめました。最終回の後編では、“オワコン日本”で「おいしく」生きるための幸福論をお届します。

 

 ウソですね。日本全体においても、医療も、テクノロジーは確実に進歩しますし、現在の先端医療も、先進機器も、将来は安く使えるようになるでしょう。

 不幸だ不幸だと言っても確実にテクノロジーは進歩し、犯罪件数も減り、LGBTを含めたマイノリティーに優しくなっています。

 メディアというのは売るために、不幸と悲観をまき散らすことに、常に必死ですよね。

 

「1億人を幸せに」はムリだけど、個人にはいい時代
 前回まで「このままだと日本はヤバイよね」という話をしてきましたが、これから日本全体をよくするのは難しいと思います。日本全体をほかの国と比較して相対的に高い位置に持っていきたいのであれば、政治的なものが変わらなければ不可能でしょう。

 

 確かに中国に勝ち、アメリカに勝つような、相対的に勝つようなイメージはありません。それは認めます。

 しかし、歴史上、超大国の国民が幸福だった例はむしろ少ないと言えるのではないでしょうか?

 しかし、日本の有史以来、日本人がほぼ全員が幸福だった時代なんて、ありはしなかったのではないでしょうか?

 

  ただ、個人一人ひとりが楽しく過ごしながら生き残る方法は、あると思います。

 「自分の親戚や知り合いなど100人ぐらいを幸せにします」はできると思うんです。自分で会社をつくって従業員として雇うとか、やりようはいろいろあるんですが、「1億人全員を幸せにしよう」は、もう無理でしょう。

 

 確かにそうですね。何だか、我々って大きく語れば、カッコイイと思っているとこがあって、国がーとか、日本はーとか、世界はーとか、アメリカがーとか、何の力もないのにやたらと世界中の心配をしているところがあって、マスコミとかは無関心は罪だと言わんばかりに世界中から問題点を探してきては嬉々としてぼくらの前に提示する。

 そして僕らは憂鬱になるのです。この国は、世界は、もう駄目だ。

 いやいや、ほんとにダメになったことは無いから、今も存在するわけですし、もしダメになるとしても、ぼくらが知ったところで、それを回避できるわけでもない。

 

 実際、一人ひとりの生活は、昔よりもかなり自由になってきている気がします。例えば、90年代に1人でそれなりに便利に暮らしていた人は、クルマやコンポ、ゲーム機など、いろいろなものを買っていました。だから、ふつうのサラリーマンが生活するだけでも、けっこうお金が必要だったんです。

 でも今は、身の回りの電子機器はスマホ1台で済むようになったので、お金がない人とお金がある人で持っているものは、あまり変わらなくなってきました。昔はクルマを持っていることはステータスでしたが、今、東京に住んでいる金持ちでもクルマを持たない人が増えましたよね。むしろ、かつて金持ちしか買えなかったものを、庶民が買えるようになりました。

 

 確かにそうですね。そして、映画も、アニメも、場合によってはゲームも、1か月いくらで見放題、遊び放題なんてサービスもあるので、正直、お金のある人が羨ましい時代ではなく、時間があるひとが羨ましい時代になったのかも知れませんね。 

 

金持ちと庶民のできることが変わらなくなった
 実際に金持ちの暮らしを見ても、スマホがあって同じゲームをしていたりするので、貧乏な人との差がなくなってきているんですよね。そういう意味では、個人にとってはいい時代だと思います。ただ、ビジネスでは日本は全然儲(もう)からなくなってきているという話です。

 結局、たくさんのお金を手に入れても、金持ちができることとふつうの人ができることって、今はそんなに変わらないので。

 今の時代に金持ちしかできないことって、食べ物にお金をかけることぐらいかもしれません。でも、10倍のお金を払った料理が10倍おいしいかと言えば、大して味は変わりません。

 

 そして技術進歩も素晴らしいものがあります。

 マリーアントワネットはいくら暑くても食べられなかったアイスクリームを、我々庶民がコンビニに行けば食べられるわけですし。

 味に関しても、人にとってのごちそうというのは、日頃たべているものとの比較ですから、毎日、満漢全席、フランス料理のフルコースを食べている人は、たいていのごちそうでは満足できませんが、日頃から、チルドうどんを食べている人には、冷凍うどんは革命的旨さですし、打ちたての丸亀製麺などは、もう十分にごちそうです。

 

 違いがあるとすれば、金持ちは海外旅行などにお金を使うことが増えてきていることぐらいですかね。みんなが知っている有名な観光地に行くのではなく、その国でしかできない体験にお金を使ったり。

 でも、「アマゾンで川下りしてきて、超楽しかった」と言われても、「へぇ、そうなんだ」くらいの話ですからね。お金のない人が、別にうらやましがることでもないんです。

 

 むかしはお金持ちにしか行けなかった海外旅行もリーズナブルになりました。

 さらには海外旅行なんて、費用の半分以上が飛行機代ですし、移動時間は基本的に快適とは言えないのですから、小金持ちの3日の旅行より、多少貧乏でも1か月の旅の方がずっとうらやましく思えます。

 

他人とズレていたほうが競争率は低い
 僕が個人的に好きなものは、だいたい世間に理解されないまま廃れていくんです。映画でもマンガでも、僕が「これは面白い!」と思った作品は売れないんですよね。

 『ドラゴンボール』や『ワンピース』とかは、それなりに面白いんですが、「すげえ面白い」というよりも「まぁ売れるよね」と思います。だから、僕がまったく興味がないもののほうが当たる確率は高くて、基本的に僕が気に入るとマズイ経験が多いんです。

 

 これはある面、ソンな性質(たち)でもありますね。

 多くの人と面白く感じるツボが同じであれば、自分が面白いと感じるものを見つけるのが簡単です。アマゾンでもなんでも高評価のモノを漁っていれば、面白いと思えるコンテンツをいくらでも見つけられるわけですから。

 そして、多くの人が面白いと思ったものは、大量に流通するので手に入れやすいというのもあります。どこのブックオフでも行っても「ドラゴンボール」と「ワンピース」の中古は買えますからね。

 

 僕は多くの人が考える平均的な考えができないので、一般大衆に向けて発信するときは、自分の思考をなるべく基準にしないようにしています。第三者がどう言っているのかをつなぎ合わせて、「統計的にある程度こんな感じだろうな」と考えるようにしています。キャラが萌え系でかわいいとかは、僕にとってはむしろマイナス要素なんですけど、ただ「そういうのがあるほうが売れるだろうな」などと要素として見ています。

 

 こうやって、いったん自分の主観を離れることができるというのが、ヒロユキ氏の強さの一面なのかもしれませんね。

 

 でも、ビジネスに関しては、逆に僕の考え方のほうが正解の気がしています。例えば、みんなが「これうまくいくよね」と思っているものは、すでに誰かが出していたり、出そうとする会社があったりするので、競争状態になりがちです。逆に、誰も興味がないニッチなものは、競争相手がいないまま伸びる可能性があります。

 単月利益さえ出るようになれば、継続していけば伸びていくので、ビジネスは人とズレていたほうが安全だと思っています。ニコニコ動画2ちゃんねるも、そんなに多くの人が興味を持っているわけではなかったけれど、ニッチ的に「これ、面白いね」という人が出て少しずつ伸びるというビジネスモデルです。

 

 単月利益というのが、実はキーワードなのかも知れません。

 

 これはビジネスだけにかぎりません。ストライクゾーンは広いほうが、他人とズレていたほうが、人生は幸せなんです。趣味や嗜好は他人と違うほうが幸せになれます。みんなと同じ趣味を持つと、それだけ競争率が高くなるので、幸せになれる確率が減ってしまいます。

 

 これは資源が限られている場合には、その通りですね。

 例えば、女性。女性は無限にいるわけではありませんから、女性の趣味が多数派と異なっていれば、競争率が低く、自分の嗜好に合った女性と付き合える可能性は上がりますよね。

 一方で、技術的には無限にコピーできるもの。例えば映画、ゲーム、マンガなどは、他人と違う趣味嗜好では、気に入ったコンテンツが入手しずらかったり、そもそもサービスが終わったり、連載が打ち切られたりしてしまう可能性が高くなり、他人と趣味が合わないことが幸福とは言えません。

 

お金と幸せの関係
 いまだに「お金さえあれば幸せだ」と思い込んでいる人がいるようですが、お金と幸せって関連していません。僕はお金がなかった子どもの頃からそう思っているのですが、実際、幸せと収入の関係を調べた調査はいろいろとあります。

 例えば、ノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学の心理学者ダニエル・カーネマン名誉教授の研究によれば、年収7万5000ドル(約820万円)までは幸せと収入が比例します。これは、食べ物など最低限の衣食住が満たされないとなかなか幸せだと感じられないからでしょう。

 でも、年収7万5000ドルを超えると、幸福度と収入はあまり比例しなくなります。

 それぞれの国の経済状況や文化によって分岐点は違うと思うのですが、おそらく日本だと400万円くらいから変わらなくなると思います。

 

 これはほぼその通りだと思います。そして、年収が、幸福度と比例しなくなるラインが思いのほか高いのは、多くの人が他人と比べることをやめないからだと思うのです。

 100円のおいしいパンを食べていて幸せでも、隣の人が200円のパンを食べていると知ると、もう100円のパンでは幸福になれなくなるのです。

 ましてや、その隣の人が自分が100円のパンを食べているのを知られるとなると、おいしいと思っていた100円のパンとそれしか食べられない自分と社会に憎しみすら覚えるのです。

 まったくバカバカしいですよね。自分がおいしいと感じていた100円のパンは何も変わっていないのですから。

 

 あとは、その人がどれくらいお金を使いたいかによりますよね。お金を使わないと幸せになれない人よりも、お金を使わなくても幸せになれる人のほうが人生はラクだと思います。

 快楽は手軽に感じられるほうが幸せになりやすいので、例えばブランド品を買うのが幸せだと思う人は、ユニクロの服では幸せを感じられないという意味で、幸せになれる度合いが少ないんです。

 

 まったくその通りだと思います。さらに言えば買うことに幸せを感じるのではなく、例えば最後まで使い切ること、自分用に手を加えることなどに喜びを感じられるようになれば、もはや毎週ユニクロのセールにすら通う必要は無くなります。

 そのあたりは樹木希林さんのコラムでも強く感じたことです。

1oku-boobs.hateblo.jp

 

「人と比べない幸せ」が人生をラクにする
 そもそも幸せは、相対的ではなく絶対的なものなので、収入や職業では決まりません。自分より下を見て幸せを感じられるかもしれませんが、上を見ても幸せは感じられないです。だから、上を見て比較してしまう性格や考え方は、人生にとって害悪でしかありません。上を見るクセのある人はやめたほうがいいでしょう。

 人はつい意味のない比較をしてしまうんですが、何かと比べて自分が不幸であると思うことに意味はないし、むしろマイナスです。比較は、価値観において意味がないんです。だから、人と比較しないで幸せだなって感じられるものを見つけたほうが、人生で楽しい時間は長くなります。

 

 「人とくらべることが自分を不幸にする、だからわたしは人とくらべない」

 このことに気付けるかどうかで、人生は大きく変わってきます。学歴や、親の財産、年収よりも、ずっと大きな影響があるかも知れません。

 

 最近の若い子に欲しいものを聞くと、「フォロワー」って答えが返ってきます。フォロワーはTwitter上の数字にすぎないのですが、逆に言えばその数字を上げるだけで人間は幸せになれるんです。そのぐらい人間は簡単に幸せを感じられるものなんです。

 

 これは預金通帳の残高が増えるだけでも、幸福になるという人とたいして変わらないですよね。

 比較の対象がお金から、フォロワーになっただけで。結局、他人との比較が始まって、不幸が口をあけて待っているわけです。

 そうではなく、お金をうまく使う方法を考えたり、フォロワーとの交流を純粋に楽しんだりするほうが幸福なんだと思います。

 

 どんなに恵まれた人でも自分が不幸だと思えば不幸になれるので、毎日楽しく暮らしていると思っているかどうかという、気の持ちようの気がします。

 

 これは本当にそう思います。ぼくらは日本に住んでいて、日本は高齢化で、斜陽国家で不景気で、と自分のことを不幸に思うこともありますが、実は世界的に見ればとても恵まれた環境に住んでいるということを忘れているのです。

 最貧国に住んでいる人からみれば、あれだけ恵まれた国に住んでいて、自分を不幸に思っている日本人がいるなんて、信じられないと思っているかも知れません。

 

 歴史的にはそれは宗教によって得られたりしてきたと思うのですが、今ならVR的なエンターテインメントとかで幸せを感じる人もいれば、マンガを読んだり映画を見たりして感じる人もいると思うので、じつは生きづらさを解決するものは世の中にいっぱいあると思います。

 無料のものから有料のものまで、いろいろ試したら、何か自分が幸せに感じるものに出合えるんじゃないでしょうか。
ひろゆき西村博之

ITmedia ビジネスオンライン

 

 確かに今の世の中には、様々なエンターテイメントがあふれています。恐らく人類史上最多でクオリティに関しても最高なのではないでしょうか?

 昔、バブル時代にタイムスリップする映画がありましたが、エンタメに限って言えば今の時代にくらべれば、バブル時代も大して面白い時代ではなかったのではないでしょうか?

 映画の画質も低く、家で映画を見るにしてもブラウン管とVHSですし、実際のリアルなエンタメを体験するにはそれなりに働かなくてはいけません。

 一方、今なら月額数百円から千円ちょっとで一生かけても見終わらないようなエンタメが様々な嗜好に向けて作られていて、お金なんかはちょっとで十分に楽しむことができます。

 そう考えるとぼくらは世界中でも指折りの生きやすい国に、過去に生きるどんな時代の人々より生きやすい時代に、生きていると言えるのではないでしょうか?

 それなのに多くの人は、他人と比較し、必死に社会の問題点を探し、予想などできない将来に恐怖し、あえて苦しんでいるとすらいえるのではないでしょうか?

 ぼくらは幸福ではないかも知れませんが、もっとも幸福に近い場所に生きているのではないでしょうか?

 あとはその最後の一歩を踏み出せるかどうか。

 それはどんなに環境が整っていていても、どんなにお金を持っていても、その一歩だけ、しあわせに生きるのだという自分の意志だけが歩ませるその一歩だけが、必要なのではないでしょうか?

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