『西洋の自死 移民・アイデンティティー・イスラム』書評・目次・感想・評価

西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム

西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム

西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム

西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム

 

98点

 ぼくはどちらかというとややリベラルよりの思想をしているという自覚があるのだが、この本には説得力があった。

 右も左も関係なく、是非読むべき一冊。

 移民という異文化を引き受けることによって、自国が育ててきた啓蒙主義、男女平等や、同性愛に対する寛容さなどの基礎的な考え方が、破壊されてしまっているというのだ。

 現代のヨーロッパではキリストを侮辱するようなことを言っても火あぶりにはならない。それは中世魔女狩りの時代などに終わったはずだった。

 しかし、イスラム世界ではアラーやマホメットを侮辱すれば、過激派に襲撃され殺される場合がある。実際、宗教指導者が漫画家を殺害を命じたりしている。

 いつの間にかヨーロッパはイスラムを受け入れることによって、中世の宗教が支配する火あぶりや魔女狩りがある世界に戻ってしまったという。

 確かに他の宗教を侮辱する行為は悪ではある。しかし、宗教に対する罪で、人が死刑になる時代はヨーロッパは中世で卒業し、新しい時代に入っていたはずである。

 それなのに時代の針が逆戻りしてしまった。そしてさらに悩ましいことは、例えばヨーロッパの指導者がそのようなイスラムの在り方を批判すれば、異文化を認めないのかとリベラルから攻撃を受ける。

 イスラムに対する意見、それ自体がタブー化してしまっているということだ。誰も表立って意見を言えない。そんな中で移民による性犯罪も増えている。しかし、警察も及び腰だという裁き方を誤れば警察組織も、移民差別だと叩かれかねない。

 そして、女性はすべて肌を隠しているイスラム圏から来た若い男にとって、素肌を露出してあるくヨーロッパ女性はどう見えるかと考えればおのずと結果は見えている。

 リベラル的考えで移民を受け入れた結果、ヨーロッパのリベラル的考え、男女平等や、同性愛に対する寛容などが破壊されるという悲劇。

 そして、何よりそれに対する意見がタブー視されているという現実。これは右左関係なく、冷静に議論し乗り越えなければならない問題だと思った。

 一方で、この本の価値を貶めているのは"中野剛志氏"。冒頭で、これは日本に対する警告だと、日本も同じだとさんざん煽り立てているが、これによってこの本の価値は大きく傷つけられた。彼はこの本で日本人のイスラム嫌悪を煽り立てているに過ぎない。

 そもそもヨーロッパと日本ではやってきている外国人の数が違う。そして日本は海に囲まれ、EUヨーロッパのように国境が解放されているわけでもない。

 移民はある程度なら、良い部分も多いし、外から、人が入ってくることは歴史の上では普通のことではある。

 このヨーロッパの問題を何の比較も数字もなしに日本に対する警告とはまったくただの煽りでしかない。

 唯一、言えるのは、移民を入れるなら社会に溶け込めるように留意し、ケアできる人数を社会的合意を形成しながら入れるべきということでしょうか。

 今の日本のやり方、研修生という形で入れて、低賃金で働かせ、その多くが日本国内で行方不明になっている。こんなやり方は管理できているとは言えないので、姑息な抜け道ではなく、しっかりと議論して移民を年間何人入れるのかをしっかり決めて、対応すべきということでしょう。

 ちなみに著者のダグラス・マレー氏も言葉選びは慎重ですが、ちょっと人種差別的な感覚の持ち主だなぁとは思いましたが、書いてある内容は読む価値は十分にあります。

 移民賛成の人も、移民反対の人も、保守も、リベラルも、一読の価値ありです。 

 

【目次】

[解説] 日本の「自死」を予言する書

イントロダクション

第1章 移民受け入れ論議の始まり

第2章 いかにしてわれわれは移民に取りつかれたのか

第3章 移民大量受け入れ正当化の「言い訳」

第4章 欧州に居残る方法

第5章 水葬の墓場と化した地中海

第6章 「多文化主義」の失敗

第7章 「多信仰主義」の時代へ

第8章 栄誉なき預言者たち

第9章 「早期警戒警報」を鳴らした者たちへの攻撃

第10章 西洋の道徳的麻薬と化した罪悪感

第11章 見せかけの相関と国民のガス抜き

第12章 過激化するコミュニティと欧州の「狂気」

第13章 精神的・哲学的な疲れ

第14章 エリートと大衆の乖離

第15章 バックラッシュとしての「第二の問題」攻撃

第16章 「世俗後の時代」の実存的ニヒリズム

第17章 西洋の終わり

第18章 ありえたかもしれない欧州

第19章 人口学的予測が示す欧州の未来像

あとがき(ペーパーバック版)


^ ^ 残虐行為はあったが他でもあったという理論にはその行為を正当化する理由にはならない。その行為は許されないことであったということは他でもやられていても変わらない。自分の祖先の悪行に子孫が罪の意識を負う必要はないというのはおかしい。祖先の英雄的行為を誇りに思い、その資産を経済的にも文化的にも受けていながら、そのマイナス面だけは免除されるはずだというのは辻褄が合わない。

 

ファシズムが歴史の彼方へと遠のき、ファシストたちの姿が目に見えなくなっていくほど、反ファシストを自称する人々はファシズムを必要とするようになった。さもないと自分たちには政治的な価値や意義があるのだと言う見せかけを維持することができないからだ。ページ370

 

 これはあらゆることで起きている現象だ。貧困を撲滅する団体が、真に飢える子供が国内から姿を消すと、相対的貧困という新しい概念を持ち出した。社会はそれを受けれるかどうか、もう一度立ち止まって考えるべきだ。まず、絶対的貧困から根絶すべきではないのか?それらは確かに見つけにくくなったかもしれないが確実に存在するだろう。隣の家の子供と違ってディズニーランドに連れて行ってもらえない子供を救うことの方が大切なのだろうか?ぼくは非情なのだろうか?

 

オランダの国会議員のヘルト・ウィルダースは、トルコのEU加盟を支持した自由民主国民党(VVD)から飛び出し、2004年に自らの新党を立ち上げた。その自由党(PVV)は初めて挑んだ2006年の総選挙で、オランダ国会の150議席9議席を獲得した。2016年の世論調査では、同党がオランダ切っての人気政党であることが示されている。自由党公認の国会議員の数は次第に増えていたが、実際の党員は今日に至るまでフィルダースただ1人だ。同党が最初に結成された時点で、ビルダーズ自身がそのことを明言していた。国民も自由党公認の国会議員も党員になることができない。そのためにビルダーズは政府からの多額の交付金(政党の規模に応じて支給される)を貰い損ねてきた。このようなやり方で自党を運営している唯一の理由を、ある時、彼は内々に説明したことがある。当院を公募などしたら、真っ先にオランダ在住のスキンヘッドが何人か入党して来かねず、そうなれば続いて入党しようとする人々が誰もいなくなるからなのだった。彼は一握りの本物のネオナチに国全体の政治的前途を台無しにさせるつもりはなかった。ページ372

 

^_^ これはなんというか。難しい。問題だろう。党は人を選ぶことができるか?ネオナチもどきが入党すれば対立する政治勢力に攻撃のそれも致命的な攻撃の口実を作る。我が国の維新とかいう政党も、ヤバイやつらがたくさん国会議員になっていて維新から除名された人たちがまた国会に新しい組織を作っている。