避難所に入れなかったホームレスの人がもし亡くなっていたら

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 ホームレスの人が避難所に入れてもらえなかったことが、話題になっています。

 

 僕個人としてはホームレスの人が避難所に入れなかったという一件に関しては、責任者も謝罪しており、まぁ、手違いやら、現場の判断ミスやら、忖度やらで、そんな例外もあったけど、多くの避難所でホームレスが拒否されたわけではないので、今後は改善されるだろうし、大した問題ではないと思っていたのです。

 

 しかし、そのニュースに寄せられたコメント欄を見て、ゾっとしました。

 

 臭くて一緒にいたくないからホームレスは入れるな。

 

 モノを盗まれるかも知れないからホームレスは入れるな。

 

 衛生的でないから健康に悪影響があるかも知れないからホームレスと一緒は嫌だ。

 

 などの理由で、避難所にホームレスを受け入れて欲しくないという声の書き込みが多くを占めていたのです。

 

 さらには彼らは税金を払っていないのだから、税金で運営されている避難所に入る権利はないとまでいう人が出てきて、とても悲しい気持ちになりました。

 

 拒否したい気持ちはわかります。ぼくも嫌だなという気持ちが無いわけではありません。しかし、それでも受けいけるべきだというのが、大人の、人間としての判断ではないでしょうか?

 

 避難所はいわば命を守るシェルターです。外に出れば死の危険があるということです。

 

 一晩、臭いのを我慢するのは嫌だから、ホームレスは死んでもかまわないということでしょうか。

 

 もしも、避難所にて、自分の意見でホームレスの人を拒否することになって、その人があとで水死体などで発見されたら、その人は平気でいられるのでしょうか?

 

 もし、平気でいられる、ホームレスの人は自己責任だからと言うのでしたら、もはやぼくはその人に何も言うことはありません。

 

 少なくともぼく生きている21世紀の日本では、少なくとも生きたいと思う人の命は何より尊重されるべきものだと思っていますし、ぼくもそう信じています。

 

 ぼくにはさいわいポロいながらも家がありますが、いつか何かの拍子にホームレスになったら、そのような扱いを受けると思うとそら恐ろしくなります。

 

 ずっと社会の中で歯車として走り続けなければならない、ドロップアウトすれば、生きたいと思っても生きることが許されない、災害の中、最低限命を守るシェルターにもし入れてもらえない。

 

 そんな世の中であれば、ホームレスではない社会の中で生きている人にとっても生きずらい世の中なのではないでしょうか?

 

 不運にもホームレスに転落すれば、もはや人として扱われない。それは運が悪ければ明日の我が身かも知れない。そう思って生きるのは誰しも、つらくはないですか?

 

 それよりもホームレスになってもまぁ何とかやっていけるし、人間としての尊厳まで奪われるわけじゃない。そう思えた方が、世の中生きやすいのではないでしょうか?

 

 日本のお偉いさんや評論家の皆さんは日本にはチャレンジが足りない、若者はもっとチャレンジするべきだなどと言いますが、一旦、ホームレスなどに転落すれば、情け容赦なく叩かれる日本で挑戦するなんで、ただの命知らずです。

 

 ドロップアウトした人を叩く人は自分たちが日本のチャレンジ精神も叩き潰しているという自覚はあるのでしょうか?

 

 公園でホームレスの人の笑い声が聞こえ、楽しそうに酒盛りをしている。失敗してホームレスになっても、それはそれで、まぁ楽しいかもなと思える世の中なら、ここはひとつ勝負をかけてみようという気も起きるというものです。 

 

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