『セネカ 現代人への手紙』貧乏人には多くのものが足りないが、 欲張りには何もかもが足りない。

セネカ 現代人への手紙

 

セネカ 現代人への手紙

セネカ 現代人への手紙

 

 

「楽しき貧乏とは」と彼はいう、「尊敬に値する事柄だ」と。もし貧乏が楽しいものだったら、それはもう貧乏ではない。持つことの少ないものではなく、物が上にも持ちたがるものが、貧しいのだ。つまり問題は、金庫の中にいかに多く入っているかではないんだ。倉庫の中にどれほど積まれているかではない。どんなに多くの家畜を養っているかでも、どれほどの財産を貸し付けている日でもない。そんなものがいくらあろうと、もしその男が他人の財産を狙っていたり、自分の持つものに満足しないでさらに所有を増やすことばかり目論んでいたら、いくらあろうと満足する事は無い。では、富の限度とは何か、と君は聞くかな?第一、必要なものを持っていること、第二、足るを知ること、これだ。ページ10 

 

美味・珍味を探し求めるのは贅沢の印であるように、ありふれた安い値段で手に入るものを避けるのは愚かしさの印だ。哲学は質素な暮らしを求めるけれども、苦行は求めない。しかし質素でも清潔でなければならない。僕が好きなのは中庸を得た生き方で、正しい態度は厳しい掟と群衆どの掟の間にあるだろう。ページ27

 

僕はまだただのいちども、家を出るときに持って担当と同じ心の状態を持って帰宅したことがないんだ、と。僕がきちんと整えておいたものが引っ掻き回されていたり、僕が追っ払っておいたものがまた心の中に戻っていたりする。ページ37

 

なんであれ、群衆に気に入るものは避ける。偶然がもたらしたものは避けよ。思いがけない幸運に出会ったら、疑いと不安を抱け。獣や魚は誘惑する希望に欺かれる。君たちはそれを運命の「贈り物」とでも思っているのか?それは罠だ。君たちのうち誰か人生を安全に送ろうと思うものがいたら、自分にできる限り、この接着剤付の贈り物は避けよ。どうせ欺かれて惨めな思いをするだけだから。ページ45

 

^_^ 宝くじでも当たればいいなぁなんて思っている凡人には目の覚めるような言葉だ。

 

食は飢えを静めればたる。飲は渇きを癒せばたる。衣は寒を防げば足る。住は風雪を凌げは足る。住居が芝草で作られていようが、世界各地の色とりどりの石で建てられていようが、何の違いもありはしない。藁葺き屋根でも金葺き屋根でも人間が保護されることに変わりはないとしれ。いらぬ労力を費やして化粧や飾りとして作られたものは、すべて軽蔑せよ。ページ46

 

何であれ欲望によって得たものは全て、他人のものだ。
運命が君のものにしてくれたものは、君のものではない。
与えられたような善は、すぐまた取り戻される。ページ49 

 

^_^ 賢者は友人も財産もときには手足すら失っても嘆いたり苦しんだりしない。それらはそもそも自分の支配下にないものであるからだ。しかしあったらあったで便利だとは考える。しかし一瞬にして、それらを失っても賢者は動揺しない。

 

今自分の持っているものがこの上なく素晴らしい宝に見えないものは、たとえ全世界の主人であろうと、それでも不幸な人だ。ページ57 

 

全公衆の前で祈れること以外何一つ上に乗らない、そういうところまで君が来たら、その時君はあらゆる欲望から自由になるページ61

 

われわれは現実そのものによってよりも、想像によって苦しめられることの方がよほど多いのだ。ページ68

 

^_^ これは善の考え方にも繋がる。我々を苦しめるのは現実ではなく、妄念なのだ。

 

その時が来る前に不幸になるな ページ68

 

^_^ これは名言。

 

多くの人にとって哲学に入ることを妨げたのは、実は富なのだ。貧乏は自由で、何の心配もない。戦闘ラッパが鳴り響いても、貧乏は俺には関係ないことだと知っている。洪水警報が出ても、貧乏はどこへ逃げ出すか考えるが、何を持ち出すかは考えない。船旅に出ても、港港で大音響が起こることもなければ、たった1人の人間のお供連中で岸辺に喧騒が起こることもなく、奴隷の群れが取り囲むこともなく、その奴隷を養うために海の向こうから豊かな実りを調達する必要もない。
少人数の、よく訓練された胃袋を養うのは容易だ、腹がくちくなることを求めるだけだから。空腹は安くて済むが、怒った口調は高くつく。貧乏はさしあたりの要求が満たされ済すれば満足する。なのになぜ君はこの良き仲間を断るのかね?金持ちでも理性ある連中はその真似をするものなのに。ページ78

 

^_^ 金持ちでも賢い連中は貧乏人のマネをするというのは慧眼だ。

 

僕は財産を断念せよなどと言っているのではない。ただ君が震えずに財産を持てるようにしてやりたいだけだ。そういう境地に達するにはたった1つの道しかない。それは君が財産などなくとも幸福に暮らすことができると確信したときに、財産とはいつなくなるかわからのものだと君が常に見放せるようになった時だ。 ページ88 

 

君は、君自身放棄するのか、君の持ち物は何かを放棄するのか。ページ91 

 

奴隷状態が人間を捉えている事は滅多にない。たいていは人間の方が奴隷状態を掴んで離さないのだ。ページ100

 

^_^ これはまさに言い得て妙。誰もが働きたくないといいつつ、仕事から離れられず、地位を守るために自分の時間を捧げ続ける。

 

荷物を背負ったままで泳いでいて、助かったものは1人もいない。ページ100

 

われわれは日々死んでいるのだ。という事は、人生の一部分は、我々が成長している時でさえ1日1日と奪いさられていると言うことだ。われわれはまず幼年時代を失った。次に少年時代を、最後に青年時代を。昨日という日まで、過ぎ去った時がすべてなくなったのだ。今、我々が送っているこの日だって、われわれはそれを私と分かち合っているのだ。水時計を空にするのは最後の一滴でなく、それ以前に流れ去ったもの全部であるように、我々が生存を止める最後の瞬間が私を完成するのではなく、それはただ終わりの封印をするだけだ。その時われわれは私に到達したのであって、それまでの長い間、我々は私に向かって歩み続けてきたのだ。ページ111

 

人は自分以外の何かのおかげで幸福なら、それが真の幸福ではない。運命(偶然)が与えたものは、いつまた運命の気まぐれによって取り戻されるかしれないからだ。そういう幸福は安定していない、確かでなく、長続きしない。では真の幸福はいかにして得られるか?人は神に自分自身のもの、何人にも奪われにないものによって幸福である時のみ、真に幸福だと言える。その誰にも奪われないものとは、言うまでもなく本当に自分にのみとし、自分の力の内にあるものでなければならない。それは心魂精神と呼ばれるもの以外にない。人は自分の体でさえも自由にすることができないのだから。すなわち人は、運命が与えたままの自分を受け入れ、それを肯定し、それに満足し、自分だけで充足した時、誰にも奪われない幸福を得たと言える。ページ174

 

私を軽視としすれば、その苦しみは耐えやすくなる。
何よりも君は、君の苦しみを自分でさらに悪くするな。嘆きで自分に重荷を負わせるな。痛みは、想像力が何も付け加えなければ軽いものだ。そしてもし君が逆に「こんな事は何でもない、いずれにしろ大した事じゃない、耐えてみせようじゃないか、そうすればやつもまもなく止むに違いない」と自分に語りかける言葉に出して言うなら、君が相手をそういうものだと思っている限り、君はそれを軽くするだろう。すべては想像力にかかっているのだ。名誉欲、浪費、所有欲がそれを目指すばかりでない、苦痛もわれわれは想像力によって感じるのだ。自分はこうだと思い込む分だけ人は惨めになる。ページ196

 

特に多いと本質的なものは何か?未来をあてにしないこと、生きた日数を数えないことだ。それは考える最も小さな時間体の中で永遠の価値を実現する。ページ225

 

^_^ これは今を生きるであり、三昧の境地である。と思う。

 

長く生きるには運命が必要だが、満足して生きることは君の心次第だからだ。ページ226

 

^_^ そこに考えが及ぶところまで育たぬうちに死ぬから、子供の死は大人の死よりも悲劇なのだ。

 

神に服従するのではなく、神に同意せよ、と。自分が納得して神に従うのであって、避けがたいものだから従うのでないと。だから今後も決してて、僕が悲しい気持ちで受け入れること、勝負所を受け入れる事は決して起こらないだろう。どんな罪でも僕はいやいや払うことはしない。そのことで我々がため息をつくこと、その前で震えることの全ては、生きることにかけられた税金なのだ。ページ254 

 

^_^ 運命に対する強い意志を感じる。神に従うのではなく、神に同意せよ、か。

 

運命の女神の視野にあるあらゆるものは、それを所有する人間が自分自身を支配していて、所有物の支配下にない場合だけ、役にも喜ぶべきものとなるのだ。だからルキリウス、運命が我々に善なる者役なるものを直接配るのだと考えている人は間違っている。運命は善なる者悪なるものの材料、つまり物事の本を我々に与えているだけで、それは我々の責任において前ともなれば悪ともなるのだ。これはどういうことかと言えば、どんな運命の計らいよりも強いのは人間の精神でやって、精神自身がそれらの物事を2つの方向に導き、幸福なら人生、惨めな人生の原因とするのだ。ページ256 

 

^_^ 出来事をどう受け止めるかは本人次第ということだろう。宝くじが当たるという幸運で身をもち崩す人がいるのがいい例かも知れないなぁ。

 

貧乏人には多くのものが足りないが、
欲張りには何もかもが足りない。
欲張りは誰にとってもよくないが、自分自身にとって1番悪い。ページ274 

 

人間は、求めること最も少ないものほど、最も少なくて足りる。
足るだけを望むことのできるものは、望むものの全てを持つ。ページ275

 

88点