お金はないが貧乏ではない。

 一カ月の生活費を6万5000円で暮らす自分のライフスタイルをどう呼ぶべきか、ずっと考えてきました。

 

「貧乏」や「貧困」でいいじゃないかとも、言われるのですが、まったく正しくはないのです。

 

 Googleで「せ か い ち ま ず し い だ」と入力すると「世界一貧しい大統領」が検索候補に挙がります。

 

 この「世界一貧しい大統領」とは、第40代ウルグアイ大統領であったホセ・ムヒカ氏のことを指します。

 

 しかし、彼は貧しい大統領だったわけではありません。

 

 大統領であった時も、その前後も、古い家で、古い車で、質素な生活で、これで十分だとして、報酬の大部分を寄付していたという大統領なのです。

 

 彼は決して貧しいわけではなく、むしろ世界一こころ豊かな大統領であったとも言えるのではないでしょうか?

 

 彼のドキュメンタリー映画「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男 ホセ・ムヒカ」が日本でも公開される予定だったのですが、対コロナウィルス非常事態で、映画館での公開が軒並みできなくなっています。

 

 ちなみに映画自体はこの事態に対処するため、有料オンライン公開されています。

 

 ところでこの映画のタイトル「世界でいちばん貧しい大統領」という部分ですが、正しくありません。なぜなら何度も言いますが、彼は貧しいわけではないからです。

 

 彼に関して書かれた本でも、「ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領(角川書店)」とされています。

 

 映画や書籍のタイトルを決める人は、もちろん言葉のプロですから、ムヒカ氏が「貧しい」わけではないことはわかっていると思います。

 

 それでも人々に届く言葉としては「貧しい大統領」しか、なかったということでしょう。

 

 それほど、彼のような生き方や人物を表現する言葉が、日本語には無かった。むしろ現代の日本語が貧しかったとも言えるかも知れません。

 

 グーグル先生に尋ねると貧乏の「貧」、貧乏の「乏」の意味は、だいたいこんな感じです。

 

貧=不十分。欠乏している。

 

乏=物資が足りない。まずしい。

 

 ムヒカ氏の生き方は、不十分ではないし、欠乏もしていない、物資が足りないということもないのです。

 

 どう言ったらいいのかとぼく自身も考えてみました。

 

 最近、流行したミニマリズムとも違います。

 

 そこで思いついたのが、知足生活。

 

老子」の33章にある「足るを知る者は富む」からきた「知足」という言葉。

 

 これが最も、ムヒカ氏の生き方。ぼくが目標とする生き方を表現するのに合っているのではないかと思ったのです。

 

知足とは「自分とって、必要なものは、もう十分に足りていることを知る」ということです。

 

 京都のとても有名なお寺である「龍安寺」の手水鉢(ちょうずばち)という、お参りする前に手を清める石の器には「吾唯知足(ワレ、タダ、タルヲシル)」という4つの文字が刻まれているそうです。

 

「われ、ただ、足るを 知る」

 

 ここで思うのは、「われ、ただ」という部分もとても大切だなぁと思うのです。

 

 僕たちが一番、自分が貧しい、足りないと感じるのは他人と比べた時ではないでしょうか?

 

 最もわかりやすいのが洋服です。

 

 この豊かな日本で、着る服を手に入れるには、さほどお金はかかりませんし、今日も大量の着られる洋服がゴミとして捨てられています。

 

 ただ寒さを防いだり、人を不快にさせない程度に清潔感のある服、そして、猥褻物陳列罪で逮捕されないように大切なところを隠すというためだけであれば、お金はほんの少しでいいはずです。

 

 しかし、他人と比べ始めると地獄の門が開きます。

 

 全身ユニクロは恥ずかしい。

 

 去年の流行だからみっともない。

 

 他人とかぶったらイヤだ。

 

 前回の集まりと同じ服だと服を持っていないと思われる。

 

 私の周りはみんなお金持ちだから、着るものはハイブランドじゃないと、仲間に入っていけない。

 

 その結果、本来の服としての機能だけなら、500円のTシャツで済むところが、シュプリームとルイビトンのコラボTシャツ180,000円とかいうことになってしまうわけです。

 

 これは高いTシャツで検索したら出てきたのですが、正直、びっくりしました。

 

 あなたは「いやいや、私は人並みでいいと思っているので、洋服にかけるお金も人並みです。特に贅沢をしているつもりはありません」というかも知れません。

 

 しかし、その人並みであろうとすることがすでに地獄なのです。

 

 誰もが人並み以下になるのを恐れ、横目で他人を見ながら、人並みという作られた偽の安心感にすがるために、落ちこぼれないようにお金を掛けて新しい服を買い続けているのです。

 

 そして、現代の資本主義はそれを煽ります。

 

 ファッション業界はもちろん、雑誌、テレビ、ネット、どこでもあなたにお金を使わせるために、その人並みという基準を金銭的により高いものにしたり、去年とは変えたりしてとにかくあなたにお金を使わせようと必死なのです。

 

 もしあなたがファッションが大好きで

 

「オシャレでありたいから、食べるものも我慢して、自分ために自分が着たい服を買っているの」

 

 というのであれば、それもアリだと思います。

 

 しかし、流行に乗って次々と洋服を買ってクローゼットに溜め込んている人をぼくはおしゃれだとは思いません。

 

 それは大好きだと言うファッション関して、ファッション業界から与えられるものにに対してお金を払っているに過ぎないからです。

 

 ぼくが本当にファッションを愛していると思う人には二つのタイプがあります。

 

 一つは他人がどう思おうが、独自にセンスで洋服を着るし、ときには自分で作ってしまう人。小説家の志茂田景樹氏はその例に挙げられると思います。

 

 そしてもう一つはタイプはシャア・アズナブルと、オバQです。

 

 なぜ彼らがオシャレなのかとクビをかしげる人も多いと思います。特にオバQは。

 

 しかし、彼らには貫くポリシーがあります。

 

 気に入った衣装は同じものをたくさん作って常にそれを着続けるという、他人がどう思おうが、いつも同じ服だな、こいつ着替えてないんじゃないか、汚いなぁと思われることがあっても、自分は常にこの服が着たいんだと思っているというファッションに対する強い愛が感じられるのです。

 

 シャア・アズナブルオバQも、ほかに無い独特のファッションセンスです。

 

 彼らのクローゼットには特注のあの同じ衣装がズラッと並んでいるのです。

 

 シャアも、オバQも、志茂田景樹氏も、自らのファッションに、ただ単にお金を払っているわけではありません。

 

 自分で作り上げていかなくては満たされないこだわりがあるというのならば、それはその人の生き方の核になる部分ですから、すばらしいと思いますし、尊敬の念すら覚えます。

 

 その一方で、他人の目線を気にし、人並みに合わせるために、横目で他人を観察し、ファッション業界などから与えられるものを、お金を払って買うだけの人には、言いたいのです。

 

 そのつまらない"人並み"というゲームから降りませんか?と。

 

 その分のお金、そしてお金を稼ぐために費やした労働時間をもっと本当に自分が熱くなれるものに費やしませんか?ということです。

 

 これは洋服以外にも言えます。

 

 車、家、なども同じです。

 

 もちろんファッション同様、車や家に自分が強い情熱を持っているなら別ですが、仲間たちはみんな外車だからとか、同僚が家を買ったから俺もそろそろなんて、"人並み"でありたいという程度の理由ならば、思い切ってパッサリ切り捨ててしまったらどうですか?と言いたいのです。

 

 日本車は優秀で海外ではあくまで冗談交じりですが、「壊れない」とまで言われています。あくまで移動手段としてならば、きちんと走ってきちんと止まる国産の中古車で十分なはずです。

 

 余談ですが、ぼくの愛車は中古の軽自動車です。14万円でヤフオクで買いました。

 

 住む場所だって新築でなくていけないのでしょうか?

 

 一極集中で日本人も外国人も増えている東京ですら、空き家率は11.1%(平成25年)

地方に行けば山梨県などは22.0%とのこと。

zuuonline.com

 

 ここにさらにあなたが、大切な人生をやりたくない仕事に捧げて貯めたお金と、これからも将来にわたって捧げ続けると約束して銀行から借りたお金を使って、貴重な地球資源を消費して新しい家を建てる必要があるでしょうか?

 

 不動産サイトに行って調べてみるとわかるのですが、新築マンションと中古マンション。その物件数は10倍以上違います。中古マンションの方が遥かに数が多いのです。

 

 つまり選択肢が多いから、ぴったりの物件を見つけられる可能性も高いはずです。

 

 ぼくが言いたいのは、人並みであろうとして、こころから欲しい訳ではないものを買うのはやめましょうと言うことです。

 

 隣の人と同じような洋服を買うのをやめ、

 

 隣の人に対抗して外車を買うのをやめ、

 

 同僚が新築マンションを買ったと聞いたからと言ってなぜか焦ってモデルルームに行くのを止めて、本当に必要なものだけにお金を払って、その分仕事を減らして、いずれ自分の元を離れていく子供と、先に旅立つであろう親と、大切なパートナーと、そして何より大切な自分自身と過ごす時間を増やしませんかということなのです。

 

足ること知る「知足生活」を始めてみませんか?