「喰っていけない」という言葉を捨てよう

「そんなことでは喰っていけない」と言えば、自分の行動を、職業選択の自由を、縛ります。現代では、特にこの豊かな日本では、どんな生き方を選んでも、どんな職業を選んでも、「食べていくことができます」

 

 

 国民年金支給額の月額6万5千円で暮らしていると言うと、必ず言われるセリフがあります。

 

 それは

 

「そんな金額じゃ、喰っていけるわけがない」

 

 という一言です。

 

 冷静に考えれば、月額6万5千円という金額は食費に一日2千円使っても、お釣りがくる金額です。

 

 これはもうすべて外食でも、まかなえるような額です。

 

 つまりはこれはウソ、ある種の自己欺瞞、自己暗示に過ぎません。

 

 もちろん、6万5千円をすべて食費にあてるわけではありませんが、何より生きることに直結する食費を最優先にすれば、間違っても飢え死にするような金額ではないと言えるでしょう。

 

 本当は誰もが知ってはいるのです。月に6万5千円あれば、飢え死にするようなことはないと。

 

 それでもなぜ人は、まるで月額6万5千円では、飢え死にするような言い方、

 

「そんな金額じゃ、喰っていけるわけがない」

 

と、言うのでしょうか。

 

 そうすることで、自分の思考を停止させるためです。

 

 生きとし生ける存在として、飢え死にするような話には、検討の余地はない。だから私はこれらも世間や社会に求められるまま、自分の本当の希望から目をそらしながら、働き生きつづける、と。

 

 現実を見ましょう。

 

  もちろん、月額6万5千円は暮らすには、生活全般を変える必要はあるでしょう。

 

 でも本当のところは飢え死にするようなことはありませんし、「生活するために月額6万5千円は稼ぐが、それ以上の分は労働から自分の人生を買い戻す」という程度の話です。

 

 社会や、世間は、より働き、よりお金を使う人間を求めますから、まるでその規範から外れると「飢え死にするような」印象を与えて脅してくるのです。

 

 少し大きな視点で見てみましょう。

 

 実際に主に食糧生産に携わっていると考えられる農業就業者数は日本では168.1万人(平成31年度農林水産省データ)

 

 日本の人口をざっくり1億2千万とすると、比率で言えば約1.4%。たった1.4%の人の労働で食料生産は足りているということになります。

 

 日本は食料輸入大国だからその数字は小さすぎるという声もあるでしょう。確かにその通りです。

 

 日本の食料自給率カロリーベースで38%、生産額ベースで66%(農林水産省HPより)となりますから、どっちを採用するかは議論の分かれるところですので、ざっくりと間を取って50%としましょう。

 

 つまり海外にも、僕ら日本人の為に食料を生産している人がいる人が、日本にいる農業従事者と同じ数だけいると考えることにします。

 

 僕らの食べ物を賄っている人の数は国内168万人、海外にも168万人。国内外に合計で336.2万人ということになります。

 

 日本の人口に比較すると2.8%です。たった2.8%の人の労働だけで、我々の「喰っていく」は賄う事が出来ているのです。

 

 大昔は王侯貴族以外はすべて食糧生産に従事しなければ、食べていけませんでした。しかし、今はたった3%以下の人が農業をするだけで、我々の「喰っていく」は賄うことができているのです。

 

 日本では、農業は他の産業に比べて生産性が低い、だから海外に勝てないのだなどと言う議論もありますが、100年を超えるスパンで考えれば、農業ほど飛躍的に生産性が高まった産業はないのかも知れません。

 

 これらの点を考えても、フルタイムで働かなくては「喰っていけない」。ギターでは「喰っていけない」。夢ばかり見ていては「喰っていけない」。生きていくためには多少はグレーなことをしなければ「喰っていけない」というのは、自己欺瞞でしかありません。

 

 本当の意味で「喰っていけない」と思っているわけではないという反論もあるでしょうが、言葉は行動に強い影響を与えます。

 

「そんなことでは喰っていけない」と言えば、自分の行動を、職業選択の自由を、縛ります。

 

 現代では、特にこの豊かな日本では、どんな生き方を選んでも、どんな職業を選んでも、

 

「食べていくことができます」

 

 僕の例では、国民年金額の月額6万5千円あれば十分に食べていけます。

 

 毎月手取り20万円、30万円なければ、飢えて死ぬ、「喰っていけない」と考えていた時よりも、人生の自由度が増した気がしませんか?

 

 人生は、日本は、この現代は、あなたが思っているよりも、自由で、豊かで、良い時代なのです。