記事スクラップ『ポストコロナの時代にも響く「世界でいちばん貧しい大統領」の言葉』

「すべてはあの孤独な年月のおかげだ。あの敵意に満ちた過酷な環境がなかったら、今の私たちは存在しない。こんな言い方は酷かもしれないが、人は好事や成功よりも苦痛や逆境から多くを学ぶものだ。我々の闘いは続く」(ホセ・ムヒカ)

 

 この一文は好々爺に見えるムヒカ氏が、軍事独裁政権と戦った活動家であった断面が表れる言葉だ。

 

 多くの活動家は独裁政権に勝利すれば、それで戦いを終える。場合によっては新たな独裁者として君臨することすらある。

 

 しかし、ムヒカ氏が特筆すべき稀有な存在だと言えるのは、独裁政権を倒して、新たな民主主義を打ち立てた後も、新たな敵を見出したことだ。

 

 それは「行き過ぎた資本主義」「強欲資本主義」という存在だ。

 

 それらはいつの間にか富を崇拝させ、人々の幸福を脇へ追いやってしまう。

 

 そしてそれらはとても戦いにくい相手だ。それは成果主義とか、自己責任とか、「努力した人が努力しただけ報われる社会」などという一見、批判しにくい姿して世界に君臨している。

 

 そして多くの人がそれを支持している。

 

 しかし、それがいまや欺瞞なのは明確だ。ビル・ゲイツは他人の1兆倍努力したわけではない。しかし1兆倍のお金を持っている。

 

 そして1兆倍、他の人より幸せという訳ではない。

 

 このホセ・ムヒカ氏が支持されるのは、戦いにくい存在である「行き過ぎた資本主義」との闘い方を身を持って示してくれるからだ。

 

 それは質素な暮らしであり、周りの人たちへの貢献であり、愛情である。

 

 それは「幸福」というものを軸に、生き方をもう一度とらえ直すという生き方で、お金持ちでなくても幸福でありうるということを実践し、示してくれている。

 

 それは「資本主義」「効率主義」に溺れ、自身の幸福を見失いがちな、僕らに指針を示してくれるのだ。

 

「僕らはもう十分に豊かだ。次は幸福について考えよう」と。

 

forbesjapan.com

 

5月31日まで延長された新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言だが、先月7日に出されてからは、映画館の休業が相次いでいた。全国展開する大手シネコンに歩調を合わせ、ほとんどの劇場が休館となり、公開中の作品は上映がストップ、公開が予定されていた作品も軒並み延期や中止となっている。

特定警戒都道府県以外の34県では、マスクの着用や座席間隔の確保などを条件に、徐々に劇場は再開されつつあるが、それでも新作の公開となると、映画人口が集中する13都道府県の劇場が営業を開始しない限りは、かなり難しいことも事実だ。

この困難な状況に、映画配給会社のなかには、公開途中で上映中止を余儀なくされた作品をネットによる配信に切り替えるという動きがある。

映画「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」も、そのひとつだ。3月27日の都内での公開を皮切りに、順次全国公開の予定だったが、すぐに多くの上映あるいは上映予定の映画館が休業に入り、公開が難しくなった。

しかし、南米ウルグアイの大統領時代から清貧を旨とし、自然と共生する暮らしを励行してきたホセ・ムヒカの姿を描いたこの作品は、人々が新しい生き方を模索しようとてしているこの時期だからこそ公開する価値があるのではないかと、映画配給会社が期間限定の配信に踏み切った。


(中央)ウルグアイ大統領時代のホセ・ムヒカ(C)CAPITAL INTELECTUAL S.A

反政府ゲリラから大統領に

「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」は、反政府ゲリラの闘士から国の最高指導者にまで選ばれることになった、ホセ・ムヒカの数奇な人生をたどったドキュメンタリー作品だ。

監督は、元ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェコビナ)出身のエミール・クストリッツァ。劇映画である「パパは、出張中!」(1985年)と「アンダーグランド」(1985年)で、2度のカンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールに輝いた世界的名匠だ。

映画は、ムヒカが、自宅の庭でそのクストリッツァ監督にマテ茶を勧めるシーンから始まる。ムヒカが入念に淹れ、自ら口をつけ味見をしたマテ茶をクストリッツァに渡す。一瞬、訝しげな表情を見せながらもマテ茶をすする監督。すると2人の表情が、同じ笑顔に染まっていく。

「もしもウルグアイが大国だったら、社会民主主義を生んだ国と呼ばれていただろう。1950年代までは、ラテンアメリカでは珍しい国と見なされ、南米のスイスと呼ばれた。だが以降、軍事政権が台頭、こうした歴史が我々活動家に影響を与えた」

タイトルに続いて、ムヒカのこのようなモノローグが始まる。バックにはウルグアイという国を襲った悲劇の歴史の映像が流れていく。軍事独裁政権のもとで投獄されるムヒカ。しかし、彼の次のような言葉が続く。

「すべてはあの孤独な年月のおかげだ。あの敵意に満ちた過酷な環境がなかったら、今の私たちは存在しない。こんな言い方は酷かもしれないが、人は好事や成功よりも苦痛や逆境から多くを学ぶものだ。我々の闘いは続く」

 

すると、一転、ムヒカの普段の生活に映像が切り替わる。30年来、大統領になってからも住み続ける農場のなかに建つ平屋の住宅。質素ではあるが緑に包まれた趣ある家の映像に、ムヒカの言葉が重なる。


「自然には心から感謝する。神のような存在だと感じている。この地球も、鉱物や水素を擁する宇宙も。だが私たちが触れられる命は限られている。私を満たす、愛すべき命はね」

その家のなかで目覚めるムヒカ。かつて彼とともに反政府運動を闘い、いまも政治活動を続ける夫人は先に出かけていくが、やおら起き出し、ゆったりと着替えをする映像には、次のような言葉が加わる。

「シャワーを浴び、ヒゲを剃り、スーツを着る。大統領になった日に着たのと同じ服だ。クリーニングに出せば、新品と変わらない」

どんなときもネクタイをしない大統領

ホセ・ムヒカを世界的に有名にしたのは、2012年にブラジルのリオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議」だ。彼はそこでのスピーチで、消費至上主義が環境危機を引き起こしているとし、経済の発展が必ずしも人類の幸福に結びついていないと憂い、より良い未来に向けて行動を起こしていかなければいけないと訴えた。

このスピーチが、瞬く間に世界へと広がり、ノーベル平和賞の候補にもなった。また、収入のほとんどを寄付に当て、大統領職の傍ら農業に勤しむという質素な生活ぶりから、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれるようにもなった。

クストリッツァ監督は、そのムヒカの軌跡と現在の生活を、冒頭の約5分間で手際よく語っていく。このあたり社会的視点を持ちつつも、斬新な映像でこれまで作品をつくり続けてきた監督の面目躍如たるところだ。

そして、作品は、国民によって圧倒的な祝福が捧げられる大統領退任の日に時間軸を置きながら、反政府ゲリラのリーダーとして闘った日々からこの日までのムヒカの軌跡を、関係者の証言を交えながら、詳細に描いていく。

かつてムヒカたち政治犯が収監されていた刑務所跡を訪れるシーンは印象的だ。いまは建物がすっかりリニューアルされ、ブランド店も入るショッピングセンターに入っていくと、ムヒカは人々から歓迎を受け、スマホのカメラが一斉に向けられる。そこでムヒカは言う。

「革新は時には害になる。例えば携帯電話にカメラを付けるというアイデア。おかげでいつも足止めを食わされる。撮影が終わるまで、ずっとその場でね。携帯電話は人の創造力を刺激し、色んな機能が付けられた。私も年を取り、前立腺に問題を抱えている。携帯電話にトイレを付けてほしい」

 

物質文明に対する鋭い言葉を放ちながら、ジョークも交えるムヒカは、いつもフランクで、自らを飾ることはない。例えば、ウルグアイ大統領として式典に出席するときも、ローマ教皇オバマ大統領に会うときも、ムヒカはネクタイをすることはない。

大統領退任の日も、トレードマークでもある青い小さな旧式のフォルクスワーゲンに乗って式典会場へと向かう。その先々で人々の熱い感謝の言葉が、彼に対して降り注ぐ。このシーンも、彼の庶民的で、誰にでも笑顔で接する人懐っこさを表していて、印象深い。

 

また、ムヒカが反政府ゲリラとして闘った日々もリアルに振り返られている。かつて彼らが襲撃した銀行の前にムヒカが立ち、当時使用していた拳銃や自らが受けた銃弾の話などをするシーンは、この作品を単なる柔なヒューマンストーリーでは終わらせないという監督の深い演出意図も感じさせる。

クストリッツァ監督は、このドキュメンタリーを撮ろうとした理由を次のように語る。

「誰かに、トラクターを運転する大統領がいると教えられた。その姿を見て、次はこの映画を撮ると決めた。世界中で、彼だけが、腐敗していない唯一の政治家だと思ったのだ。『大多数に選ばれた者は、上流階級のようにではなく、大多数の人たちと同じように暮らさなければいけない』という彼の考え方にも動かされた」


左:エミール・クストリッツァ監督、右:ホセ・ムヒカ(C)CAPITAL INTELECTUAL S.A

確かに、作品中には、ムヒカの含蓄のある言葉や激動の人生のなかで培ってきた彼の確固とした考え方が散りばめられている。

「人類に必要なのは、命を愛するための投資だ。全人類のためになる活動は山ほどある。パタゴニアを人が住めるようにする。アタカマ砂漠に木を植えて、世界一乾いた砂漠の気候を変える。それは人間にもできる。金を貯め込んだり、高価な車を生産したりする代わりに」

全世界にも及ぶ、新型コロナウイルスの感染拡大とともに、隆盛を究めていたグローバル経済にストップがかかり、世界は新しいフェイズに入ったとも言われる。そのなかで、ホセ・ムヒカの生き方や考え方は、大きなヒントを私たちに与えてくれる。特に、この作品の終盤で語られ次のようなムヒカの発言は、心に響く。

「文化が変わらなければ、真の変化は起こらない。かつて我々は信じていた。社会主義はすぐに訪れるだろうと。だが、時を経るにつれ、思っていたよりはるかに難しいと悟った。文化的な問題を改善することは、物質的な問題より重要だ。資本主義をオモチャにしている人間とそれ以外の人間がいる。私のようなそれ以外の者は、資本主義では解決しない別の道を積極的に探さねばと、できることを模索している」

もちろん、この作品は新型コロナがこの世界に登場する前に撮られている。しかし、作品中で語られるムヒカの言葉は、ポスト・コロナの時代にも、実に有効なものとして、私たちには考えられるのではないだろうか。

*「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」◎配信期間:5月8日(金)〜9月1日(火)配信プラットフォーム:TSUTAYA、RakutenTV、ひかりTVGYAO!ストア、DMM動画、ビデオマーケット、COCORO VIDEO、music.jp