記事感想『年俸120円 最年長42歳「オッサンがJリーガーになれた理由」』

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「これぞ〝持たざる者〟の強みですね、不安はまったくないです。もともとほぼ無収入でしたから、生活は何も変わらない(笑)。行動は自粛しても思考に自粛はない。逆に、調整法などをあれこれと考えることができて充実していました」

 

 2ちゃんねる開設者のひろゆき氏などが言い始めた言葉「無敵の人」。

 

ニコニコ動画の辞書にはこうある

無敵の人

簡単に言ってしまえば、『失うものが何も無い人間』のこと。失うものが何もないので社会的な信用が失墜する事も恐れないし財産も職も失わない、犯罪を起こし一般人を巻き込むことに何の躊躇もしない人々を指す。

 

 これは完全に悪い意味での表現だが、この無敵をいい方に、よりポジティブで、共感できる方向に発揮するひとがいる。

 

 この記事の安彦考真さんこそが、その良き「無敵の人」だ。

 

 世の中の冒険や快挙の多くは、持たざる者によって行われた。その行為の責任を自分で取る限り、世界は何をしても許されるのだ。

 

昨季、41歳1ヵ月と9日でJリーグ最年長デビューを果たした『YS横浜』(J3)の安彦考真(あびこたかまさ)(42)は、コロナ禍でも前向きだ。今季の年俸はわずかに120円だが、「自粛期間に食生活を見直した効果が表れている」と笑顔を見せた。

「2週間、お粥だけで過ごして、身体の毒素を抜きました。体重は約5㎏落ちましたが、意外と走れますよ。さらにその後、動物性たんぱく質をやめました。いわゆるヴィーガン。おかげで5歳のときから苦しんできた花粉症がパタッと治り、内転筋にあったアザも消えました」

 

 今季の年俸が120円というのも脅威だが、様々な悪条件も、良い方に向かわせるこのポジティブさが、彼の魅力で、強みなのだろう。

 

高校卒業後、憧れのカズ(三浦知良)を追うようにブラジルに渡った安彦は、プロデビュー寸前のところで、ケガを負い帰国。その後は、Jリーグの清水エスパルスサガン鳥栖の入団テストを受けるも契約には至らず、大宮アルディージャの通訳や日本代表選手のマネジメント、通信制高校の講師として働いてきた。

ところが39歳となった’17年に「プロを目指す」と一念発起。クラウドファンディングで練習費用を募り、’18年3月、J2の水戸ホーリーホックと「年俸10円」という超破格のプロ契約を結んだ。

 

 突然、プロを目指すという無謀(あえて無謀と呼ばせてもらう)。これはもう一つの彼の強み、自分自身をごまかさないという心の強さだろう。

 

通信制高校の講師をしていたころ、生徒によく『10回の素振りよりも1回のバッターボックスだ』と指導していました。何事もチャレンジすることが大事なんだと。あるとき、クラウドファンディングの話をしました。これからは時代が変わるよって。そしたら、生徒の一人がさっそくチャレンジした。『1500円の本を買うためにクラウドファンディングしたけど300円しか集まらなかった』と、

その子は肩を落としていたのですが、僕には電流が走った。『打席に立たないと始まらない』と言っていたくせに、僕はクラウドファンディングをしたこともなければ、やり方もわからなかった。でも、彼は打席に立った――。若いころ、プロテストに落ちたのは、ビビッて全然ダメだったから。なのに僕は『チームと合わなかった』などと保身のために虚勢を張った。それがずっと引っかかっていた。

 

 立派なことを言う先生はいくらでもいるが、それを実践して見せる先生こそが、最高の先生なのかも知れない。

 先生がJリーグデビューしたと知った生徒さんたちはきっと大きな学びを得ただろう。

 

ここで人生の後悔を取り返しに行かないと、僕は自分にずっとウソをついたままになる。そう気づいて、一度すべてを捨てることにした。すべての仕事を辞めました」

年収900万円を捨てて、安彦はバッターボックスに立った。だが、不惑を目前にした男の決断に対する周囲の反応は冷ややかだった。SNSで決意表明するとフォロワーたちは続々と離れていった。

「当たり前ですよね。当時の僕は、神奈川県の社会人リーグで週1でボールを蹴っているくらいだったので。親ですら『アンタが高校生のときにブラジルに行くって言いだしたときより驚いた』と(笑)」

 

 確かに高校生の時にブラジルにサッカー留学するヤツば何人もいるけれど、40になってJリーグ目指すっていうヤツはまずいない。

 

安彦の背中を押したのは、いまは亡き冒険家の栗城史多(くりきのぶかず)(享年35)だった。安彦と親交のあった栗城は「ニートアルピニスト」などと揶揄(やゆ)され、無謀とされた世界最高峰エベレストの〝単独無酸素登頂〟に何度もトライした男だ。

「最初は大笑いされましたよ。『サッカー界の冒険家がここにいた!』って。でも、唯一の味方が栗城くんでした。彼も無謀だと散々叩かれたからこそ、僕の挑戦を応援してくれたんだと思います」

 

 栗城史多さんの本も読んで感動したなぁ。本当にやりたいことやるって、人生において何よりも難しくて、それでいて大切なことなんだと学ばせてもらった、一冊だった。

 

一歩を越える勇気

一歩を越える勇気

  • 作者:栗城史多
  • 発売日: 2009/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 練習生を経て、なんとかJリーガーにはなったものの、プロは甘くない。結局、水戸では1試合も出場できず、YS横浜に移籍した昨季も8試合の途中出場にとどまった。だが、安彦は自らの存在価値に自信を見せる。

「僕は40代だけど経験豊富なベテランではなく、ルーキーみたいなもの。毎日の練習から100%、いや120%で臨まないとついていけない。結果、ケガもしたりして、そりゃキツいですよ。でもね、たとえばダッシュひとつとっても、主力がヘバッている横で、僕が懸命に走っていたら、『この前まで〝ただのオッサン〟だった人に負けられない』って若手の目の色が変わる。手が抜けなくなる。そこに僕がいる意味はあるのかなって……」

 

 彼のすごいところは自分が異質な存在になる場所に飛び込んで、それでいて、異質な自分が何ができるか、どんな貢献ができるかを考えられるところだろう。

 

Jリーガーになっていちばんの喜びは「両親が喜んでくれたこと」だ。

「ベタですけど、『ホッとした』と泣いてくれたときは嬉しかったですね。入団が決まって、チームのみんなに挨拶するときは僕もこみ上げるものがあった。『アンチがいるから頑張れる。アンチがいるから、誰がコアなファンなのかがわかる』なんて思っていたけど、いろいろ張り詰めていたんですね」

かつて、安彦は恵比寿駅至近の家賃30万円の高級マンションに住んでいた。だが、いまは両親と実家暮らしだ。

 

『アンチがいるから頑張れる。アンチがいるから、誰がコアなファンなのかがわかる』ってなかなかの名言ですね。

 

「恵比寿のマンションは最上階の角部屋で、窓から東京タワーが見えました。昼間からワインを飲んだり、ブランド物の服を買って……当時はそれがステイタスだと思っていた。でも、なんの充実感もなかった。いまのほうが断然、幸せです」 

 

 幸せは金じゃねぇ、金を稼ぐことでも、金を使う事でもないことを彼もまた体現してくれたという訳ですね。

 

ところで――「年俸120円」はどうやって支払われているのか。

「一括で手渡しですよ。120円だと振り込み手数料のほうが高いですから(笑)。缶ジュースも買えないですけど、これでも『ピッチ外でよく頑張ってくれたから』と評価されての現状維持なんですよ」

新型コロナの影響で延期されていた今季のJ3は6月27日に開幕する。プロ3年目の今季を集大成の年にすると宣言している安彦。狙うは、J3最年長ゴールだ。

「僕はなんの根拠もなく『絶対プロになれる』と思っていた。ゴールだって取れると信じないと取れない。スタメンで出られるチャンスはほぼないでしょう。でも、残り何分かで出たとき、『コイツ、なんかやりそう』って雰囲気を漂わせて、ワンチャンをねらいたいですね」

缶ジュースも買えない120円で、安彦はドデカイものを得たのである。

取材・文:栗原正夫

 

いや、120円あれば缶ジュースは買えるだろ?