興味は内にではなく外へ?『『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」』

 哲学は今や働く女性の必須教養です。古今東西の哲学者が人生をかけて導き出した哲学を応用すれば、思考のショートカットになり、生きやすくなること間違いなし! では、ARIA世代の悩みを大物哲学者に相談するとどうなる? 山口大学教授の小川仁志さんが、歴史上の哲学者になりきってズバリ回答。今回は、いよいよ最終回。核兵器廃絶や科学技術の平和利用を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」でも有名なラッセルが、「仕事より大切なもの」を説きます。

【関連画像】「興味・関心を自分に向かわせるのではなく、外に目を向けよとラッセルは説いています」

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 哲学は働こうと、働くまいと、女性だろうと、男性だろうと、悩める人間であるならば学ぶべきものだと思います。

 なんかこういう書き方は「昔はいらなかったんだけど、今の時代は、女性が男性に追いついてきたから、女性にも哲学が必要になったんだ」という著者の考え方が透けて見えて、働いていない女性、というか古今東西の女性全般を馬鹿にしている気がします。

 

ラッセル=アインシュタイン宣言 - Wikipedia

ラッセル=アインシュタイン宣言(ラッセル=アインシュタインせんげん、Russell-Einstein Manifesto)は、イギリスの哲学者・バートランド・ラッセル卿と、アメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタイン博士が中心となり、1955年7月9日にロンドンにて当時の第一級の科学者ら11人の連名で、米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して提示された核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文である。Wikipediaより

 

今回のお悩み

それなりに仕事も子育ても妻としても頑張ってきました。でも45歳になって「これでいいの? 本当に私がやりたいことって何?」という疑問がくすぶり始めて……。これからの人生を懸けるような趣味や仕事にはどうやったら出合えるのでしょうか。

●自分に熱意を向けるのは、実は不幸になる思考法

 仕事では自分なりのやり方や立ち位置がつかめ、子育ても一段落。少し余裕が生まれた人こそ、「これから本当にやりたいことが見つからない」という思いが募るのかもしれません。次のステップをどうするか、これからのキャリアパスをどう考えたらいいのか、悩むこともあるでしょう。

 どこに人生の熱意を向けたらいいのか。迷っている方にこそ、『幸福論』で知られる哲学者、ラッセルの哲学が効くはずです。

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 なんだか青春時代がもう一度戻ってきたような悩みですね。でもわかります。本当の意味でやりたいことをやれている人って、結構少ないですよね。

 青春自体も、遅れてきた青春時代も、人の目とか、お金が儲かるかどうかとかを、わきに置いて「あいつ馬鹿じゃないの?」と思われる覚悟が試されると思います。

 

ゲスト回答者プロフィール

バートランド・ラッセル(1872~1970)

イギリスの哲学者。ケンブリッジ大学で数学・哲学を研究。数学や記号を論理学の手法で分析し現代分析学の基礎を築いた。著書『幸福論』など、哲学の分野での業績でノーベル文学賞を受賞。アインシュタインらとともに、核兵器廃絶や科学技術の平和利用を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」でも知られる。

 ラッセルは熱意を「どこに向けるか」で、幸福になるチャンスは違ってくるとしています。本来の自分のあり方を考えることも大切ですが、「自分は何がしたいのだろう?」「私ってこれで満足していていいのかな?」など、自分に熱意を向けることは、実は不幸な思考法なのです。

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 これは西洋的思想でもありますね。東洋ではどこまでも自分を見つめなおす、禅、瞑想などが思想として確立しています。

 ラッセルの言う幸福と、禅や瞑想がたどり着こうとしている境地には、違いがあるということも言えるかも知れません。

 どちらが正しいということではなく、どちらも学ぶだけの価値はあると思います。

 

 その理由を、ラッセルは2台のソーセージ機の例え話にしています。

 ラッセルの例え話は、こうです。

 「豚をおいしいソーセージにするために精巧に作られた2台の機械があった。1台は豚に熱意を持ち続けた結果、たくさんのソーセージを作った。もう1台は、『豚がなんだ。自分はこんなに精巧な素晴らしい機械なのだ』と、ソーセージを作るよりも自分のことを研究しようと考えた。その結果、ソーセージ機に本来の食物が入らなくなると、内部は機能しなくなってしまった」

 つまり、後者は単なるさびた機械になってしまったということでしょう。2台目のソーセージ機は、自分に関心を向けて外への関心や熱意をなくした人間のこと。ラッセルは、「精神は不思議な機械のようなもので、提供された材料を驚くべき組み合わせにもできるが、外界からの材料がなければ無力だ」というのです。だから興味・関心を自分に向かわせるのではなく、外に目を向けよと説いています。 

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 哲学もこうしてたとえ話にしてくれるとずっとわかりやすくなりますよね。ですから、ほくは物書きの技量の大きな要素はたとえ話が上手かという点だと思っています。 

 

 今、やりたいことや目標が何もないのだとしたら、いくら自分を見つめても、自分の内側に答えはありません。自分自身にとらわれすぎず、外界への興味を増やすこと、そして実際に行動することです。

 やったことがないことに挑戦してみたり、今まで興味がなかった場所に足を運んでみたりする。このように実際に動くことなくして「したいことが見つからない」と思い込んでいませんか? 初めてのマレーシア料理を食べに行ってみるのもいいし、ラグビーを初観戦してもいい。とにかく行動してみることが大事なのです。

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 このやり方は直接、自分を見つめるのではなく、自分をいろいろな鏡(マレーシア料理、ラグビー観戦)に映してみて、いろいろな鏡を通して自分を見つけるというやり方ですね。

 

関心事が多いほど、世界に適応できる
 例えば、マレーシア料理が好きでも嫌いでも構いませんが、マレーシア料理を好きな人は、嫌いな人が知らない快楽を知っていることになります。「その限りにおいて、前者の人生のほうが楽しいし、両者が暮らさなければならない世界によりよく適応していることになる」。関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなるということです。

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 確かにそう思います。ときどき人の趣味をけなす人がいますが、不幸だなと思います。

 例えば、ぼくは残念ながら、ジャニーズに興味が持てないのですが、ジャニーズに夢中で、熱狂的に楽しんでいる人を見ると、いいな、うらやましいな、楽しいんだろうなと思います。

 

 ただし、相談者のように「人生を懸けるもの」を見つけることは簡単ではありません。過度な刺激を求めることも、また、いけないのです。人は刺激を求めれば、もっと強い刺激が欲しくなる。コショウ中毒になってしまいます。

●コショウ中毒に陥らないためには、バランス思考が大切

 辛いものが好きな人は、辛さに慣れるとより辛いものを求めるようになります。「多すぎる興奮に慣れっこになった人は、コショウを病的に欲しがる人に似ている。そんな人は、ついには、他の人なら誰でもむせるほどの多量のコショウさえ味が分からなくなる」とラッセルは『幸福論』に書いています。

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 他人がおかしいとおもうほど、趣味に没頭できるなんて、ある意味、幸福だと思います。たいていの人がそこまで耽溺できるほど興味を持てるものを持たずに死んでいくのですから。

 これ本当に面白いから身を滅ぼしてもいいという思いに至れればそれも一つの「幸福論」が成り立つと思います。

 

 せっかく興味の対象を見つけても、「もっと他にあるはず」と振り回されていたら、幸福にはなれません。ある程度は退屈に慣れないと幸せにはなれないのです。そして、幸せになるための興味の対象は、仕事ではありません。第一線で働いている今は、「もっと大きな仕事を手掛けたい」「20年後も働き続けられる資格を身に付けたい」「さらなる自己啓発をしたい」など、仕事優位に考えがちですが、趣味のほうが大切だというのがラッセルです。仕事がどれだけ充実していても、趣味のない人は不幸だというのです。

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 むしろ趣味に仕事の思考法を持ち込むひとが多いと思います。この趣味で、人より有名になりたいとか、人より上手くなりたいとか、他人と競争することが入り込むと、そのもの自体を楽しんでいるのか、人との競争を楽しんでいるのかが、わからなくなる場合がありますよね。

 むしろ正しい趣味の在り方は、ただそれをやること、それ自体が報酬となっていることだと思います。編み物なら、完成品を人に褒めてもらうためではなく、ただひたすら編むこと、編む時間が楽しいというのが、幸福な趣味の在り方だと思います。

 

哲学KeyWord:バランス思考

『幸福論』の原題は、「The Conquest of Happiness」。不幸を避け、幸福を獲得するためには中庸を守るバランス感覚が大切。例えば、「努力とあきらめ」。避けられない不幸に時間と感情を浪費するよりも、潔くあきらめ次の幸せを目指して可能なことに振り向けることで人生はよりよく進む。

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 ぼくはイヤなことがあると、このイヤなことに今日1日の機嫌というお土産まで、持たせてやるのか?と自問するようにしています。

 そう思うと、そんなことで1日を棒に振るのはシャクなので、無理にでも機嫌良く振舞おうという気持ちになります。

 まぁ、いつもうまくいくわけではありませんが。

 

仕事の苦しみ、身近な人の死の悲しみから救うものは?
 私たちは仕事の人間関係や評価が世界の中心のような思考に陥りがちですが、趣味があれば、仕事は世界のほんの一部でしかないことに気付けます。趣味があれば、仕事のことを忘れることが簡単になります。休日もずっと仕事のことを思い煩っているよりも、建設的な思考が持てるのではないでしょうか。気晴らしになるものを持つことで、1つのことに過度に振り回されずに済むのです。

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 これは特に子供たちに必要な言葉かも知れませんね。子どもは学校がすべてだと思い込んでいるところがあり、学校でうまくいかないと世界に拒否されたと考えてしまう傾向があるように思います。

 ですから、趣味というか、学校以外の居場所が用意されれば、子供たちの自殺も減らすことができるのではにないかと常々考えています。

 

 さらにラッセルは、誰か近しい人が亡くなったときにも、趣味があれば救われるとまで言っています。悲しみにただ打ちひしがれていたら、そこから抜け出せません。避けて通れない運命は誰にも訪れます。悲しみから日常に戻るために力を尽くすべきであり、そのためにも趣味は大切だというのです。

 ラッセルが語る幸福の秘訣は、「あなたの興味をできる限り幅広くせよ。そして、あなたの興味を引く人や物に対する反応を、敵意あるものではなく、できる限り友好的なものにせよ」なのです。

本紹介

もっとラッセル!

『まんがでわかるラッセルの『幸福論』の読み方』(宝島社)

小川仁志(監修)、前山三都里(イラスト) 

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

 「あなたの興味をできる限り幅広くせよ。そして、あなたの興味を引く人や物に対する反応を、敵意あるものではなく、できる限り友好的なものにせよ」というのは、つまりは「世界を愛せ」ということに尽きるのではないでしょうか?

 他人も、社会も、国も、時には自分も嫌う理由はいくらでも見つかるかも知れませんが、それでも、問題を抱えていなかった時代はないですし、問題を抱えていない人はいないのですから、それを愛するという姿勢は幸福への第一歩だと思います。

 

 

まんがでわかる ラッセルの『幸福論』の読み方 (まんがでわかるシリーズ)

まんがでわかる ラッセルの『幸福論』の読み方 (まんがでわかるシリーズ)

 

 

大型書店の書店員・史織が仕事とプライベートで悩みつつ、ラッセルを通して「不幸の原因」について理解し「幸福をもたらすもの」とは何かを探し見つけていく。自分のことばかり考える思考から脱し、ハッピーになるラッセルの哲学を漫画で読み解く1冊。

取材・文/中城邦子 写真/洞澤佐智子 イラスト/鈴木衣津子

(『幸福論』のラッセルが力説する「実は不幸な思考法」より)

 

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