「啓蒙思想2.0 政治・経済・生活を正気に戻すために」ジョセフ・ヒース

啓蒙思想2.0 政治・経済・生活を正気に戻すために」ジョセフ・ヒース

 

 【目次】

 

序章
頭VS心

第一部
古い心、新しい心

第1章
冷静な情熱
理性-その本質、期限、目的

第二章
クルーズの技法
ありあわせの材料から生まれた脳について

第3章
文明の基本
保守主義がうまくいく場合

第4章
直感が間違う時
そして、なぜまだ理性が必要か

第5章
理路整然と考えるのは難しい
新しい啓蒙思想の落とし穴と課題

第二部
不合理の時代

第6章
世界は正気をなくしたか
……それとも私だけ?

第7章
ウィルス社会
心の害悪ソフト

第8章
「ワインと血を滴らせて」
現代左派の理屈嫌い

第9章
フォレスト、走って!
常識保守主義の台頭

第三部
正気を取り戻す

第10章
砲火には砲火を
あるいは、なぜ豚と戦うべきではないのか

第11章
もっとよく考えろ!
その他の啓蒙思想から無益な助言

第12章
精神的環境を守る
選択アーキテクチャー再考

第13章
正気の世界への小さな一方
スロー・ポリティクス宣言

エピローグ
謝辞
原注
訳者あとがき
索引

 

【読書メモ】 

 

集団への忠誠はナショナリズムを生じる。敵への復讐は全体主義を助長する。では純粋さは?これを現代の価値体系の中で優位に戻すべきと唱えるのは、ホロコーストを経た後では鈍感すぎるように思われる。直近の歴史からの教訓は、人はある種の本能を抑制する必要があると言うことだ。これは例えば残酷さを楽しみたいと言う衝動など、明らかに反社会的な傾向ばかりか、自分の家族、友人、民族集団への関心のような、排他性のある忠誠をもたらす反社会的な本能にも当てはまる。ページ15

 

^_^ これは一理ある。しかし完全に抑制できるものでもない。結局は折り合いをつけていくしかないのだ。

 

革命からこっち、フランスと言う国は、数え方によって10から17の政体を(いまだに最初の政体のままであるアメリカ合衆国とは対照的に)経験してきた。フランスは現在、第5共和制だが、革命期に君主制、形成、軍事独裁ナチスの属国だったこともあった。これに比べたらアンシャン・レジーム(旧制度)がまともに見える位の政体の変遷だ。ページ72

 

^_^ この見方は面白い。フランスはフランス革命があったこともあって民主主義の殿堂のような捉え方をする向きもあるが、実際は政治的には七転八倒を繰り返している。そう考えると、アメリカの民主主義の崩壊などと言われている昨今ではあるが、アメリカの民主主義政体はトランプの登場程度では揺るがないのかもしれない。

 

近代の保守主義はこうした啓蒙思想の高慢への反動として誕生した。その事はヘーゲルの力強いが曖昧な「現実的なものは合理的」と言う命題に、見事に要約されている。つまり理にかなわないように思える場合にも、よく見れば、物事がそうなっている理由は大概あることがわかる、と言うことだ。人々がそれがどういう理由かを説明できないかもしれず、結局それは最大の理由では無いかもしれないが、現状を弄る前に、ましてや解体や再建しようとする前にその理由が何なのかを理解することが必要だ。ページ97

 

^_^ 何かしらの伝統を破壊しようとするときは、なぜその伝統がここまで続いてきたのかを理解することは最低限守るべきルールだと言える。昨今は皇室に女系をという声も大きいが果たして我々現代人はなぜ今まで皇室が男系男子にこだわってきたのか?を本当の意味できちんと見据えられているのだろうか?

 

理性がうまくいかないのはどんな時だろうか。これは確実に弱いと言う分野は、因果関係を見つけにくいか、介入から結果を出すまでに長時間の遅延が生じている場合である。例として、子育て

ページ103

 

^_^ 子育ての成功とはそもそも何なのか?という問題にも帰着する。

 

保守派の好む言葉通り、「作られた理由が分かるまでは塀を壊してはならない」ページ125

 

^_^ これは名言。

 

直感は「正しくても正しくなくても、自分が正しいと告げる奇妙な本能」ページ129

 

科学的方法は私たちに、実は行動に不自然なことを強いる。すなわち、自分がどのように間違い得るかについて考えること、確証だけではなく反証を求めることである。ページ162

 

話が1つを除く全ての標準的な期待に沿っている時こそ、人は純粋に興味をそそられるのだ。ページ219

 

^_^ 例として幽霊が挙げられている。幽霊は壁をすり抜ける事はできるが、床に沈みこむことはない。また人間同様の感情を持っている。つまり特異な点は1つに絞られているのだ。
そう考えると人面犬口裂け女などの都市伝説も複数の特徴を持っているものではない。なんでも盛りすぎれば、人々の興味を引くことができなくなるらしい。

 

宣伝は(中略)必ず基本的に単純で反復的でなければならない。長い目で見れば、世論に影響与えると言う基本的な結果をもたらすのは、知識人の反対にもかかわらず、問題を最も単純な言葉に変え、その単純な形でずっと繰り返すことができる勇気のある人物だけである(ゲッペルス)ページ220

 

^_^ そう考えると小泉政権時はまさにそれをうまくやっていたと考えられる。少なくとも政治の話が不快ではなかった。何しろ単純でわかりやすかったし、小泉支持で自分が正義の味方で改革派だと思えたから。恐ろしいことでもある。

 

ショッピングモールに出かけるに際して子供に1つだけ助言を与えられるとしたら、良いアドバイスは「いいか、ここで売っているものは全部−ほんとに一つ残らず−お前のお金を騙し取る仕掛けなんだ」と言うことだ。ページ224

 

^_^ このアドバイスは子供よりもむしろ大人に必要なのではないかと思う。

 

多くの社会主義者の心の底に潜んでいる動機は、ただ単に秩序に対する異常なまでの願望なのではないか。現場が気に食わないのは、救助を招いているからでも、増して彼らの中が侵されているからでもなく、現場が乱れきっているからなのだ。彼らが根本的に望んでいるのは、この世界をチェス盤のように単純に割り切ってしまうことである。(ジョージ・ オーウェル)ページ247 

 

 

^_^ 確かにそういう一面もあるなぁ。

 

左派がまだ科学者の発言を平気で無視する分野もたくさんある。地球温暖化に関する科学的コンセンサスは、子供のワクチン接種の重要性や、特定の除草剤の安全性や、ホメオパシー医療の無益さについての科学的コンセンサスに劣らず包括的なものであるが、こうした意見はしばしば、「気候変動懐疑派」が温暖化研究の成果を見せるために利用する陰謀論を根拠に、無視されるか却下される。ページ260

 

受け継がれてきた教育技術は、何千年にもわたる発達と改良を経ているものだからだ。あちこち微調整するのは何ら問題ないが、実のところ、子供がどのように学ぶかをあまり理解していない時に、学校をゼロから作り直し、全く新しい方式に取り替え可能であるべきと考えるのは典型的な合理主義の傲慢である。ページ268

 

私の知る最も仕事ができる人たちは、かなりの度合いで生活の中で最高のトリックを仕掛けている。これは私自身にも当てはまる。私たちの賢い部分は、仕事をするために、あまり賢くない部分が多くを機械的に反応するように物事を組み立て、パフォーマンスの高い結果を生むような行動を起こさせる。自分がなすべきことをするように自分を騙すのである。ページ350

 

スナック菓子を山ほど買っておいて食べないように努めるより、そもそも買わないようにすることだ。すると、ぐうたらで街角の店まで買いに行きもしないことがーそれ自体はセルフコントロールの欠如だがー俄然、セルフコントロールを働かせる間接的な手段になり得るのである。ページ380

 

人はたとえ生まれつき人種差別主義者ではないとしても、生まれつき時集団中心主義ではある。ページ382

 

人種差別をなくすには人々の意識を人種以外のものにフォーカスさせる必要がある。人種差別をなくすため。例えば黒人の文化を褒めたとしてもそれは人種を人々により意識させることになり人種差別をなくすことには繋がらない。

 

^_^ 著者の意見に沿えば、性的マイノリティに置いてもその文化やマジョリティとの違いを訴えれば訴えるほどその違いに人々はとらわれるようになるということか。著者は変化できる髪型などの際に注目させるべきというが、本当に効果的なのだろうか?学び合いにより相互理解は融和の近道ではないのだろうか?

 

第二次世界大戦中イギリスにはナチのスパイだった捕虜専用の収容所がありました。そこの職員は手を挙げても、暴力を振るうと脅しただけでもクビになりました。これはロンドンが毎晩空襲されていた頃の話ですよページ403