03 お金の心配なく暮らす

 お金の心配のない暮らしとはどのような暮らしでしょうか?

 

 ほとんどの人たちが考えるのはお金持ちになることでしょう。

 

 しかし本当にそれだけでしょうか?

 

 ぼくが考えるに、もう一つ道があります。それは少ないお金で生きられるようになること。

 

 少ないお金で生活できるようになれば、お金の心配はずっと減ります。もちろんゼロにはなりませんが、お金持ちになってもお金の心配がゼロになるわけではありません。

 

 ニュースを見れば、一生遊んで暮らせるような大金を持つ人が、脱税で逮捕されたり、呆れるほどのインチキ投資話に引っかかってその財産を失ったりしています。

 

 お金をいくら持っていても、もっと欲しいというお金の魔力と、今あるお金を失ったらどうしようというお金の不安は付きまといます。

 

 そして、お金持ちになれる人は限られています。激しい競争です。百人に一人、千人に一人、いや、高度成長期をとうに過ぎたこの国ではもっと少ないかもしれません。少ないパイの奪い合いです。

 

 一方で少ないお金で生きられるようになることは、誰かと競争することではありません。自分を見つめて、自分を変えることなのです。

 

 そして、ああ自分はこんな少ない金額で十分に幸せに暮らせるのだと、気づくことは、誰とも競わず、自分を大切にしながらお金の心配を小さくする方法なのです。

 

02 国民年金支給額、月額6万5000円で生きる

 現代社会で生きていくのにお金は必要です。

 

 ではひと月に一体いくらぐらいのお金があれば生活していけるでしょうか?

 

 もちろん上を見ればきりがありません。

 

 私はそこで目安として考えたいのは月額6万5000円です。

 

 6万5000円、それは国民年金の支給額だからです。

 

 この国民年金は国民すべてに加入が義務づけられている年金で、国が想定している最低の生活ラインと考えることもできます。

 

 これは健康で文化的な最低限度の生活を営むためにと憲法でうたわれ、支給される生活保護費よりも低い金額です。

 

 私が考えるのは、この月額6万5000円で健康で文化的で、さらに愉快に、そして自由に暮らしていこうという話です。

 

 別に年を取ってからの話ではありません。若いうちからこの金額で生活できれば、お金のために大切な人生を切り売りする必要がグッと下がります。

 

 お金にならないからという理由で若い人が夢を諦める必要もないのです。

 

 老後はもちろん国民年金額で暮らしていける生活スタイルを身に着けているのですから、老後のためにと必死に働く必要もないのです。

 

 お金の心配をしないで暮らすというのは何も大富豪になるだけが道ではないのです。

 

 

01 人生で一番大切なもの

 あなたの人生で一番大切なものは何ですか?

 

 家族?夢?健康?時間?たまにお金という人もいますが、たいていの人はお金を一番にはしません。

 

 それなのに、世の中を見回すと多くの人がお金を一番大切なものと考えて行動しているように見えます。

 

 やりたくない仕事。毎日、長い時間をかけて通勤し、家族や自分のイベントよりも仕事優先。

 

 仕事を続けるために子供をつくることをためらう夫婦、子供を産んだらとにかく今度はできるだけ早く仕事に復帰する事を考えるお母さんたち。

 

 生まれてきた子供達も、お金持ちや安定した収入を得るために教育され、子供達がと夢を語れば大人たちはそれで食べていけないと苦い顔をする。

 

 世の中にお金ほど信仰されている存在はいません。キリスト教でも、イスラム教でも、仏教でも、ヒンズー教でも、無宗教でも、お金は欲しい。

 

 宗教や共産主義原理主義のテロリストたちですら、人を誘拐して身代金を要求してきます。

 

 世界はお金という宗教で統一されているといってもいいかも知れませんね。

 

 生きていくのにお金に必要なのは否定できません。

 

 しかし、お金を妄信するのではなくもお金との距離を適度にとることでより豊かなくらしができるのではないか?

 

 そんな風に私は思うのです。

 

06 日本にはもうベーシックインカムによく似た制度がある

 じつは日本にはもうすでにベーシックインカムによく似た制度があります。

 

 このまま、国としてベーシックインカムが導入されなくても、個人としては一定の年齢になればベーシックインカムのようなものを受け取ることができるようになります。

 

 それが国民年金です。

 

 実際には仕組みは違うのですが、お金には色がついているわけではないので、一定の生活費が支給されるという制度には変わりありません。

 

 年齢が65歳に達すれば国がベーシックインカムを導入するかどうかにかかわらず、個人的には国民年金というベーシックインカムのような制度が始まるわけです。(ちなみに金額は減額されるが60歳からでも受け取れる)

 

 私個人は国民年金を受け取れる年齢に達するにはまだ何十年もありますが、何も実際に65歳になるまで待っている必要はないと考えました。

 

 国民年金支給額は65歳支給開始で月額約6万5000円。今のうちからこの金額で暮らしていければ、老後だって国民年金だけで安心です。

 

 そう考えた私は「勝手にベーシックインカム生活」での月額の生活費を月額6万5000円に決めたのです。

 

 

05 勝手にベーシックインカム生活を始める

 ベーシックインカムとは福祉のほとんどを全国民に対する一定額の現金給付に一本化する政策です。

 

 これは失業保険も生活保護公的年金も廃止して、国民すべてに一定額の現金を給付するのです。お金持ちも貧しい人も仕事をしている人も失業者も関係ありません。

 

 全国民に給付するので受給資格の審査などの行政手続きが不要になり、行政としては大幅なコスト削減になります。

 

 しかし、その一方で莫大な金額にのぼる財源をどうするかという問題も残ります。

 

 過去には欧米ではごく一部で実験的に行われていた政策で、日本でも、財政問題や、生活保護の機能不全などから、一部で検討されているものです。

 

 メリットとしては

1 所得などの条件によらず全国民に一定給付なので、審査などが不要で行政コストを削減できる。

2 全国民に一定給付なので漏れがなく。国民の生存権を守るのに有効。

3 最低限の生活を人質にした企業による労働搾取をやめさせることができる。

など、小さな政府を目指す人にも、福祉の充実を目指す人にも支持されやすい政策になっています。

 

一方でベーシックインカム導入への障害として

1 行政の大幅なリストラを伴うもので既得権を持つ役所の反対が強い。

2 「働かざる者食うべからず」という考えが社会に浸透しているため、倫理面で反対する人が多い。

 

 資本主義は人々に「自分の納得できない条件では働かない」という選択肢を与えているように見せかけてはいますが、実際は「条件はともかく働かなければ生きていけない」という生存を人質に取った労働の強要がおこなわれているのです。

 

 それは労働者の自由意志を尊重しているように見せかけている分、よりタチが悪いものです。どんな悪条件で働いているのも「自分で選んだから」ということになるからです。

 

 多くの人がブラック企業でも働くのは「働かなければ生きていけない」からであり、実際は労働者に本当の意味での選択肢などありはしないのです。

 

 ベーシックインカムで生きるために必要な最低限のお金がすべての人に給付されれば、生存を人質に労働を迫る今の資本主義のやり方を変える大きなパラダイムシフトになると思います。

 

 人々が生活の為ではなく、自分の理想や思いのために生き、時に働き、遊び、時に休み、多く稼ぎたい人は稼ぎ、遊びたい人は大いに遊び、休みたい人は大いに休む。そんな世界では、働く人を顧みないブラック企業は生き残れないでしょう。

 

 ブラック企業が業績を伸ばし、ワーキングプアが増え、格差の拡大が続いている今の社会より、ベーシックインカムが導入された新しい世界は、よりよい世界になるのではないか。そんなふうに私は思えるのです。

 

 そして、ぼく個人としてもそんな世界で暮らしたい。

 

 しかし、そうたやすく社会は変わらない。では、どうすればいいのか?

 

 そこで思いついたのが「勝手にベーシックインカム生活、国民年金額の月額6万5000円で生きる」です。

 

 何も社会を変えなくてもいい。勝手にベーシックインカム的な生活してみよう。それもベーシックインカム導入後の世界での金銭的な最底辺の生活をしてみよう、と。


 ベーシックインカムが導入された世界での金額的な最底辺で、幸せに暮らせるなら、ベーシックインカム導入に価値があると言えるのではないか?非力ながらベーシックインカムの導入の後押しができるのではないか?

 

 そんな風に考えて始めたのがこの「勝手にベーシックインカム生活、国民年金額の月額6万5000円で生きる」なのです。

 

『歴史は実験できるのか』