5章 買い物編 車の購入 月額65000円で生活するぼくが車を買うなら車屋さんか、ヤフオクか。
さて、では仮に車を買うとすると、20万円でどんな車が買えるのか。
それを調べてみることにしました。
まず、真っ先に思いつくのが、ふつうの中古車屋さんですね。
今はネットで価格を調べられるので調べてみましょう。
とりあえず欲しいなと思っているのが税金のやすい軽自動車。
大人4人が乗ることを考えて、社内が広めで、販売台数の多いダイハツのタントを狙ってみましょう。
とりあえずグーネットという中古車検索サイトでタントを探して支払い総額20万円をピックアップしてみると全国で40台ありました。
とりあえず比較しやすく条件をそろえるために
「支払総額20万円」
「修理歴なし」
「車検整備付」
「保証付き」から
5台ピックアップしてみました。
タント L 2008年(11年落ち) 10.0万km (保証1か月 1000km Tベルト交換)
タント VS 2007年(12年落ち) 14.0万km (保証1か月 1000km)
タント L 2004年(15年落ち) 6.6万km (保証6か月 6000km)
タント L 2005年(14年落ち) 9.6万km (保証1か月 1000km)
タント Xlimi 2004年(15年落ち) 12.3万km (保証1か月 1000km)
なぜ、保証付きを選ぶかといえば、中古車屋さんの立場に立てばわかります。
「保証付き」の車と「保証無し」の車が一緒に売られているなかで、保証をつけた方が高く売れるのにあえて「保証無し」で販売しているのはなぜか?
それは車体をくわしく見ているプロの販売店側が、この車は「保証できない」と判断しているから。
「保証無し」の一台を買うということは、プロの販売店がピックアップした「問題あり」の車をわざわざ選んで買うことになりかねないのです。
そしてさらに、販売店で買う最大のメリットがオークションにはない、この「保証」ではないかと思うのです。たとえ、たった1か月でも、その間は大丈夫と販売店側は判断して売っているわけです。
せっかくお店で買うなら「保証あり」を選ぶべきだと思いませんか?
では次にヤフオク!で20万円前後での取引履歴を見てみましょう。車検2年付、修理歴なし。
タントL 2010年(9年落ち) 9.4万km 支払総額 約21万円
タントL 2012年(7年落ち) 15万km 支払総額 約18万円
タントX 2004年(15年落ち) 5,5万km 支払総額 約19万円
タントX 2010年(9年落ち) 9.6万km 支払総額 約20万円
タントカスタムRS 2006年(13年落ち) 9.6万km 約18万円
若干、年式が新しくなっていますね。
ちなみに他のサイトでも誤解しているところが多いのですが、
ということです。
これがまったく逆になっている車の紹介サイトもあるので、要注意です。
ほんとーにざっくりですが、比較すると、
ぐーねっと 平均13.4年落ち 平均走行距離10.5万km
ヤフオク 平均10.6年落ち◎ 走行距離9,8万km〇
たった5つずつのサンプルなので、断言はできませんが、ヤフオクの方が平均で約3年程度新しい中古車が買えていますね。
これとヤフオクの「保証なし」と、通常の販売店さんの「保証あり」との兼ね合いをどう考えるかでしょう。
なぜヤフオクの方が安いかと言えば、素人が自分の愛車を利益を考えず出品している場合はもちろん、プロでも副業だったり、無店舗販売なので展示場が必要なかったりするので、安く販売できるようです。
不安と恥が資本主義を回している『茂木健一郎が「永遠の5歳児」を自称するワケ』
「年を取るのは不幸だ」というのは思い込みにすぎない。脳科学者の茂木健一郎氏は「脳は外からの固定観念にとらわれやすい。年齢をものさしに考える癖がつくと、発揮できる能力を発揮できないままに終わってしまうことになる」と指摘する――。
ど忘れをチャンスに変える思い出す力 記憶脳からアウトプット脳へ!
- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2019/08/16
- メディア: Kindle版
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■「年齢」を「自分らしさ」にしている
これからの時代は、男らしさ、女らしさなど、ありとあらゆる「らしさ」が取り除かれていく時代になります。
私たちが無意識のうちにまとっている「らしさ」の一つに、年齢があります。
われわれは「まだ何歳だから」「もう何歳だから」できないとか、あの人は「同じ世代」だからつき合いやすい、「違う世代」だからつき合いにくいというように、年齢で他人の能力・人物像をステレオタイプに判断してしまいがちです。
これは「エイジズム(年齢差別)」と呼ばれ、男女差別と同じように、撤廃が叫ばれている重大な差別です。
年齢というものが、人を区別するのに非常に便利だから、利用されている面はある。男女も同じで、男だから力仕事、女だから育児と決めつけるのはとても楽で社会的にもショートカットになった。
しかし、それではいけないという考えが出てきた。性別ではなく個人を見ろと。
同じことが年齢でも起きているということだろう。社会は年齢で区別するという楽なショートカットを捨てられるだろうか。
しかし、まぁ、ここのポイントは社会ではなく、個人。社会の判断を自分個人の判断として受け入れるかどうかという問題なのだろう。
社会がもう○○歳なのだからという視点で自分を見てくる中で、それを受け入れ、社会が期待する○○歳を生きるのか、それを乗り越えて自分自身で判断し、人生を決断するのかということだろう。
ぼくも○○歳なんだからという社会の視線を乗り越えて生きていきたい。なぜなら、年を取れば取るほど、社会は年齢による縛りを強めて、自由な人生の選択を奪っていくのだから、社会から与えられる年齢による判断を受け入れていたら人生はどんどんつまらなくなり、最終的には縁側で猫をひざにのせてお茶を飲むことしか許されなくなってしまう。(それそれで魅力的か?)
■あらゆる年代の人が「年齢差別」を感じている
2017年に行われたTEDカンファレンスで、「エイジズムに終止符を! 」というトークがとても評判になりました。ニューヨークの作家兼活動家で、1952年生まれのアシュトン・アップルホワイトさんが、われわれは人種差別や男女差別、いろいろな差別をなくそうとしてきたけれど、年齢による差別が残っている、もうエイジズムをやめようと訴えました。
僕はその会場にいたからよく覚えているのですが、そのトークは、どんな世代の人からも賞賛を浴びていました。「そうそう、私もそういう扱いをされたことがある! それはやっぱりおかしいよね? 」とほとんどの人が共感できるほどに、エイジズムは世の中にはびこっています。
残念ながら、日本は国際的に見るとエイジズムが強い国だと言わなければなりません。しかし、日本に限らず、どの文化圏でもエイジズムはあって、特に女性は男性以上にエイジズムの対象になりやすいところがあります。
「エイジズムは未来の自分への差別」という言葉に痺れた。確かにそうだ。
「満ち足りた気持ちからは搾取はできないが、恥や恐れという感情は市場をうみます」というセンテンスもいい。確かにそうだ。そう考えると資本主義の発展が人の幸福に思ったより貢献できていない理由も見えてくる。
なぜなら人々を恥じ入らせ、困惑させ、恐れさせ、怒らせ、悲しませ、絶望させておいた方が、お金が儲かるからだ。需要が生まれ、GNPが上がるからだ。
保険のCMは楽しい番組の合間に「がんになったら治療費どうしよう」と恐れさせ、証券会社のCMは「老後のお金が足りない怖いけど投資を始めなきゃ」と不安をあおり、しわ伸ばしのCMが眉間のシワが最近深くなってきたことを恥じ入らせる。
「もう大丈夫です、あなたはなんの心配もいりません」というCMは見たことがありません。あっても、最後にこう付け加えられます。「もう大丈夫です、あなたはなんの心配もいりません、わが社の製品を買えば・・・」
■年齢をものさしにしていると脳の元気がなくなる
われわれは小学校の頃から学年主義を押しつけられてきました。5年生の次は6年生で、次は中学生で、その後は高校に行って……と人生はベルトコンベアのように、年齢とともに一定のスケジュールで動いていくと考えがちです。
しかし年齢をものさしにして物事を考える癖がついてしまうと、他人だけではなく自分も不幸になります。
こんなふうに外から与えられた文脈に素直に適応していると、たとえば55歳くらいになると、「そろそろ会社では終わりのほうだ」、60歳になったら「定年で再雇用だ」「自分の人生は徐々に収束していかなければならない」と考えるようになります。本当はまだ元気なのに、自分から勝手に思い込むと、脳は「そういうものなのかな」とその文脈に適応して、自ら元気をなくしてしまいます。
脳は、外から押しつけられる文脈、固定観念にとらわれやすいものです。
それに素直に従っていると、発揮できる能力を発揮しないで終わってしまうこともあります。
そう考えると、学校教育から、変えていく必要があるのかも知れない。6歳になったら自動的に義務教育が始まるのではなく、早熟であれば、もっと早く、場合によってはもっと遅く、始めるという考え方もアリだろう。
一律に6歳とすれば行政としては運営しやすいだろうが、6歳で学校教育に適応できるところまで成長した子もいれば、そうでない子もいる、それをしっかり見極めるシステムをつくる。それが必要なのかも知れない。
その為に相当の意識改革が必要になるだろう、必死に4歳で小学校に入れようなんて考える親が出てきかねないから。
■永遠の5歳児として、一日中楽しんで生きていく
僕自身は、現在50代ですが、永遠の5歳児として生きていこうと思っています。僕は朝から晩まで、ずっと「フロー」の中で生きています。「フロー」は、アメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、一つひとつの「課題」に最高に集中した心理状態を指します。5歳児は、何をやっても新鮮で、夢中になって、飽きることがない、フローの中で一日中生きている存在と言えます。
フローの中では、時間の経過を感じず、自分の存在を忘れて、その課題と一体化し、最大限に楽しんでいる。そういう状態が一日中続いているというのは、もちろん、一つのことだけをずっとやっているということではありません。一つの課題に疲れてきたら、別の仕事に取りかかったり、走りに行ったり、人に会いに行ったり、何かを食べたりして、一日中どんな課題も、時間を忘れて楽しんでいるという意味です。
5歳児という表現が正しいのかやや疑問は感じる。5歳児でもいろいろ心配し、気を散らしてしまう子もいるだろう。
しかし、フローの中で生きるという考え方には賛成する。禅や、ヨーガで言う三昧に近いもので、いやいややって思考をさまよわせるぐらいなら、没頭する方がいい。
場合によってはたとえ効率が悪くても(集中しすぎて失敗というのもある、でもふつうは没頭していたほうが効率もいいはず)、没頭できればその瞬間にも幸福という報酬を受け取ることができる。
終わったら遊びに行こうとか、アイスクリームを食べようとか考えなければやっていられないようなことなら、なるべく避けて生きていくべきだろう。(すべてを避けるのは難しいだろうが)。禅でも掃き掃除や拭き掃除でも没頭できるのだから、たいていのことではフローに入ることができるだろう。
とくに仕事にするなら、自分がフローに入れるようなものを選ぶべきだろうし、逆に言えば自分がフローに入れるようなことを、仕事する方法を考えるべきだろう。
■若いときの方が「オジサン」だった
そんな5歳児の暮らしを身につけた僕ですが、僕にもいわゆる「オジサン」時代がありました。型にはまっていた時代です。むしろ若いときがそうでした。大学生は大学生らしくしなければならない、博士号を取ったのだから、博士号を取った人らしくしていなければならない、と考えていました。
東大に通っているということで、エリート主義になったり、どこかもったいぶったり、僕の脳が文脈に過剰適応してしまっていたのです。
若くしても「オジサン」のようになることはあるし、一度「オジサン」になってしまってもまた5歳児に戻ることができます。「らしさ」を獲得しようとするのは脳の癖であり、「強み」であると同時に「弱み」でもあるのです。
ですからみなさんも、5歳児を目指してみませんか?
確かに考え方に柔軟性が失われていた時期というものが、自分の中にもありました。あれもだめ、これもオカシイと。
今はあれも良し、これもヨシという感覚になりつつあります。
■「年を取るのは不幸」は間違った思い込み
あなたは、さまざまなシチュエーションで、人に年齢を聞いてはいませんか?
もし聞いているとしたら、それは何のためですか?
他人に対して気にしていることは、実は、自分に対して不安に思っていることなのです。
われわれは、年を取ることにネガティブなイメージを持っています。年を取ることは、坂を下ることで、だんだんと惨めになると思っています。
先ほど紹介したアップルホワイトさんは、それは事実ではないと言います。たとえば、若い人は死を恐れ、忌み嫌いますが、そのような死に対する恐怖は、年を取ったほうが少なくなり、人生で最も幸福感を抱くのも、年齢が上がったときであると語ります。実際、人間の幸福度は、年を取れば取るほど下がるわけではなくて、U字型になる(つまり、子どもとお年寄りが特に幸せ)というエビデンスがあります。
年を取ることについて、われわれは間違った思い込みをして、勝手に不幸になっているのです。アップルホワイトさんによると、女性が不幸になるのは、女性だからではなくて、女性差別があるからで、年を重ねた人が不幸になるのは、体や認知機能が多少衰えたからではなくて、それに対する差別があるからなのです。
この手の議論でいつも思うのは腕を失った人間が10不幸だとすると、前足を失った猫は2ぐらい、もしくは1不幸ぐらいでしかないということ。
なぜなら、猫は自分に前足が無くなったということをクヨクヨ考えたりしないから。
年を取る不幸があるとしたら、その70%が自分で自分が年を取ったから不幸だと考えることで生じ、25%は周りからの受ける年を取ったと思われる評価から生じ、残りの5%が実質被っている老化による不幸だと思うのです。
もちろん、周りの人の評価が自己評価と密接にリンクしているので、その辺りは自分と他人両方を変えていかなければならないので難しいかも知れません。
それでも一番手っ取り早いのが、自分で年を取ったとクヨクヨ悩み自分を傷つけるのをやめることですから、社会改革はまず自分からということでしょう。
■「脳の使い方」が偏っていることに問題がある
われわれの「年齢」に関する不安の一つに「記憶」の問題があります。
われわれは、思春期には学校でさまざまなテストを突破すること、青年期、壮年期では会社などで成果を挙げることを期待され、常に記憶力を試されてきました。さらに高齢になると、記憶力に問題の出るアルツハイマー型認知症などの病気のリスクも高まります。
人生100年時代と言われますが、記憶にまつわる心配事に、われわれは常にさらされているわけです。
僕は、脳の使い方に偏りがあることが問題だと思っています。
一度きりの人生ですから、頭も体も、自分の持っている機能は、フルに使いたいところですが、脳の使い方にも人によって癖があり、いつも決まった回路を決まったパターンで働かせてしまう傾向があります。
学生時代はずっと記憶力を試されていた気がするが、今、スマホ時代になって、わざわざ覚えておくということの重要性は下がっているといえるので、年を取るにはいい時代になったと言えるのかもしれない。
たいていのことはうっすら覚えておけばいいわけで、「上方、落語、眼鏡」と入れて検索すれば、「桂文珍」だとGoogle先生が教えてくれるのですから。
■「思い出す回路」を強化するほどクリエイティブになる
記憶には、「覚える」「保存する」「思い出す」という3つのプロセスがあります。ですが情報過多の現代人は、「覚える」「保存する」のインプットを重視して、「思い出す」をおろそかにする傾向があります。
しかし今や、情報や知識をインプットすることについては、人間はもはやAIに太刀打ちすることができません。これからの時代、「覚える」「保存する」だけでは限界があり、「思い出す」ことを取り入れることこそが重要なのです。
「思い出す」なんて、年を取った人が、過去をなつかしむだけの行為だと思っている人もいるかもしれません。しかしそれは大間違いです。
脳が思い出そうとしている時に使う回路は、脳が新しいものを創造する時に使う回路と共通することがわかっています。つまり思い出す回路を強化すればするほど、物忘れをしなくなるだけにとどまらず、クリエイティブな能力を高めることができるのです。
まさに現代にこそ必要とされる「思い出す力」ですが、それを強化するのは誰でも簡単にできます。毎日の生活の中でほんの少しの時間、意識するだけでも十分。もっと言えば、ボーッとするだけでも効果があります。
思い出す力を存分にいかすこと。それがAI時代に必要とされている新しい脳の使い方なのです。
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茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞。『幸せとは、気づくことである』(プレジデント社)など著書多数。
----------脳科学者 茂木 健一郎
ちゃんと覚えておくことより、なんとなく忘れかけていたほうが、思い出した時に他の記憶と混じったりして、新しい何かを生み出せるということだろうか。
その場所で咲く『【出口学長の哲学と宗教講義】ダーウィンの進化論とストア派の哲学が教えてくれた「働き方の真髄」とは?』
世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。
その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著がついに8月8日にリリースされた。聞けば、BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説したとか。
なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか?
脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、原稿を読んだ某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』。超多忙の出口治明氏を直撃した。(構成・藤吉豊)【この記事の画像を見る】
これは読みたい。覚悟がいる厚さらしいが。でも近隣の図書館にはなく、値段もなかなか。
● 川の流れに身をまかせる
――出口学長はたくさんの著書をお持ちですが、これまで1冊も、哲学や宗教を掘り下げた本を出されていませんでした。なぜ今、このタイミングで『哲学と宗教全史』を書かれたのですか?
出口:それは簡単な話で、今までどの出版社からも「哲学の本を書いてください」という依頼がなかったからです(笑)。
僕は、ダーウィンを信奉しているので、人生は偶然の産物だと思っていて、「川の流れに身をまかす」のがモットーです。自分から「こんな本を書きたいです」と出版社に企画を持ち込んだことは一度もなくて、どの本も、すべて、流れにまかせて書いてきました。
もちろん、与えられた役割を全力でこなすのが前提ですが、ちょっとした出会いや偶然をベースに生きているのが、人間という動物です。僕が日本生命に入社したのも、ライフネット生命を立ち上げたのも、APU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任したのも、すべてさまざまな巡り合わせや偶然によるものです。
川の流れに身をまかせると、どこに着くかはわからない。わからないけれども、着いたところで頑張ればいいと僕は思っているのです。
このどうにもならない部分と、どうにかなる部分をきちんと見極める姿勢には共感できる。
なんというか風で走るヨットというか。状況に抵抗するのではなく、状況を最大限生かし、その中で輝くという感じだろうか。
――出口学長は、日本生命時代に、関連会社への出向を命じられましたよね。明らかな左遷人事だと思うのですが、そういうときでも悩んだりせず、「川の流れに身をまかせよう」と割り切れたのですか?
出口:その理由は、僕と当時の社長の哲学の違いです。「海外進出したほうがいい」という僕に対し、社長は「国内の他社のシェアを奪えばいい」と考えた。出世したければ、トップに尻尾を振ればいいわけですが、僕は尻尾を振れないタイプですから(笑)。
「こんなひどい人事はない、社長を訴えてやれ!」と息巻く同僚もいましたけれど、トップとぶつかったら異動されるのは当たり前なので、そんなことでクヨクヨするのはアホらしい。恨んでもしかたがない。
組織の人事とはそういうものだから、まったく落ち込みませんでした。それどころか、出向したら一般には暇になるので「たくさん本を読んでやろう」と考えていましたね(笑)。――たしかに出口学長には、「クヨクヨするイメージ」がまったくありません。いつもサラッとした生き方をされているように思えます。なぜでしょう?
出口:人生を無駄にするのは、「すんだことに愚痴を言う、人を羨ましいと思う、人によく思われようとする」、この3つです。
この『人生を無駄にするのは、「すんだことに愚痴を言う、人を羨ましいと思う、人によく思われようとする」、この3つです。』という一文は額に入れて飾っておきたいぐらいの言葉だと思います。
「すんだことに愚痴を言う」 これは過去に生きないということで、過去から学んだことを今に生かす、過去変わらないのだから拘泥しないということ。肝に銘じます。
「人を羨ましいと思う」 これは他人と比較することで自分を傷つけるということですね。お金持ちになってももっとお金持ちが羨ましくなりますし、モテてももっとモテる人が羨ましかったりします。自分は自分、人は人。自分が羨ましいと思っている人も実は誰かを羨ましいと思っていると考えると、人を羨ましがるのが馬鹿らしくなります。
「人によく思われようとする」 これもとても大切ですね。人によく思われようとするのことは、自分の生き方を他人の評価に委ねること、もっと言えば人生を他人に支配されることでもあります。そしてそれはとても苦しい上にたいてい死ぬ前に後悔する典型的パターンでもありますよね。
すんだことは覆せないし、僕には才能がないから他人を羨んでもしかたがないし、自分のことを誰よりもわかっているのは自分なので、他人の目を気にしても意味がない。他人に何を言われようと、僕は僕ですから。
僕にできることは、川の流れに身をまかせて、たどり着いた場所で全力を尽くすことだけ。そのことがわかっていたから、およそどう事態が転んでもクヨクヨすることはありませんね。
晴れていれば晴れていて楽しいことをやり、雨の日には雨の日に楽しいことをやる、仲間がいれば仲間と楽しいことをやり、一人の夜は一人で楽しいことをやる。そういうことでしょう。
● 人間にできることは、 「適応」することだけ
――「川の流れに身をまかせる」というのは、自分に与えられた運命に逆らわない、という運命論な考え方なのですか?
出口:運命論というよりも、ダーウィンの進化論です。僕の世界観、人生観におそらく一番影響を与えたのは、ダーウィンです。
ダーウィンの進化論をひと言で説明すると、「運と適応」です。運というのは、適当な時期に適当な場所にいることです。
「世の中は何が起きるかわからないのだから、そのときに適応したら生き残るし、適応できなかったら滅んでしまう」というのがダーウィンの基本的な考え方です。「人間は、周囲の状況の変化に合わせた適応しかできない」という考え方は、ストア派にも近いと思います。
――ストア派というのは?
出口:ヘレニズム哲学の一学派です。ストア派の哲学者たちは、「自然の理法は、大河の流れのように、世界をつくり続けて過去から未来へと時間をつなげていく。その悠久の流れの中で我々は生まれてきたのだから、そのように与えられた人生を堂々と生きればよい」と述べています。
自然の理法に従って、今の自分に生まれたのであるから、その定めを真正面から受け止めて積極的に生きることを説いているんです。「与えられた人生を生きる」という視点は、ダーウィンと同じですね。
ストア派の関連書籍を読んでみたくなりました。
- 作者: マルクスアウレーリウス,神谷美恵子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/02/16
- メディア: 文庫
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ギリシア・ローマ-ストア派の哲人たち-セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス
- 作者: 國方栄二
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2019/01/09
- メディア: 単行本
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● 出口治明が、 これからやってみたいこと
――出口学長がやりたかったこと、これからやってみたいことはありませんか?
出口:APUをよりよくしたいことのほかには、まだ、やりたいことがよくわからないのです(笑)。
――71歳になっても、まだやりたいことがわからないのですか?
出口:「還暦でベンチャー企業をつくって、古希で大学の学長をやって、次は何をやりたいのですか?」と質問をいただくのですが、いつも「ありません」と答えています(笑)。
今はAPUの学長をやっているので、「APUをもっといい大学にしたい」「学生も教職員もワクワクドキドキできる大学をつくりたい」と思う以外に考えたことはないのです。やりたいことがある人は、それに向かってチャレンジをすればいい。けれど、僕のように適性ややりたいことがわからない人は、川の流れに身をまかせ、今いるところで一所懸命やってみたらいい。将来、何が起きるかわからないほうが、人生は楽しいと思います。
将来何が起こるかわからないから人生は楽しいと言える71歳ってすごい。と思いつつ。年齢にこだわっているインタビュアーと自分。
子供でも、爺さんでも、与えられたのは今日一日、この一瞬なのだから、それをどうするか、ということだけ。頭ではわかっているのですが・・・。
節約記事スクラップノート01 いいぞもっとやれ見切り販売『年間600万円分もの食品を捨てていた大手コンビニ、食品ロス減らし年400万利益を増やした対策とは?』
年間600万円分もの食品を捨てていた大手コンビニ、食品ロス減らし年400万利益を増やした対策とは?
世界から2周3周遅れの日本で食品ロスを減らし利益を増やす一つの策とは?
記事を読んでいる読者の方からメールが届いた。欧州諸国は賞味期限切れスーパーを立ち上げるなど、食品ロス=悪 として対処する動きが活発化しているが、日本の食品小売業界ではコンビニ中心にまだまだ積極的な対応ができていない、という内容だ。
この方は、日本の食品小売業をより良くするための業務に就いておられる。
そんな中、ある大手コンビニエンスストア加盟店で、年間400万円、利益を増やしたことを教えて頂いた。
その対策をする前は、月間で最大50万円分の食品(年間で600万円の食品)を廃棄していた。
対策を講じた後は、月間での廃棄は17万円分(年間でおよそ200万円の廃棄)にまで改善された。
年間にすると、その差、つまり、捨てるのを防いだ金額は、およそ400万円。
その店が行なった対策のうち、主なものを5つ挙げてみる。
売れなくて処分されるコンビニ食品(筆者撮影)
その1:おしぼりは希望者のみに渡す
多くの人が知らないのは、大手コンビニで渡されるおしぼりや割り箸、スプーン、フォーク、レジ袋などは、加盟店主(オーナー)が自腹で購入していること。トイレットペーパーも、店でオーナーが購入している。すべてが経営コストだ。何も買わずにトイレだけ使っていく客も多いと、終日データをとったオーナーさんから伺った。トイレを汚されたあとは、オーナーやアルバイトなど、店で働いている人が掃除する。
海外諸国の多くでは、街のトイレは基本的に有償だ。現金、あるいはクレジットカードなどを使い、使用料を支払って使う。
ところが日本のコンビニは無償。
本業と並行して行なっているというのは、果たして適切な対応なのだろうか?
昨今では、プラスチック問題で、レジ袋などの必要性が議論されている。
この店では、おしぼりは、基本的に渡さないことにし、その理由を掲示することにした。
プラスチック問題の解決のため、おしぼりは希望者のみ、レジ袋も要らない人は申し出てほしい旨を告知している(コンビニオーナー提供)年間600万円分もの食品を捨てていた大手コンビニ、食品ロス減らし年400万利益を増やした対策とは?
おしぼり問題から、コンビニが無料でトイレを貸すことへの批判への関連が理解できない。
レジで何かを買って、おしぼりを貰うかどうかお客が決めるのはいい。
でも、それが、なぜトイレを無償で貸すことに対する批判につながるのか。
何も買わずにトイレに行って使い、その後、レジに行っておしぼりを要求する客がいるとでもいうのだろうか。
街角に無償でトイレを貸してくれるコンビニがあるということの価値が、このインフラのありがたみがわからないのだろうか。
もちろん、トイレを使ったら、できるだけ買い物をするとか、綺麗に使うのは大前提ではあるが。
その2:当日に消費期限が切れるパンを半額で販売
この店では、消費期限が当日に迫った食品(パン)を、見切り(値引き)販売している。筆者がこれまで全国のコンビニオーナー50名近くに取材した中で、当日に消費期限が来るパンを販売している店は、とても少ない。近づいていても、翌日。多いと、3種類の鮮度(期限)を示すパンが置いてある(翌日、翌々日、3日後)。
大手コンビニエンスストア加盟店で見切り(値引き)している(コンビニオーナー提供) 年間600万円分もの食品を捨てていた大手コンビニ、食品ロス減らし年400万利益を増やした対策とは?
最近はコンビニでも賞味期限の近いパンは、半額で販売しているので、とてもありがたいです。
ただ、菓子パンや総菜パンはほどほどにしておかないと後で、生活習慣病となって帰ってくるので、注意が必要ですね。
その3:弁当・おにぎり・麺類売り場に「もったいないコーナー」を設置
弁当やおにぎり、麺類を販売するところに「もったいないコーナー」を設置し、消費期限の近づいたものを見切り(値引き)販売している。「もったいないコーナー」を設置しているコンビニ(コンビニオーナー提供)
全国55,000以上あるコンビニのうち、見切り販売をしている店舗は全体の1%しかないという(映画『コンビニの秘密』による)。見切りの例としては、一般の棚と同じところに、シールを貼った見切り商品を置く場合が多い。
ただし、この「もったいないコーナー」のように、値段を下げていることがわかりやすいよう、「お買い得」などのPOP(掲示物)をつけている店舗もある。
お買い得品とわかりやすくしているコンビニ(坂村祐介氏撮影)年間600万円分もの食品を捨てていた大手コンビニ、食品ロス減らし年400万利益を増やした対策とは?
最寄りの新店のセブンイレブンでもこの見切り販売をしていて、嬉しかった。見切り販売は宝さがし的であり、狩猟採集的な喜びがあり、それ自体が楽しいので、今後はもっと広まってもらいたい。
その4:レジ横で会計時に取りやすい場所に設置
このコンビニでは、レジ横に、賞味期限や販売期限の迫ったお買い得品を置き、会計時に顧客が手に取りやすい工夫をしている。酒類なども値引きして販売している(コンビニオーナー提供)
その5:POP(掲示物)に何のための値引きか、手書きで目的を説明
この店では、「食品ロスを減らすために」という目的を書いたPOP(掲示物)を掲げている。印刷ではなく、手書きで、イラストを入れている。
「食品ロス(廃棄)を減らすため」に値引きしていることをPOP(掲示物)に書いている(コンビニオーナー提供)
見切り販売は平均して年間400万円の利益増をもたらす
2018年にも、見切り前と見切り後の、コンビニ11店舗の損益計算書を税理士に分析してもらった。その結果、平均して年間400万円、利益が増えていた。年間400万円といえば、日本で企業などに雇用されている人の年収に近い。
日本のコンビニの場合、売上高シェアは、セブンイレブン43%、ファミリーマート27%、ローソン19%、3チェーン合計で約9割を占める。
ポプラは、期限が迫った食品を値下げして販売することを、本部側が加盟店に提案したという。
この店で実施している主な内容
この店舗で実施している内容や感想などについて、教えていただいた。本部に了承を得た上で、見切り販売を実施している(本来は了承を得ずとも実施は可能)
昼・夜のアルバイトの方にも教育をしっかりし、夜中に期限が切れることの多い食品もしっかり対応
見切り販売することで、廃棄する食品ロスはほぼなくなっている(ある日はサンドウィッチとカレーうどんの2品のみ)
他店舗オーナーも視察に来るが、自分の店舗では見切り販売を実行できていない
そもそもコンビニの利益追従のシステム化が弊害となり、店舗の負担になっている
コンビニのベンダー(納入業者)から出た、販売できなかったおにぎりや弁当など(筆者撮影)。年間600万円分もの食品を捨てていた大手コンビニ、食品ロス減らし年400万利益を増やした対策とは?
見切り品を買うことには若干の申し訳なさがともなうものだが、こうしてお店の利益に貢献できていると思えば、今後も安心して見切り品に手を伸ばせます。
まぁ、考えてみれば当然と言えば当然ですよね。過去には処分費を払って処分していたものを売っているわけですから、ぼくがレジで払ったお金がそのまま利益に貢献しているわけですからね。
今後はむしろ堂々と見切り品を買うぞ、とw。
SDGsの専門家「日本は周回遅れ」
SDGs(持続可能な開発目標)の専門家が「日本は周回遅れ」と話していた。実感としてはわかりづらかったが、欧州のコンビニを視察してみると、それは身にしみてわかった。見切りの記事を書くと、現役コンビニオーナーさんが登場し、匿名でツイッターなどで「見切りガー」などと批判をされる。この記事もそうだろう。
はっきり言って、見切り販売は最善(ベスト)の策ではない。環境配慮の3R(スリーアール)からいくと、2番目の優先順位である「Reuse(リユース)」にあたる。最初から棚に並べ過ぎない、発注し過ぎない方が重要だ。
でも、大切なのは、他人がやっていることに安全地帯から文句をつけることではなく、今、自分ができることをやる、それが最善(ベスト)ではなく次善の策(ベター)なことでもやれるところからやる、ということでは?
全国55,000店舗以上あるコンビニの、ほとんどで、消費期限や賞味期限が迫った食品が見切り販売されていない。イコール、食べられる食品を、毎日、大量に廃棄しているということだ。見切りをバカにして捨てている場合ではない。
持続可能性のために重要なのは、水を出しっぱなしにしている水道の蛇口を締めること。
水とは、限りある資源や食料などのことも指す。
小売業は、大量に売り過ぎない。
そして小売業は、製造業に欠品を禁じ、作り過ぎ(=欠品禁止)を取引継続の条件として強要しないこと。
消費者は、買い過ぎないこと。
適量買うことで、家計も助かる。
ローソンでは消費期限間近の食品に5%ポイント付与・5%寄付の社会実験がもうすぐ2ヶ月
ローソンでは、消費期限間近のおにぎりや弁当を16時以降購入した場合、カード会員に5%ポイント付与(もう5%はこども関連施設に寄付)という社会実験を、愛媛県と沖縄県で6月上旬からスタートした。もうすぐ2ヶ月となる。法政大学の小川孔輔先生は、この5%ポイント付与により、加盟店の収益が、年間400万円程度、あるいは600万円程度、上がるのではと、2019年5月に予測しておられた。
オーナーの収入が、少なく見積もっても、年間400万円ほど増加するという結論になります。
この数値は楽観的すぎるように見えるかもしれません。しかし、いずれは必ず実現する未来を推論しています。「これまでコンビニ本部は、なぜ値引きを許容してこなかったのか?」。そのことが不思議なくらいです。
(中略)
店主の平均年収は、現状より少なくとも+300万円、多くなる店では+600万円の増加が見込めます。
出典:【コンビニ加盟店オーナーの皆さんへ】 5%のポイント還元で、店主の手取り収入が驚くほど増えます!(小川孔輔先生のブログ 2019年5月27日付)
ポイント還元制度が導入された後、収入が400万円増加するという予測を、再検討してみました。わたし自身がシミュレーションの結果に驚きましたので。ただし、考えてみれば当たり前の結果なのです。廃棄されていた商品が売れるようになり、負担していた廃棄費用が、半分から3分の一に激減するわけですから。
出典:【補足説明】 「自らの収入が大幅に増えるはずがない!」と半信半疑のオーナーの皆さんへ(小川孔輔先生のブログ 2019年5月29日付)
2019年6月11日から始まったこの社会実験は、8月11日に実施2ヶ月を迎える。はたしてどうであったのか、多い店では年間600万円年収が増えたのか(=2ヶ月間の収入が100万増えたのか)、結果を楽しみにお待ちしたい。年間600万円分もの食品を捨てていた大手コンビニ、食品ロス減らし年400万利益を増やした対策とは?
このよくわからないアルファベット略語、今回の場合は"SDGs"(持続可能な開発目標)を持ち出して、海外と比べて日本は周回遅れと批判するやり方は、あまりにチープだし、使い古されているし、何より不快です。
このようにもうずいぶん遅れているから、考えずに我々のやり方についてきてくださいというやり方は詐欺師の手口ですから、ライターとしては避けるべきだと思います。
日本のコンビニはコンビニとして、良い部分もたくさんあるのですから、そこをどう生かし、サービスの質の悪い海外の事例をうのみにするのではなく、どう生かしていくかを考えるべきではないでしょうか。
まぁ、ぼくが言えるの見切り販売バンザイ。もっとやれ。ということですが。
ところで、このライターさんは見切り販売の品を買うことはあるのでしょうか?サービスを受ける側の視点が一切ないのが気にかかります。
2019年08月04日 スクラップブログ
「投資の神様」ウォーレン・バフェットは、1日の80%を読書にあてている。(バフェット、ゲイツ、ブランソン…… 成功者が毎朝、読んでいるものとは?より
これを読んで思わずニヤけてしまった。この記事が事実ならば、世界で3番目の金持ちであるウォーレン・バフェットと、月額6万5千円で生活しているこのぼくの人生を占めるものの80%が同じだからだ。
ぼくも暇さえあれば本を読んでいる。
ぼくとバフェットの違いは、ぼくの本が公共の図書館で借りた本で、バフェットは恐らく新品の新刊を買って読んているということぐらい。
どちらも本の値段は気にしていないという点でも同じだ。
さらに言えば、ウォーレン・バフェットも眠るし、ぼくも眠るから、彼とぼくの人生のシンクロ率は80%どころじゃないんじゃないだろうか。
お金を持っていようが、持っていなかろうが、やはり読書は楽しい。自分の知らなかったことを知るということはとても楽しいのだ。
「ある分野でトップの10%に入ることは、頑張れば何とか達成できます。そこまで行ったら、また別の分野でトップ10%になり、さらに違う分野でもトップ10%をめざす。そんな風に『上位10%クラスに行けるスキル』を3つ組み合わせれば、レアな人材になれます」「継続は力なり」は、もう時代遅れ? 1つのことを極めるよりも、いま必要なこと
これはわかる。一点突破こそが正しいという考え方も、もちろんありだが、このようにいくつかのスキルや分野を横断的に身につけることも、選択肢としてはありだと思えれば、より人生の挫折にも、柔軟でいられる。
あの天才であり、努力の人であるイチローですら、選手としては終わり、40年以上の人生が残っている。だからもし彼が「俺は野球の選手しかできない」と言っていて行き詰まってしまう。
これはお金の話ではない。現役時代に稼いだお金がいくらあっても、人生の時間を注ぐものがなければ、人は幸福にはなれないのだから。
「今は、失敗しても『次に』行きやすい時代です。一生懸命ひとつの道を極めて1000人に1人になろうというのは険しい道ですし、せっかく極めたスキルが陳腐化してしまうリスクもあります。そういうときは、違う分野で再挑戦して『10人に1人』ぐらいを目指せばいい。ズブの素人の状態からだんだん上達していくのって、すごい楽しいじゃないですか。転職先で新しい仕事を始めた人は好奇心や吸収力があって、ベテラン社員よりも活躍するケースもあります。既存のルールにしばられず、柔軟なアイデアを出してくれるかもしれません。そうした仲間や働き方が増えると、組織はどんどん活性化していくでしょう。もちろん一芸を極めるのは尊いことですが、みんなが一つの分野・場所にとどまり続けるのではなく、組織を移りながら様々なオンリーワンを目指していく人も増えていく。そうすれば、異なる価値観同士が出会って、日本が今よりもっと『活力に満ちた多様な社会』になるのではないかな、と期待しています」「継続は力なり」は、もう時代遅れ? 1つのことを極めるよりも、いま必要なこと
この「今は、失敗しても『次に』行きやすい時代です。一」いうのは、心強い一言だ。
「かつてない時代」とか「激動の時代は始まっている」とか「厳しい未来の到来」とか、何かというと人を脅かしてお金を稼ぐ大御所ビジネスコンサルタントが多い中、今時代の良さを語れるひとというのは素晴らしい。
「日本社会では一度失敗すると、転落し、もう元には戻れない」なんて脅し文句もよく聞きますが、それは失敗した人が依然と同じ場所に帰ろうとするからで、別の場所を目指す気があれば道はいくらでもあるのだと思います。
その結果、前回の失敗までの積み重ねと、今回の積み重ねが相乗効果を生むという話でもあるのだと思います。
出前館やウーバーイーツのようなフードデリバリー(宅配)代行サービスの拡大で、実店舗を持たない宅配専門の飲食店「ゴーストレストラン」という業態が生まれてきた。いったい中はどうなっているのだろうか。東京都目黒区に6月にオープンしたばかりの「キッチンベース」に行ってみた。(目黒隆行)店舗がない、客も来ない「ゴーストレストラン」 飲食業界の革命児になるか
フードデリバリー代行という新しいビジネスが、ひるがえって、ゴーストレストランという新しい業態を生み出したのは面白い。
新しいビジネスが起こったら、そのビジネスを利用した新しいビジネスが考えられないか検討してみるのも面白いかもしれない。
「普通に都内に店舗を構えると1千万円以上は必要。でも、ここだと50万円程度の初期費用しかかからない。少ないリスクでチャレンジできる」。店舗がない、客も来ない「ゴーストレストラン」 飲食業界の革命児になるか
50万円だったら挑戦してみたいという料理自慢はたくさんいるだろう。失敗するひともたくさんでるだろうけれどそこから良いものも生まれてきそうでワクワクする話だよね。
仕込みから調理までを佐々木さん一人だけが担う。このキッチンに客は来ないので、接客スタッフを雇う必要はない。注文はオンラインで端末に表示され、確認はボタンを数回押す程度で済む。電話もかかってこない。配達員に渡せば、あとは注文先まで届けてくれる。店舗がない、客も来ない「ゴーストレストラン」 飲食業界の革命児になるか
レストランをやりたいけど、客との応対が面倒だという人もいるかもしれないし、なにより一人でできるのがいい。資金も人も最低限でスタートできるというのが面白い。
キッチンベースを始めたのは山口大介さん(27)。IT業界、スタートアップの立ち上げなどに携わった後、シェアリングエコノミー関連の事業を模索し、「ゴーストレストラン」に行き着いたという。
「例えば脱サラして夢を持って飲食店を開業したとしても、最初の年の廃業率は3割。これは驚異的な数字。1千万円、2千万円かけて開店したのに、ハイリスクすぎる。でもチャレンジすることは大事で、ならコストを少なくして、チャレンジしやすい環境を整えたい、というのがきっかけです」店舗がない、客も来ない「ゴーストレストラン」 飲食業界の革命児になるか
確かに立地に関しては二階でも、三階でも、いいわけですから、家賃も抑えられますよね。地方都市で成立するかはわかりませんが、成立するなら必ず駐車場のあるコンビニの跡地を利用するとか、いろいろ考えられそうですよね。
ぼくが思うにコンビニの跡地と建物をコインランドリー以外の方法で再利用するビジネスが来ると思っていろいろかんがえているんですけどね。
「1950年代には、沖縄に米軍専用施設は全国の1割しかなかった。それが、本土での反基地運動でその基地が沖縄に移設し、いまでは7割になったんです」(栄子さん)沖縄に米軍基地を押しつけたのは「本土」の反基地運動だった
その1割だった基地が、今では7割。沖縄がいかに基地を押し付けられていたかがわかります。それは沖縄には力ある政治家がいなかったということもあるでしょうが、本来なら許されることではないと思います。
しかし、拡大路線の中国に対してニラミを聞かせるために、地政学上どうしても米軍基地は沖縄だというのであれば、我々、本土の人間が沖縄の人が納得するだけの対価を払わなければならないと思います。
ぼくは真に沖縄振興策の為であれば消費税が5%ぐらい上がっても、仕方ないと思っています。お金で解決できることではないにしても、大人の世界で対価といえばお金ということになるわけですから。
基地は沖縄に押し付けられている上に、世帯年収も最下位という沖縄の現状は、放置していいものではないと思います。
放置すればそこに亀裂が入り、右翼の人が恐れる中国などの外国の手が及ぶのではないかと思うのです。
渡邊さんとは国防についてお話ししたんですけれど、たいへん有意義でした。「軍人」は考え方がきわめて現実的です。イデオロギー的なバイアスがかかっていない。ものを見る眼が平明なんです。「ありもの」は全部利用する。使えるものなら、相手が左翼であろうが、天皇主義者であろうが、自衛隊にとって利用可能な資源であれば、すべて利用する。実にプラグマティックだなと思いました。9条と自衛隊の不整合は「気にしないでいい」!──内田樹の凱風時事問答舘
軍隊が現実的であるというのはとても頼もしいことだと思う。勝てない戦いはしないということだから。
二人の話が合ったのは憲法9条と自衛隊の存在の間に不整合があることなんか「気にしないでいい」という点でした。というのは、憲法と軍の存在の間に論理的な不整合を抱えているのは、他ならぬアメリカだからです。
合衆国憲法第1条は連邦議会の権限を規定したものですが、その8節12項には陸軍については常備軍を持ってはならないと定めてあるからです。
アメリカはイギリスと戦って独立した植民地です。独立戦争のときには常備軍がなかった。だから、市民に武装権を与えて、ミリシア(militia =民兵)を編成して戦った。戦争が終わったら、すぐに召集を解除して、家に戻す。常備軍として継続的に編成しない。
どうしてかというと、常備軍というのは本質的に権力者の暴力装置であり、市民と敵対するリスクがあるというのが「建国の父」たちの共通の認識だったからです。
陸軍は必要なときに民兵を集めて編成する。戦闘が済んだら、民兵たちは家に戻って、生業に復す。それがアメリカ憲法の規定する陸軍の正しいあり方なんです。9条と自衛隊の不整合は「気にしないでいい」!──内田樹の凱風時事問答舘
アメリカの陸軍が常設であることが合衆国憲法に反しているというのは知らなかった。
ぼく個人としては憲法改正には今のところ反対です。
日本の憲法が今の状況には適合してないじゃないかという人は、何でもスジが通っていないと我慢できない子どもなのか、わかってて企んでいる悪人なのかどちらかだと思っています。
世の中で理想と現実にギャップがあることなんていくらでもありますが、いちいちそれにかみつくのはクレーマーか子供です。
企業だって社是はたいていお客様第一ですが、そんなものは建前だと誰もが知っています。
理想は平和憲法を左胸に抱えて、攻めてきた敵を右手で力いっぱいぶん殴って、遺憾の意を述べるということだと思います。
日本政府も、自衛隊のように現実的な考えを持つべきで、いざとなったらぶん殴る武器を持ちながら、平和憲法を掲げ、トランプが軍事で力を貸せと言ってきて、ここは自衛隊を出せないとなったら、平和憲法があるのでと言い訳に使うくらいでいいと思うのです。
何しろ、今の平和憲法はアメリカの占領下で作られたのですから。
それを自衛隊と平和憲法が整合しないのが気持ち悪いからって、理想である平和憲法をやめるなんて、まるで考え方がおこちゃまです。
自衛隊を持ちながら、平和憲法も最大限政治利用するというしたたかさが大切ですし、今までの戦後70年以上、それでしたたかにやってきたわけですから。
自民党が戦後ほぼすべての期間、政権にあり、憲法改正を目標に掲げながら、実行しなかったのは、三分の二を取れなかったというよりも、そういうスタンスを取り続けることで、逆に政権を維持してきたという部分もあるのではないでしょうか?
その点で、安部さんはお坊ちゃんというか、そのへんの機微がわかっていないのではないかと思うのです。
何より、国論を二分するようなことは避けるべきという政治家としての責任感が自民党にはあったのではないでしょうか。
一方で、人工知能が発達すると、人々が働く必要が減るという考えもある。人間が仕事をしなくても人工知能が代わりにやってくれるから、それで済むという見通しである。
一部のメンテナンスや開発、あるいは人と人とのコミュニケーションの仕事を除けば、人工知能が全部やってくれる世界。働かなくても収入がある「ベーシックインカム」が実現した社会。それは、聖書の「エデンの園」のようなすべてが満たされた楽園に近いのかもしれない。
人工知能で地上の楽園が実現するかどうかは別として、もし、人間に仕事がなくなっても別に困ったことにはならないと私は考える。
仕事がなくなったら、何をすればいいのか? 私はただ単に、「遊び」をすればいいと思うのである。脳科学者「遊ぶ人ほど仕事がデキるワケ」
ぼくはこの考えにまったく賛成で、AIの発達で仕事がなくなると言われても、何の心配もしていない。
仕事をAIがやってくれるなら、ぼくらは楽しいことをやればいい。
何かを楽しむことは、AIにかわりにやってもらうわけにはいかないのだから。
だからぼくはちょっと時代を先取りして、働くのを最小限にして楽しいことをやることにした。それが国民年金額6万5千円で暮らすということなのだ。
買い物をとことん楽しむ01 仕事用のイス編 仕事用イスがほしいと言っていた嫁(仮)がゲーミングチェアにすると言いだした、仕事する気ない?
嫁(仮)がイスがほしいと言いだした。
ずっと家具調こたつで向かい合って仕事をしてきたのだが、腰の負担を考えて、デスクで仕事をしたいとのこと。
そこで、デスクチェアについて調べてみることにした。
イスなんていうものは、大前提として合う合わないがある。100人中95人が絶賛していても、自分が絶賛していない5人の方という可能性がある。
そこで、試しに座れるというのが大前提となる。
もし、ぼくがイスを買うなら、当然、中古品も選択肢に入り、ジモティなどの利用も考えるのですが、嫁(仮)は新品を希望している様子。
「5万円のイスを中古で1万円で買えるってコスパがいいと思うんだけどな・・・」
「・・・」
嫁(仮)の無言は明らかな拒否。もう中古の話はやめよう。
予算が一万円前後ということで、選べるイスはある程度しぼられることになりそうです。
「アマゾンプライムデーとか、楽天スーパーセールの時に・・・」
「それまで待てっていうの?」
「すいません、ごめんなさい」
ちなみにアマゾンプライムデーは毎年7月。
アマゾンプライムデー 例年の日程
2019年7月15日(月・祝)0:00~7月16日(火)23:59
2018年7月16日(月)12:00~7月17(火)23:59
2017年7月10日(月)18:00~7月11日(火)23:59
2016年7月12日(火)0:00~7月12日(火)23:59
2015年7月15日(水)0:00~7月15日(水)23:59
楽天スーパーセールは次は9月の可能性が高い。
楽天スーパーセール 直近4回の日程
2019年6月4日(火)~6月11日(火)
2019年3月4日(月)~3月11日(月)
2018年12月4日(火)~12月11日(火)
2018年9月4日(火)~9月11日(火)
この記事を書いているのが8月なので、あと一か月程度で楽天スーパーセールが行われる可能性がある。
そんななか、嫁(仮)がゲーミングチェアーがいいと言いだした。
「ちょっと待って、ゲーミングチェアーってゲーム用じゃないの?仕事する気はないの?仕事する振りしてゲームやるの?っていうか、仕事するフリはしていたけれど、仕事するするフリも放棄したの?」
そんな声がでかかったが、かろうじて飲み込み、『ゲーミングチェア 仕事』で検索してみた。
仕事場にゲーミングチェアはかなりアリ!「AKRacing Overture」を導入してみた
記事を見てみると、ゲーミングチェアは仕事にも良いようだ。ゲーミングチェアというとそっくり返ってお腹の上にコントローラーを持って延々とゲームをするというイメージがあったがノートパソコンでの作業も、快適にできるようです。
ただ新品のゲーミングチェアを1万円前後で買えるようなものがあるのかということ。
そんな中、嫁(仮)が見つけてきたのは、
Bauhutte (バウヒュッテ) メッシュ ゲーミングチェア スチューデントモデル ブラック 日本人向け低座面設計 RS-200-BK
- 出版社/メーカー: Bauhutte (バウヒュッテ)
- 発売日: 2017/06/08
- メディア: ホーム&キッチン
- この商品を含むブログを見る
値段的には12,000円以下なので、ギリギリ予算内と言えなくもないという金額。ただイスというものは実際に座ってみなければわからないものなので、そこが困りもの。
なんと池袋のビックカメラまで行かなくてはいけないということになりました。どうする?
お金に対する幻想と人の目を気にするから人は幸せになれない『ひろゆき流“オワコン日本”の幸福論「他人とズレていたほうが幸せになれる」』
ひろゆき流“オワコン日本”の幸福論「他人とズレていたほうが幸せになれる」
8/1(木) 7:30配信 ITmedia ビジネスオンライン
ひろゆき流“オワコン日本”の幸福論「他人とズレていたほうが幸せになれる」
「オワコン日本」で幸せに生きる方法を語るひろゆき
令和の時代が始まって3カ月が経ちました。ただ、残念ながらこのまま行くと、日本に明るい未来はやって来ないでしょう。こんな予想はハズれたほうがいいに決まっていますが、いろいろなシミュレーションをしてみても、日本経済が悪くなる以外の方向性は見えません。
「日本に明るい未来はやって来ないでしょう」ってどういう意味でしょうか?誰にとって明るい未来なんでしょう?
日本経済が悪くなる以外の方向性がないとか、経済予想というのはまず当たらないですし。さらにたとえ経済がこのまま停滞しても、お金が増えない=不幸という図式が、ひろゆき氏が言う通り古い発想だと思います。
【画像】ひろゆきの経歴
ただ、誤解がないように言っておくと、これは日本全体の話です。そんな中でも個人一人ひとりは、いくらでも幸せに生きられます。
近刊『このままだと、日本に未来はないよね。』(洋泉社)では、これから日本がどんなふうにヤバくなるのか、沈みゆく日本で生き抜くためにはどうしたらいいのかをまとめました。最終回の後編では、“オワコン日本”で「おいしく」生きるための幸福論をお届します。
ウソですね。日本全体においても、医療も、テクノロジーは確実に進歩しますし、現在の先端医療も、先進機器も、将来は安く使えるようになるでしょう。
不幸だ不幸だと言っても確実にテクノロジーは進歩し、犯罪件数も減り、LGBTを含めたマイノリティーに優しくなっています。
メディアというのは売るために、不幸と悲観をまき散らすことに、常に必死ですよね。
「1億人を幸せに」はムリだけど、個人にはいい時代
前回まで「このままだと日本はヤバイよね」という話をしてきましたが、これから日本全体をよくするのは難しいと思います。日本全体をほかの国と比較して相対的に高い位置に持っていきたいのであれば、政治的なものが変わらなければ不可能でしょう。
確かに中国に勝ち、アメリカに勝つような、相対的に勝つようなイメージはありません。それは認めます。
しかし、歴史上、超大国の国民が幸福だった例はむしろ少ないと言えるのではないでしょうか?
しかし、日本の有史以来、日本人がほぼ全員が幸福だった時代なんて、ありはしなかったのではないでしょうか?
ただ、個人一人ひとりが楽しく過ごしながら生き残る方法は、あると思います。
「自分の親戚や知り合いなど100人ぐらいを幸せにします」はできると思うんです。自分で会社をつくって従業員として雇うとか、やりようはいろいろあるんですが、「1億人全員を幸せにしよう」は、もう無理でしょう。
確かにそうですね。何だか、我々って大きく語れば、カッコイイと思っているとこがあって、国がーとか、日本はーとか、世界はーとか、アメリカがーとか、何の力もないのにやたらと世界中の心配をしているところがあって、マスコミとかは無関心は罪だと言わんばかりに世界中から問題点を探してきては嬉々としてぼくらの前に提示する。
そして僕らは憂鬱になるのです。この国は、世界は、もう駄目だ。
いやいや、ほんとにダメになったことは無いから、今も存在するわけですし、もしダメになるとしても、ぼくらが知ったところで、それを回避できるわけでもない。
実際、一人ひとりの生活は、昔よりもかなり自由になってきている気がします。例えば、90年代に1人でそれなりに便利に暮らしていた人は、クルマやコンポ、ゲーム機など、いろいろなものを買っていました。だから、ふつうのサラリーマンが生活するだけでも、けっこうお金が必要だったんです。
でも今は、身の回りの電子機器はスマホ1台で済むようになったので、お金がない人とお金がある人で持っているものは、あまり変わらなくなってきました。昔はクルマを持っていることはステータスでしたが、今、東京に住んでいる金持ちでもクルマを持たない人が増えましたよね。むしろ、かつて金持ちしか買えなかったものを、庶民が買えるようになりました。
確かにそうですね。そして、映画も、アニメも、場合によってはゲームも、1か月いくらで見放題、遊び放題なんてサービスもあるので、正直、お金のある人が羨ましい時代ではなく、時間があるひとが羨ましい時代になったのかも知れませんね。
金持ちと庶民のできることが変わらなくなった
実際に金持ちの暮らしを見ても、スマホがあって同じゲームをしていたりするので、貧乏な人との差がなくなってきているんですよね。そういう意味では、個人にとってはいい時代だと思います。ただ、ビジネスでは日本は全然儲(もう)からなくなってきているという話です。結局、たくさんのお金を手に入れても、金持ちができることとふつうの人ができることって、今はそんなに変わらないので。
今の時代に金持ちしかできないことって、食べ物にお金をかけることぐらいかもしれません。でも、10倍のお金を払った料理が10倍おいしいかと言えば、大して味は変わりません。
そして技術進歩も素晴らしいものがあります。
マリーアントワネットはいくら暑くても食べられなかったアイスクリームを、我々庶民がコンビニに行けば食べられるわけですし。
味に関しても、人にとってのごちそうというのは、日頃たべているものとの比較ですから、毎日、満漢全席、フランス料理のフルコースを食べている人は、たいていのごちそうでは満足できませんが、日頃から、チルドうどんを食べている人には、冷凍うどんは革命的旨さですし、打ちたての丸亀製麺などは、もう十分にごちそうです。
違いがあるとすれば、金持ちは海外旅行などにお金を使うことが増えてきていることぐらいですかね。みんなが知っている有名な観光地に行くのではなく、その国でしかできない体験にお金を使ったり。
でも、「アマゾンで川下りしてきて、超楽しかった」と言われても、「へぇ、そうなんだ」くらいの話ですからね。お金のない人が、別にうらやましがることでもないんです。
むかしはお金持ちにしか行けなかった海外旅行もリーズナブルになりました。
さらには海外旅行なんて、費用の半分以上が飛行機代ですし、移動時間は基本的に快適とは言えないのですから、小金持ちの3日の旅行より、多少貧乏でも1か月の旅の方がずっとうらやましく思えます。
他人とズレていたほうが競争率は低い
僕が個人的に好きなものは、だいたい世間に理解されないまま廃れていくんです。映画でもマンガでも、僕が「これは面白い!」と思った作品は売れないんですよね。『ドラゴンボール』や『ワンピース』とかは、それなりに面白いんですが、「すげえ面白い」というよりも「まぁ売れるよね」と思います。だから、僕がまったく興味がないもののほうが当たる確率は高くて、基本的に僕が気に入るとマズイ経験が多いんです。
これはある面、ソンな性質(たち)でもありますね。
多くの人と面白く感じるツボが同じであれば、自分が面白いと感じるものを見つけるのが簡単です。アマゾンでもなんでも高評価のモノを漁っていれば、面白いと思えるコンテンツをいくらでも見つけられるわけですから。
そして、多くの人が面白いと思ったものは、大量に流通するので手に入れやすいというのもあります。どこのブックオフでも行っても「ドラゴンボール」と「ワンピース」の中古は買えますからね。
僕は多くの人が考える平均的な考えができないので、一般大衆に向けて発信するときは、自分の思考をなるべく基準にしないようにしています。第三者がどう言っているのかをつなぎ合わせて、「統計的にある程度こんな感じだろうな」と考えるようにしています。キャラが萌え系でかわいいとかは、僕にとってはむしろマイナス要素なんですけど、ただ「そういうのがあるほうが売れるだろうな」などと要素として見ています。
こうやって、いったん自分の主観を離れることができるというのが、ヒロユキ氏の強さの一面なのかもしれませんね。
でも、ビジネスに関しては、逆に僕の考え方のほうが正解の気がしています。例えば、みんなが「これうまくいくよね」と思っているものは、すでに誰かが出していたり、出そうとする会社があったりするので、競争状態になりがちです。逆に、誰も興味がないニッチなものは、競争相手がいないまま伸びる可能性があります。
単月利益さえ出るようになれば、継続していけば伸びていくので、ビジネスは人とズレていたほうが安全だと思っています。ニコニコ動画や2ちゃんねるも、そんなに多くの人が興味を持っているわけではなかったけれど、ニッチ的に「これ、面白いね」という人が出て少しずつ伸びるというビジネスモデルです。
単月利益というのが、実はキーワードなのかも知れません。
これはビジネスだけにかぎりません。ストライクゾーンは広いほうが、他人とズレていたほうが、人生は幸せなんです。趣味や嗜好は他人と違うほうが幸せになれます。みんなと同じ趣味を持つと、それだけ競争率が高くなるので、幸せになれる確率が減ってしまいます。
これは資源が限られている場合には、その通りですね。
例えば、女性。女性は無限にいるわけではありませんから、女性の趣味が多数派と異なっていれば、競争率が低く、自分の嗜好に合った女性と付き合える可能性は上がりますよね。
一方で、技術的には無限にコピーできるもの。例えば映画、ゲーム、マンガなどは、他人と違う趣味嗜好では、気に入ったコンテンツが入手しずらかったり、そもそもサービスが終わったり、連載が打ち切られたりしてしまう可能性が高くなり、他人と趣味が合わないことが幸福とは言えません。
お金と幸せの関係
いまだに「お金さえあれば幸せだ」と思い込んでいる人がいるようですが、お金と幸せって関連していません。僕はお金がなかった子どもの頃からそう思っているのですが、実際、幸せと収入の関係を調べた調査はいろいろとあります。例えば、ノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学の心理学者ダニエル・カーネマン名誉教授の研究によれば、年収7万5000ドル(約820万円)までは幸せと収入が比例します。これは、食べ物など最低限の衣食住が満たされないとなかなか幸せだと感じられないからでしょう。
でも、年収7万5000ドルを超えると、幸福度と収入はあまり比例しなくなります。
それぞれの国の経済状況や文化によって分岐点は違うと思うのですが、おそらく日本だと400万円くらいから変わらなくなると思います。
これはほぼその通りだと思います。そして、年収が、幸福度と比例しなくなるラインが思いのほか高いのは、多くの人が他人と比べることをやめないからだと思うのです。
100円のおいしいパンを食べていて幸せでも、隣の人が200円のパンを食べていると知ると、もう100円のパンでは幸福になれなくなるのです。
ましてや、その隣の人が自分が100円のパンを食べているのを知られるとなると、おいしいと思っていた100円のパンとそれしか食べられない自分と社会に憎しみすら覚えるのです。
まったくバカバカしいですよね。自分がおいしいと感じていた100円のパンは何も変わっていないのですから。
あとは、その人がどれくらいお金を使いたいかによりますよね。お金を使わないと幸せになれない人よりも、お金を使わなくても幸せになれる人のほうが人生はラクだと思います。
快楽は手軽に感じられるほうが幸せになりやすいので、例えばブランド品を買うのが幸せだと思う人は、ユニクロの服では幸せを感じられないという意味で、幸せになれる度合いが少ないんです。
まったくその通りだと思います。さらに言えば買うことに幸せを感じるのではなく、例えば最後まで使い切ること、自分用に手を加えることなどに喜びを感じられるようになれば、もはや毎週ユニクロのセールにすら通う必要は無くなります。
そのあたりは樹木希林さんのコラムでも強く感じたことです。
「人と比べない幸せ」が人生をラクにする
そもそも幸せは、相対的ではなく絶対的なものなので、収入や職業では決まりません。自分より下を見て幸せを感じられるかもしれませんが、上を見ても幸せは感じられないです。だから、上を見て比較してしまう性格や考え方は、人生にとって害悪でしかありません。上を見るクセのある人はやめたほうがいいでしょう。人はつい意味のない比較をしてしまうんですが、何かと比べて自分が不幸であると思うことに意味はないし、むしろマイナスです。比較は、価値観において意味がないんです。だから、人と比較しないで幸せだなって感じられるものを見つけたほうが、人生で楽しい時間は長くなります。
「人とくらべることが自分を不幸にする、だからわたしは人とくらべない」
このことに気付けるかどうかで、人生は大きく変わってきます。学歴や、親の財産、年収よりも、ずっと大きな影響があるかも知れません。
最近の若い子に欲しいものを聞くと、「フォロワー」って答えが返ってきます。フォロワーはTwitter上の数字にすぎないのですが、逆に言えばその数字を上げるだけで人間は幸せになれるんです。そのぐらい人間は簡単に幸せを感じられるものなんです。
これは預金通帳の残高が増えるだけでも、幸福になるという人とたいして変わらないですよね。
比較の対象がお金から、フォロワーになっただけで。結局、他人との比較が始まって、不幸が口をあけて待っているわけです。
そうではなく、お金をうまく使う方法を考えたり、フォロワーとの交流を純粋に楽しんだりするほうが幸福なんだと思います。
どんなに恵まれた人でも自分が不幸だと思えば不幸になれるので、毎日楽しく暮らしていると思っているかどうかという、気の持ちようの気がします。
これは本当にそう思います。ぼくらは日本に住んでいて、日本は高齢化で、斜陽国家で不景気で、と自分のことを不幸に思うこともありますが、実は世界的に見ればとても恵まれた環境に住んでいるということを忘れているのです。
最貧国に住んでいる人からみれば、あれだけ恵まれた国に住んでいて、自分を不幸に思っている日本人がいるなんて、信じられないと思っているかも知れません。
歴史的にはそれは宗教によって得られたりしてきたと思うのですが、今ならVR的なエンターテインメントとかで幸せを感じる人もいれば、マンガを読んだり映画を見たりして感じる人もいると思うので、じつは生きづらさを解決するものは世の中にいっぱいあると思います。
無料のものから有料のものまで、いろいろ試したら、何か自分が幸せに感じるものに出合えるんじゃないでしょうか。
(ひろゆき、西村博之)ITmedia ビジネスオンライン
確かに今の世の中には、様々なエンターテイメントがあふれています。恐らく人類史上最多でクオリティに関しても最高なのではないでしょうか?
昔、バブル時代にタイムスリップする映画がありましたが、エンタメに限って言えば今の時代にくらべれば、バブル時代も大して面白い時代ではなかったのではないでしょうか?
映画の画質も低く、家で映画を見るにしてもブラウン管とVHSですし、実際のリアルなエンタメを体験するにはそれなりに働かなくてはいけません。
一方、今なら月額数百円から千円ちょっとで一生かけても見終わらないようなエンタメが様々な嗜好に向けて作られていて、お金なんかはちょっとで十分に楽しむことができます。
そう考えるとぼくらは世界中でも指折りの生きやすい国に、過去に生きるどんな時代の人々より生きやすい時代に、生きていると言えるのではないでしょうか?
それなのに多くの人は、他人と比較し、必死に社会の問題点を探し、予想などできない将来に恐怖し、あえて苦しんでいるとすらいえるのではないでしょうか?
ぼくらは幸福ではないかも知れませんが、もっとも幸福に近い場所に生きているのではないでしょうか?
あとはその最後の一歩を踏み出せるかどうか。
それはどんなに環境が整っていていても、どんなにお金を持っていても、その一歩だけ、しあわせに生きるのだという自分の意志だけが歩ませるその一歩だけが、必要なのではないでしょうか?