記事感想『年俸120円 最年長42歳「オッサンがJリーガーになれた理由」』

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「これぞ〝持たざる者〟の強みですね、不安はまったくないです。もともとほぼ無収入でしたから、生活は何も変わらない(笑)。行動は自粛しても思考に自粛はない。逆に、調整法などをあれこれと考えることができて充実していました」

 

 2ちゃんねる開設者のひろゆき氏などが言い始めた言葉「無敵の人」。

 

ニコニコ動画の辞書にはこうある

無敵の人

簡単に言ってしまえば、『失うものが何も無い人間』のこと。失うものが何もないので社会的な信用が失墜する事も恐れないし財産も職も失わない、犯罪を起こし一般人を巻き込むことに何の躊躇もしない人々を指す。

 

 これは完全に悪い意味での表現だが、この無敵をいい方に、よりポジティブで、共感できる方向に発揮するひとがいる。

 

 この記事の安彦考真さんこそが、その良き「無敵の人」だ。

 

 世の中の冒険や快挙の多くは、持たざる者によって行われた。その行為の責任を自分で取る限り、世界は何をしても許されるのだ。

 

昨季、41歳1ヵ月と9日でJリーグ最年長デビューを果たした『YS横浜』(J3)の安彦考真(あびこたかまさ)(42)は、コロナ禍でも前向きだ。今季の年俸はわずかに120円だが、「自粛期間に食生活を見直した効果が表れている」と笑顔を見せた。

「2週間、お粥だけで過ごして、身体の毒素を抜きました。体重は約5㎏落ちましたが、意外と走れますよ。さらにその後、動物性たんぱく質をやめました。いわゆるヴィーガン。おかげで5歳のときから苦しんできた花粉症がパタッと治り、内転筋にあったアザも消えました」

 

 今季の年俸が120円というのも脅威だが、様々な悪条件も、良い方に向かわせるこのポジティブさが、彼の魅力で、強みなのだろう。

 

高校卒業後、憧れのカズ(三浦知良)を追うようにブラジルに渡った安彦は、プロデビュー寸前のところで、ケガを負い帰国。その後は、Jリーグの清水エスパルスサガン鳥栖の入団テストを受けるも契約には至らず、大宮アルディージャの通訳や日本代表選手のマネジメント、通信制高校の講師として働いてきた。

ところが39歳となった’17年に「プロを目指す」と一念発起。クラウドファンディングで練習費用を募り、’18年3月、J2の水戸ホーリーホックと「年俸10円」という超破格のプロ契約を結んだ。

 

 突然、プロを目指すという無謀(あえて無謀と呼ばせてもらう)。これはもう一つの彼の強み、自分自身をごまかさないという心の強さだろう。

 

通信制高校の講師をしていたころ、生徒によく『10回の素振りよりも1回のバッターボックスだ』と指導していました。何事もチャレンジすることが大事なんだと。あるとき、クラウドファンディングの話をしました。これからは時代が変わるよって。そしたら、生徒の一人がさっそくチャレンジした。『1500円の本を買うためにクラウドファンディングしたけど300円しか集まらなかった』と、

その子は肩を落としていたのですが、僕には電流が走った。『打席に立たないと始まらない』と言っていたくせに、僕はクラウドファンディングをしたこともなければ、やり方もわからなかった。でも、彼は打席に立った――。若いころ、プロテストに落ちたのは、ビビッて全然ダメだったから。なのに僕は『チームと合わなかった』などと保身のために虚勢を張った。それがずっと引っかかっていた。

 

 立派なことを言う先生はいくらでもいるが、それを実践して見せる先生こそが、最高の先生なのかも知れない。

 先生がJリーグデビューしたと知った生徒さんたちはきっと大きな学びを得ただろう。

 

ここで人生の後悔を取り返しに行かないと、僕は自分にずっとウソをついたままになる。そう気づいて、一度すべてを捨てることにした。すべての仕事を辞めました」

年収900万円を捨てて、安彦はバッターボックスに立った。だが、不惑を目前にした男の決断に対する周囲の反応は冷ややかだった。SNSで決意表明するとフォロワーたちは続々と離れていった。

「当たり前ですよね。当時の僕は、神奈川県の社会人リーグで週1でボールを蹴っているくらいだったので。親ですら『アンタが高校生のときにブラジルに行くって言いだしたときより驚いた』と(笑)」

 

 確かに高校生の時にブラジルにサッカー留学するヤツば何人もいるけれど、40になってJリーグ目指すっていうヤツはまずいない。

 

安彦の背中を押したのは、いまは亡き冒険家の栗城史多(くりきのぶかず)(享年35)だった。安彦と親交のあった栗城は「ニートアルピニスト」などと揶揄(やゆ)され、無謀とされた世界最高峰エベレストの〝単独無酸素登頂〟に何度もトライした男だ。

「最初は大笑いされましたよ。『サッカー界の冒険家がここにいた!』って。でも、唯一の味方が栗城くんでした。彼も無謀だと散々叩かれたからこそ、僕の挑戦を応援してくれたんだと思います」

 

 栗城史多さんの本も読んで感動したなぁ。本当にやりたいことやるって、人生において何よりも難しくて、それでいて大切なことなんだと学ばせてもらった、一冊だった。

 

一歩を越える勇気

一歩を越える勇気

  • 作者:栗城史多
  • 発売日: 2009/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 練習生を経て、なんとかJリーガーにはなったものの、プロは甘くない。結局、水戸では1試合も出場できず、YS横浜に移籍した昨季も8試合の途中出場にとどまった。だが、安彦は自らの存在価値に自信を見せる。

「僕は40代だけど経験豊富なベテランではなく、ルーキーみたいなもの。毎日の練習から100%、いや120%で臨まないとついていけない。結果、ケガもしたりして、そりゃキツいですよ。でもね、たとえばダッシュひとつとっても、主力がヘバッている横で、僕が懸命に走っていたら、『この前まで〝ただのオッサン〟だった人に負けられない』って若手の目の色が変わる。手が抜けなくなる。そこに僕がいる意味はあるのかなって……」

 

 彼のすごいところは自分が異質な存在になる場所に飛び込んで、それでいて、異質な自分が何ができるか、どんな貢献ができるかを考えられるところだろう。

 

Jリーガーになっていちばんの喜びは「両親が喜んでくれたこと」だ。

「ベタですけど、『ホッとした』と泣いてくれたときは嬉しかったですね。入団が決まって、チームのみんなに挨拶するときは僕もこみ上げるものがあった。『アンチがいるから頑張れる。アンチがいるから、誰がコアなファンなのかがわかる』なんて思っていたけど、いろいろ張り詰めていたんですね」

かつて、安彦は恵比寿駅至近の家賃30万円の高級マンションに住んでいた。だが、いまは両親と実家暮らしだ。

 

『アンチがいるから頑張れる。アンチがいるから、誰がコアなファンなのかがわかる』ってなかなかの名言ですね。

 

「恵比寿のマンションは最上階の角部屋で、窓から東京タワーが見えました。昼間からワインを飲んだり、ブランド物の服を買って……当時はそれがステイタスだと思っていた。でも、なんの充実感もなかった。いまのほうが断然、幸せです」 

 

 幸せは金じゃねぇ、金を稼ぐことでも、金を使う事でもないことを彼もまた体現してくれたという訳ですね。

 

ところで――「年俸120円」はどうやって支払われているのか。

「一括で手渡しですよ。120円だと振り込み手数料のほうが高いですから(笑)。缶ジュースも買えないですけど、これでも『ピッチ外でよく頑張ってくれたから』と評価されての現状維持なんですよ」

新型コロナの影響で延期されていた今季のJ3は6月27日に開幕する。プロ3年目の今季を集大成の年にすると宣言している安彦。狙うは、J3最年長ゴールだ。

「僕はなんの根拠もなく『絶対プロになれる』と思っていた。ゴールだって取れると信じないと取れない。スタメンで出られるチャンスはほぼないでしょう。でも、残り何分かで出たとき、『コイツ、なんかやりそう』って雰囲気を漂わせて、ワンチャンをねらいたいですね」

缶ジュースも買えない120円で、安彦はドデカイものを得たのである。

取材・文:栗原正夫

 

いや、120円あれば缶ジュースは買えるだろ?

 

 

『美容常識の9割は嘘』落合博子 やらない方がいいことをみんながやっている

美容常識の9割はウソ

美容常識の9割はウソ

 

 

大事なのは、正常なバリア機能を邪魔しないこと。化粧品を浸透させるのではなく、バリアとなる皮脂を補強するような化粧品の使い方を意識することです。ページ20

 

この本は節約の本なのかと思うほど、いらないものが出てくる。まずは浸透化粧品がいらなくなる。

 

スキンケア製品のほとんどは、水と油を乳化させて作られています。油は酸化しますし、当然匂いもあります。腐らせずにある一定期間安定させるためには、防腐剤が必要です。ページ26

 

防腐剤無添加をわざわざ選ぶ必要性に疑問。これでまたより安い化粧品が使える。

 

無添加」と言う表現自体には、ほとんど意味がありません。「〇〇と言う成分が配合されていない」と言う意味でしかないからです。ページ27

 

これもひどいものだ。化粧品業界が良いモノを売るのではなく、よさそうなもの、よりお金を取れそうなものを、お客に売りつけているのね。

 

迷ったら、化粧品を使う本来の目的を思い出してください。(中略)だから何かに劇的に効くと言うことを自体を、そもそも期待してはいけないのです。ページ35 

 

化粧品は医薬品ではない。これをしっかり心に刻んでおきたい。これは食品にも言えることで、○○を食べれば何々が治るなんてことを、うっかり信じないようにしたい。

 

科学的な視点で見ると、オーガニック化粧品にもリスクがあるといえます。理由は簡単。日本には、化粧品に関するオーガニック認定基準がないからです。ページ36

 

これでオーガニックと書くだけでより高い金がとれるという闇。

 

「天然成分由来」や「植物エキス」と書かれていると、つい安心・安全だと感じますが、その感覚は残念ながら間違っています。なぜなら、「天然=何が入っているかわからない」とも言えるからです。ページ38

 

 確かに天然のものには把握できないほどに多くの者が入っている訳ですからね。

 

合成成分とは、自然界に存在する薬効成分を特定して、それを科学的に作り出したもの。1つの成分にフォーカスして生成されたものですから、あいまいで未知なるものを含む「天然」よりも、むしろピュアなのです。ページ39 

 

科学合成物質=ピュアっていうのは斬新でいいですね。

 

(日焼け止めは)野外で過ごすなら2〜3時間毎が基本。肌に刷り込むのではなく、乗せるようにつけると、より効果的です。ちなみに、アメリカのFDAではSPF 15の日焼け止めを、氷にあたる15から30分前につけること、2時間ごとに塗り足すこと、そして水に入る場合はさらにこまめに塗ることを推奨しています。ページ50 

 

この著者はあれもいらない、これも不要と言いながらも、日焼け止めの重要性を訴えているので、太陽の光というのはよほど肌に悪いんですね。著者は専門家ですからね。

 

(顔のマッサージは)形成外科医の立場からすると、そうしたマッサージは残念ながら全くの逆効果。肌のたるみやくすみ、黒ずみを作る原因になってしまうからです。ページ52

 

 いらないものだけでなく、やらなくていいものも教えてくれるとは。時間や人生を取り戻せますね。

 

手でいくらを押し上げたり引っ張ったりしてみたところで、せっかく肌を支えてくれている繊維組織を壊すだけで肌へのメリットは無い ページ54 

 

やればやるほどよさそうで、やらない方が良いことって、世のなかにはたくさんありますよね。 

 

マッサージをお勧めできないもう一つの理由は、“肌は擦ると黒くなる“から。ページ55

 

もうマッサージは罪ですね。

 

ターンオーバーを助ける最も簡単な方法が「触らない」ことなのです。ページ56

 

触んな!!

 

古い角質を落とすと言うと、スクラブを思い浮かべる方もいるかもしれません。でもスクラブを使うことが肌に良い理由は1つもありません。ページ57 

 

もう二度とスクラブ入りの洗顔料は買いません。

 

肌を洗う際に大切なのは、できるだけこうした本来の生理機能を妨げずに正常に保つこと。つまり“洗いすぎない“と言うことなのです。ページ59

 

マッサージしないだけでなく、なるべく洗わない。

 

乾燥防ぐためにスチームを使うなら、肌に直接当てるのではなく、室内全体を加湿する方がお勧めです。ページ67 

 

あの電器屋に売っているスチーマーもいらないとは。この本一冊で、美容関係でどれだけ節約できるでしょうか。

 

静電気の刺激は実は肌の角質を傷つけます。(中略)また静電気が発生すると、ハウスダストなど微細な汚れが肌に付着しますが、それが毛穴に入ってしまうと、ニキビの原因にもなるのです。ページ67

 

太陽光はわかるが、静電気が肌の敵だとは。

 

木製の飼育箱生活するマウスは、金属やコンクリートの飼育箱で生活するマウスより生存率が高いと言う研究結果が出ています。ページ68

 

なんでだろ。湿度が一定とか?硬さとか?温度変化とか?

 

それに関する記事がありました。

木の箱、鉄の箱、コンクリートの箱。マウスが長生きするのはどれ?? | 三和建設のコンクリート住宅 blog

 

大切なのは熱伝導率のようです。ですから、コンクリや、金属でも、保温したり、熱伝導率が低いものを敷けば差がないようです。

 

肌に本来備わっている機能を活かすなら、シャンプーを使って頭を洗うのは実は週に2回でも充分。(中略)最初はちょっと辛いかもしれませんが、洗う回数を少しずつ減らして本来のサイクルを取り戻すと、髪も肌も自発的に美しさを保てるようになります。ページ83

 

これは実践するにはなかなか勇気が必要ですが、どうなんでしょうか。これが実践できればシャンプーやリンス代も浮きますね。

 

(ヒアルロン酸などで作った)保水膜が常に角質に触れているのは、常に濡れているのと同じ状態で生理的ではありませんから、角質層の構造が崩れ、皮膚から保湿因子が流出し自分の力で保湿ができなくなってしまいます。塗った直後は調子が良いですが、止めると肌が乾燥するため、常に塗り続けなければならない……と言う悪循環を招くのです。ページ91 

 

ヒアルロン酸乳液もいらないと。

 

コラーゲンを食べても体内でコラーゲンになるわけではありません。ページ95

 

これな。

 

コラーゲン生成に大いに役立つのが、ビタミンC。(中略)つまりコラーゲンを増やしたいなら、コラーゲンを食べるよりも、ビタミンCを摂取した方が、より効果的だと言えるでしょう。ページ95

 

ビタミンCは取れと。しかもできるだけ食べ物から。

 

(鉱物油について)石油から合成されると言うと、なぜか良くないイメージがつきまといますが、病院で肌の保湿用にワセリンやミネラルオイルが処方されるのは、生体にとって影響が限りなく少ないからに他なりません。鉱物油は、私たちの皮脂とは全く違う化学構造ですから、肌のバリア機能を破って体内に浸透することもありません。肌表面に膜を作り外部の刺激から肌を保護すると言う意味では、非常に安全性の高い油なのです。ページ97 

 

むしろ人間に近いモノ、動物由来のモノとかの方が危ないのかも。

 

スキンケア製品に使われる界面活性剤のほとんどは、「非イオン界面活性剤」に分類されるもので、非常に低刺激で毒性もなく、アイスクリームや乳飲料食品添加物としても使われているものです。ページ102

 

ええっ、アイスクリームとか、乳飲料に界面活性剤が入っているの?

 

洗剤以外にも界面活性剤が使われているの? - 石鹸百科

 

↑入ってた。

 

ビタミンCは体にとっても肌にとっても非常に大切な栄養素なのですが、たくさん摂取するほど効果が出るのかと言うと、そういうわけでもありません。ページ110 

 

何でも取り過ぎは良くない。

 

現場では、こうした外用剤としてのビタミンCがどのような影響を肌に与えるかを検証した科学論文はありません。ページ111

 

ビタミンCを塗っても効果があるというエビデンスはないということですね。

 

人由来のプラセンタ注射を過去に受けたことがある人は、献血ができない、と言うことです。具体的にはクロイツフェルト・ヤコブ病(=CJD)の伝播リスクがゼロでは無いからページ116

 

リスクが考えられているんだね。こわ。

 

現在使用されているプラセンタ注射薬の添付文書にも、「理論上、未知のウィルスや感染症のリスクがゼロとは言えないことから、患者に対して十分に説明してから投与するように」と書き添えられています。ページ117

 

そもそも、鉱物系のオイルを怖がる一方で、人由来の胎盤を注射するのは平気というのは、正直理解できない。

 

パラベンは最も低刺激で優れた防腐効果を持つ安全性の高い成分としてのエビデンスが取れています。ページ126

 

パラベンやメチルパラベンは、防腐剤として最も刺激がなく安全なものといえますから、悪者扱いする必要は無い ページ126

 

パラベン不使用」商品についてですが、パラベンが使われていないと言う事は、当然ながら他の防腐剤が配合されているはずです。そもそも化粧品としての販売許可を得るためには、「未開封で3年保存が可能」と言う条件をクリアする必要があります。ページ127 

 

セラミドは化粧品の成分が浸透しやすい角質層に存在していますから、スキンケアで補うことが可能 ページ131

 

セラミド配合の化粧品は効果があるようですね。でもセラミド配合はお高いらしいですよ。

 

 

シミに効くと言う化粧品も数々見られますが、本当のことを言うと、いちどできてしまったシミはそう簡単には消えません。ページ137 

 

美白化粧品に謳われる「美白」とは、“肌の色調変化を「予防」すること“と定義されています。ですから、美白化粧品でみるみる肌が白くなると言うなような事は、基本的には起こりえません。ページ138

 

美白化粧水と言ってもそんなもん。

 

何より大切なのは、これ以上シミを増やさないことです。そのためにすぐできて、効果が実証されているのが紫外線対策と、摩擦を防ぐこと。ページ139

 

日本人の場合、手のひらや足の裏などにほくろが出現した場合、メラノーマである可能性が高いと言われていますので、医師の診断を受ける方が良いでしょう。ページ140

 

あわてて自分と家族の手のひらと足の裏を確認してしまった。

 

化粧品は、実は複数使うほど狙った効果が出にくくなります。ページ142

 

たくさん使っているひといますよね。

 

お勧めするのは、美容液かクリームのいずれかいってんのみを使うケア。化粧水は原則必要ありません。ページ145

 

ニベアが一つあればいいのかも。

 

大切になってくるのが、2つの心得。1つは、できるだけ「触らない」こと(中略)もう一つ気をつけたいのが「洗いすぎない」こと。ページ147 

 

触らない。洗い過ぎない。

 

実は私自身、洗顔は週2回ほどしかしていません。ページ149

 

人によってはちょっと引くかもね。

 

(クレンジングの)一番効果的な使い方は、“こすらずに、ただのせて、しばらく待つ“。その後、石鹸をよく泡立ててで軽く洗い流します。ページ152 

 

ノーメイクだったり薄化粧の場合は、水かぬるま湯で洗うだけでオーケー。体も、目に見えて汚れていたり、体臭が気になる時だけ洗浄剤を使いましょう。普段はお湯で流す程度で充分です。ページ153

 

成分表示では、石鹸は「石鹸類」、ボディーソープは「全身洗浄料」と書かれています。肌への刺激を考えると、石鹸の方が断然オススメです。ページ154

 

うちでは石鹸の香りのボディーソープを使っていたので、液体の石鹸に切り替えようかと考えています。

 

 

 

石鹸の洗浄力を正しく発揮させるために大切なのは、しっかり泡立てること。ページ154

 

ボディーソープは界面活性剤としての効果が消えにくい(中略)その界面活性作用で肌のバリア機能を破り、肌表面を傷つけてしまう可能性があります。ページ155

 

化粧水を使うことのメリットはあまりないというのが正直なところです。ページ156

 

これで化粧水を買う必要がなくなった。SKなんとかなら5000円浮くね。

 

化粧水よりも油分が入ったクリームや美容液、オイルの方が肌に馴染むのはそのためです。ページ159

 

肌本来の機能を保ちながら美しく歳を重ねていくために、どうしても皆さんにやっていただきたいことがあります。それは“毎日必ず日焼け止めを塗ること“。ページ160

 

毎日欠かさずに、日焼け止めを塗ってください。ページ160

 

肌の為には化粧水もいらないが、日焼け止めは塗れってことですね。

 

果物なら、パイナップル、バナナ、キウイフルーツ、りんご、メロン、マンゴー。野菜では大根、人参、ニンニク、玉ねぎ、ほうれん草、アスパラ、ニラがオススメ。これらの食品には、強い抗酸化作用があることが測定によって明らかになっています。ページ166

 

何かを「やる」よりも、「やらない」方が、実はずっと効果的。ページ174 

 

市販のサプリメントは、有効成分よりも添加物の方が多く含まれている場合もあるので、少し注意が必要かもしれません。本当にその栄養素や成分の必要性を感じているなら、医師に相談して処方してもらう方が安心です。ページ185

 

サプリは有効成分より、添加物が問題なのかもね。

 

【まとめ】

 専門家の目から見るとスキンケアに、こんなにもいらないものがたくさんあるのかと、驚いた。

 化粧品業界が客に高値で売っていたのは、肌にいいモノではなく、肌によさそうな気分だったということがわかって、ちょっと幻滅。

 資本主義の悪い所が出たと言ったら話が大きすぎるだろうか。

 こすらない、洗い過ぎない、日焼け止めは塗る。ざっくりまとめるとこんな感じかな。勉強になりました。

 本の代金なんて、すぐに元が取れるほど、化粧品代が節約できる一冊です。

 

ラストベガス(2013)「よれよれの 爺さんたちが ラスベガス 酒と女と 続く友情」

よれよれの 爺さんたちが ラスベガス 酒と女と 続く友情

 

ラストベガス(吹替版)

 

 よれよれの爺さんたちが、ラスベガスへやってきてフィーバー、フィーバーするっていうお話。

 

 この爺さんたちが基本的に大人げない。まるでやっていることがガキなのだ。しかし、幸福であることと、大人でいることはイコールなのか。いつもではなくても、時に年甲斐もなく、ハメを外すことも必要なじゃないかと、思わせてくれる物語だった。

 

「つい、昨日までは17歳だったのに、いったい、いつの間にこんなジジイに?頭がついていかないんだ、体は年寄りでもな」(01:30)

 

 爺さんの一人がそう嘆く。若いうちにはわからなかったが、ある程度、年を取ると分かってくる。

 

 少年だった自分は今も変わらずここにいるのに、世間からはいいおっさんだと見られ、責任と世間が考える年齢にふさわしい分別ある行動ってヤツを求められ、体は年相応に言う事をきかない。

 

 爺さんのセリフに「ああ、心と世間と体との間に違和感を持っているのは、俺だけじゃないんだ」と、少しばかり救われた気がした。

 

 この作品の爺さん4人はとても豪華。『ゴッドファーザーpart2』に、『ミリオンダラー・ベイビー』『ワンダとダイヤと優しい奴ら』『ウォール街』、全員、アカデミー賞のトロフィーを持っている。(無くしてなければ)

 

 子供の頃、憧れて何度も観た『ウォール街』のゴードン・ゲッコー役だったマイケル・ダグラスが今でも変わらず、脂っこいジジイで嬉しかった。

 

 12月2日まで無料で観られるので気になった方は是非。

 

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立ち上がれ、世界のナマケモノたちよ(いや、まぁ座って話そうか)

 

 皆さんは世界人口の半数はナマケモノで形成されていることをご存じでしょうか?

 

 これは単純な理屈で、世界人口約78億人(2019年)をハタラキモノからナマケモノで一列に並べて、ちょうど半分に分けるとします。

 

 すると、ナマケモノ側の39億人は、平均以上のナマケモノということになるわけです。

 

 我々、ナマケモノの仲間たちが39億人もいると思うと心強いですね。

 

 さて、我々もこのナマケモノ寄りの39億人。我々はこれまでとてもひどい扱いを受けてきました。

 

 ハタラキモノたちが要職を占め、富を独占し、政策を立案実行し、ハタラキモノたちだけが、豊かで、幸福で、世界を支配する構造を作り上げてきたのです。

 

 どの政治家も口にするは決まった言葉「頑張るものが報われる社会へ」

 

 まぁ、この「頑張るものが報われる社会へ」というスローガンもいつまでたっても、実現できないので、いつまでたっても、スローガンであり続けているという悲しい現実ではあるのですが。

 

 実際は「幸運に恵まれ、とにかく結果を出したものが、暴力的に報われる社会」が存在し、富の不均衡がとてつもないことになっているわけですが。

 

 ここで我々が気づかなくてはならないのは、これ以上、世界をハタラキモノたちの好きなようにしていては、世界は幸福にはならないということです。

 

 ハタラキモノたちが動かしてきたこの世界は行き詰まっています。

 

 地球環境問題がその最たる例です。

 

 世界中の人が頑張って、広い家を買い、車を乗り回し、飛行機で旅行したら地球は人類が住めない環境になるということは、多くの科学者が言っていることです。

 

 さらには世界各国の軋轢もハタラキモノたちのなせる業です。どれだけの価値があるかもわからない小島、荒れ地を巡って未だに世界中で戦争の火種がくすぶっています。

 

 ハタラキモノたちは言います。競争こそが人類を発展させると。

 

 しかしテクノロジーが発展した今、世界中の国々がこのまま競争を続ければ、地球そのものが亡ぶことはもはや明確です。

 

 我々、ナマケモノは争いを好みません。戦って血を流して、小島を取ったり、荒れ地を占領するぐらいなら、帰って寝ます。

 

 もちろん、我々、ナマケモノたちも、暖かいねぐらを奪われることがあれば牙をむくでしょう。

 

 しかし、我々ナマケモノは余計な戦いを避ける知恵を持っています。それは必要以上を望まないということです。

 

 人類はすでに発展よりも持続を見据えていかなくていけない時代になったのです。つまり、怠けるべき時が来たのです。

 

 我々、ナマケモノは新しいスローガンを掲げます。

 

ナマケモノもそれなりに暮らしていける社会に」

 

 ハタラキモノは、我々、ナマケモノに世界の行く末を託すべきです。もはやハタラキモノのあなたたちではこの世界は立ち行かない。

 

 我々、ナマケモノは今まで投票もいかず、怠けてきた。

 

 そう我々ナマケモノには怠けるという悪い癖がある。だから、ここで一つ提案したい。投票しなかった一票をとっておけるようにはできないだろうか。

 

 たまたま投票に行かなかったというだけで、投票権を奪われるのはまったく不平等なこと。

 

 行使しなかった投票権は蓄積し、外国と戦争しようというメンドクサイことを言う政治家を落選させたり、「ナマケモノもそれなりに暮らしていける社会に」というスローガンを掲げる政治家が出てきたときにまとめてドカンと使えるようにして欲しいと思うのです。

 

 社会のシステムを変革し、ナマケモノの権利を意識して、守っていかなくてはなりません、

 

 とかく我々、ナマケモノはとかく怠けるので、ハタラキモノたちに権利を奪われがちです。

 

 放っておけば働けば働くほど良いという社会になっていくのは必然です。そして過労死、サービス残業ブラック企業が蔓延しました。

 

 さぁ、立ち上がれ、世界のナマケモノたちよ(いや、まぁ座って話そうか)

ホセ・ムヒカ氏を題材とした映画作品リスト

世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ(2018)

世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ(字幕版)

pepe-movie.com

 世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ 予告編

 

 

ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ(2020

jose-mujica.com

 ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ 予告編

 

12年の長い夜(Netflix映画)

www.netflix.com

 

 

記事スクラップ『ポストコロナの時代にも響く「世界でいちばん貧しい大統領」の言葉』

「すべてはあの孤独な年月のおかげだ。あの敵意に満ちた過酷な環境がなかったら、今の私たちは存在しない。こんな言い方は酷かもしれないが、人は好事や成功よりも苦痛や逆境から多くを学ぶものだ。我々の闘いは続く」(ホセ・ムヒカ)

 

 この一文は好々爺に見えるムヒカ氏が、軍事独裁政権と戦った活動家であった断面が表れる言葉だ。

 

 多くの活動家は独裁政権に勝利すれば、それで戦いを終える。場合によっては新たな独裁者として君臨することすらある。

 

 しかし、ムヒカ氏が特筆すべき稀有な存在だと言えるのは、独裁政権を倒して、新たな民主主義を打ち立てた後も、新たな敵を見出したことだ。

 

 それは「行き過ぎた資本主義」「強欲資本主義」という存在だ。

 

 それらはいつの間にか富を崇拝させ、人々の幸福を脇へ追いやってしまう。

 

 そしてそれらはとても戦いにくい相手だ。それは成果主義とか、自己責任とか、「努力した人が努力しただけ報われる社会」などという一見、批判しにくい姿して世界に君臨している。

 

 そして多くの人がそれを支持している。

 

 しかし、それがいまや欺瞞なのは明確だ。ビル・ゲイツは他人の1兆倍努力したわけではない。しかし1兆倍のお金を持っている。

 

 そして1兆倍、他の人より幸せという訳ではない。

 

 このホセ・ムヒカ氏が支持されるのは、戦いにくい存在である「行き過ぎた資本主義」との闘い方を身を持って示してくれるからだ。

 

 それは質素な暮らしであり、周りの人たちへの貢献であり、愛情である。

 

 それは「幸福」というものを軸に、生き方をもう一度とらえ直すという生き方で、お金持ちでなくても幸福でありうるということを実践し、示してくれている。

 

 それは「資本主義」「効率主義」に溺れ、自身の幸福を見失いがちな、僕らに指針を示してくれるのだ。

 

「僕らはもう十分に豊かだ。次は幸福について考えよう」と。

 

forbesjapan.com

 

5月31日まで延長された新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言だが、先月7日に出されてからは、映画館の休業が相次いでいた。全国展開する大手シネコンに歩調を合わせ、ほとんどの劇場が休館となり、公開中の作品は上映がストップ、公開が予定されていた作品も軒並み延期や中止となっている。

特定警戒都道府県以外の34県では、マスクの着用や座席間隔の確保などを条件に、徐々に劇場は再開されつつあるが、それでも新作の公開となると、映画人口が集中する13都道府県の劇場が営業を開始しない限りは、かなり難しいことも事実だ。

この困難な状況に、映画配給会社のなかには、公開途中で上映中止を余儀なくされた作品をネットによる配信に切り替えるという動きがある。

映画「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」も、そのひとつだ。3月27日の都内での公開を皮切りに、順次全国公開の予定だったが、すぐに多くの上映あるいは上映予定の映画館が休業に入り、公開が難しくなった。

しかし、南米ウルグアイの大統領時代から清貧を旨とし、自然と共生する暮らしを励行してきたホセ・ムヒカの姿を描いたこの作品は、人々が新しい生き方を模索しようとてしているこの時期だからこそ公開する価値があるのではないかと、映画配給会社が期間限定の配信に踏み切った。


(中央)ウルグアイ大統領時代のホセ・ムヒカ(C)CAPITAL INTELECTUAL S.A

反政府ゲリラから大統領に

「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」は、反政府ゲリラの闘士から国の最高指導者にまで選ばれることになった、ホセ・ムヒカの数奇な人生をたどったドキュメンタリー作品だ。

監督は、元ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェコビナ)出身のエミール・クストリッツァ。劇映画である「パパは、出張中!」(1985年)と「アンダーグランド」(1985年)で、2度のカンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールに輝いた世界的名匠だ。

映画は、ムヒカが、自宅の庭でそのクストリッツァ監督にマテ茶を勧めるシーンから始まる。ムヒカが入念に淹れ、自ら口をつけ味見をしたマテ茶をクストリッツァに渡す。一瞬、訝しげな表情を見せながらもマテ茶をすする監督。すると2人の表情が、同じ笑顔に染まっていく。

「もしもウルグアイが大国だったら、社会民主主義を生んだ国と呼ばれていただろう。1950年代までは、ラテンアメリカでは珍しい国と見なされ、南米のスイスと呼ばれた。だが以降、軍事政権が台頭、こうした歴史が我々活動家に影響を与えた」

タイトルに続いて、ムヒカのこのようなモノローグが始まる。バックにはウルグアイという国を襲った悲劇の歴史の映像が流れていく。軍事独裁政権のもとで投獄されるムヒカ。しかし、彼の次のような言葉が続く。

「すべてはあの孤独な年月のおかげだ。あの敵意に満ちた過酷な環境がなかったら、今の私たちは存在しない。こんな言い方は酷かもしれないが、人は好事や成功よりも苦痛や逆境から多くを学ぶものだ。我々の闘いは続く」

 

すると、一転、ムヒカの普段の生活に映像が切り替わる。30年来、大統領になってからも住み続ける農場のなかに建つ平屋の住宅。質素ではあるが緑に包まれた趣ある家の映像に、ムヒカの言葉が重なる。


「自然には心から感謝する。神のような存在だと感じている。この地球も、鉱物や水素を擁する宇宙も。だが私たちが触れられる命は限られている。私を満たす、愛すべき命はね」

その家のなかで目覚めるムヒカ。かつて彼とともに反政府運動を闘い、いまも政治活動を続ける夫人は先に出かけていくが、やおら起き出し、ゆったりと着替えをする映像には、次のような言葉が加わる。

「シャワーを浴び、ヒゲを剃り、スーツを着る。大統領になった日に着たのと同じ服だ。クリーニングに出せば、新品と変わらない」

どんなときもネクタイをしない大統領

ホセ・ムヒカを世界的に有名にしたのは、2012年にブラジルのリオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議」だ。彼はそこでのスピーチで、消費至上主義が環境危機を引き起こしているとし、経済の発展が必ずしも人類の幸福に結びついていないと憂い、より良い未来に向けて行動を起こしていかなければいけないと訴えた。

このスピーチが、瞬く間に世界へと広がり、ノーベル平和賞の候補にもなった。また、収入のほとんどを寄付に当て、大統領職の傍ら農業に勤しむという質素な生活ぶりから、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれるようにもなった。

クストリッツァ監督は、そのムヒカの軌跡と現在の生活を、冒頭の約5分間で手際よく語っていく。このあたり社会的視点を持ちつつも、斬新な映像でこれまで作品をつくり続けてきた監督の面目躍如たるところだ。

そして、作品は、国民によって圧倒的な祝福が捧げられる大統領退任の日に時間軸を置きながら、反政府ゲリラのリーダーとして闘った日々からこの日までのムヒカの軌跡を、関係者の証言を交えながら、詳細に描いていく。

かつてムヒカたち政治犯が収監されていた刑務所跡を訪れるシーンは印象的だ。いまは建物がすっかりリニューアルされ、ブランド店も入るショッピングセンターに入っていくと、ムヒカは人々から歓迎を受け、スマホのカメラが一斉に向けられる。そこでムヒカは言う。

「革新は時には害になる。例えば携帯電話にカメラを付けるというアイデア。おかげでいつも足止めを食わされる。撮影が終わるまで、ずっとその場でね。携帯電話は人の創造力を刺激し、色んな機能が付けられた。私も年を取り、前立腺に問題を抱えている。携帯電話にトイレを付けてほしい」

 

物質文明に対する鋭い言葉を放ちながら、ジョークも交えるムヒカは、いつもフランクで、自らを飾ることはない。例えば、ウルグアイ大統領として式典に出席するときも、ローマ教皇オバマ大統領に会うときも、ムヒカはネクタイをすることはない。

大統領退任の日も、トレードマークでもある青い小さな旧式のフォルクスワーゲンに乗って式典会場へと向かう。その先々で人々の熱い感謝の言葉が、彼に対して降り注ぐ。このシーンも、彼の庶民的で、誰にでも笑顔で接する人懐っこさを表していて、印象深い。

 

また、ムヒカが反政府ゲリラとして闘った日々もリアルに振り返られている。かつて彼らが襲撃した銀行の前にムヒカが立ち、当時使用していた拳銃や自らが受けた銃弾の話などをするシーンは、この作品を単なる柔なヒューマンストーリーでは終わらせないという監督の深い演出意図も感じさせる。

クストリッツァ監督は、このドキュメンタリーを撮ろうとした理由を次のように語る。

「誰かに、トラクターを運転する大統領がいると教えられた。その姿を見て、次はこの映画を撮ると決めた。世界中で、彼だけが、腐敗していない唯一の政治家だと思ったのだ。『大多数に選ばれた者は、上流階級のようにではなく、大多数の人たちと同じように暮らさなければいけない』という彼の考え方にも動かされた」


左:エミール・クストリッツァ監督、右:ホセ・ムヒカ(C)CAPITAL INTELECTUAL S.A

確かに、作品中には、ムヒカの含蓄のある言葉や激動の人生のなかで培ってきた彼の確固とした考え方が散りばめられている。

「人類に必要なのは、命を愛するための投資だ。全人類のためになる活動は山ほどある。パタゴニアを人が住めるようにする。アタカマ砂漠に木を植えて、世界一乾いた砂漠の気候を変える。それは人間にもできる。金を貯め込んだり、高価な車を生産したりする代わりに」

全世界にも及ぶ、新型コロナウイルスの感染拡大とともに、隆盛を究めていたグローバル経済にストップがかかり、世界は新しいフェイズに入ったとも言われる。そのなかで、ホセ・ムヒカの生き方や考え方は、大きなヒントを私たちに与えてくれる。特に、この作品の終盤で語られ次のようなムヒカの発言は、心に響く。

「文化が変わらなければ、真の変化は起こらない。かつて我々は信じていた。社会主義はすぐに訪れるだろうと。だが、時を経るにつれ、思っていたよりはるかに難しいと悟った。文化的な問題を改善することは、物質的な問題より重要だ。資本主義をオモチャにしている人間とそれ以外の人間がいる。私のようなそれ以外の者は、資本主義では解決しない別の道を積極的に探さねばと、できることを模索している」

もちろん、この作品は新型コロナがこの世界に登場する前に撮られている。しかし、作品中で語られるムヒカの言葉は、ポスト・コロナの時代にも、実に有効なものとして、私たちには考えられるのではないだろうか。

*「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」◎配信期間:5月8日(金)〜9月1日(火)配信プラットフォーム:TSUTAYA、RakutenTV、ひかりTVGYAO!ストア、DMM動画、ビデオマーケット、COCORO VIDEO、music.jp

 

「泣いたのは初めてです…」“世界一貧しい大統領”ホセ・ムヒカ85歳の言葉に日本人通訳が嗚咽した日

この『「泣いたのは初めてです…」“世界一貧しい大統領”ホセ・ムヒカ85歳の言葉に日本人通訳が嗚咽した日』という記事は最後まで読むと分かる通り、すがすがしいぐらいに週刊文春の紙面の宣伝だ。

 

 その答えは、「文藝春秋digital」に掲載されている「 日本人への警告 」を読んで、ぜひ知ってほしい。

 

 なにせ、この一文で終わるのだ。

 

 だからと言ってこの記事に価値が無いわけではない。もちろん、ムカッとしたが。

 

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」(ホセ・ムヒカ)

 

「私たちは非常に多くの矛盾をはらんだ時代に生きている。こういう時代にあって、自らに問わなければならないのは“私たちは幸せに生きているのか”ということだ。経済の進歩は、一面で非常にすばらしい効果をもたらした。150年前に比べれば、寿命は40年延びた。その一方で、私たちは軍事費に毎分200万ドルを使っている。また、人類の富の半分を100人ほどの富裕層が持っている。私たちはこうした富の不均衡を生み出す社会を作ってしまった」(ホセ・ムヒカ)

 

 ムヒカ氏の言いたいことは、一貫して、富=幸福ではないということ。そして、資本主義に流されずに個々の幸福を追求すべきということ。

 

 ぼくらは資本主義に流されて幸せを忘れてくることが多すぎるのだ。だから、ホセ・ムヒカ氏の言葉は僕らに刺さるのだ。

 

bunshun.jp

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

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 2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連の「持続可能な開発会議」(以下リオ会議)。世界の首脳・閣僚が参加し、自然と調和した人間社会の発展や貧困問題が話し合われたが、演壇に立った南米のある大統領のスピーチが、世界中の感動を呼んだ。8分間の熱弁が終わると、静まり返っていた会場は沸き立ち、聴衆の拍手は鳴り止むことはなかった。

 ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏(85)は、この演説をきっかけに一躍時の人となり、質素な暮らしぶりでも注目された。大統領公邸には住まず、首都郊外の古びた平屋に妻のルシア・トポランスキ上院議員と二人暮らし。古い愛車をみずから運転し、庶民と変わらない生活、気取らない生き方を貫いた。そしていつしか尊敬を込めて、「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれるように。国のトップになっても給与のほとんどを寄付していたことでも知られるムヒカ氏が、2020年10月20日上院議員を辞職した。2015年に大統領職を退任後、上院議員として活動していたが、この日、高齢と持病を理由に引退を表明したのである。

 ムヒカ氏は議会で「慢性的な免疫疾患があり、新型コロナウィルスの流行で私自身の健康が脅かされている、それが直接的な引退の原因だ。議員の仕事は人と話し、どこへでも足を運ぶこと。しかし感染の恐れでそれもできなくなった」と説明。「政治を捨てるわけではないが、第一線からは去る」と述べ、さらに後進に、「人生の成功とは、勝つことではなく、転ぶたびに立ち上がり、また進むことだ」とメッセージを送ったのである。

 2015年の夏。文藝春秋の大松芳男編集長(当時)と打ち合わせをしていたときに、ムヒカ氏の名前があがった。2014年末にジャーナリストとして独立した私は、以前から行きたかったブラジル、アルゼンチンなどの南アメリカ諸国へ旅立った。約2か月間ひとり旅を続け、帰国してから、その体験をもとに東京スポーツで「南米放浪記」という記事を書いていた。地球の反対側にある南米は日本人にとって異世界で、スペイン語ポルトガル語しか通じない。快適とはいえない旅だったが、南米の風土、気質を存分に味わえた。そして私のテーマは日本人移民の足跡をたどることだった。

 その内容を面白がってくれた大松氏が、「竜太郎さんは南米に詳しいから、ムヒカ大統領のインタビューやろう」と提案してくれたのだ。だが、お恥ずかしい話、そのときまで彼のことは知らず、リオ会議のスピーチをもとにした絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)が15万部超のベストセラーとなっていることをあとで知った。私はウルグアイ在住の人にかけあい、自力で大統領官邸にオファーを続けた。しかし返答がなく、途方に暮れていたところ、2016年に吉報が舞い込んできた。『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』(角川文庫)の刊行に合わせ、初来日が実現したのだ。そして4月6日、角川書店の会議室でインタビューできることになったのである。

 

“清貧の思想”を持つ好々爺は、長年ゲリラの闘士だった
 本名ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ。1935年5月21日、スペイン系の父とイタリア系の母の間に、ウルグアイの首都モンテビデオで生まれた。7歳のときに父親が亡くなり、家庭は貧しかった。モンテビデオ大学を卒業後は家畜の世話や花売りで生計を立てながら、1960年代に社会運動に目覚め、極左武装組織ツパマロスに加入。ゲリラ活動中には6発の銃弾を受け、4度の逮捕を経験。軍事政権下、最後の逮捕では、13年間獄中生活を送ったという。恩赦で出所後、左派政治団体を結成し、1994年に下院選挙で初当選し、2010年大統領に就任した。

 いったいどんな人物なのか。彼にまつわるあらゆる書物や記事、映像資料を見て、インタビューに備えた。“清貧の思想”を持つ好々爺。そんなイメージを得たが、一方で気になったのは、長年ゲリラの闘士だったこと。写真で見る穏やかな表情の裏に、どんな人生があったのか、とても気になった。

 私は、ムヒカ氏の到着を待った。日本人論を聞こうとか、日本人移民との交流を深く聞こうとか、質問は山ほどあるにせよ、限られた時間内で収めなければならない。片道30時間以上の長旅のうえ、ご本人が高齢のため体力的な負担をかけるわけにはいかない。スペイン語の通訳を介してのインタビューになるので、通常の倍時間がかかる。そんなことを心配しながらいると、ムヒカ氏が登場した。ゲリラ活動をともに戦った同志で、ムヒカ氏をずっと支えてきたルシア夫人と2人の男性ジャーナリストも随行。大テーブルをはさんで、目の前にムヒカ氏と通訳の日本人女性。私は旅行で習ったスペイン語で挨拶し、手前に座った。

 背丈は日本人と変わらず、貫禄のある体格。ムヒカ氏はテーブルの上で手を組み、チャーミングに微笑んで「お好きな質問をどうぞ」と切り出した。質問をするたびうなずいて、ゆっくりおだやかな口調で語った。大事なところでは、まっすぐに私の目を見つめ、「自分が言いたいことは、これなんだ」という強い意思がはっきりと伝わった。

 質素な暮らしの理由、日本人から学ぶべきこと、世界を支配する強欲資本主義、チェ・ゲバラからの影響、そして老人の孤独死にいたるまで話は及んだ。驚いたのはムヒカ氏が日本の「明治維新」に興味を持ち、学んでいたことだった。当初は少し緊張していたふうに見えたムヒカ氏だったが、持論を語るにつれ、次第に言葉が熱を帯びてきた。 

 

「私たちは非常に多くの矛盾をはらんだ時代に生きている。こういう時代にあって、自らに問わなければならないのは“私たちは幸せに生きているのか”ということだ。経済の進歩は、一面で非常にすばらしい効果をもたらした。150年前に比べれば、寿命は40年延びた。その一方で、私たちは軍事費に毎分200万ドルを使っている。また、人類の富の半分を100人ほどの富裕層が持っている。私たちはこうした富の不均衡を生み出す社会を作ってしまった」

 ムヒカ氏の顔には深いしわが刻まれ、それは人間の年輪のよう。柔和な風貌なのに、岩のような厳しい表情が見え隠れする。この人は本物だ、と確信した。

通訳の女性は「泣いてしまったのは初めてです、すみません……」
 時間がなくなり、最後の質問で、私は「ムヒカさんがこれまでで一番幸せだなと感じたことはなんでしょうか」と訊ねた。ムヒカ氏は組んでいた手を一瞬ギュッとして、考えをめぐらせた。

 私はかたわらで静かに見守っているルシア夫人を見て、きっと「妻と出会えたこと」ではないか、ロマンチックな回答を内心期待した。著書にも「ルシアは私の人生を変えた」「二人の間に子どもは欲しかったけれど、授かりやすい時代を刑務所で過ごしたから、それは仕方がなかった」とあったからだ。

 静かに語るムヒカ氏の言葉を拾った通訳の女性が、突然、天を見上げて嗚咽を漏らし始めた。「本当に、すみません、私、長いこと通訳の仕事をしていますけど、こうして泣いてしまったのは初めてです、すみません……」

 いったい何があったのか。その光景に驚きながら、彼女の通訳を待った。

 そして、完全に打ちのめされた。思わず言葉を失った私を、ムヒカ氏は「大丈夫だ。頑張って」と、握手して引き取ってくれた。ざらりとした太い指とぬくもりのある手のひら。包み込むようなあの感触は忘れない。彼の生き様に触れたような気がした。

 その答えは、「文藝春秋digital」に掲載されている「 日本人への警告 」を読んで、ぜひ知ってほしい。

中村 竜太郎/文藝春秋 2016年6月号