“世界一貧しい“大統領・ムヒカ元大統領に「恋した女子大学生」…彼女が「日本人に伝えたいメッセージ」

日本は確かに裕福な国だ。ただ、絶望的に働く人が多い。競争心にあおられ、若者は試験に落第し、自殺することもある。日本人は国の発展のためではなく、自分の幸せのためにもたたかわなければいけないね(ホセ・ムヒカ “世界一貧しい“大統領・ムヒカ元大統領に「恋した女子大学生」…彼女が「日本人に伝えたいメッセージ」より)

 

 この記事にあったムヒカ氏のこの言葉は日本人が今一度立ち止まって考えるべき事柄を的確に指示していると思う。

 

 それは個人の単位では、選択肢が表れた時、損か、得か、それで収入は増えるのか、減るかでものごとを推し量る。

 

 そうではなく、この選択で、わたしは、わたしの家族は、わたしの愛する人は幸福になるだろうか?と自分に問いかけるべきなのではないだろうか?

 

 単身赴任をすれば、収入は守られる。しかし、家族はバラバラだ。それで家族は幸福になるだろうか?

 

 高級車を買う。しかし、ローンを払うために意識的に残業を増やさなくちゃいけない。

 

 買った瞬間、もしかしたら、買ってから一か月は幸福を感じるかもしれない。しかし、わたしは、わたしの家族は、これからローンを払い続ける5年後も、10年後も幸せだろうか?、と。

 

 わたしたちは知っている。どんな贅沢も、続けはあっという間に日常になる。

 

 政府という大きな単位でも考えてみよう。

 

 東京オリンピックを強行することは国民を幸福にするだろうか?

 

 リニア新幹線で東京→大阪がいくらか早くいけるようになって、国民は幸福度はどれだけ上がるだろうか?

 

 東京オリンピックをやれば景気が回復する、リニア新幹線で利便性があがる、と経済、利便性だけを考える政治家ばかりでないだろうか?

 

「経済こそが人々の幸福に繋がっている」というのが、経済拡大至上主義者たちの決まった言い訳だ。

 

 しかし、そんなのは高度成長期で終わった。景気が拡大したバブル期は金に酔いしれてはしゃぐ人たちも多かったが、同時に庶民は家を買えないと嘆いていた。

 

 そして、バブル享楽のツケはその後、失われた20年と言われる苦しい時代を招いた。ローンで高級車を買った個人と大して変わらない。

 

 それでも、政治家は経済の拡大しか言わない。そして、国民も政治家にそれを求める。

 

 それは違うのではないかと、ホセ・ムヒカ氏は我々に問いかけているのではないだろうか。

 

 

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ウルグアイホセ・ムヒカ元大統領、質素な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」として親しまれ、「幸せとは何か」を世界に問いかけた人です。

そのムヒカに惹かれ、単身ウルグアイ会いに行った女子大学生が京都にいます。

彼女が、ムヒカ元大統領から託された、日本人へのメッセージとは?

“世界一貧しい大統領”私が恋したワケ 京都の女子大生会いに行く

「素晴らしい人生とは、生きる理由をもっていること―」

世界一貧しい大統領から、直接受け取った言葉です。

京都市内で、ある大学生が開いた展示会。
ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカの言葉の数々が紹介されています。


この展示会を開いたのは、立命館大学に通う岩本心さん(22)です。

【大学生・岩本心さん】
「今の自分の幸せや豊かさについて、変えろというわけではなくて、見つめ直すきっかけになれば。自分の人生において一番大事なものを再確認することが出来たらなと思います」


心さんはなぜ、ムヒカに惹かれたのでしょうか。

“世界一貧しい大統領”ホセムヒカ元大統領が問いかけた「本当の幸せ」とは

2010年から5年間、ウルグアイの大統領を務めたホセ・ムヒカ

在任中、大統領公邸に住むことを拒み、小さな農場で質素な暮らしを続けました。
収入の大半を寄付していた彼は人々から敬意をこめて、「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれています。

その名が世界に知られるようになったのは、2012年。
経済発展と環境保護の両立を考える国連会議でのスピーチでした。

ウルグアイ ホセ・ムヒカ大統領(当時)】
「きょうの午後からずっと私たちは、持続可能な発展と膨大な数の貧困者対策を話し合ってきました。しかし、私たちの頭をよぎるのは何でしょうか。現在の裕福な国々の発展と消費モデルでしょうか。人類はいま自分たちの欲望を支配できていない。逆に人類の方がその力に支配されているのです」

世界中で翻訳され、絵本にもなったこのスピーチ。

ホセ・ムヒカ大統領(当時)】
「もしも、インドの人たちがドイツの家庭と同じように車を持てば、この地球はどうなるのか。息をするための酸素は残されるのか」

「水不足や環境の悪化が今ある危機の原因ではない。本当の原因は私たちが目指してきた幸せの中身にあるんだ」

ムヒカは「人間の幸せ」について問いかけたのです。

ウルグアイ ホセ・ムヒカ大統領(当時)】
「我々は発展するために生まれてきたのではありません。幸せになるために、この地球に生まれてきたのです。(賢人たちは)『貧しい人は少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっといくらあっても満足しない人のことだ』と。発展は人類の幸せ、愛、子育て、友達をもつこと、そして必要最低限のもので満足するためのものなのです」

“世界一貧しい大統領”に恋した女子大生 「本当の幸せ」って何?

日本人の父と日系メキシコ人の母との間に生まれた心さん。
1人暮らしの生活費はすべてアルバイトで稼いでいます。

8歳の頃、両親の離婚をきっかけに生まれ育ったメキシコを離れ、愛媛県で農家を営む父親のもと、4人の兄弟と一緒に育ちました。

「懐かしい」

実家の家計が苦しく、朝も夜も新聞配達をして学費も稼いだこともありました。
ここは彼女がつらい時に来ていた場所。


【心さん】
「ぼーっとしてリフレッシュして帰ってました。本当にしんどかったときは大学を辞めちゃおうかと考えたときがあって。30分とか1時間くらい、新聞配達所のおじちゃんが心配して迎えに来るまで、ここにいたこともありました」

「本当の幸せ」とは何か―?
ムヒカのスピーチを知ったのは就職活動について考えていたとき。


【心さん】
「ムヒカさんのリオでされたスピーチを聞いたときに、本当に自分が行きたい職種に進むほうが、大手企業にいくよりも自分にとって価値がある就活なのかなと思いましたし、競争社会の中で自分は勝者になるために生きてきている感覚があったことも見つめ直しました」

ムヒカの言葉をきっかけにもっと世界を知りたいと思うようになりました。

原発事故があったチェルノブイリ、フィリピンのスラム街など。

リュック1つで、世界を巡りました。


そして…

【心さん】
「私は…。あなたの考え方を尊敬しています。とても尊敬しています。だから…。あなたに質問があります。いま質問してもいいですか?」

なんと、ムヒカに直接会うことが出来たのです。


【心さん】
「大統領時代の夢は?」

【ムヒカ】
「そうだね‥貧乏人の数を減らすこと。そして生まれたときからみんなが同じ権利を有する社会を作ること。でもこれは最も難しいことかもしれないね」


【ムヒカ】
「人間はそれぞれ違うんだ、寝るベッドも違うよね。ある人はチャンスが多い、でもある人は何もない。難しいよ」


突然の訪問にもかかわらず、丁寧に答えるムヒカ。心さんは、こんな質問をしました。

『日本人についてどう思いますか?』

ムヒカは「日本は確かに裕福な国だ。ただ、絶望的に働く人が多い。競争心にあおられ、若者は試験に落第し、自殺することもある。日本人は国の発展のためではなく、自分の幸せのためにもたたかわなければいけないね」と答えました。

そして大学生の心さんに対して…

【心さん】
「『学校っていうのは、勉強するだけの場所じゃなくて生きる理由を見つける場所だ』とお言っていて、すごく考えさせられました」

心さんはいま、大学4年生。国連で働くという夢ができました。

【心さん】
「いまのほうがすごい楽だなと思います。自分のしたいことをはっきりもってそれに向かって自分のペースで頑張っているほうが自分らしいなと思います」


素晴らしい人生とは、生きる理由をもっていること―。この言葉を胸に彼女は生きています。

企画展示「世界一貧しい大統領から学ぶ“本当の豊かさ”」も10月28日まで、立命館大学の国際平和ミュージアム行われています。

 

ドキュメンタリー映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」田部井監督インタビュー

 この記事で一番痺れたのは他でもない。この一文。

 

『君が何かを買うとき、お金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間で買っているのだ』

 

 やはりムヒカ氏の言葉だ。

 

 我々はモノを買う。時に生きるために、時に他の人よりも優位であるために、時に瞬間の買い物の快感を味わうために。

 

 生きるために買い物する。これほどありがたいことはない。他の誰かが、僕の為に米を栽培してくれ、パンを焼いてくれる。そして温かい服を作ってくれて、水道とガスを供給してくれる。

 

 資本主義バンザイだ。

 

 その一方で、他の人よりも優れていることを魅せるための買い物がある。ブランドバック、高級車、豪邸。

 

 人より優れていると思ってもらうための買い物なんてしない。という人でも、人並みであるために、恥ずかしくないバック、恥ずかしくないファッション、恥ずかしくないランクの車を買ったりしている。

 

 自分の親世代、祖父母世代にはその傾向が強い。他の親戚に見劣りしないこと、近所で見劣りしないことにこだわって、大切なお金を使ってしまう。

 

 この競争はぼくが見るに本当に悲しく思える。人生を切り売りしてまで参加するゲームではない。

 

 そんなものではなく、本当に自分が欲するものにお金を使って欲しい。

 

 だが、世間という魔物はそれを許さないらしく、今日も見劣りしないようにとお互いを横目で見ながら買い物をしている。

 

 資本主義に必要以上に人生を切り売りしないためには、このラットレースから抜け出すには、「ぼくは貧しい、だからどうした?と言える勇気」が必要なのかも知れない。

 

news.yahoo.co.jp

 2010年3月から15年2月末までウルグアイの大統領を務め、“世界一貧しい大統領”として日本でも話題になった、ホセ・ムヒカ氏(85)の姿を追ったドキュメンタリー映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」(20年)が、現在公開中だ。「世の中は変わっても、ムヒカの言葉は時代の変化に耐えうる強さがあると思います」。そう力強く語るのは、ウルグアイに5回訪れ、自身の子どもに「ほせ」と名付けるほどムヒカ氏にほれ込んだ同映画の監督で、フジテレビ社員の田部井一真(かずま)さん(37)だ。【西田佐保子】

 ◇ムヒカの多面性を伝えたかった

 「私たちは発展するためにこの世に生まれたのではありません。幸せになるために生まれてきたのです」。12年6月にブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連会議におけるムヒカ大統領(当時)のスピーチ動画を見て、「南米にこのような素晴らしい大統領がいるのか」と感服したと話す田部井さんが、当時担当していた情報番組「Mr.サンデー」のためウルグアイで退任直前の大統領を取材することになったのは15年2月だった。その模様を収録した放送が話題を呼び、16年4月にムヒカ氏と妻のルシア・トポランスキーさんが初来日した際、2人の姿を追う特別番組が放映された。

 しかし、田部井さんは「本当に悔しかった」と当時を振り返る。「実際にムヒカに会ってみると、“世界一貧しい大統領”というキャッチコピーに収まりきらない、さまざまな顔があります。特に日本だとチャーミングな笑顔が取り上げられますが、実は、頑固で厳しい表情をされることが多いんです。そんな彼の多面性を番組では伝えられませんでした」

 「ブームで終わらせず、彼の姿を残したい」。帰国するムヒカ氏を空港まで見送りに行ったその日に、ドキュメンタリー映画を撮ることを決意した。しかし、エミール・クストリッツァ監督のドキュメンタリー「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」(18年)をはじめ、これまでにムヒカ氏を題材にした映画は、数多く撮られてきた。

 自分に何ができるか――。そのヒントは「菊」にあった。初対面の田部井さんにムヒカ氏は「日本にはとても感謝しています」と語った。後に、7歳の時に父を亡くしたムヒカ氏が家計を支えるため、ウルグアイに移住してきた日本人からが花卉(かき)栽培を教わったこと、今も自分の農園で花を育て続けていることを知る。そこに、田部井さんと父との思い出の花である「菊」も栽培されていた。

 「『日本とムヒカ』を切り口にしたドキュメンタリー映画を作ろう」。そう心に決めた。「人生で一番大切なことは、歩むことだ。転んでも立ち上がり、再び歩むんだ」。そんなムヒカ氏の言葉を胸に、再びウルグアイに飛んだ。テレビ局での通常業務をこなしながら、ムヒカ氏やムヒカ氏と交流のあった日本人へのインタビューを重ね、来日時に撮りためていた映像とともに映画を完成させた。

 ◇「私」を主語にして、ムヒカの言葉について考えほしい

 16年に来日したムヒカ氏は、広島、長崎、沖縄に行くことを強く希望したという。結局、滞在時間の関係もあり、訪れたのは広島だけとなった。「ムヒカは足が悪いので移動用の車を用意しましたが、『自分の足で歩きたい』と言って、原爆ドームから広島平和記念資料館まで歩きました。言葉を発することはなく、始終険しい表情でした」と田部井さん。

 もう一つ、ムヒカ氏が望んだことがある。それは、日本の若者との対話だった。映画には、東京外国語大学で学生を前に講演会を行い、質疑応答の場面で「不満を持っているだけでなく闘いなさい」と訴える映像がある。時に涙を流し、真剣な表情で耳を傾ける学生たちの姿をカメラが捉える。

 「ぜひ、若い人に見てもらいたいですね。『ムヒカ、いいこと言ってるね』ではなく、自分はどうなのか、『私』を主語にして、その言葉について考えてもらえれば、映画を作ったかいがあります」

 最後に、一番印象に残っているムヒカ氏の言葉は何かと田部井さんに聞くと、「毎日変わってくるんですよね」と悩みつつ、「『君が何かを買うとき、お金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間で買っているのだ』ですね」と答えた。

 「田部井さんがそうおっしゃられても『本当かな?』と疑ってしまいますね」と返すと、「確かに、この作品を撮っていた時にはその言葉を無視して、働いて、働いて、でもそうしないと完成できませんでした。どうしても撮りたいという意思が強かったので。はい、ごめんなさい。説得力がなくて」と笑った。

…………………………

 ◇たべい・かずま

 1983年9月9日千葉県生まれ。早稲田大学卒業。07年フジテレビ入社、情報番組・ドキュメンタリー番組のディレクターを務める。14年女性の貧困を追った「刹那を生きる女たち 最後のセーフティネット」で、第23回FNSドキュメンタリー大賞を受賞。20年「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」でドキュメンタリー映画を初監督。

 ◇上映情報

【ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ】

 シネスイッチ銀座(東京都千代田区)、渋谷・ユーロスペース(東京都渋谷区)などで公開中、ほか全国順次公開

公式ウェブサイト :https://jose-mujica.com/

 

「世界一貧しい大統領」がいたウルグアイ、大統領専用機を売却

 この記事を読むと当然の事に気づかされる。

 

 世界一貧しい大統領を産んだのはウルグアイ国民の叡智なのだと。

 

 我々日本人は時折、他国の政治家を羨ましがる。台湾で新型コロナ対策にITを活用し活躍したオードリー・タン氏、そしてこの世界一貧しい大統領と称されるホセ・ムヒカ氏など。

 

 しかし、他人ごとではない。指導者を指導者たらしめているのは民主国家においては国民の支持なのだ。

 

 我々日本人は年若く、性別的にニュートラルであるとするオードリー・タン氏のような人物を新型コロナ禍の未曾有の危機の中、国の中枢に置いて舵取りを任せる気概があっただろうか。

 

 ホセ・ムヒカ氏のような経済発展至上主義を否定する人物を国の中心に据えるような勇気があっただろうか。

 

 恐らくないだろう。その点において、日本にいる政治家が劣っているのではなく、我々日本人が、我々一人ひとりの日本人が、台湾の人々、ウルグアイの人々に遠く及ばないということなのだ。

 

 日本の地方自治体の公用車問題と、このウルグアイの大統領専用機売却のニュースを読んでそう思うのだ。

 

 日本にいる呆れかえるような政治家たち。これが我々日本人一人ひとりの政治に対する態度の表れなのだ。

 

 あいつらを支持し、支えているのは誰でもない。僕であり、この記事を読んでいるあなたなのだ。

 

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 南米ウルグアイ、人口僅か370万人であるが、国土は日本のほぼ半分の面積。この国で2010年から2015年まで大統領を務めたホセ・ムヒカが今月20日上院議員を辞任して政治の世界から引退したことは日本でも報じられた。アルゼンチンとは兄弟国のような国であるが、アルゼンチンが無駄使いの目立つ国であるのに対し、ウルグアイは倹約を信条とする国としてよく知られている。

 その倹約振りを表明するかのように、その翌日21日には大統領専用機が売却された。機種はホーカーHS125-700A、8人乗りで4時間半の飛行が可能。現大統領のルイス・アルベルト・ラカリェがそのような維持費だけでも無駄使いの専用機など必要ないとしてその売却を決めたものだ。

ムヒカ元大統領は外遊時もエコノミー
 ムヒカ元大統領も専用機の購入には反対で、最も貧しい大統領だった時は「ウルグアイに専用機は必要ない」という主張を繰り返して国内を移動する時は良く軍隊のヘリコプターを利用していた。夜の移動の場合は道路事情が良くないので飛行機をチャーターする場合もあったという。それが重なると経費も高くつくようになっていた。それでも大統領の時のムヒカはできる範囲で経費の節約に調整して行ったそうだ。

 外国を訪問する場合も彼は高齢ではあるが、エコノミーのフライトを探していた。時に、外国の指導者が飛行機を手配してくれていたそうだ。故人となったベネズエラのウーゴ・チャベス前大統領は彼をピックアップするのに何度もチャベスの専用飛行機をウルグアイに行かせたそうだ。ブラジルの場合も同様で、ジルマ・ルセフ元大統領そしてアルゼンチン元大統領で現副大統領のクリスチーナ・フェルナデスも彼をピックアップするのに専用機を彼のもとに送ったという。

 我の強いクリスチーナ・フェルナデスと2013年に嫌悪な関係にあった時、ムヒカは彼女に立腹して彼女を指して「あの婆は(ネストル・キルチネール元大統領よりも)ひどい奴だ。(ネストルを指して)あのひどい奴は(彼女を指して)このひどい奴よりもっと政治家だった」と記者会見が終わった後、私的にそれを口にしたという(※ネストルとクリスチーナは夫婦)。

 ムヒカのこの陰口は、彼女に伝わっていたようで、チャベスが南米諸国連合の会議をチリの首都リマで急遽することになった時に、ムヒカにはリマまで行ける便がないということを知っていたフェルナンデスは彼女の専用機タンゴ01を手配してムヒカをリマに送った。その時、彼女が言ったのは「その通り、私はひどい奴でしかも婆だ。それでも爺を(リマまで)連れて行けるというのは幸運だ」とリマを訪問した後に語ったそうだ。(参照:「El Pais」)
 当時の南米は反米左派政権の国が多くあった。ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイボリビアエクアドルといった国々だ。

 

大統領専用機を買ったムヒカの次のバスケス前大統領
 本題のウルグアイの大統領専用機の話に戻ろう。
 この専用機の購入には会計監査院も反対していたが、最終的にそれをウルグアイメルセデスベンツのディーラカルロス・ブスティンから101万ドルで購入された。購入したのはムヒカの次に大統領に就任したタバレ・バスケス前大統領だった。ムヒカとバスケスウルグアイにとっては新しい政党拡大戦線に属している議員で、ムヒカの前の2005年から2010年にも大統領を務めたバスケスは、その当時から専用機の購入を望んでいた。ところが、倹約を信条とするウルグアイでは議員の間でもそれに反対する声が多かったのだ。

 バスケスはゲリラ出身のムヒカと違い、彼は元医師でウルグアイを国際的にもっと世界で知ってもらいたいという願望をもっていた。その為にも国際移動で専用機は必要だと主張していたのである。
 結局、バスケス前大統領がこの専用機を使用したのは2年半で、それによる政府の維持費は300万ドルだったという。(参照:「El Observador」)

大統領専用機は18万ドルでアルゼンチンのホテルチェーン経営者の手へ
 今年3月に大統領に就任した国民党のルイス・アルベルト・ラカリェは従来の倹約国ウルグアイに戻るべきだとして専用機の売却を決めたもの。ウルグアイ1830年の初代大統領の時から右派のコロラド党と国民党が、途中軍事政権をあったが、政権を二分して来た国で、拡大戦線というのはバスケスとムヒカの二人による15年間の政権だけである。

 拡大戦線が政権を担っていた時は野党であった国民党のラカリェ大統領は、専用機は必要ないという考えに基づいて売却することを決めていた。それも競売にかけての販売で進めた。パナマとアルゼンチンの企業家の間の駆け引きとなったが、最終的にアルゼンチンのホテルチェーンの経営者が18万ドルで落札した。

 専用機を救急用としても利用できるようにしたため、その為のベッド1台にその為の設備の設置費用が9万ドルしたが、今回の売却はベッドを2台据えたかのような費用での販売だということになることを外相のハビエル・ガルシアが指摘している。

 同外相は、競売で落札された価格そのものへの評価よりも、2年半の維持費用が今後必要でなくなるということに重きを置いて、「国家にとって大変重要な節約になる。それは我々の倹約政治に沿うものである」と述べた。(参照:「El Observador」)

 日本ではホセ・ムヒカ元大統領の引退だけが報じられたが、同時にコロラド党のフリオ・マリア・サンギネティー元大統領(1985-1990と1995-2000)もムヒカと同じく上院議員の席を明け渡すことにして政界から引退した。双方は長年のライバルであった。Youtubeにてこの二人の抱擁を見ることができる。

<文/白石和幸>

【白石和幸】
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身

 

ムヒカ氏の言葉を振り返る。ウルグアイの「世界一貧しい大統領」が政界引退

 ムヒカ氏がここまで支持されるのはなぜだろう。

 

 それは多くの人が、どこかおかしいと思いながらも流されていく、行き過ぎた資本主義、またそこから生み出される格差について、はっきりと敵意を表し、語り、そしてなにより自らその流れにきちんと立ち向かって生きてきたということだと思う。

 

 ムヒカ氏が大統領であったウルグアイは南米では豊かとはいえ、世界第三の経済大国である日本には経済力で遠く及ばない。それでも彼のように質素を旨とする政治家を支持し、支える国民が居て彼を大統領にまで押し上げた。

 

 つまりウルグアイの人々は我々、日本人よりも経済的には豊かではないが、もはや富だけがすべてではない。経済発展にすべてを捧げるのは誤りだと気づいたと言うことだろう。実際、ウルグアイは南米でも特に質素を旨とする国民性らしい。

 

 僕ら日本人もそろそろ気づいてもいいころだろう。

 

 日本はもう十分に豊かだ。富の偏在はあるが、全体のパイを大きくするためにすべてを捧げる時代はもう終わった。パイを維持しながら、パイを切り分ける時代だ。

 

 世界一の経済大国であるアメリカは気づかない。何しろ行き過ぎた資本主義の総本山だ。これからも走り続けるだろう。

 

 世界二位の経済大国に躍り出た中国も、まだまだ発展途上国の一面も持っており、11億人の中には本当に貧しい人々がおり、政治的不安定差に弱い独裁制である以上、高度成長を続ける必要があり、資本主義の回し車から降りるのは難しいだろう。

 

 そこで日本だ。アメリカには結局追いつけず、今や中国にも抜かれたが、今なお世界第三位の経済大国だ。

 

 十分に豊かになった、さぁ、次のステージに移ろうという資本主義の新しいステージに向かう事のできる唯一の大国だ。三大経済大国のうちの日本だけが新しい資本主義に舵をきれる大国だと思う。

 

 労働人口の減少、高齢化など、今までの資本主義レースのルールでは勝ち目はない。だからこそ競争のルールを変え、その新しいルールで超大国を目指そう。

 

 そう、国民がどれだけ心豊かに暮らす幸せな国になるかと言う新しいルールで。

 

 その点でムヒカ氏から学ぶことはとても多い。

 

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「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた南米ウルグアイホセ・ムヒカ元大統領(85)が10月20日上院議員を辞任して政界を引退すると表明した。NHKなどが報じた。

共同通信によるとムヒカ氏はこの日、演説に臨み、引退の理由を語った。慢性的な免疫系の持病があり、新型コロナウイルスの流行が引退の理由の一つだとした。(ハフポスト日本版・安藤健二

ムヒカ氏とは?左翼ゲリラから政界に。大麻合法化も推進
「現代外国人名録2016」などによると、ムヒカ氏は1935年生まれ。貧困家庭に生まれ、家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら育った。1960年代に入って左翼ゲリラ組織「ツパマロス」に加入。武装闘争の資金を稼ぐために強盗や誘拐などに手を染めた。朝日新聞デジタルによると投獄4回、脱獄2回。銃撃戦で6発撃たれ、重傷を負ったこともある。

軍事政権が終わるまで14年近く収監されていたが、出所後は国会議員となり、2010年3月から2015年2月まで大統領を務めていた。

ムヒカ氏は大統領在任中、カトリック教会の反発を抑えながら人工妊娠中絶を合法化したほか、同性婚も認めた。また犯罪抑止の目的で、世界で初めて生産や販売を含めて大麻を合法化している。

大統領時代は月給の約90%を慈善団体に寄付していたことから、2012年にBBCに「世界一貧しい大統領」とBBCに報じられた。2010年の個人資産は、所有しているフォルクスワーゲン・ビートルのみだったという。

「貧しいと感じていません」ムヒカ氏の言葉
まさに波乱の人生を送ってきたムヒカ氏の人生哲学を、彼の言葉から振り返ってみよう。


「私は 『最も貧しい大統領』と呼ばれていますが、貧しいと感じていません。貧しい人たちとは、優雅な暮らしをし続けるためだけに働き、常により多くを望む人たちのことです」(2012年のBBCの報道より)


「独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ」(2016年の朝日新聞のインタビューより)


「私は、消費主義を敵視しています。現代の超消費主義のおかげで、私たちは最も肝心なことを忘れてしまい、人としての能力を、人類の幸福とはほとんど関係がないことに無駄使いしているのです」(2014年のスペインのテレビ番組での発言)


「痛みや試練を伴ってもなお人生の美しさは褪せません。生きるということは、転んでは立ち上がり、前に進むことの積み重ねなのです」(2017年のN高等学校の入学式に寄せたビデオメッセージより)

ハフポスト日本版・安藤健二

 

「喰っていけない」という言葉を捨てよう

「そんなことでは喰っていけない」と言えば、自分の行動を、職業選択の自由を、縛ります。現代では、特にこの豊かな日本では、どんな生き方を選んでも、どんな職業を選んでも、「食べていくことができます」

 

 

 国民年金支給額の月額6万5千円で暮らしていると言うと、必ず言われるセリフがあります。

 

 それは

 

「そんな金額じゃ、喰っていけるわけがない」

 

 という一言です。

 

 冷静に考えれば、月額6万5千円という金額は食費に一日2千円使っても、お釣りがくる金額です。

 

 これはもうすべて外食でも、まかなえるような額です。

 

 つまりはこれはウソ、ある種の自己欺瞞、自己暗示に過ぎません。

 

 もちろん、6万5千円をすべて食費にあてるわけではありませんが、何より生きることに直結する食費を最優先にすれば、間違っても飢え死にするような金額ではないと言えるでしょう。

 

 本当は誰もが知ってはいるのです。月に6万5千円あれば、飢え死にするようなことはないと。

 

 それでもなぜ人は、まるで月額6万5千円では、飢え死にするような言い方、

 

「そんな金額じゃ、喰っていけるわけがない」

 

と、言うのでしょうか。

 

 そうすることで、自分の思考を停止させるためです。

 

 生きとし生ける存在として、飢え死にするような話には、検討の余地はない。だから私はこれらも世間や社会に求められるまま、自分の本当の希望から目をそらしながら、働き生きつづける、と。

 

 現実を見ましょう。

 

  もちろん、月額6万5千円は暮らすには、生活全般を変える必要はあるでしょう。

 

 でも本当のところは飢え死にするようなことはありませんし、「生活するために月額6万5千円は稼ぐが、それ以上の分は労働から自分の人生を買い戻す」という程度の話です。

 

 社会や、世間は、より働き、よりお金を使う人間を求めますから、まるでその規範から外れると「飢え死にするような」印象を与えて脅してくるのです。

 

 少し大きな視点で見てみましょう。

 

 実際に主に食糧生産に携わっていると考えられる農業就業者数は日本では168.1万人(平成31年度農林水産省データ)

 

 日本の人口をざっくり1億2千万とすると、比率で言えば約1.4%。たった1.4%の人の労働で食料生産は足りているということになります。

 

 日本は食料輸入大国だからその数字は小さすぎるという声もあるでしょう。確かにその通りです。

 

 日本の食料自給率カロリーベースで38%、生産額ベースで66%(農林水産省HPより)となりますから、どっちを採用するかは議論の分かれるところですので、ざっくりと間を取って50%としましょう。

 

 つまり海外にも、僕ら日本人の為に食料を生産している人がいる人が、日本にいる農業従事者と同じ数だけいると考えることにします。

 

 僕らの食べ物を賄っている人の数は国内168万人、海外にも168万人。国内外に合計で336.2万人ということになります。

 

 日本の人口に比較すると2.8%です。たった2.8%の人の労働だけで、我々の「喰っていく」は賄う事が出来ているのです。

 

 大昔は王侯貴族以外はすべて食糧生産に従事しなければ、食べていけませんでした。しかし、今はたった3%以下の人が農業をするだけで、我々の「喰っていく」は賄うことができているのです。

 

 日本では、農業は他の産業に比べて生産性が低い、だから海外に勝てないのだなどと言う議論もありますが、100年を超えるスパンで考えれば、農業ほど飛躍的に生産性が高まった産業はないのかも知れません。

 

 これらの点を考えても、フルタイムで働かなくては「喰っていけない」。ギターでは「喰っていけない」。夢ばかり見ていては「喰っていけない」。生きていくためには多少はグレーなことをしなければ「喰っていけない」というのは、自己欺瞞でしかありません。

 

 本当の意味で「喰っていけない」と思っているわけではないという反論もあるでしょうが、言葉は行動に強い影響を与えます。

 

「そんなことでは喰っていけない」と言えば、自分の行動を、職業選択の自由を、縛ります。

 

 現代では、特にこの豊かな日本では、どんな生き方を選んでも、どんな職業を選んでも、

 

「食べていくことができます」

 

 僕の例では、国民年金額の月額6万5千円あれば十分に食べていけます。

 

 毎月手取り20万円、30万円なければ、飢えて死ぬ、「喰っていけない」と考えていた時よりも、人生の自由度が増した気がしませんか?

 

 人生は、日本は、この現代は、あなたが思っているよりも、自由で、豊かで、良い時代なのです。

 

 

 

 

 

 

 

人生は皮肉なもので、苦手なこと、つらいと感じることほど、長い。(だから他の道を探そう、と言う話)

 得意ではないので、普通の人より、2倍の時間が掛かったとする。 やりたくないことなので、普通の人より、2倍苦痛を感じるとする。すると時間が2倍×苦痛が2倍で、人生に4倍の苦痛がもたらされるのだ。そりゃ人生が苦しくなるわけだ。  

 

 ここまで生きてきて気づいたのだが、人は好きなこと、得意なことをするのが、一番賢い戦術だ。

 

 まぁ、「そんなことわかっている」と、多くの人が言うと思うのだが、実践できている人は少ない。

 

 やりたくないこと、得意ではないことを、世間体がいいから、お金になるから、という理由でやれば、そこには、時間的の問題と精神的な問題が掛け算されて、襲ってくる。

 

 得意ではないので、普通の人より、2倍の時間が掛かるとする。

 

 やりたくないことなので、普通の人より、2倍苦痛を感じるとする。

 

 すると時間が2倍×苦痛が2倍で、人生に4倍の苦痛がもたらされるのだ。そりゃ人生が苦しくなるわけだ。  

 

 実例を挙げて考えてみよう。

 

 まず、学生時代の受験勉強。

 

 これは大抵の人にとってツライ。そして勉強が苦手な人ほど、もっとツライものになる。

 

 そして勉強が苦手なので受験勉強がうまくいかず、結局、浪人し、現実の問題としてさらに1年、2年とツライ受験勉強をする期間が延びる。

 

 勉強が苦手で精神的にも他の人より苦しんでいるのに、その期間が延びるのだ。これはもう自ら苦行を選んでいるに等しい。

 

 心底やりたい仕事があって、その仕事をやるためにどうしても大学に行かなくてはいけないというのならともかく、大学を出た方が将来、収入がいいからという程度の理由であえて苦しみの道を選ぶのは、強欲に支配され、自ら地獄の業火が燃え盛る山に登り続ける亡者に等しい。(ちょっと言い過ぎです)

 

 大人になってからも、油断できない。

 

 婚活ブームと言われて久しいが、見知らぬ異性と会話することが苦痛だったり、そもそも異性と居ても心休まらない人にとって、婚活は受験勉強以上の苦痛だろう。

 

 そして、異性が苦手なのだから、婚活はうまくいかず、その期間も長引く。

 

 他の人より、苦しいと感じる婚活が、他の人より長く続くのだ。

 

 ましてや婚活の理由が、結婚していないと世間体が良くないなんて、あやふやな理由なら、苦痛は増すばかりだ。

 

 一方で、世間には苦痛に耐え、苦手なことを克服することを賞賛する風潮がある。それは時に美談として語られる。

 

 でもそれは社会が用意した罠だ。美談として語られるのは、それが珍しいからであり、たいていは元々得意だったり、好きだった人にはかなわない。

 

 苦手なことを克服することを賞賛するのは、日本が高度成長するには、欠点の無い人、均質的な人がたくさんいた方が良かったからだ。

 

 それが総中流、サラリーマン社会を産んだ。

 

 しかし高度成長期は遥か遠い昔だ。ぼくが生まれる前の話だ。

 

 未だに社会はその成功体験に縛られている。

 

 一人ひとりの人生に焦点を合わせてみれば、何より長期間、人生に苦痛をもたらすものは、得意でもない、やりたくもない仕事を続けることだ。

 

 人生において、仕事をする期間はとても長い。その選択を誤れば人生はあっという間に地獄に変わる。

 

「だって仕方ないじゃないか、生きていかなくちゃいけないのだから」

 

 多くの人がそう言うだろう。僕らの先輩、親世代はそうやって生きてきた。そうしなければ実際、生きていけなかった。

 

 しかし、もう時代は違う。本当はもう誰もが好きなことをやって生きていくことができる時代になっている。もう僕らは十分に豊かになったのだから。

 

 現代においても、確かに世間並に働かなければ、世間並には暮らしていけない。隣の人と同じように、大きな車を買い、新築の家を買い、流行の服を買い、やたらと新発売される新しいシャンプーを買うには世間並に働かなくてはいけないだろう。

 

 しかし、本当の意味で生きていくには、それほどお金は掛からない。

 

 実際、僕は月額6万5千円で暮らしている。つまり月に6万5千円稼げれば、どんな仕事を選んでもいいのだ。

 

 ギター弾きでも、昆虫学者でも、鉄道ライターでも、絵描きでも、作曲家でも、本当にやりたいことをやればいい。

 

 それでも、自分の選んだやりたいことが、まったくお金にならないということもあるだろう。

 

 そんな場合でも、週にたった2日、8時間、時給1000円で働けば、月に6万5千円は稼げる。

 

 週に2日は生きるために働いても、残りの5日はやりたいことができるのだ。

 

 近い将来、AI(人工知能)が発達して、仕事がなくなると恐れている人がいるが、もっと仕事が無くなって、もっと人間が自由になると考えれば、未来はバラ色に見えてくる。

 

 将来に必要なのは、お金を稼げるスキルではなく、AI(人口知能)の発達によって、仕事を取り上げられた時に、お金以外の動機で、やりたいことがあるということだ。

 

 今でも、定年で仕事を引退した後、腑抜けたようになってしまう人がいる。

 

 また、仕事を引退したら、お金を使うぐらいしかやることがなくて、引退してからもお金の事ばかり考えているご老人は多い。

 

 実際、投資詐欺事件で被害者として、ニュースで出てくるのは老人ばかりだ。

 

 僕らの世代は、お金からもっと自由になろう。もっとやりたいことをやろう。人生は短い。

 

 死ぬときに、お金をいっぱい稼いで、いっぱい使った。なんて人生ではなく、いつもやりたいことに夢中になっていたそんな人生だったと振り返りたい。

 

 そして僕らは気づいている。真に貴重で大切なのは、本当にやりたいと心底思えるものを見つけること。

 

 

 実はそれが一番難しいのかも知れない。もし、あなたがそれを見つけているならすぐにそれに没頭すべきだし、まだ見つけていないなら、

 

 さあ、それを見つけに行こう。

空を飛ぶのが苦しいのなら、しっかり地に足をつけて地を歩めばいい。

 一番つらい人生とは何だろう。それは恐らく「空高く舞い上がる人生」でもなく、「地面をゆっくり歩くような人生」でもない。それは「中途半端な高さの空中を必死に飛び続ける人生」ではないだろうか。

 

 まず、経済的に豊かで、有名で、多くの人に愛され、注目を集めるような人生を「空を飛ぶような人生」と定義する。

 

 誰もが見上げて羨ましがるような人生だ。

 

 テレビでも、ネットでも、成功し、空高く舞い上がるかのような人生を生きる人たちが、たくさん活躍している。

 

 テレビに出ている芸能人は年収何千万、何億という人たちがたくさんいるし、多く見られている人気ユーチューバーたちも、人気ブロガーも華やかで、輝いて見える。

 

 彼らの人生を「空を飛ぶような人生」とすると、月6万5千円で生きる僕の生き方は「地面をゆっくり歩くような人生」だ。

 

「空を飛ぶような人生」が素敵に見えるのは今さら語るまでもない。彼らの生き様はテレビでもネットでもみんなの憧れだ。

 

「空を飛ぶような人生」の素晴らしさは語り尽くされ、テレビにもネットにもあふれている。

 

 だから僕は、逆に「空を飛ぶような人生」の危うさについて考えてみようと思う。

 

 まず空を飛ぶということ自体が危険極まりない。翼を失えば地に落ちるからだ。高い空を飛ぶほどそこから落ちれば、その痛みは計り知れない、命を落とす人もいる。

 

 実際、有名人がスキャンダルで一転、日本中の人から後ろ指を指されることになったり、莫大な収入がありながら浪費が過ぎて、破産するなどという話はいくらでもある。

 

 そして誰もが羨む活躍をしている俳優さんやアイドルが、突然、自らの命を絶つなんて、悲しいこともある。

 

 誰もが憧れる空には危険に満ちているのだ。

 

 そして、空を飛ぶには羽ばたき続けなければならない。翼を休めれば落ちてゆくしかないのだ。

 

 一方、「地面をゆっくり歩くような人生」はどうだろう。

 

 空を飛ばなくていいのだから、両手を翼に変えて羽ばたきつづける必要は無い。空いている両手で愛する人にゆっくりと触れたり、道端に咲く花を摘むこともできる。

 

 そして疲れたと言って足を止めても落ちることはない。地面に立っているのだから。休みたい時に休み、歩きたいときにあるけばいい。

 

 失敗して転んでも、ただ立ち上がればいい。元のように歩き始めるのは簡単だ。「空を飛ぶ人」たちのように地面に激突して大怪我をすることもない。

 

 生々しい例をあげれば月に6万5000円で暮らしている人間が失業しても、また、月に6万5000円稼げる仕事を見つけるのはそんなに難しくはないだろう。

 

 これが芸能人がスキャンダルで仕事を失ったり、プロ野球選手が怪我をしたなんてことになれば、元のような収入の仕事に就くのは容易ではない。

 

 さらに、もう一つ考えてみよう、

 

 一番つらい人生とは何だろう。

 

 それは恐らく「空高く舞い上がる人生」でもなく、「地面をゆっくり歩くような人生」でもない。

 

 それは「中途半端な高さの空中を必死に飛び続ける人生」ではないだろうか。

 

 そして、日本人のほとんどはこの「中途半端な高さを必死て飛び続ける人」たちだ。

 

 遥か上空を飛ぶ成功者たちに憧れながらも、空高く舞い上がることもできず、 人並みの人生という幻想に縛られ、地面に降りて歩く勇気もない。

 

 人並みという曖昧な定義の生活を守るための、そこそこの収入を守るために、やりたくない仕事に、人生を、時には良心すら切り売りし、「空高く舞い上がる人生」に憧れて、芸能人や有名人の勧める商品を買い求める。

 

 それが本当に自分が心から欲しているものかどうかも考えずに。

 

 それは「空高く舞い上がる人生」を生きる人たちの養分になっているに過ぎないのに。

 

「空高く舞い上がる人生」を誰もが生きることはできない。それは幸運だったり、才能があったり、何かを持っている人たちの人生だ。

 

 野球をするひとの誰もがイチローにはなれないし、女の子の誰もが新垣結衣にはなれないし、起業しても誰もが孫正義のようにはなれるわけではない。

 

 もちろん自分が「空高く舞い上がる人生」を生きる人間かどうか、試してみることをぼくは否定しない。

 

 僕だって、偉大な何かに憧れた時はあった。でも人生は自分が「空高く舞い上がる人生」を生きる人間ではないと気づいてしまってからも続くし、そのあとの人生の方がずっと長い。

 

 だから一つの選択肢として「地面をゆっくり歩くような人生」があることを、多くの人に知ってもらいたい。

 

 休むことなく羽ばたき続ける人生に疲れた人に。

 

 空には小鳥が舞うが、地面には花が咲くよ、と。

 

「地面をゆっくり歩くような人生」も悪くはないよ、と。

 

 だから僕は今月も6万5000円で幸せに暮らして見せたいのだ。