2章 買い物編 ぼくらの幸福は本当はそんなにたくさんのモノを必要としていない。

 

 普通は何かを持つというのは良いこと、幸福なこととされている。

 

 でも、本当にそうだろうか?

 

 あなたが何かを手に入れたとき、あなたにはそれを管理する義務もまた負うのだ。

 

 たとえボールペン一本でも、無くせば少しは探すだろう。

 

 新しい高級な服を買ったら、高級であるがゆえに、飴をしゃぶりながら幼い子が近づけば顔色を変えて逃げ出し、タンスにしまえば防虫に気を遣う。

 

 ピカピカの新車を買ったら、盗まれないかと駐車場所に気を使い、当て逃げにあっていないかと乗るたびに点検し、家族を乗せる時はその靴に泥がついていないかと気が気でない。

 

 ベッドルームが何部屋もある豪邸を買えば、ほとんど使わない部屋まで掃除しなければならないし、掃除が嫌で家政婦さんを雇えば、その人が信用できるのか、大事な家の備品をくすねやしないかと心配しなければならない。

 

 家族だって同じようなものだ。パートナーを持てはパートナーがどこかで浮気をしていないかと不安になり、子供を持てばもちろん気苦労が絶えない。

 

 かと言って人は何も持たずには生きられない。

 

 ではどうしたらいいのだろうか?

 

 本当に欲しいものだけを欲しがろう。本当に必要なものだけを手に入れよう。

 

 本当に好きな人と付き合い、本当に欲しい家を買い、本当に車が欲しい車を買い、本当に欲しい洋服を買おう。

 

 そして、それらに精一杯愛情を注ごう。そうすればぼくらはそんなにたくさんのものを持てないと気づく。人生には限りがあるのだから。

 

 人が一度に着れる服は一着だし、乗れる車も一台、住める家も一軒だ。そして、しっかり抱き締められる相手も、一度にひとりだけだ。

 

 何かを買う時は自分に問いかけてみよう。本当に欲しい?本当に必要?これを管理する義務を負う覚悟がある?

 

 ぼくらの幸福は本当はそんなにたくさんのモノを必要としていない。

今日の悟り「今日と明日をいっぺんに受け取るひとはいない」

 今日と明日をいっぺんに受け取る人はいない。

 

 誰にも日々は一日ずつ与えられる。

 

 今日と明日をいっぺんに受け取るひとはいない。

 

 つらいことは今日一日耐えれば、明日は明日の自分が引き受けてくれる。

 

 今日の楽しいことは今日しっかり楽しまなければ明日はわからない。

酒は百薬の長ではなかった『悲報…「少量飲酒は体にいい」説を否定する論文が発表されていた』

お酒は体にいいのか悪いのか。多くの人が関心を寄せる問題です。「少し飲むのであればむしろ健康にいい」「いやいや、総じて体に悪い」。インターネットの中にある情報は玉石混交で、何を信じればいいのかわからない──。そう、ぼくのように感じている人もいるのではないでしょうか。

ぼくは医療を専門に取材しているライターです。縁あってお酒に詳しい医師と出会えたので、お酒が健康に与える影響の実際のところを聞いてきました。

特に気になるのが、「少量飲酒」。

 

確かに少量の飲酒であれば体にいいという記事や、論文も発表されていますよね。

 

「少しのお酒は体にいい」という説を聞いたことがある人もいると思いますが、こうした考え方は専門家の間ではどう捉えられているのでしょう。取材してみると、実はこれまでの説を脅かす論文が発表されていることがわかりました。

加えて気になるのは、なるべく健康を害さないお酒の飲み方。お酒で健康を損ねたくない人はどんな風に飲めばいいのでしょうか。

医学誌に掲載された驚きの論文
「確かに、少量飲酒が体に良いと結論づける研究は過去に複数出されました。しかしながら、飲酒量に関する質問内容などが詳細に欠けていたため、専門家の中には疑問を抱く人が少なくなかったのです」

こう話すのは、筑波大学地域総合診療医学の吉本尚(ひさし)准教授。吉本准教授はお酒をテーマに研究している医師であり、2019年1月、自身が診療を行う北茨城市民病院附属家庭医療センターに「飲酒量低減外来」を開設。お酒の悩みを抱えている人にお酒との付き合い方をアドバイスしたり、アルコール摂取量の調整を試みたりする精神科以外での専門外来を全国で初めて開きました。

お酒が研究テーマの一つである、筑波大学地域総合診療医学の吉本尚准教授〔PHOTO〕著者撮影
吉本准教授は続けます。

「そんな中で、『少量飲酒は体にいい』説を覆す信頼性の高い論文が2018年8月に医学雑誌『ランセット』に発表されたのです。医療は、“今日の常識が明日の非常識”と言われる最たる分野です。論文一つを絶対視することはできませんが、その内容から、『少量飲酒が体にいいとは言えなくなってきたぞ』と、多くの研究者が感じたのではないでしょうか」

 

 確かに医学・健康の世界は情報が色々と錯綜し、どんどん新しい情報が出てくるので、悪徳医者や、怪しい民間療法などが跋扈する素地になっていますね。悲しいことに。 

 

悪影響を最小化する飲酒量は「ゼロ」…
「少量飲酒が健康に良い」と言われてきたのは、「アルコールが動脈硬化の進行を防ぎ、脳梗塞心筋梗塞などの循環器疾患の発症リスクを下げる」とする研究結果があるためです。

吉本准教授が先に挙げた論文は、世界195カ国で実施された592の研究を統合してアルコールの影響を総合的に評価したもので、研究には500人以上の専門家が参加したといいます。

  メタアナリシス(メタ分析、メタ解析)というやつですね。

ja.wikipedia.org

 

この大規模研究によると、心筋梗塞に限って言えば、やはり少量の飲酒をしている人ほど発症リスクが低いことが確認され、1日における飲酒量が男性で0.83杯、女性で0.92杯でそれぞれリスクが最小になりました。

しかしながら、全体として見ると、飲酒の「良い影響」は限定的でした。 

 

 あくまで心筋梗塞だけで言えば、少量の飲酒は発症リスクを抑えるというメリットがあるということですね。

 

問題は、飲酒によって別の病気が発症する可能性が高まること。たとえ少量であってもお酒を飲めば乳がんや口腔がんなどにかかりやすくなってしまうため、「アルコールによる特定の病気の予防効果はがんの発症リスクで相殺される」と指摘されたのです。

同論文は最終的に、健康への悪影響を最小化する飲酒量は「ゼロ」。つまり、全く飲まないことが健康に最も良いとしました。

 

 つまり心筋梗塞だけではなく、多くの病気を総合的に判断するとリスク最小は「飲まないこと」ということになるのですね。

 

飲酒は200の病気の発症リスクを高める
「少量飲酒に循環器疾患の予防効果があることはアメリカ心臓協会(AHA)も認めていることです。しかしながら、それよりも悪い影響の方が圧倒的に多いため、AHAは循環器疾患を予防するために飲酒することは推奨していません」(吉本准教授)

吉本准教授によると、飲酒は少なくとも約200の病気の発症リスクを高めたり、病状を進行させたりするといいます。近年、患者が増えているうつ病認知症にもかかりやすくなってしまうそうです。

「酒は百薬の長」と昔から言われてはきましたが、身体的な健康への影響に限って言えばそうした考えは否定されていて、少量飲酒の効果も疑問視されているというわけです。

 

 基本的に飲まないで平気なぼくとしては良かった。このまま飲まない生活でいこうと思いますが、お酒が人生の友という人にはツラい現実ですね。

 

缶ビールはロング缶なら1日1本くらいで
「現実は身もふたもない…」

お酒が好きな人はここまで読んでそう感じたかもしれません。少なくともぼくは吉本先生に話を聞いたときにこう思いました。

ただ、そうした現実は現実として、そもそもお酒を飲む・飲まないは個人の自由です。ぼくのように酩酊感を味わうのが好きだったり、心身がリラックスしてコミュニケーションを円滑にさせたりすることをメリットと捉える人も少なくないでしょう。

大切なのは、健康を損ねにくい「ほどほど」の飲酒量を知り、自分で飲酒量をコントロールすることではないでしょうか。

そこで参考になるのは、国の健康づくり対策「健康日本21」の中で厚生労働省が取りまとめたアルコール関連の情報です。厚労省は国内外の研究結果をもとに飲酒のガイドラインを定めていて、「節度ある適度な飲酒」としては、1日の平均純アルコール量を20gとしています。

20gとはおよそ、缶ビール500ml缶(ロング缶)1本、日本酒1合、アルコール7%の酎ハイ350ml缶1本、ウイスキーダブル1杯に相当します。近年増えているアルコール分の多い9%の酎ハイ(ストロング系)だと300mlに当たるので、1缶もない計算になります。

なぜ、「20g」なのでしょう。

厚労省によれば、40~79歳の男女約11万人を9~11年間にわたって調査した国内の研究で、1日の平均純アルコール量が23g未満で最も死亡リスクが低かったという結果が出たためです。

「女性」「顔が赤くなる人」「高齢者」は注意
ただし、女性は先述した基準量よりも少ない方が望ましいといいます。

吉本准教授によると、女性は男性よりも肝臓が小さいためアルコールの分解速度が遅く、また、体内の水分量が男性よりも少ないため血液中のアルコール濃度が上がりやすいそう。結果、同じ量を飲んだとしても男性に比べて病気になる可能性が高いというのです。

お酒の賢い飲み方について解説する吉本准教授(茨城県つくば市筑波大学地域医療システム研究棟で)〔PHOTO〕著者撮影
女性は男性の2分の1から3分の2の飲酒量を適量とするのが世界的な水準であるそうで、厚労省ガイドラインにもこれらは「付帯事項」として記載されています。

また、お酒を飲むことで顔が赤くなるフラッシング反応を起こす人や高齢者も基準より飲酒量を減らした方がいいといいます。

飲酒で顔が赤くなる人は、アルコールの分解がスムーズに進まず、発がん性物質であるアセトアルデヒドが体内に蓄積しやすい傾向にあり、食道がんなどさまざまな病気が起こりやすくなるとされています。

また、高齢者は若い人より身体機能が劣るので、飲酒によって転倒などによるケガのリスクが高くなります。

1週間分に換算してみよう
飲酒量を調整する際には、1日の適正量を1週間分に換算すると良いでしょう。ビールをよく飲む人であれば、まず頭の中でロング缶を7本並べてみて、曜日に応じて分配していく、といった具合です。

吉本准教授も専門外来などで飲酒のアドバイスをする際は、週単位での調整を勧めているそうです。

ただし、飲まない日を増やすことで、飲む日にたくさん飲んでいいわけではないことは留意しておきましょう。

短時間での飲酒量(ビンジ飲酒)が増えると、急性アルコール中毒やケガ、事故を起こす可能性が高くなってしまうためです。世界保健機関(WHO)は1日の純アルコール量が60g(缶ビールのロング缶3本)を超えないよう推奨しています。

短時間での飲みすぎをやめる
また、吉本准教授の研究グループが国内の大学生2177人を対象にビンジ飲酒に関する調査を行ったところ、1年間に1回以上ビンジ飲酒をしていた人はしていなかった人に比べてケガを起こす確率が25・6倍高かったといいます。

この調査でのビンジ飲酒の定義は世界的な基準にならい、「2時間での純アルコール量が男性50g以上、女性40g以上」としました。ビールを飲む男性であれば、飲む量が多い日であっても2時間でロング缶2本に抑えた方がいいことになります。

健康を維持して長生きすることが全ての人にとって幸せというわけではありませんが、関心のある人は日頃の飲酒量を把握し、推奨される適正量と比較して、調整してみてはいかがでしょうか。

また、飲酒について何らかの悩みを抱えている人は早めに医師に相談するのも手です。「アルコール依存症も多くの病気と同じように早期発見と早期治療が重要」と取材する医師は言います。

その一方で、一般の人からするとお酒の問題について専門的に対応している精神科を受診するのはハードルが高く、医師が診察するタイミングが遅くなりがちだと聞きます。厚労省の調査によれば、アルコール依存症の人は国内に約100万人いると考えられていて、その中で医療機関を受診している人はわずか5万人に留まるといいます。

吉本准教授が「飲酒量低減外来」を開いた背景はここにあります。受診のハードルを下げ、早期治療を行えるケースを増やしたいというのです。

個人的にもこの取り組みには非常に興味があります。

診療報酬など制度の兼ね合いはあるのでしょうが、禁煙外来や睡眠外来のように飲酒外来が増え、飲酒の管理について「専門家と一緒に取り組めるもの」という認識が一般の人に広まれば、自分の中で悩みを抱え続ける人や病気で苦しむ人が減るかもしれません。

吉本准教授は「飲酒量低減外来を端緒に、お酒のことを身近に相談できる文化を日本につくっていきたい」と話しています。

吉本准教授がこの外来を開設した背景や狙いは医療者向け会員制サイト「m3.com」の茨城版に詳しく書きましたので、興味のある方は読んでみてください。

 飲酒で怪我をする確率が上がるというのは納得ですね。よく大けがしたり、ホームから転落したり、危険ですね。 

 

gendai.ismedia.jp

3章 お仕事編 労働は一週間に8時間で十分『1日8時間労働は本当に理想的?心身の健康に最善な勤務時間とは』

英オックスフォード大学の研究者、カール・ベネディクト・フレイとマイケル・オズボーンは2013年、47%の仕事が10年以内に自動化されると予測した。それから6年たった今、先進国の多くでは失業率が過去最低水準に低下。一方でゼロ時間契約やギグエコノミーが人々の健康にもたらす影響についての懸念が生じ、論点は人々が“良い仕事”に就くことへとシフトしている。

 

 世界的に失業率が過去最低水準ということは世界的に人手不足になりつつあるという理解でいいのだろうか?

 つまり研究者の予想ははずれつつあると。多くの仕事が自動化すれば、人手は余るはず。それほど仕事の種類がシフトしたという話も聞かないですし。

 

 仕事をすることの心理学的なメリットはよく知られており、自己評価や社会的包摂性の改善などがあるが、こうしたメリットが得られるための条件はあるのだろうか? 私たちは、“良い仕事”に就く必要があるのだろうか、それともどんな仕事でも効果があるのだろうか?

ケンブリッジ大学などの研究チームはこの問いに答えるべく、仕事のこうしたメリットが出始める決まった勤務時間があるのかについて調査を行った。

 

 仕事をすることに精神的なメリットがあることというのは定説らしい。

 

仕事をすることのメリット

研究チームは、英国世帯縦断調査(U.K. Household Longitudinal Study)のデータを使い、勤務時間と労働者の心の健康状態、生活への全体的な満足度を調べた。2009~18年の間に計7万人余りの英国居住者を調査したところ、仕事と心の健康の改善の間には明確な相関関係があった。

なんと、1週間の勤務時間が8時間未満だった人でも、心の健康問題を抱える可能性は30%低かった。

 つまり、逆から読めば、まったく仕事をしない人は、何らかの仕事をする人に比べて、心の健康問題を抱える可能性が30%程度高いということになりますね。

 勤務時間と労働者の心の健康状態とあるので、仕事というのは家の外から収入を得るタイプの仕事を指していて、家でずっと家事をしている専業主婦などは、勤務時間ゼロとして数えられているのでしょうか。

 そう考えると家にずっと籠りがちという点で、ニートやひきこもりの人だけでなく、専業主婦(夫)、完全に引退したお年寄りも、精神的なリスクを抱えていると考えられる

ようですね。

 

 また面白いことに、週8時間以上働いたとしても数値の顕著な上昇は見られず、標準的な週40時間勤務の人は心の健康面でも生活満足度でも大きな違いは見られなかった。そのため研究チームは、労働時間が週8時間だけでも、仕事が健康に与えるメリットを全て享受できると結論している。

 

  これは希望が湧く話ですね。まず、専業主婦の人も、ニートも、引きこもりの人も、引退後のお年寄りも、とりあえず週に8時間働けば、労働による精神的メリットは享受できる。

 1日1時間ちょっとでいいので、一般的な働くという概念からすると、ハードルはグッと下がります。専業主婦(夫)も、お年寄りも、週一ぐらいで外で働きましょうということですね。

 さらに老後も週に1日程度は働く方が良いということですので、月間30時間、時給1,000円ならば、30,000円。夫婦ならば二人で60,000円。年間72万円。15年続けて、1,080万円。

 精神的な健康のために週8時間働いて、老後足りないと言われていた2000万円の半分以上をカバーできますね。

diamond.jp

 

研究チームは「私たちは気分を改善するために、ビタミンCから睡眠時間までのあらゆることに有効量の指針を設けているが、有給の仕事に対してこの問いが投げかけられたのはこれが初めてだ」と指摘。「失業状態が多くの場合、アイデンティティーや地位、時間の使い方や共同目的の意識などに悪い影響を与え、健康に害をもたらすことは分かっている。今回の調査で、雇用による心理社会的メリットを得るのにどれほどの有給労働時間が必要なのかについて少し理解することができた。そして、必要な時間数は全く多くなかった」と述べている。

 

 有給労働時間とあるので、やはり専業主婦(夫)の家事労働は含まれないようですね。専業主婦(夫)も週一で外で働く方が良いようですね。

 

不必要に長い労働時間

だが、少なくとも英国では多くの人が非常に長時間働いている。長時間労働は効率性向上に直接結びつかないにもかかわらず、欧州連合EU)統計局(ユーロスタット)のデータによると英国の労働者は欧州の中でも週の勤務時間が長い部類に入っている。こうしたデータを踏まえ、一部の研究者は少なくとも生産性の視点から最適な勤務時間を提案している。

長時間労働はこれまで、心臓病リスクやストレス、不安の増加など、さまざまな健康問題と明確に結び付けられてきた。自分がどれほど状況をコントロールできるかが、長時間労働の健康や幸福さへの影響を決める重要要素だということを示す証拠もあるが、一方で私たちの現在の仕事量が果たして適切なのかというもっともな疑問が投げかけられているようだ。

 

 働きすぎのデメリットは明確にあるんですけどね。みんな働き過ぎです。

 

 経済学者ジョン・メイナード・ケインズが語った有名な言葉に、人は将来多くの余暇の時間を楽しむようになり、仕事は必要性というより選択の問題になる、というものがある。今回の調査を行った研究チームもまた、勤務時間の削減を積極的に支持し、次のように述べている。

「今後数十年で、現在人間が行なっている有休の仕事の多くは人工知能(AI)やビッグデータ、ロボットに取って代わられるだろう。フルタイムで働きたい人全員のための十分な仕事がない場合、現在の基準を再考しなければならない。その一環として勤務時間を再配分し、たとえ各人が1週間に働く時間が短くなったとしても、仕事から得られる心の健康効果を全員が享受できるようにすべきだ」

 

 将来は人工知能やロボットに仕事を取られて、仕事自体の総量が減る。すると、仕事自体が不足する。そこで、必要なのは仕事をできるだけ多くの人に割り振ることですね。

 7人の人がいて、そのうち1人が毎日休まず働いて、働き過ぎで体を壊す。これが現代の状況に近いですね。

 理想的な未来は、7人が1日ずつ働いて、7人とも働くことによる精神的なメリットを享受して幸せに暮らすということですね。 

 

週の労働時間の削減

それでは、毎週の勤務時間が非常に短くなったとしたら社会はどう機能するのだろう? 研究チームは、ものごとをうまく進めるアイデアとして、週休5日制や、年次休暇の大幅な増加、さらには1カ月の労働に対し2カ月の休暇を取ることも提案している。

また当然のことながら、研究チームは勤務時間の大幅削減によるメリットとして、ワークライフバランスへの大きな影響や、生産性向上、職場への通勤による環境への影響削減を指摘している。

 

 週休5日制!!そうです。それですよ。 

 

労働時間の削減にはリスクも
もちろんこれにはリスクもある。特に、一部の人はより従来型の勤務時間に近い労働時間なのに対し、他の人は非常に短縮された労働時間だった場合、大きな収入の不平等が生じる可能性がある。そのため研究チームは、勤務時間の短縮を法令で義務化する必要があると考えている。

 

 労働は嫌なもの、たくさん働く人は偉いという発想ではなく、たくさん働く人は他の人の労働を奪っているという発想となる時代がやってくるということですね。

 

「全員が週に約40時間働く従来型のモデルは今まで、労働者にとって何時間働くのが良いのかという点を基準としたものではなかった。私たちの研究からは、短時間の仕事にもフルタイムの仕事と同じ心理学的メリットがあることが示唆されている」 

 

 週40時間労働は働かせる企業側の意向と、経済のパイを大きくしてより多くの税を取りたい政府の意向が強く反映されたもので、労働者の福祉や、人生を最優先したものではなかったと言えるでしょう。

 

「しかし、仕事の質は今後も常に重要となる。従業員が尊重されていない仕事や不安定な契約、ゼロ時間契約を結ぶ仕事は、健康に同じような影響をもたらさないし、将来的にもそうしたメリットはないだろう」

 

 労働時間さえ短くなればいいという単純なものではないということでしょう。

 

現在の労働時間である1日8時間の概念が作られたのは1800年代で、労働者が仕事と休憩、余暇を平等に取れるようにと活動家が熱心に取り組んだ結果だ。その後、労働市場改革が繰り返された今でも、一般的な1日の労働時間の考え方はしぶとく生き残っている。もしかしたら、この慣習も新たなテクノロジーの登場によって大きく変革されるべき時が来ているのかもしれない。 

 

「1日8時間労働から、1週間8時間労働へ」と考えると胸が熱くなりますね。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

『暴力の人類史 下』感想・評価

暴力の人類史 下 

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

 

 

【目次】

第7章 権利革命

 

「子殺しは、心の無慈悲さから来ているのではなく、むしろ生活の無慈悲さから来ているのだ」エドワード・テイラー ページ78

 

児童教育運動は、人間の発達への科学的なアプローチを目指し、年配の主婦たちによる適当な教えと迷信に変わって、子育て専門家による適当な教えと迷信が広まった。ページ107

 

^_^ 皮肉が効いてるなぁ。

 

要約
体罰に関する認識の変化はポジティブだが、一方で子供の育ち方は親次第であるという誤った認識が広まり、親は24時間子育てマシーンになることを要求されるようになった。養子の研究では養子は養子先の兄弟よりも、生物学的兄弟により近いものになる。つまり、育ての親より生みの親の影響が強いこともわかっている。

 

^_^ 今の日本の子供のやることはみんな親の責任みたいな風潮は大きな間違いだと言える。馬鹿馬鹿しい。

 

作家のワーウィック・ケアンズの計算によると、もしあなたが見知らぬ他人に自分の子供を誘拐されて一晩拘束されることを望むなら、あなたは子供を外側に付き添いなしで放置したまま750000年の間待たなくてはならない。ページ128 

 

^_^ まぁ、誘拐は離婚した親権を奪われた親や家出が多いからね。まぁ75万年か。誘拐は顔見知りが多いのかも。

 

子供を学校に送って行く途中の親の車にひかれる子供の数は、それ以外の交通事故に会う子供の2倍以上に上っている。したがって、子供を誘拐犯に殺されないようにするために車で学校へ送っていく親が多ければ多いほど、子供の多くが死ぬのである。ページ129

 

^_^ やはり物事には収穫逓減の視点が必要だろう。何事もゼロにしようとすれば費用対効果は大きく悪化する。

 

ストレートの男性はゲイの仲間に対してこう思うのではないだろうか「すばらしい!これで俺の女の取り分が増える!」と。この理論でいけば女性の同性愛は考えられる限りの最も憎むべき犯罪とみなされるはずだろう。なぜならそれは、配偶プールから2人の女性を同時に奪い去ってしまうからだ。ところが、ホモ嫌悪は歴史を通じてずっとレズ嫌悪をより顕著だったのだ。多くの法体系は男性の同性愛だけを犯罪としているが、女性の同性愛だけを犯罪としている法体系は1つもなく、男性同性愛者に対する憎悪犯罪は女性同性愛者に対する憎悪犯罪に比べて、約5倍も多い。ページ131

 

ヒトラーとその副審たちは菜食主義者を自称していた。しかしそれは動物園への哀れみからと言うよりも、異常なまでの純血性の追求からであり大地と再びつながろうとする汎神論的な切望からであり、ユダヤ教の人間中心主義と肉食の儀式に対する反発からであった。人間はここまで道徳観を使い分けられるものがなのかと感心するが、後は言語道断の人体実験を行っておきながら、その一方で、それまでヨーロッパにあったどんな方よりも厳格な動物研究保護法を制定した。それらの方では、農場や映画のセット等において動物に人道的な扱いをすることが定められ、レストランでは調理をする前に性の麻痺させること、ロブスターを想起させることが義務付けられた。動物の権利の歴史にこの奇妙な一生が指図挟まれて以来、菜食主義者の提唱者は自分たちの昔からの主張を引っ込めざるをえなくなった。肉食は人を攻撃的にし、肉食の節制は人を平和的にする、と言う言い分はもはや通用しなくなったのだ。ページ157

 

^_^ ナチスドイツってこういうエピソードに事欠かないな。

 

アメリカの政治世界には、こんな決まり文句があるカルフォルニアがそうするなら、全国もそうする。ページ175

 

^_^ 確かにカルフォルニアって先進的な法律を作りがち。

 

参考書籍

『僕らはそれでも肉を食うー人と動物の奇妙な関係』

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

 

 

第8章 内なる悪魔

 

心理学者のリチャード・トレンブレイは、人間の障害の各段階での暴力発生率を測定して、最も暴力的な段階が青年期ではなく、若年成人期ですらなく、そこに言われている通りの「魔の2歳児」の頃であることを発見している。よちよち歩きを始めた頃の典型的な幼児は、蹴ったり、噛み付いたり、叩いたり、喧嘩をしたりするが、そうした物理的攻撃の発生率は幼児期が経過するにつれて着実に下がっていく。これについてトレンブレイはこう述べている。「赤ん坊同士は殺し合いをしないが、それは彼らの手に届くところにナイフや銃が置かれていないからだ。われわれは過去30年にわたって子供が一体どうやって攻撃することを学習するのかと言う問題の答えを見つけようとしてきた。だが俺の問いは立て方が間違っているのだ。正しくは子供はどうやって攻撃しないことを学習するのかと問うべきなのである」ページ197

 

^_^ 人間は最も原始的な状態において、最も暴力的なのか。これは面白い。

 

『邪悪な夢:異常犯罪の心理学』 

邪悪な夢―異常犯罪の心理学

邪悪な夢―異常犯罪の心理学

 

 

『凶暴な娯楽:暴力エンターテイメントの文化史』

『人間の本性を考える』 

人間の本性を考える  ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)

 

 

『悪』ロイ・バウマイスター

『行為と演技』 

行為と演技―日常生活における自己呈示 (ゴッフマンの社会学 1)

行為と演技―日常生活における自己呈示 (ゴッフマンの社会学 1)

 

 

『なぜ人はあやまちを認めないのか』

なぜあの人はあやまちを認めないのか

なぜあの人はあやまちを認めないのか

 

 

「簡単に勝てるとどれほど確信していても、敵方もやはり自分のほうに勝機があると思っていなければ戦争は起こらないと言うことを、決して忘れてはならない」ウィンストン・チャーチル ページ248

 

『愚行の世界史ートロイアからベトナムまで』 

愚行の世界史(上) - トロイアからベトナムまで (中公文庫)

愚行の世界史(上) - トロイアからベトナムまで (中公文庫)

 

 

第一次世界大戦が始まる数週間前には、イギリスとフランスとロシアの指揮官たちも、相対するドイツとオーストリア=ハンガリーオスマントルコの指揮官たちも、全員この戦争が敵の大敗北で終わって、自分たちの兵士は無事にクリスマスは我が家で過ごせるものと予測していた。どちらの人影でも熱にうかされた大勢の青年が我が家を出て軍隊に入ったが、それは彼らの国の為なら喜んで小竹とする利他主義者だったからではなく、自分が死ぬとは考えてもいなかったからである。もちろんそんなわけはなく、実際、多くの若者が死んだ。ページ250

 

第9章 善なる天使

 

抜粋要約
人はネガティブな感情が生じるとそれに対する引き波の感情、ニュートラルに戻すための感情が生じる。
危険な行為の後の高揚感のようなものである。
人はその危険な行為を繰り返していくうちに慣れが生じ、ネガティブな感情にすぐ対処できるようになり、ニュートラルに戻すためのポジティブな感情が目立ち始める。
その結果、ネガティブなはずの行為から人は喜びを感じるようになる。
それは大人の楽しみの多くに見られる。激辛チリペッパー、臭いチーズ、辛口ワイン、サウナ、スカイダイビング、カーレース、ロッククライミングなどである。
そして、サディズムにもその傾向が見られる。
人は当初は他人の苦しみに嫌悪を覚えるが、やがてそのネガティブを埋めるニュートラルに戻るためのポジティブが他人の苦しみに対する慣れから、力を持ち始め、やがては人を苦しめることに喜びを感じるようになる。

 

^_^ この仮説は完全とは言い難いが、一種の理があると感じる。ここでボクが思い出すのはいわゆるNTR。寝取られ属性というやつだ。
なぜ、大切な人を他人に寝取られるというネガテイブな現象で喜びを感じることができる人がいるのかという疑問の答えがここにあるように思える。つまり、NTRには心理学的なブーストがかかっていると考えられる。
さらに NTRが特殊なのは、NTRの場合は進化生物学的にも自分のパートナーが寝取られたら強烈な性欲を感じてパートナーにのし掛かったり、寝とった者のパートナーを寝取り返すような者の遺伝子の方が次の世代につながりやすいので、当然、寝取られた時には性的な興奮を感じたものこそ、子孫を残し得たと考えられる。
つまり、NTRは心理学的にも、進化生物学的にも、喜びを感じうるというわけである。
なかなか闇深い。

 

第10章 天使の翼に乗って

訳者あとがき
参考文献

索引

 

そう遠くない未来において、その昔、労働という残酷な制度があったのだと語られる時代が来るだろう。
啓蒙主義が広まってからは人はあらゆる苦役から解放されてきた。それは奴隷労働であり、児童労働であり、制限なき長時間労働
プロテスタントでは労働は善とされているし、東洋の思想でも、労働を良きものとして考える思想は根強い。
しかし、今、ここで自分の胸に手を当てて自分の本心を聞いてみて欲しい。
働きたいか?と。
あなたの本心は働きたくないと言っていないだろうか?
働きたいと思っている人でも同じ給料であれば時間を短くしたいと思っていないだろうか?
人は啓蒙主義が広まって以降長い間、あらゆる苦悩から解放されてきた。
奴隷、虐待、拷問、戦争、あらゆるものが退けられ。または退けようと努力してきた。

次は労働がその対象にならないとあなたは言えるだろうか?

『暴力の人類史 上』目次・感想・評価

暴力の人類史 上

 

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

 

 

はじめに

第1章 異国

コロッセオで見世物として死に至らしめられた人は50万人にも及ぶ。

 

今日のイギリス王室は無作法から不倫まで、いろいろ悪口を言われているが、ただの1回も親戚の誰かの首をはねたり、敵の誰かの腸をとって八つ裂きにしたことがない事は褒めるべきかもしれない。ページ58

 

^_^ もう笑うしかない。

 

要約
人類の歴史は過去に遡るほど残虐性に満ちていた。少なくとも過去に遡るほど人々は残虐さに寛容だった。

 

 


第2章 平和化のプロセス

先史時代には、カニバリズムの風習は人間の進化にも影響及ぼすほど一般的だった可能性もある。人のゲノムには、人肉を食べることによるプリオン疾患への感染を防御すると考えられる遺伝子が含まれているのだ。ページ105

 

^_^ 人類の正義はどれだけ変わってきたのだろうとある意味、震撼する。現代、概ね問題ないとされているもの(野生動物を取って食べること、家畜を養い食べること、流血を伴う格闘技)もいずれ野蛮な行為として廃れていくのだろうか。

 

20世紀には2つの世界大戦が起きたが、最も軍事的損害の大きかったのはドイツと日本、ロシア/ソビエト連邦であり、ロシア/ソ連ではそれ以外にも内戦など軍事的衝突が度々あった。この三国の戦争による年間死亡率は、それぞれ100,000人あたり144人、27人、135人だった。ページ115

 

^_^ こうしてみると、日本の死亡率は他の2国に比べると低い。やはり本土が戦場になったのか?という点が大きいのだろう。沖縄の死亡率を調べてみたい。

 

沖縄戦死者
県民42万のうち、12万2千。(大阪書籍)

約29%である。
10万人あたり2.9万人。
これはもう我々本土の人間は沖縄に頭を垂れるしかない。

 

中央集権化した社会の方が、女性が戦闘で(連れ去られるのでなく)殺されたり、奴隷制が敷かれたり、人間がいけにえにされたりする傾向が強いことを示した。ページ124

 

^_^ 女性限定でみれば中央集権制は狩猟採集よりも良いとは言えない?

 

複雑な社会の方が冒涜的行為や性的逸脱、配信行為、魔術といった犠牲者のない行為を犯罪とみなし違反したもの拷問や、使節団、どれか、処刑などの残忍な刑罰を与える傾向が強いことを示した。ページ124

 

^_^ 狩猟採集民の中で微罪で殺していたら、貴重な戦力である身内がいなくなってしまうというのもあるのだろう。

 

要約
中央集権制というリヴァイアサンがしかれることによって戦争や殺人による死亡率が5分の1に減少する。狩猟採集民の頃の方が栄養状態はよかったが、死亡率は劇的に下がった。一方で指導者が残忍な行為を行うようになる。

 

第3章 文明化のプロセス

 

上流及び中流階級は司法制度によって正義を追求しようとするのに対し、下層階級は暴力の専門家が「自力救済」と呼ぶ方法を用いることにある。ページ168 

 

^_^ これを読んで思いついたのだが、インターネット上で吊るし上げや身元バラシなどの私刑が蔓延するのは、そこにリヴァイアサンがいないからではないか。信頼できる権力が不正を正してくれると思えないから彼らは自らの空間、インターネットでは「自力救済」を行うのではないか。

 

^_^ 死刑を廃止することで、被害者の家族が加害者の家族を襲うというようなことは起きるのだろうか?

 

アメリカ人は、銃器を振り回すのが好きなだけではない。すべての殺人件数から銃器によるものを差し引いて、縄やナイフ、それに鉛管、レンチ、ろうそく立てなどの鈍器を使った殺人だけに限っても、アメリカの殺人事件数はヨーロッパより高いのである。ページ183

 

^_^ これは驚いた。アイツら野蛮だなw

 

完全な生殖の失敗に向かっていることが明らかになれば、いかなる生物も、何らかの形で現在の生き方を改善するためにしばしば私の危険を犯しても努めなければならないページ202

 

^_^ これは男の悲しさだよなぁ。

 

ボストンの低所得層出身の非行少年1000人を45年にわたって追跡調査した有名な研究によれば、その後の人生で犯罪を犯すかどうかを左右する要因の2つ見つかった。1つは安定した職に就くこと、もう一つは愛する女性と結婚して家族を養うことだった。結婚による影響はかなりのものだ。独身者の4分の3は成人後、さらに犯罪を犯すようになるが、結婚したものでは3分の1に過ぎなかった。この違いだけでは結婚によって犯罪から遠ざかったのか、犯罪の常習者は結婚することが少ないのかどちらかわからない。ページ204

 

^_^ 嫁をもらって丸くなるってあるよなぁ。

 

犯罪学者の間では、失業率と暴力犯罪の間には明確な相関関係が存在しない事は長く知られている(失業率と窃盗犯罪には何らかの相関関係がある)ページ227

 

^_^ 暇で金がなくても、ものは盗んでも、人は殺さないってことか。

 

要約
西洋で60年代に犯罪が増えた理由はいくつもの要因が重なったものと考えられる。ベビーブーマーである若者の増加など。しかし、一つの要因には特定できない。今はあらゆる本能を抑える文明化から自ら判断してコントロールして本能を解放する事態になったのかもしれない。

 

第4章 人道主義革命

 

科学的精神の影響を受け、自ら魔術仮説の真偽のほどを見極めようとした訳人もいた。ミラノのある判事は自分の家の犬を殺して召使いのせいにし、拷問にかけたところ、召使いは自分がやったと自白した。しかもさらに拷問にかけられることを恐れて、自白を撤回することも拒んだ(今日ではこうした事件は、被験者保護の観点からゆるされないものだが)。判事はこの結果を受けて自分の法廷で拷問を行うことをやめた。ページ261

 

^_^ この判事は当時としては先進的だが、とても先進的だが、今日の価値観では啓蒙主義的とは言えない。なんとも言えない存在だ。

 

80年代に流行したバンパーステッカー「そのようなことも起こる(=ついていないこともあるさ)」というのは、「汝の隣人を愛せよ」や「すべての人間は生まれながらに平等である」に匹敵する、大いなる道徳的発展の結果得られた原理なのである。ページ263

 

^_^ 自分の不幸を他人による呪いや魔術と考えなくなったと言うこと自体が1つの道徳的発展と言うことなのだろう。

 

16世紀のパリでは、ステージ上で3カッキンに入れた猫炎の中におろして燃やすのが大衆娯楽の1つだった。ページ273

 

これは今日もなお動物愛護運動の基本理念となっている。「動物にも理性はあるか、動物にも話すことができるか、などと言うのは問題ではない。動物も苦しむかということが問題なのだ」。ページ279 ジェレミーベンサム 

 

だが、資産の差し押さえも暴力の1種だとペインは言う。「ジョンが食料品をつけて買い、その後支払いを拒否したとしても、彼は暴力を使っていない。だがもし食料品店の店主が訴訟を起こし、警察がジョンの車押収するか銀行口座を差し押さえれば、実力行使を始めたのは、店主と警察と言うことになる」。ページ291 

 

^_^ むむむ、判断が難しい。

 

私の見るところ、この本を始めとする印刷物の増加と識字能力の向上こそ、人道主義革命のきっかけとなった最大の外生的要因ではないかと思われる。世界は五感を通して捉えられ、情報は唯一のコンテンツプロバイダーである教会から与えられるだけだった、それまでの小さな村と言う部族社会から、様々な人や場所、多様な文化やアイディアが次々に通り過ぎる走馬灯のような体験へ。こうした精神の拡大が、人々の感情や信念に人道主義的要素を着込んだのだ。ページ320

 

^_^ やや手前味噌的だから読書好きとしては賛成したい内容だと思う。

 

第5章 長い平和

 

^_^ 著者は戦争による死者数をその当時の人口比率で修正しようとしているが、すんなり納得できない。人口10億の時代に1億殺されることと、人口100億の時代に10億人殺されることが同じ重さだとは思えない。やはり10億は10倍、悲劇ではないかと思う。

 

データに照らし合わせた結果、大部分の仮説は否定された。その1つは、言語が共通だからといって戦争になりにくいわけではないこと(大部分の内戦、19世紀の南米諸国間の戦争が良い例だ)。エスペラント(「希望する人」の1)の何託された希望も、もはやこれまでだ。経済指標もほとんどあてにならない。例えば富める国が貧しい国を攻撃すると言う(またはその逆の(閉じるパターンが系統的に見られるわけではない。また一般に軍拡競争が戦争を誘発することもなかった。
それでも検証に耐えた一般論が、いくつかあった。例えば、長期間安定した政府を持つ国では戦争が起きにくいこと。異なる民族同士がドイツ国内で内戦を起こすより、国境を挟んで戦争する場合の方が多いこと。また、一般には戦争は隣国を攻めることが多いが、広大な領土も大国にとってはほぼ全ての国の隣国となるためどの国とも戦争になる可能性が高い。さらに、ある特定の文化(特に軍国主義イデオロギー」を持つ国は戦争を起こしやすい、などである。ページ368

 

^_^ これを中国に当てはめてみるとどうか?大国であること、これで世界中のどことも戦争が起こり得る。2つ目、長期間安定した政府を持つこの点では中国は戦争を起こしにくい国と考えられる。ただすべての戦争を同一に考えると言う事は正しい結論得るとは思えない、大国がどのように行動するかと言う戦争論が対中国の将来を予想しうるだろう。そう考えるとアメリカが、ロシアが、過去におけるイギリスなどのパターンが参考になるのかもしれない。

 

ポワソン過程では事象とは連続的にランダムに、他の事象とは独立して発生する。落雷で言えば、空の上ジュピターがサイコロを振って1のぞろ目が出たら雷を落とし、次の瞬間にはさっきの事は全く忘れて再びサイコロを振るようなものだ。先に見たように、ポワソン過程では、事象と事象の感覚は、指数関数的に分布する。短い間隔は数多くあるが、間隔が長くなればなるほどその数は少なくなる。つまりランダムに起こる事象は、クラスタ(集団、群)をなしているように見えるのだ(均等に感覚を開けるには、ランダムでない過程が必要になる)。ページ370

 

^_^ こういうの株式投資とかに流用できないのかな。

 

ウェーバーの法則とは、観察者が刺激の強さの増加を知覚するには、増分が最も刺激の強さに対して一定の比率になっていなければならないと言うものだ。(10個の電球のついた部屋で11個目をつけると前より明るくなったことに気づくが、100個の電球のついた部屋で101個目をつけても気づかない。明るさの変化が知覚されるには電球を10個増やさなければならない)。リチャードソンは、この法則が人命の損失にも当てはまることを発見し、こう書いている。「平時にイギリスの潜水艦シーティスが沈没して多くの犠牲者が出た時、新聞は何日にも渡って哀悼記事を載せたが、その後この潜水艦が戦闘中に沈没して同じように多くの犠牲者が出たときには、ごくそっけない扱いだった。この違いは、増分が知覚されるかどうかは、元の量との比によって決まると言うウェーバー・フェヒナーの法則の1例と考えられよう。ページ396

 

宗教問題が政治問題を凌駕すると、敵国との交渉は全て一旦進行や背信行為のように思われる度合いが増し、カトリックプロテスタントを分裂させた問題は、もはや交渉の余地のないものになった。その結果……外交的接触が減少していったのである ページ417

 

^_^ つまり宗教が戦争に絡むと敵との和解なぞしようものなら仲間から異端とされ火あぶりになりかねない。その結果、戦争は続き、和平は遠のくということか。いや、それはイデオロギーも一緒か。共産主義者と交渉だと!とかなっていたわけだし。馬鹿馬鹿しいなぁ。

 

核兵器の存在が平和をもたらしたわけではない。なぜなら、アメリカだけが核を持っていた時、アメリカは無茶をしなかったし、多くの核兵器を持たない国が核を持つ国と戦争をした。ベトナム戦争中越戦争、などなど。ソ連が衛星国を作った時期はまだソ連は核を保有していなかった。

 

要約
カントの言った、民主主義、貿易、国家間の枠組みは戦争の確率を下げる。政治は残忍な冷酷性もあるが感情的なタブーなどもあり、核の不使用や毒ガスの破棄などに繋がった。

 

第6章 新しい平和

 

平和維持部隊は構想に必要な雰囲気を作ることができる。(譲歩の)革新はプライドにある、それが人間の特性なのだ。威厳を失意したりプライドを傷つけたりせずに交渉できるメカニズムが必要だ 

 

 

^_^ やせっぽちの審判でも巨大なホッケー選手を仲裁できると言うのは良い例えだと思う。

 

統計から導かれる驚くべき発見の1つは、即時の独立、天然資源、革命的マルキシズム(有効である場合)、選挙による民主主義(有効でない場合)など、一見派手でエキサイティングなものは暴力性増加させる可能性があり、反対に、有能な警察、世界経済への開放性、国連平和維持活動、プランピーナツなど、どちらかと言うと地味で退屈なものこそが暴力死を減少させる可能性を持っていることである。ページ557

 

ジェノサイドによる犠牲者の数の選定を初めて試みた歴史学者の1人ランメルが、20世紀に政府に殺害された国民は1億6900万人に上ると推計した事は、広く知られている。確かにこの数は多すぎるが、虐殺行為に関する大多数の研究者の間では、20世紀には戦車よりもジェノサイドによる死者の方が多かったことで意見は一致している。ページ558 

 

ジェノサイドとは人間性(本質主義や道徳観、直感的経済など)、ホップスの安全保障のジレンマ、至福の千年思想、そして指導者が利用できるチャンスが毒性反応を起こした結果、生じると言うことになる。ページ 577

 

第二次世界大戦中のアメリカで、戦争に勝った後日本人はどうすべきか世論調査を行ったところ10%から15%が絶滅させるべきだと回答した。ページ582 

 

^_^ これは日本側でも同じようなものだっただろうし、恐らくもっと多かったかもしれない。

 

マルクス主義の出現は、いわば歴史的な「津波」とも言うべきもので、人間社会に及ぼした影響の大きさには息を飲むしかない。マルクス主義は、旧ソ連や中国のマルクス主義政権による大量虐殺を招き、間接的にはドイツのナチス政権による大虐殺の一因にもなった。ページ594

 

^_^ マルクス主義を跋扈させた理由はやはり資本主義の欠陥にあるのではないか?それを無視して資本主義を先鋭化することがあれば(格差の拡大など)新たな形を変えたマルクス主義を生み出すことになりはしないだろうか?そしてその理想主義が再びジェノサイドを誘発するのではないだろうか?

 

資源不足と多数の人が殺害される内戦との関係を理由にして破滅を予測するものもいるが、サンプル数の多い文献がそれを裏付ける事はまずない ページ650 

 

^_^ 水不足で中国が攻めてくるとか、いう連中がいるが、日本の水を中国はどうやって運ぶのだろう?パイプライン?タンカー?パイプラインは建設に時間がかかり、テロの標的になるし、タンカーで運ぶ分なら、日本が干上がるということもない。だいたい今の中国はお金持ちなんだから、まず、買いに来るだろう。輸出できるものが増えて良かったじゃないか。

 

『異文化理解力 相手と自分の真意がわかるビジネスパーソン必須の教養』感想・目次

『異文化理解力 相手と自分の真意がわかるビジネスパーソン必須の教養』

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

 

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

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【目次・読書メモ】

 

監訳者 まえがき

イントロダクション

 

【要約】


文化は相対的に考えるべき。フランス人はイギリス人にはルーズに見えるがインド人にはフランス人は神経質に見え、イギリス人すらドイツ人にはいい加減に見える。つまり文化は絶対的なものではなく相対的なもの。その文化で暮らす人はその外に出なければ自分の文化を認識できない。金魚における水のようなもの。

 

^_^ この内容は著者も言う通り地雷源でもあるが、著者がそれを理解していることが重要なのだろう。これは男女差、世代にも確実にあるだろうがこれまた地雷源であるから、なかなか扱いが難しいだろう。著者が自分の失敗談から入っていると言うやり方は上手いからぜひ真似したい。

 

1 空気に耳を澄ます
異文化間のコミュニケーション

要約
もっとも問題を生じやすいのは異文化のハイコンテキストとハイコンテクスト。

^_^ そう考えると日本人と中国人もなかなか難しいのかもしれない。

2 様々な礼節のかたち
勤務評価とネガティブ・フィードバック

要約
パターンとしては
ハイコンテキストでフィードバックは明確、
ハイコンテキストでフィードバックはぼかす、
ローコンテキストでフィードバックは明確
ローコンテキストでフィードバックはぼかす。
の4種があり。日本はハイコンテキストであり、フィードバックはぼかす。ネガティブを伝えないことでネガティブなメッセージを伝える場合すらある。

3「なぜ」VS「どうやって」
多文化世界における説得の技術

要約
まず西洋で帰納的なアプローチと演繹的なアプローチに分かれる。実例から入りたがるアメリカ人と、原理から入りたがるヨーロッパ人という枠組みで、東洋人はまた別で全体の枠組みと背景を考慮する。ただ能率を求めるなら単一文化の集団の方が効率が良く、イノベーションを求めるなら多文化の方がよいと思われる。

4 敬意はどれぐらい必要?
リーダーシップ、階層、パワー

要約
ローマ帝国に支配されていたところは階層を重視し、ヴァイキングが支配していたところは平等を重視する。
東アジアはさらに階層的で孔子の影響が残り、上司は父長的な役割を求められる。上司の言うことは明らかに間違っていても正しい。
平等主義では必要な情報を直接取りに行けるが、階層主義では情報源の上司に許可が必要。

^_^ 日本の階層主義も大概だよね。ハンコを上司に頭を下げるように押すとか。でも階層主義的な方がいい部分もあるのかもしれないなぁ。軍隊とか。

5 大文字の決断か小文字の決断か
誰が、どうやって決断する?

要約
トップダウンで実行が始まってからも、決断を修正し続けるアメリカ。
合意は全員参加で一度、みんなで決断したらほぼ変更せず実行するドイツ。
そして、階層主義でありながら、稟議書というボトムアップの方式をとる特異な文化、日本。

6 頭か心か
二種類の信頼とその構築法

ビジネスはビジネス、個人的関係は個人的関係、それを混同しては面倒なことになると考えるアメリカのようなタスクベースの文化と、ビジネスをするにしても、個人的な関係が大切で個人的な信頼関係がなければビジネスは難しいと考える関係ベースのサウジアラビアのような文化がある。
日本はタスクベースよりだが、飲みニケーションのような関係性を重視する傾向もある。

7 ナイフではなく針を
生産的に見解の相違を伝える

意見の相違を述べた場合、その意見の持ち主を攻撃したものと判断される日本のような文化と、反論はあくまで意見に対するもので意見の持ち主に対する攻撃とは取られないフランスのような文化がある。

8 遅いってどれぐらい?
スケジューリングと各文化の時間に対する認識

イスラム文化圏では指導者が突然、明日から祝日と決めたりもするので、柔軟さが大切である。
一方でドイツや日本など時間に関して直線的な対応をする文化もあり、それぞれの環境にあった時間感覚を持っている。
したがって様々な国の人々がいるチームをマネージメントする場合はチームとしての文化を作る必要がある。

エピローグ

人は自分の持つ文化を他の文化と比較しなければその存在を自覚できない。水の中にいる魚が水を認識でないのと同じである。
そして自分と違う文化をおかしい、変だと思うようになる。
しかし、それを理解し、上手に対応する学習の過程にも大いなる実りと喜びがある。

謝辞
原注
詳細目次

この本を読むときに必要なのはどの文化、どのシステムが優秀で、どのシステムが劣っているとか、どのシステムが先進的で、どのシステムが前時代的なのかという優劣の切り口でみてはならないということ。
どの文化もその環境で醸成され、磨かれてきたものだからだ。
だからその文化が良い結果を生むかどうかはその置かれた環境によるのだ。
この本で面白いのは各国の文化に、歴史的な背景が付け加えられていることで、この切り口でもっと突っ込んだ本があるなら是非読みたいと思った。
そして、余談だがもっともハイコンテキストな日本において、よりハイコンテキストな京都の事を思うと、思わず笑ってしまう。
ぶぶ漬けでもどうどす?」=もう帰れ
正にハイコンテキストの極みだ。