申告漏れの徳井さんは本当にここまで糾弾される必要があるのか?

「罪を犯す人には2種類存在する、ひとつは悪い人間ともうひとつは弱い人間だ」(うじむし)

 

 最も社会に害を与える犯罪者とは、どんな犯罪者でしょうか?

 

 まず犯罪の規模が大きいこと、一人殺した人より、十人殺した人の方が害は大きいし、10万円横領するよりも、10億横領した人の方が害が大きい。

 

 いろいろ他にも条件はあるでしょうが、基本的には妥当なところではないでしょうか?

 

 そして、罪が裁かれないことも、社会に対する害が大きい。さらに言えば、罪が発覚したのに、裁かれなければ、その手法を真似る者が増えるのだから、社会に対する害はさらに大きいものになるでしょう。

 

 その点で、今回の徳井さんの申告漏れについて、考えてみたい。まず、マスコミは悪質な脱税と同義だという論調が多いが賛成できない。 

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 彼は所得隠しのような手法はほとんど使っていない。3年間申告をしなかっただけだ。さらにはその3年前にも、同じように申告漏れの指摘を受けて追徴課税を払っている。

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 つまり、後々大変なことになると分かっていながら、対応できなかった、つまり彼はは悪い人間というより弱い人間なのだ。

 

 結果的には彼は追徴課税と延滞税を払って、通常より多くの税を支払っている。さらに通常なら認められるだろう経費も、査察に入られれば認めて貰えなかった部分も多かっただろう。つまり国としてみれば、3年に一度、査察を受け入れ、より多くの税を国庫に納めてくれた良き納税者という見方もできる。

 

 しかも、その納税は逃れようという小細工もなかった。おそらく税務署の職員の人件費は余計にかかったかもしれないが、それ以上の余分な税収を得られただろうし、有名人である彼に査察が入ることで、国税は逃れえないのだという社会に対するアピールもできた。

 

 つまり国家財政としてはメリットしか無かったと言える。

 

 しかし、なぜ徳井さんはいずれ取られるとわかっていながら、税金を申告しなかったのだろうか?

 

 ノーベル賞受賞者ダニエル・カーネマンの研究に「人間は利益を得る喜びよりも、2倍以上損をすることに苦痛を感じる」というものがある。人は100円儲かる幸せよりも、100円損する不幸の方がずっと強いのだ。
business.nikkei.com

 徳井さんは一般的な人と比べても、特に損をしたくないという感情が強いタイプの人だったのではないだろうか。(かと言って細かな節税をするほどマメではなく、巧妙な脱税に手を染めるほどの悪人でもない)

 

 基本、日本では自営業者の税は自己申告になっている。つまり徳井さんにとっては年に一回、自分で税額を計算し、納税するという行為は、自分で自分の爪を剥がして持ってこいと言われているようなものだったのかも、知れない。

 

 それならば、恐怖に怯えつつも、納税をせず放置して、3年後、向こうから役人がやってきて有無を言わせず爪を剥がして持って行ってくれた方がマシだった(本人がそう意識していたか、いなかったに関わらず)

 

 たとえ、延滞税や加算税でもう一枚、余計に爪を剥がされるとしても。

 

 記者会見で彼は「これからは、あらためて納税に対する意識、仕事のこと、自分自身のこと、しっかりと見つめ直していきたいと思っております」と述べていましたが、個人的には納税の痛みを味わわなくて済むように、信頼できる税理士に丸投げしてしまうか、吉本興行からの給料制にしてもらって、税金を天引きしてもらうほうが、彼自身のためにはよいように思えます。

 

 さて、こう考えていくと、徳井さんは確かに納税を怠りましたが、それは彼の弱さの表れであり、社会に対しての害は少なく、税金のシステムと彼の性格の相性の悪さの結果ということもでき、最も害を受けたのが彼自身であったということもできると思います。

 

 ですから、これ以上、彼を倫理的に追い詰める必要をぼくは感じません。税金の問題では、もっと社会が追い詰めるべき、弱い人ではなく、社会的にも強く、社会的にも悪い人がいるのですから。

 

 それは誰か?それはタックスヘイブンを利用した本当のお金持ちたちです。

 

 徳井さんなどとは比べようもない超お金持ちたちです。タックスヘイブンの利用者名簿であるパラダイス文書に名前が挙がった、あのドラゴンボール鳥山明さんや総理経験者でもある鳩山由紀夫さんです。

 

 ここでは大人から子供まで誰でも知っているという点で鳥山明さんに矢面に立ってもらいます。(ぼくは作者が罪を犯しても作品の価値は変わらないという考えの人間ですので、芸能人が覚せい剤をやったからと言って出演作が店舗から消える現象を理解できません、ですから、ドラゴンボールは素晴らしい作品ですし、今までもこれからも大好きです)

 

 鳥山明さんはタックスヘイブンに関連する文書、パラダイス文書に名前が挙がった際には、「日々多忙のため、税務面はおまかせにしていますのでお話しできることはありません」というコメントで済ませています。

www.huffingtonpost.jp

 

 もし、鳥山明氏がタックスヘイブンでの租税回避を"良し"としないのであれば、税務面で任せている組織なり、個人を解雇し、自分の意志を明確にすべきではないでしょうか?

 

 徳井さんの「無知」は許されず、より巨額で組織的なタックスヘイブンを利用して税金を免れた鳥山明さんの「忙しいのでわかりません」が許されるのはどういう倫理の逆転でしょう?タックスヘイブンを利用し租税回避をするような組織に税務を依頼したということは法的には罪に問えなくても、倫理的には無罪なのでしょうか?

 

 罪に問えないことと、無罪であるということは違います。

 

 徳井さんは実際に査察を受け、追徴や延滞税を支払っています。つまり、罪はすでに償っているのです。それでも倫理的な問題から番組を下ろされるなどの追及が続いています。

 

 しかし、鳥山さんの場合は法的には罪がない(罪がないというよりタックスヘイブンに日本の法が及ばないというだけ)かもしれませんが、法的に罪を問えない以上、より一層倫理的な罪は重いと言えるのではないでしょうか?

 

 しかも、鳥山さんの場合はタックスヘイブンを利用しているのが発覚しても、なんのデメリットもないという結果は社会的にも大きな害悪をもたらします。

 

 つまり発覚しても罪に問われないのであれば多くの追従者を産むことになります。ぼく自身も、恐らくはなにかの拍子に多額の金を手に入れたら、タックスヘイブンの利用を考えるでしょう(笑)。何しろ発覚しても法的にも、倫理的にもなんのお咎めもないのですから。

 

 つまり倫理面で追求すべきは、延滞税を払い、追徴金を払った徳井さんではなく、何のお咎めも受けなかった鳥山明さんなのではないでしょうか?

 

 ただ、できることと言えば、世論を喚起することぐらいで、実際、経済的に鳥山さんにダメージがいくことはないでしょうが、世論がタックスヘイブンの利用は許さないという意思を示せば、少なくとも人気商売の人間は、法的にはタックスヘイブンの利用が罪に問えないとしても、利用を躊躇させることができるのではないでしょうか?

 

 他にも漫画家では、いがらしゆみこさん、音楽では小室哲哉さんの名前も、別のタックスヘイブンの関連文書パナマ文書に上がっています。

www.huffingtonpost.jp

 

 別に漫画家に恨みがあるわけではありません(笑)。誰も知っている名前なので上げさせて貰っているだけです。

 

 そして、先日、ソフトバンク法人税を払っていないというニュースが、ネット上を駆け巡りました。

headlines.yahoo.co.jp

 

 さらにはトヨタ自動車にも過去にそのような事例があったというニュースもありました。

www.mag2.com

 

 税金に関する法律が複雑化した結果、それを上手に利用できる者は合法的に税を回避し、さらにタックスヘイブンなど、世界を股に掛けた灰色の租税回避が広まって、いつの間にか、税金そのものが、税金をまぬがれる知恵の無い愚か者だけに課せられた"愚者税"とでも言うべき姿を変えつつあるように感じます。

 

 君が納税しなくてはならないのは、節税のプロに頼むお金がなく、税金のシステムを理解する知恵も無いからだと言われているような気がするのは僕だけでしょうか?

避難所に入れなかったホームレスの人がもし亡くなっていたら

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 ホームレスの人が避難所に入れてもらえなかったことが、話題になっています。

 

 僕個人としてはホームレスの人が避難所に入れなかったという一件に関しては、責任者も謝罪しており、まぁ、手違いやら、現場の判断ミスやら、忖度やらで、そんな例外もあったけど、多くの避難所でホームレスが拒否されたわけではないので、今後は改善されるだろうし、大した問題ではないと思っていたのです。

 

 しかし、そのニュースに寄せられたコメント欄を見て、ゾっとしました。

 

 臭くて一緒にいたくないからホームレスは入れるな。

 

 モノを盗まれるかも知れないからホームレスは入れるな。

 

 衛生的でないから健康に悪影響があるかも知れないからホームレスと一緒は嫌だ。

 

 などの理由で、避難所にホームレスを受け入れて欲しくないという声の書き込みが多くを占めていたのです。

 

 さらには彼らは税金を払っていないのだから、税金で運営されている避難所に入る権利はないとまでいう人が出てきて、とても悲しい気持ちになりました。

 

 拒否したい気持ちはわかります。ぼくも嫌だなという気持ちが無いわけではありません。しかし、それでも受けいけるべきだというのが、大人の、人間としての判断ではないでしょうか?

 

 避難所はいわば命を守るシェルターです。外に出れば死の危険があるということです。

 

 一晩、臭いのを我慢するのは嫌だから、ホームレスは死んでもかまわないということでしょうか。

 

 もしも、避難所にて、自分の意見でホームレスの人を拒否することになって、その人があとで水死体などで発見されたら、その人は平気でいられるのでしょうか?

 

 もし、平気でいられる、ホームレスの人は自己責任だからと言うのでしたら、もはやぼくはその人に何も言うことはありません。

 

 少なくともぼく生きている21世紀の日本では、少なくとも生きたいと思う人の命は何より尊重されるべきものだと思っていますし、ぼくもそう信じています。

 

 ぼくにはさいわいポロいながらも家がありますが、いつか何かの拍子にホームレスになったら、そのような扱いを受けると思うとそら恐ろしくなります。

 

 ずっと社会の中で歯車として走り続けなければならない、ドロップアウトすれば、生きたいと思っても生きることが許されない、災害の中、最低限命を守るシェルターにもし入れてもらえない。

 

 そんな世の中であれば、ホームレスではない社会の中で生きている人にとっても生きずらい世の中なのではないでしょうか?

 

 不運にもホームレスに転落すれば、もはや人として扱われない。それは運が悪ければ明日の我が身かも知れない。そう思って生きるのは誰しも、つらくはないですか?

 

 それよりもホームレスになってもまぁ何とかやっていけるし、人間としての尊厳まで奪われるわけじゃない。そう思えた方が、世の中生きやすいのではないでしょうか?

 

 日本のお偉いさんや評論家の皆さんは日本にはチャレンジが足りない、若者はもっとチャレンジするべきだなどと言いますが、一旦、ホームレスなどに転落すれば、情け容赦なく叩かれる日本で挑戦するなんで、ただの命知らずです。

 

 ドロップアウトした人を叩く人は自分たちが日本のチャレンジ精神も叩き潰しているという自覚はあるのでしょうか?

 

 公園でホームレスの人の笑い声が聞こえ、楽しそうに酒盛りをしている。失敗してホームレスになっても、それはそれで、まぁ楽しいかもなと思える世の中なら、ここはひとつ勝負をかけてみようという気も起きるというものです。 

 

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5章 買い物編06 値引きに弱いという弱点

 何しろ、月額6万5千円で生活しているので、売る側の売り文句には強い耐性を持っています。

 

 新製品が"良い"と言われれば、今までの旧製品は"良くなかったのか"と考えるし、現実問題として、大抵、旧製品と大して変わらない。

 

 しかし、値引きには弱い。

 

 ぼくクラスのプロの貧乏人になると、スーパーに行っても、値引きシールが貼ってあるものしか目に入らない。

 

 もちろん、値引きシールの貼っていないモノも買う場合があるので、自分の中のスイッチを入れると、値引きされていないモノは意識に上らないようになるのです。

 

 逆に値引きには敏感で、20%や30%までは無視もできるが、半額のシールが貼ってあると、それを買わない理由を考えなければ、その場を離れられないのです。

 

 コロッケが半額なら「これは油ものだから、あとあと肥満や糖尿病という高い代償を払うことになるぞ」

 

 シュークリームが半額なら「これも、あとあと・・・しかし、我慢しすぎるのも、ストレスは非常に体に悪い、嫁に聞いて嫁が食べると言ったら買おう」

 

 カレールーが半額なら「賞味期限を確認しろ、何?来年までいける?しかし、我が家には半額のカレールーが5箱はある」

 

 しかし、かごに入れて嫁のところに持っていくと「我が家にはカレールーが10箱はあります、インド人じゃあるまいし」と言われ、しぶしぶ棚に戻すのです。

 

 もはや半額のモノを買わないことで自分が損するのではないかという妄想に取りつかれつつあるなぁと思いつつ、それでも買い物を楽しめているのでそれでよし、という月額6万5千円生活なのです。

 

 

 

あなたの一票は無駄なようで無駄じゃない。

 あなたは今まで選挙に行って、あなたの一票で当落が決まったという選挙があったでしょうか?

 

 恐らくなかったと思います。ではあなたの一票は無駄だったということでしょうか?

 

 いいえ、無駄だったとは言い切れません。選挙はもちろん当落が大事な要素ではありますが、それ以外にもたくさんの節目があるからです。

 

 例えば政治家が、Aという政策を実行しようか悩んでいた場合、選挙の結果、Aという政策の支持派の得票率が30パーセントを超えたら、政策を実行しようと考えていたとします。

 

 もしかしたら、アナタの一票がその30%のラインを超えるか超えないかのボーダーだった可能性もあるのです。

 

 しかも、そのボーダーは恐らく政治家ごとに、政策ごとに存在しているでしょう。その政治家が意識しているかしていないかに関わらずです。ですから、あなたの一票があなたの知らないところで、その後の政治の動きは変えている可能性はあるのです。

 

 さらにその変化は連鎖する可能性も持っています。あなたの一票が一人の政治家の決断に影響を与え、その政治家のその政策の態度が、より大物の政治家の決断に影響を与える可能性は十分にあります。つまり、あなたの投票行動が結果的に国の政治の方向性に影響を与える可能性はありえるのです。

 

 この論でいくと、何も数年に一度の選挙時だけが、有権者が政治に影響を与える機会というわけではありません。

 

 何かの政策を決定する局面で、地元の政治家の事務所に電話して、政策の支持、不支持を伝える、政治家のFacebookにコメントを残す。政治家自身に電子メールを送るという手段も影響を与えうるのです。

 

 それがどんな形でもの目に触れれば、その決定にその政治家が意識するかしないかに関わらず影響を与えるからです。

 

 例えば、あなたがメッセージを送らなかった場合、269件のメッセージを読んで、秘書は議員にこう告げます。

「先生、今回の政策に対して、200件を超える不支持のメッセージが届いています」

 

しかし、あなたがメッセージを送ることで、一件増えて270件のメッセージを読んで、秘書は議員にこう告げるのです。

「先生、今回の政策に対して、300件近い不支持のメッセージが届いています」

 

 あなたの一件のメッセージで議員が受ける政策に対する地元の空気の印象が変わってくる可能性があるのです。

 

 その点で言えば、常に一人の政治家が当選しつづけている無風選挙区の住人は政治に影響を与えることは難しいでしょう。そのような政治家はあなたの意見など無視しても、既存の支持団体の言うことを聞いていれば次も当選できるからです。

 

 しかし、常に二人以上の政治家がしのぎを削っている選挙区であれば、その影響力は大きなものになります。

 

 あなたの住んでいる選挙区はどちらですか?

 

まったく反対の「政治は天気だと考える」という記事も書いています。ぼく自身悩ましい問題なのです。

 

 

 

 

政治は天気だと考える

 

 

 政治は天気と同じです。

 

 明日が雨で都合が悪いからと言って「天気」を変えようという人はいないでしょう。おそらく多くの人が「カサ」を持って出かけるという方法を選ぶと思います。

 

 実は政治に関しても99%の人にとっては天気と同じことです。

 

 あなたの父親が小泉純一郎でその地盤を継げるとか、そんな立場にでもいなければ、一庶民が政治を変えるには、恐らく人生のすべてを捧げてやっとどうにか若干の影響を与えるかも知れないという程度の話でしょう。

 

 つまりプロになる覚悟がないなら、政治は天気と同じだということです。

 

「天気の決定には参加できないが、政治には投票で参加できる」そう言う意見もあるでしょう。

 

 では、あなたが、今まで参加してきた選挙で2票差で当落が決まった国政選挙がありますか?

 

 日本は民主主義ではありますが、あなたの一票にはなんの影響力もありません。それが事実です。

 

 それでも我々は政治に参加しているつもりで、新聞を読み、Yahoo!ニュースをクリックしています。

 

 そして、政治の問題に嘆き、何とか政治を変えなければと考え、それがかなわず、暗たんたる気持ちになるのです。消費税増税やら、政治家の失言やら、政治なんて天気と同じなのに。

 

 政治のニュースを読むことは必要です。明日の天気を知ることが必要であるのと同様に。

 

 それによって「カサ」を持ったり、「補助金」を申請したり、仕事のやり方を変えたり、環境の変化に対応しなければならないからです。

 

 しかし、アナタは政治の影響は受けまずか、政治を変えることはできません。あなたが政治家を目指すのでなければ、政治はショーでしかないのです。

 

 しかも、メンバーの代わり映えのしない実に下らないショーです。出演者は老人ばかりです。たまに若いやつが出てきたと思ったら二世三世ばかりです。

 

 政治は天気と同じ、変えられない。そう割り切れればあとは天気同様、消費税が上がろうが、年金が危うかろうが、自分の手が届く範囲で対応するのみです。

 

 貴重な日曜日に投票に行くぐらいなら、バイトでもして老後に備える方が正しい選択です。

 

まったく反対の「あなたの一票は無駄なようで無駄じゃない」という記事も書いています。ぼく自身悩ましい問題なのです。

9章 ベーシックインカム編01 ベーシックインカムに反対する人へ

 ベーシックインカムに反対する人は大抵こう言います。

 

ベーシックインカムなんて導入したら、人々は仕事もせず毎日、寝転がってテレビを見て暮らすようになるに決まっている」

 

 本当にそうでしょうか?

 

 そんな人に「あなたもベーシックインカムが導入されたら、仕事をやめて、毎日、寝転がってテレビを見て暮らすようになりますか?」と聞いてみます。

 

 すると、多くの人がこう答えます。「わたしはそんな怠け者の連中とは違う、仕事もやめないし、有意義な日々を送る」

 

 なぜ自分はダメ人間にならないのに、他の多くの人はダメ人間になると決めつけるのでしょうか?

 

 自分の運転技術は上・中・下でどれですか?とたずねると、なんと7割の人が「上」と答えるという調査結果があります。

 

 7割の人が平均より運転が上手ということはあり得ません、つまり人間は自分を過大評価する傾向にあるのです。

 

 つまりは平均的な人間はこう考えているのです。

「平均より優秀な自分はベーシックインカムの導入でも、身を持ち崩さないが、自分より出来の悪い平均的な人間はダメ人間になる」と。

 

 あなたは平均的な人で、平均的なあなたがベーシックインカムの導入で、ダメ人間にならないのなら、たいていの人はベーシックインカムの導入でダメ人間にはならないのです。 

 

 これはベーシックインカムに限りません。大麻の合法化でも、同じことが言えます。

 

大麻の合法化なんかしたら、みんな大麻に溺れて、やがてそこから危険な覚せい剤なんかに手を出すようになる、もちろん私は人より優秀だから、そんなことにはならないがね」

 

 

 

 

 

ぼくがベーシックインカムを支持する理由

 ぼくがベーシックインカムを支持する理由の一つは、現在の福祉制度では、給付金制度が人のできることを奪っていくということです。

 

 現在の福祉制度では、たとえば障害を持つ人は、歩けないとか、立ち上がれないなどのできないことを証明し、アピールすることで給付金を受け取ります。

 

 逆にできることが増えれば給付金は減らされます。歩けない人が歩けるようになり、立ち上がれない人が立ち上がれるようになり、働けなかった人が働けるようになると、給付金は減らされるのです。

 

 つまり、福祉が人からできることを奪う、できることができなくなるようなインセンティブが働いているのです。

 

 その点、ベーシックインカムはどんな人にも生きていけるだけの給付金を与えるので、そのような悪しきインセンティブは働きません。

 

 寝たきりの人が起き上がること、立てなかった人が立ち上がること、歩けなかった人が歩けるようになること、働けなかった人が働けるようになることが、そのまま喜ばしいこととして、皆で喜ぶことができるのです。