記事スクラップ『ポストコロナの時代にも響く「世界でいちばん貧しい大統領」の言葉』
「すべてはあの孤独な年月のおかげだ。あの敵意に満ちた過酷な環境がなかったら、今の私たちは存在しない。こんな言い方は酷かもしれないが、人は好事や成功よりも苦痛や逆境から多くを学ぶものだ。我々の闘いは続く」(ホセ・ムヒカ)
この一文は好々爺に見えるムヒカ氏が、軍事独裁政権と戦った活動家であった断面が表れる言葉だ。
多くの活動家は独裁政権に勝利すれば、それで戦いを終える。場合によっては新たな独裁者として君臨することすらある。
しかし、ムヒカ氏が特筆すべき稀有な存在だと言えるのは、独裁政権を倒して、新たな民主主義を打ち立てた後も、新たな敵を見出したことだ。
それは「行き過ぎた資本主義」「強欲資本主義」という存在だ。
それらはいつの間にか富を崇拝させ、人々の幸福を脇へ追いやってしまう。
そしてそれらはとても戦いにくい相手だ。それは成果主義とか、自己責任とか、「努力した人が努力しただけ報われる社会」などという一見、批判しにくい姿して世界に君臨している。
そして多くの人がそれを支持している。
しかし、それがいまや欺瞞なのは明確だ。ビル・ゲイツは他人の1兆倍努力したわけではない。しかし1兆倍のお金を持っている。
そして1兆倍、他の人より幸せという訳ではない。
このホセ・ムヒカ氏が支持されるのは、戦いにくい存在である「行き過ぎた資本主義」との闘い方を身を持って示してくれるからだ。
それは質素な暮らしであり、周りの人たちへの貢献であり、愛情である。
それは「幸福」というものを軸に、生き方をもう一度とらえ直すという生き方で、お金持ちでなくても幸福でありうるということを実践し、示してくれている。
それは「資本主義」「効率主義」に溺れ、自身の幸福を見失いがちな、僕らに指針を示してくれるのだ。
「僕らはもう十分に豊かだ。次は幸福について考えよう」と。
5月31日まで延長された新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言だが、先月7日に出されてからは、映画館の休業が相次いでいた。全国展開する大手シネコンに歩調を合わせ、ほとんどの劇場が休館となり、公開中の作品は上映がストップ、公開が予定されていた作品も軒並み延期や中止となっている。
特定警戒都道府県以外の34県では、マスクの着用や座席間隔の確保などを条件に、徐々に劇場は再開されつつあるが、それでも新作の公開となると、映画人口が集中する13都道府県の劇場が営業を開始しない限りは、かなり難しいことも事実だ。
この困難な状況に、映画配給会社のなかには、公開途中で上映中止を余儀なくされた作品をネットによる配信に切り替えるという動きがある。
映画「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」も、そのひとつだ。3月27日の都内での公開を皮切りに、順次全国公開の予定だったが、すぐに多くの上映あるいは上映予定の映画館が休業に入り、公開が難しくなった。
しかし、南米ウルグアイの大統領時代から清貧を旨とし、自然と共生する暮らしを励行してきたホセ・ムヒカの姿を描いたこの作品は、人々が新しい生き方を模索しようとてしているこの時期だからこそ公開する価値があるのではないかと、映画配給会社が期間限定の配信に踏み切った。
(中央)ウルグアイ大統領時代のホセ・ムヒカ(C)CAPITAL INTELECTUAL S.A反政府ゲリラから大統領に
「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」は、反政府ゲリラの闘士から国の最高指導者にまで選ばれることになった、ホセ・ムヒカの数奇な人生をたどったドキュメンタリー作品だ。
監督は、元ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェコビナ)出身のエミール・クストリッツァ。劇映画である「パパは、出張中!」(1985年)と「アンダーグランド」(1985年)で、2度のカンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールに輝いた世界的名匠だ。
映画は、ムヒカが、自宅の庭でそのクストリッツァ監督にマテ茶を勧めるシーンから始まる。ムヒカが入念に淹れ、自ら口をつけ味見をしたマテ茶をクストリッツァに渡す。一瞬、訝しげな表情を見せながらもマテ茶をすする監督。すると2人の表情が、同じ笑顔に染まっていく。
「もしもウルグアイが大国だったら、社会民主主義を生んだ国と呼ばれていただろう。1950年代までは、ラテンアメリカでは珍しい国と見なされ、南米のスイスと呼ばれた。だが以降、軍事政権が台頭、こうした歴史が我々活動家に影響を与えた」
タイトルに続いて、ムヒカのこのようなモノローグが始まる。バックにはウルグアイという国を襲った悲劇の歴史の映像が流れていく。軍事独裁政権のもとで投獄されるムヒカ。しかし、彼の次のような言葉が続く。
「すべてはあの孤独な年月のおかげだ。あの敵意に満ちた過酷な環境がなかったら、今の私たちは存在しない。こんな言い方は酷かもしれないが、人は好事や成功よりも苦痛や逆境から多くを学ぶものだ。我々の闘いは続く」
すると、一転、ムヒカの普段の生活に映像が切り替わる。30年来、大統領になってからも住み続ける農場のなかに建つ平屋の住宅。質素ではあるが緑に包まれた趣ある家の映像に、ムヒカの言葉が重なる。
「自然には心から感謝する。神のような存在だと感じている。この地球も、鉱物や水素を擁する宇宙も。だが私たちが触れられる命は限られている。私を満たす、愛すべき命はね」その家のなかで目覚めるムヒカ。かつて彼とともに反政府運動を闘い、いまも政治活動を続ける夫人は先に出かけていくが、やおら起き出し、ゆったりと着替えをする映像には、次のような言葉が加わる。
「シャワーを浴び、ヒゲを剃り、スーツを着る。大統領になった日に着たのと同じ服だ。クリーニングに出せば、新品と変わらない」
どんなときもネクタイをしない大統領
ホセ・ムヒカを世界的に有名にしたのは、2012年にブラジルのリオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議」だ。彼はそこでのスピーチで、消費至上主義が環境危機を引き起こしているとし、経済の発展が必ずしも人類の幸福に結びついていないと憂い、より良い未来に向けて行動を起こしていかなければいけないと訴えた。
このスピーチが、瞬く間に世界へと広がり、ノーベル平和賞の候補にもなった。また、収入のほとんどを寄付に当て、大統領職の傍ら農業に勤しむという質素な生活ぶりから、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれるようにもなった。
クストリッツァ監督は、そのムヒカの軌跡と現在の生活を、冒頭の約5分間で手際よく語っていく。このあたり社会的視点を持ちつつも、斬新な映像でこれまで作品をつくり続けてきた監督の面目躍如たるところだ。
そして、作品は、国民によって圧倒的な祝福が捧げられる大統領退任の日に時間軸を置きながら、反政府ゲリラのリーダーとして闘った日々からこの日までのムヒカの軌跡を、関係者の証言を交えながら、詳細に描いていく。
かつてムヒカたち政治犯が収監されていた刑務所跡を訪れるシーンは印象的だ。いまは建物がすっかりリニューアルされ、ブランド店も入るショッピングセンターに入っていくと、ムヒカは人々から歓迎を受け、スマホのカメラが一斉に向けられる。そこでムヒカは言う。
「革新は時には害になる。例えば携帯電話にカメラを付けるというアイデア。おかげでいつも足止めを食わされる。撮影が終わるまで、ずっとその場でね。携帯電話は人の創造力を刺激し、色んな機能が付けられた。私も年を取り、前立腺に問題を抱えている。携帯電話にトイレを付けてほしい」
物質文明に対する鋭い言葉を放ちながら、ジョークも交えるムヒカは、いつもフランクで、自らを飾ることはない。例えば、ウルグアイ大統領として式典に出席するときも、ローマ教皇やオバマ大統領に会うときも、ムヒカはネクタイをすることはない。
大統領退任の日も、トレードマークでもある青い小さな旧式のフォルクスワーゲンに乗って式典会場へと向かう。その先々で人々の熱い感謝の言葉が、彼に対して降り注ぐ。このシーンも、彼の庶民的で、誰にでも笑顔で接する人懐っこさを表していて、印象深い。
また、ムヒカが反政府ゲリラとして闘った日々もリアルに振り返られている。かつて彼らが襲撃した銀行の前にムヒカが立ち、当時使用していた拳銃や自らが受けた銃弾の話などをするシーンは、この作品を単なる柔なヒューマンストーリーでは終わらせないという監督の深い演出意図も感じさせる。
クストリッツァ監督は、このドキュメンタリーを撮ろうとした理由を次のように語る。
「誰かに、トラクターを運転する大統領がいると教えられた。その姿を見て、次はこの映画を撮ると決めた。世界中で、彼だけが、腐敗していない唯一の政治家だと思ったのだ。『大多数に選ばれた者は、上流階級のようにではなく、大多数の人たちと同じように暮らさなければいけない』という彼の考え方にも動かされた」
左:エミール・クストリッツァ監督、右:ホセ・ムヒカ(C)CAPITAL INTELECTUAL S.A確かに、作品中には、ムヒカの含蓄のある言葉や激動の人生のなかで培ってきた彼の確固とした考え方が散りばめられている。
「人類に必要なのは、命を愛するための投資だ。全人類のためになる活動は山ほどある。パタゴニアを人が住めるようにする。アタカマ砂漠に木を植えて、世界一乾いた砂漠の気候を変える。それは人間にもできる。金を貯め込んだり、高価な車を生産したりする代わりに」
全世界にも及ぶ、新型コロナウイルスの感染拡大とともに、隆盛を究めていたグローバル経済にストップがかかり、世界は新しいフェイズに入ったとも言われる。そのなかで、ホセ・ムヒカの生き方や考え方は、大きなヒントを私たちに与えてくれる。特に、この作品の終盤で語られ次のようなムヒカの発言は、心に響く。
「文化が変わらなければ、真の変化は起こらない。かつて我々は信じていた。社会主義はすぐに訪れるだろうと。だが、時を経るにつれ、思っていたよりはるかに難しいと悟った。文化的な問題を改善することは、物質的な問題より重要だ。資本主義をオモチャにしている人間とそれ以外の人間がいる。私のようなそれ以外の者は、資本主義では解決しない別の道を積極的に探さねばと、できることを模索している」
もちろん、この作品は新型コロナがこの世界に登場する前に撮られている。しかし、作品中で語られるムヒカの言葉は、ポスト・コロナの時代にも、実に有効なものとして、私たちには考えられるのではないだろうか。
*「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」◎配信期間:5月8日(金)〜9月1日(火)配信プラットフォーム:TSUTAYA、RakutenTV、ひかりTV、GYAO!ストア、DMM動画、ビデオマーケット、COCORO VIDEO、music.jp
「泣いたのは初めてです…」“世界一貧しい大統領”ホセ・ムヒカ85歳の言葉に日本人通訳が嗚咽した日
この『「泣いたのは初めてです…」“世界一貧しい大統領”ホセ・ムヒカ85歳の言葉に日本人通訳が嗚咽した日』という記事は最後まで読むと分かる通り、すがすがしいぐらいに週刊文春の紙面の宣伝だ。
その答えは、「文藝春秋digital」に掲載されている「 日本人への警告 」を読んで、ぜひ知ってほしい。
なにせ、この一文で終わるのだ。
だからと言ってこの記事に価値が無いわけではない。もちろん、ムカッとしたが。
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」(ホセ・ムヒカ)
「私たちは非常に多くの矛盾をはらんだ時代に生きている。こういう時代にあって、自らに問わなければならないのは“私たちは幸せに生きているのか”ということだ。経済の進歩は、一面で非常にすばらしい効果をもたらした。150年前に比べれば、寿命は40年延びた。その一方で、私たちは軍事費に毎分200万ドルを使っている。また、人類の富の半分を100人ほどの富裕層が持っている。私たちはこうした富の不均衡を生み出す社会を作ってしまった」(ホセ・ムヒカ)
ムヒカ氏の言いたいことは、一貫して、富=幸福ではないということ。そして、資本主義に流されずに個々の幸福を追求すべきということ。
ぼくらは資本主義に流されて幸せを忘れてくることが多すぎるのだ。だから、ホセ・ムヒカ氏の言葉は僕らに刺さるのだ。
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
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2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連の「持続可能な開発会議」(以下リオ会議)。世界の首脳・閣僚が参加し、自然と調和した人間社会の発展や貧困問題が話し合われたが、演壇に立った南米のある大統領のスピーチが、世界中の感動を呼んだ。8分間の熱弁が終わると、静まり返っていた会場は沸き立ち、聴衆の拍手は鳴り止むことはなかった。
ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏(85)は、この演説をきっかけに一躍時の人となり、質素な暮らしぶりでも注目された。大統領公邸には住まず、首都郊外の古びた平屋に妻のルシア・トポランスキ上院議員と二人暮らし。古い愛車をみずから運転し、庶民と変わらない生活、気取らない生き方を貫いた。そしていつしか尊敬を込めて、「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれるように。国のトップになっても給与のほとんどを寄付していたことでも知られるムヒカ氏が、2020年10月20日、上院議員を辞職した。2015年に大統領職を退任後、上院議員として活動していたが、この日、高齢と持病を理由に引退を表明したのである。
ムヒカ氏は議会で「慢性的な免疫疾患があり、新型コロナウィルスの流行で私自身の健康が脅かされている、それが直接的な引退の原因だ。議員の仕事は人と話し、どこへでも足を運ぶこと。しかし感染の恐れでそれもできなくなった」と説明。「政治を捨てるわけではないが、第一線からは去る」と述べ、さらに後進に、「人生の成功とは、勝つことではなく、転ぶたびに立ち上がり、また進むことだ」とメッセージを送ったのである。
2015年の夏。文藝春秋の大松芳男編集長(当時)と打ち合わせをしていたときに、ムヒカ氏の名前があがった。2014年末にジャーナリストとして独立した私は、以前から行きたかったブラジル、アルゼンチンなどの南アメリカ諸国へ旅立った。約2か月間ひとり旅を続け、帰国してから、その体験をもとに東京スポーツで「南米放浪記」という記事を書いていた。地球の反対側にある南米は日本人にとって異世界で、スペイン語やポルトガル語しか通じない。快適とはいえない旅だったが、南米の風土、気質を存分に味わえた。そして私のテーマは日本人移民の足跡をたどることだった。
その内容を面白がってくれた大松氏が、「竜太郎さんは南米に詳しいから、ムヒカ大統領のインタビューやろう」と提案してくれたのだ。だが、お恥ずかしい話、そのときまで彼のことは知らず、リオ会議のスピーチをもとにした絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)が15万部超のベストセラーとなっていることをあとで知った。私はウルグアイ在住の人にかけあい、自力で大統領官邸にオファーを続けた。しかし返答がなく、途方に暮れていたところ、2016年に吉報が舞い込んできた。『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』(角川文庫)の刊行に合わせ、初来日が実現したのだ。そして4月6日、角川書店の会議室でインタビューできることになったのである。
“清貧の思想”を持つ好々爺は、長年ゲリラの闘士だった
本名ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ。1935年5月21日、スペイン系の父とイタリア系の母の間に、ウルグアイの首都モンテビデオで生まれた。7歳のときに父親が亡くなり、家庭は貧しかった。モンテビデオ大学を卒業後は家畜の世話や花売りで生計を立てながら、1960年代に社会運動に目覚め、極左武装組織ツパマロスに加入。ゲリラ活動中には6発の銃弾を受け、4度の逮捕を経験。軍事政権下、最後の逮捕では、13年間獄中生活を送ったという。恩赦で出所後、左派政治団体を結成し、1994年に下院選挙で初当選し、2010年大統領に就任した。いったいどんな人物なのか。彼にまつわるあらゆる書物や記事、映像資料を見て、インタビューに備えた。“清貧の思想”を持つ好々爺。そんなイメージを得たが、一方で気になったのは、長年ゲリラの闘士だったこと。写真で見る穏やかな表情の裏に、どんな人生があったのか、とても気になった。
私は、ムヒカ氏の到着を待った。日本人論を聞こうとか、日本人移民との交流を深く聞こうとか、質問は山ほどあるにせよ、限られた時間内で収めなければならない。片道30時間以上の長旅のうえ、ご本人が高齢のため体力的な負担をかけるわけにはいかない。スペイン語の通訳を介してのインタビューになるので、通常の倍時間がかかる。そんなことを心配しながらいると、ムヒカ氏が登場した。ゲリラ活動をともに戦った同志で、ムヒカ氏をずっと支えてきたルシア夫人と2人の男性ジャーナリストも随行。大テーブルをはさんで、目の前にムヒカ氏と通訳の日本人女性。私は旅行で習ったスペイン語で挨拶し、手前に座った。
背丈は日本人と変わらず、貫禄のある体格。ムヒカ氏はテーブルの上で手を組み、チャーミングに微笑んで「お好きな質問をどうぞ」と切り出した。質問をするたびうなずいて、ゆっくりおだやかな口調で語った。大事なところでは、まっすぐに私の目を見つめ、「自分が言いたいことは、これなんだ」という強い意思がはっきりと伝わった。
質素な暮らしの理由、日本人から学ぶべきこと、世界を支配する強欲資本主義、チェ・ゲバラからの影響、そして老人の孤独死にいたるまで話は及んだ。驚いたのはムヒカ氏が日本の「明治維新」に興味を持ち、学んでいたことだった。当初は少し緊張していたふうに見えたムヒカ氏だったが、持論を語るにつれ、次第に言葉が熱を帯びてきた。
「私たちは非常に多くの矛盾をはらんだ時代に生きている。こういう時代にあって、自らに問わなければならないのは“私たちは幸せに生きているのか”ということだ。経済の進歩は、一面で非常にすばらしい効果をもたらした。150年前に比べれば、寿命は40年延びた。その一方で、私たちは軍事費に毎分200万ドルを使っている。また、人類の富の半分を100人ほどの富裕層が持っている。私たちはこうした富の不均衡を生み出す社会を作ってしまった」
ムヒカ氏の顔には深いしわが刻まれ、それは人間の年輪のよう。柔和な風貌なのに、岩のような厳しい表情が見え隠れする。この人は本物だ、と確信した。
通訳の女性は「泣いてしまったのは初めてです、すみません……」
時間がなくなり、最後の質問で、私は「ムヒカさんがこれまでで一番幸せだなと感じたことはなんでしょうか」と訊ねた。ムヒカ氏は組んでいた手を一瞬ギュッとして、考えをめぐらせた。私はかたわらで静かに見守っているルシア夫人を見て、きっと「妻と出会えたこと」ではないか、ロマンチックな回答を内心期待した。著書にも「ルシアは私の人生を変えた」「二人の間に子どもは欲しかったけれど、授かりやすい時代を刑務所で過ごしたから、それは仕方がなかった」とあったからだ。
静かに語るムヒカ氏の言葉を拾った通訳の女性が、突然、天を見上げて嗚咽を漏らし始めた。「本当に、すみません、私、長いこと通訳の仕事をしていますけど、こうして泣いてしまったのは初めてです、すみません……」
いったい何があったのか。その光景に驚きながら、彼女の通訳を待った。
そして、完全に打ちのめされた。思わず言葉を失った私を、ムヒカ氏は「大丈夫だ。頑張って」と、握手して引き取ってくれた。ざらりとした太い指とぬくもりのある手のひら。包み込むようなあの感触は忘れない。彼の生き様に触れたような気がした。
その答えは、「文藝春秋digital」に掲載されている「 日本人への警告 」を読んで、ぜひ知ってほしい。
中村 竜太郎/文藝春秋 2016年6月号
“世界一貧しい“大統領・ムヒカ元大統領に「恋した女子大学生」…彼女が「日本人に伝えたいメッセージ」
日本は確かに裕福な国だ。ただ、絶望的に働く人が多い。競争心にあおられ、若者は試験に落第し、自殺することもある。日本人は国の発展のためではなく、自分の幸せのためにもたたかわなければいけないね(ホセ・ムヒカ “世界一貧しい“大統領・ムヒカ元大統領に「恋した女子大学生」…彼女が「日本人に伝えたいメッセージ」より)
この記事にあったムヒカ氏のこの言葉は日本人が今一度立ち止まって考えるべき事柄を的確に指示していると思う。
それは個人の単位では、選択肢が表れた時、損か、得か、それで収入は増えるのか、減るかでものごとを推し量る。
そうではなく、この選択で、わたしは、わたしの家族は、わたしの愛する人は幸福になるだろうか?と自分に問いかけるべきなのではないだろうか?
単身赴任をすれば、収入は守られる。しかし、家族はバラバラだ。それで家族は幸福になるだろうか?
高級車を買う。しかし、ローンを払うために意識的に残業を増やさなくちゃいけない。
買った瞬間、もしかしたら、買ってから一か月は幸福を感じるかもしれない。しかし、わたしは、わたしの家族は、これからローンを払い続ける5年後も、10年後も幸せだろうか?、と。
わたしたちは知っている。どんな贅沢も、続けはあっという間に日常になる。
政府という大きな単位でも考えてみよう。
東京オリンピックを強行することは国民を幸福にするだろうか?
リニア新幹線で東京→大阪がいくらか早くいけるようになって、国民は幸福度はどれだけ上がるだろうか?
東京オリンピックをやれば景気が回復する、リニア新幹線で利便性があがる、と経済、利便性だけを考える政治家ばかりでないだろうか?
「経済こそが人々の幸福に繋がっている」というのが、経済拡大至上主義者たちの決まった言い訳だ。
しかし、そんなのは高度成長期で終わった。景気が拡大したバブル期は金に酔いしれてはしゃぐ人たちも多かったが、同時に庶民は家を買えないと嘆いていた。
そして、バブル享楽のツケはその後、失われた20年と言われる苦しい時代を招いた。ローンで高級車を買った個人と大して変わらない。
それでも、政治家は経済の拡大しか言わない。そして、国民も政治家にそれを求める。
それは違うのではないかと、ホセ・ムヒカ氏は我々に問いかけているのではないだろうか。
ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領、質素な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」として親しまれ、「幸せとは何か」を世界に問いかけた人です。
そのムヒカに惹かれ、単身ウルグアイ会いに行った女子大学生が京都にいます。
彼女が、ムヒカ元大統領から託された、日本人へのメッセージとは?
“世界一貧しい大統領”私が恋したワケ 京都の女子大生会いに行く
「素晴らしい人生とは、生きる理由をもっていること―」
世界一貧しい大統領から、直接受け取った言葉です。
京都市内で、ある大学生が開いた展示会。
ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカの言葉の数々が紹介されています。
この展示会を開いたのは、立命館大学に通う岩本心さん(22)です。【大学生・岩本心さん】
「今の自分の幸せや豊かさについて、変えろというわけではなくて、見つめ直すきっかけになれば。自分の人生において一番大事なものを再確認することが出来たらなと思います」
心さんはなぜ、ムヒカに惹かれたのでしょうか。“世界一貧しい大統領”ホセムヒカ元大統領が問いかけた「本当の幸せ」とは
2010年から5年間、ウルグアイの大統領を務めたホセ・ムヒカ。
在任中、大統領公邸に住むことを拒み、小さな農場で質素な暮らしを続けました。
収入の大半を寄付していた彼は人々から敬意をこめて、「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれています。その名が世界に知られるようになったのは、2012年。
経済発展と環境保護の両立を考える国連会議でのスピーチでした。【ウルグアイ ホセ・ムヒカ大統領(当時)】
「きょうの午後からずっと私たちは、持続可能な発展と膨大な数の貧困者対策を話し合ってきました。しかし、私たちの頭をよぎるのは何でしょうか。現在の裕福な国々の発展と消費モデルでしょうか。人類はいま自分たちの欲望を支配できていない。逆に人類の方がその力に支配されているのです」世界中で翻訳され、絵本にもなったこのスピーチ。
【ホセ・ムヒカ大統領(当時)】
「もしも、インドの人たちがドイツの家庭と同じように車を持てば、この地球はどうなるのか。息をするための酸素は残されるのか」「水不足や環境の悪化が今ある危機の原因ではない。本当の原因は私たちが目指してきた幸せの中身にあるんだ」
ムヒカは「人間の幸せ」について問いかけたのです。
【ウルグアイ ホセ・ムヒカ大統領(当時)】
「我々は発展するために生まれてきたのではありません。幸せになるために、この地球に生まれてきたのです。(賢人たちは)『貧しい人は少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっといくらあっても満足しない人のことだ』と。発展は人類の幸せ、愛、子育て、友達をもつこと、そして必要最低限のもので満足するためのものなのです」“世界一貧しい大統領”に恋した女子大生 「本当の幸せ」って何?
日本人の父と日系メキシコ人の母との間に生まれた心さん。
1人暮らしの生活費はすべてアルバイトで稼いでいます。8歳の頃、両親の離婚をきっかけに生まれ育ったメキシコを離れ、愛媛県で農家を営む父親のもと、4人の兄弟と一緒に育ちました。
「懐かしい」
実家の家計が苦しく、朝も夜も新聞配達をして学費も稼いだこともありました。
ここは彼女がつらい時に来ていた場所。
【心さん】
「ぼーっとしてリフレッシュして帰ってました。本当にしんどかったときは大学を辞めちゃおうかと考えたときがあって。30分とか1時間くらい、新聞配達所のおじちゃんが心配して迎えに来るまで、ここにいたこともありました」「本当の幸せ」とは何か―?
ムヒカのスピーチを知ったのは就職活動について考えていたとき。
【心さん】
「ムヒカさんのリオでされたスピーチを聞いたときに、本当に自分が行きたい職種に進むほうが、大手企業にいくよりも自分にとって価値がある就活なのかなと思いましたし、競争社会の中で自分は勝者になるために生きてきている感覚があったことも見つめ直しました」ムヒカの言葉をきっかけにもっと世界を知りたいと思うようになりました。
リュック1つで、世界を巡りました。
そして…【心さん】
「私は…。あなたの考え方を尊敬しています。とても尊敬しています。だから…。あなたに質問があります。いま質問してもいいですか?」なんと、ムヒカに直接会うことが出来たのです。
【心さん】
「大統領時代の夢は?」【ムヒカ】
「そうだね‥貧乏人の数を減らすこと。そして生まれたときからみんなが同じ権利を有する社会を作ること。でもこれは最も難しいことかもしれないね」
【ムヒカ】
「人間はそれぞれ違うんだ、寝るベッドも違うよね。ある人はチャンスが多い、でもある人は何もない。難しいよ」
突然の訪問にもかかわらず、丁寧に答えるムヒカ。心さんは、こんな質問をしました。『日本人についてどう思いますか?』
ムヒカは「日本は確かに裕福な国だ。ただ、絶望的に働く人が多い。競争心にあおられ、若者は試験に落第し、自殺することもある。日本人は国の発展のためではなく、自分の幸せのためにもたたかわなければいけないね」と答えました。
そして大学生の心さんに対して…
【心さん】
「『学校っていうのは、勉強するだけの場所じゃなくて生きる理由を見つける場所だ』とお言っていて、すごく考えさせられました」心さんはいま、大学4年生。国連で働くという夢ができました。
【心さん】
「いまのほうがすごい楽だなと思います。自分のしたいことをはっきりもってそれに向かって自分のペースで頑張っているほうが自分らしいなと思います」
素晴らしい人生とは、生きる理由をもっていること―。この言葉を胸に彼女は生きています。企画展示「世界一貧しい大統領から学ぶ“本当の豊かさ”」も10月28日まで、立命館大学の国際平和ミュージアム行われています。
ドキュメンタリー映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」田部井監督インタビュー
この記事で一番痺れたのは他でもない。この一文。
『君が何かを買うとき、お金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間で買っているのだ』
やはりムヒカ氏の言葉だ。
我々はモノを買う。時に生きるために、時に他の人よりも優位であるために、時に瞬間の買い物の快感を味わうために。
生きるために買い物する。これほどありがたいことはない。他の誰かが、僕の為に米を栽培してくれ、パンを焼いてくれる。そして温かい服を作ってくれて、水道とガスを供給してくれる。
資本主義バンザイだ。
その一方で、他の人よりも優れていることを魅せるための買い物がある。ブランドバック、高級車、豪邸。
人より優れていると思ってもらうための買い物なんてしない。という人でも、人並みであるために、恥ずかしくないバック、恥ずかしくないファッション、恥ずかしくないランクの車を買ったりしている。
自分の親世代、祖父母世代にはその傾向が強い。他の親戚に見劣りしないこと、近所で見劣りしないことにこだわって、大切なお金を使ってしまう。
この競争はぼくが見るに本当に悲しく思える。人生を切り売りしてまで参加するゲームではない。
そんなものではなく、本当に自分が欲するものにお金を使って欲しい。
だが、世間という魔物はそれを許さないらしく、今日も見劣りしないようにとお互いを横目で見ながら買い物をしている。
資本主義に必要以上に人生を切り売りしないためには、このラットレースから抜け出すには、「ぼくは貧しい、だからどうした?と言える勇気」が必要なのかも知れない。
2010年3月から15年2月末までウルグアイの大統領を務め、“世界一貧しい大統領”として日本でも話題になった、ホセ・ムヒカ氏(85)の姿を追ったドキュメンタリー映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」(20年)が、現在公開中だ。「世の中は変わっても、ムヒカの言葉は時代の変化に耐えうる強さがあると思います」。そう力強く語るのは、ウルグアイに5回訪れ、自身の子どもに「ほせ」と名付けるほどムヒカ氏にほれ込んだ同映画の監督で、フジテレビ社員の田部井一真(かずま)さん(37)だ。【西田佐保子】
◇ムヒカの多面性を伝えたかった
「私たちは発展するためにこの世に生まれたのではありません。幸せになるために生まれてきたのです」。12年6月にブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連会議におけるムヒカ大統領(当時)のスピーチ動画を見て、「南米にこのような素晴らしい大統領がいるのか」と感服したと話す田部井さんが、当時担当していた情報番組「Mr.サンデー」のためウルグアイで退任直前の大統領を取材することになったのは15年2月だった。その模様を収録した放送が話題を呼び、16年4月にムヒカ氏と妻のルシア・トポランスキーさんが初来日した際、2人の姿を追う特別番組が放映された。
しかし、田部井さんは「本当に悔しかった」と当時を振り返る。「実際にムヒカに会ってみると、“世界一貧しい大統領”というキャッチコピーに収まりきらない、さまざまな顔があります。特に日本だとチャーミングな笑顔が取り上げられますが、実は、頑固で厳しい表情をされることが多いんです。そんな彼の多面性を番組では伝えられませんでした」
「ブームで終わらせず、彼の姿を残したい」。帰国するムヒカ氏を空港まで見送りに行ったその日に、ドキュメンタリー映画を撮ることを決意した。しかし、エミール・クストリッツァ監督のドキュメンタリー「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」(18年)をはじめ、これまでにムヒカ氏を題材にした映画は、数多く撮られてきた。
自分に何ができるか――。そのヒントは「菊」にあった。初対面の田部井さんにムヒカ氏は「日本にはとても感謝しています」と語った。後に、7歳の時に父を亡くしたムヒカ氏が家計を支えるため、ウルグアイに移住してきた日本人からが花卉(かき)栽培を教わったこと、今も自分の農園で花を育て続けていることを知る。そこに、田部井さんと父との思い出の花である「菊」も栽培されていた。
「『日本とムヒカ』を切り口にしたドキュメンタリー映画を作ろう」。そう心に決めた。「人生で一番大切なことは、歩むことだ。転んでも立ち上がり、再び歩むんだ」。そんなムヒカ氏の言葉を胸に、再びウルグアイに飛んだ。テレビ局での通常業務をこなしながら、ムヒカ氏やムヒカ氏と交流のあった日本人へのインタビューを重ね、来日時に撮りためていた映像とともに映画を完成させた。
◇「私」を主語にして、ムヒカの言葉について考えほしい
16年に来日したムヒカ氏は、広島、長崎、沖縄に行くことを強く希望したという。結局、滞在時間の関係もあり、訪れたのは広島だけとなった。「ムヒカは足が悪いので移動用の車を用意しましたが、『自分の足で歩きたい』と言って、原爆ドームから広島平和記念資料館まで歩きました。言葉を発することはなく、始終険しい表情でした」と田部井さん。
もう一つ、ムヒカ氏が望んだことがある。それは、日本の若者との対話だった。映画には、東京外国語大学で学生を前に講演会を行い、質疑応答の場面で「不満を持っているだけでなく闘いなさい」と訴える映像がある。時に涙を流し、真剣な表情で耳を傾ける学生たちの姿をカメラが捉える。
「ぜひ、若い人に見てもらいたいですね。『ムヒカ、いいこと言ってるね』ではなく、自分はどうなのか、『私』を主語にして、その言葉について考えてもらえれば、映画を作ったかいがあります」
最後に、一番印象に残っているムヒカ氏の言葉は何かと田部井さんに聞くと、「毎日変わってくるんですよね」と悩みつつ、「『君が何かを買うとき、お金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間で買っているのだ』ですね」と答えた。
「田部井さんがそうおっしゃられても『本当かな?』と疑ってしまいますね」と返すと、「確かに、この作品を撮っていた時にはその言葉を無視して、働いて、働いて、でもそうしないと完成できませんでした。どうしても撮りたいという意思が強かったので。はい、ごめんなさい。説得力がなくて」と笑った。
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◇たべい・かずま
1983年9月9日千葉県生まれ。早稲田大学卒業。07年フジテレビ入社、情報番組・ドキュメンタリー番組のディレクターを務める。14年女性の貧困を追った「刹那を生きる女たち 最後のセーフティネット」で、第23回FNSドキュメンタリー大賞を受賞。20年「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」でドキュメンタリー映画を初監督。
◇上映情報
【ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ】
シネスイッチ銀座(東京都千代田区)、渋谷・ユーロスペース(東京都渋谷区)などで公開中、ほか全国順次公開
公式ウェブサイト :https://jose-mujica.com/
「世界一貧しい大統領」がいたウルグアイ、大統領専用機を売却
この記事を読むと当然の事に気づかされる。
世界一貧しい大統領を産んだのはウルグアイ国民の叡智なのだと。
我々日本人は時折、他国の政治家を羨ましがる。台湾で新型コロナ対策にITを活用し活躍したオードリー・タン氏、そしてこの世界一貧しい大統領と称されるホセ・ムヒカ氏など。
しかし、他人ごとではない。指導者を指導者たらしめているのは民主国家においては国民の支持なのだ。
我々日本人は年若く、性別的にニュートラルであるとするオードリー・タン氏のような人物を新型コロナ禍の未曾有の危機の中、国の中枢に置いて舵取りを任せる気概があっただろうか。
ホセ・ムヒカ氏のような経済発展至上主義を否定する人物を国の中心に据えるような勇気があっただろうか。
恐らくないだろう。その点において、日本にいる政治家が劣っているのではなく、我々日本人が、我々一人ひとりの日本人が、台湾の人々、ウルグアイの人々に遠く及ばないということなのだ。
日本の地方自治体の公用車問題と、このウルグアイの大統領専用機売却のニュースを読んでそう思うのだ。
日本にいる呆れかえるような政治家たち。これが我々日本人一人ひとりの政治に対する態度の表れなのだ。
あいつらを支持し、支えているのは誰でもない。僕であり、この記事を読んでいるあなたなのだ。
南米ウルグアイ、人口僅か370万人であるが、国土は日本のほぼ半分の面積。この国で2010年から2015年まで大統領を務めたホセ・ムヒカが今月20日、上院議員を辞任して政治の世界から引退したことは日本でも報じられた。アルゼンチンとは兄弟国のような国であるが、アルゼンチンが無駄使いの目立つ国であるのに対し、ウルグアイは倹約を信条とする国としてよく知られている。
その倹約振りを表明するかのように、その翌日21日には大統領専用機が売却された。機種はホーカーHS125-700A、8人乗りで4時間半の飛行が可能。現大統領のルイス・アルベルト・ラカリェがそのような維持費だけでも無駄使いの専用機など必要ないとしてその売却を決めたものだ。
ムヒカ元大統領は外遊時もエコノミー
ムヒカ元大統領も専用機の購入には反対で、最も貧しい大統領だった時は「ウルグアイに専用機は必要ない」という主張を繰り返して国内を移動する時は良く軍隊のヘリコプターを利用していた。夜の移動の場合は道路事情が良くないので飛行機をチャーターする場合もあったという。それが重なると経費も高くつくようになっていた。それでも大統領の時のムヒカはできる範囲で経費の節約に調整して行ったそうだ。外国を訪問する場合も彼は高齢ではあるが、エコノミーのフライトを探していた。時に、外国の指導者が飛行機を手配してくれていたそうだ。故人となったベネズエラのウーゴ・チャベス前大統領は彼をピックアップするのに何度もチャベスの専用飛行機をウルグアイに行かせたそうだ。ブラジルの場合も同様で、ジルマ・ルセフ元大統領そしてアルゼンチン元大統領で現副大統領のクリスチーナ・フェルナデスも彼をピックアップするのに専用機を彼のもとに送ったという。
我の強いクリスチーナ・フェルナデスと2013年に嫌悪な関係にあった時、ムヒカは彼女に立腹して彼女を指して「あの婆は(ネストル・キルチネール元大統領よりも)ひどい奴だ。(ネストルを指して)あのひどい奴は(彼女を指して)このひどい奴よりもっと政治家だった」と記者会見が終わった後、私的にそれを口にしたという(※ネストルとクリスチーナは夫婦)。
ムヒカのこの陰口は、彼女に伝わっていたようで、チャベスが南米諸国連合の会議をチリの首都リマで急遽することになった時に、ムヒカにはリマまで行ける便がないということを知っていたフェルナンデスは彼女の専用機タンゴ01を手配してムヒカをリマに送った。その時、彼女が言ったのは「その通り、私はひどい奴でしかも婆だ。それでも爺を(リマまで)連れて行けるというのは幸運だ」とリマを訪問した後に語ったそうだ。(参照:「El Pais」)
当時の南米は反米左派政権の国が多くあった。ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビア、エクアドルといった国々だ。
大統領専用機を買ったムヒカの次のバスケス前大統領
本題のウルグアイの大統領専用機の話に戻ろう。
この専用機の購入には会計監査院も反対していたが、最終的にそれをウルグアイのメルセデスベンツのディーラカルロス・ブスティンから101万ドルで購入された。購入したのはムヒカの次に大統領に就任したタバレ・バスケス前大統領だった。ムヒカとバスケスはウルグアイにとっては新しい政党拡大戦線に属している議員で、ムヒカの前の2005年から2010年にも大統領を務めたバスケスは、その当時から専用機の購入を望んでいた。ところが、倹約を信条とするウルグアイでは議員の間でもそれに反対する声が多かったのだ。バスケスはゲリラ出身のムヒカと違い、彼は元医師でウルグアイを国際的にもっと世界で知ってもらいたいという願望をもっていた。その為にも国際移動で専用機は必要だと主張していたのである。
結局、バスケス前大統領がこの専用機を使用したのは2年半で、それによる政府の維持費は300万ドルだったという。(参照:「El Observador」)大統領専用機は18万ドルでアルゼンチンのホテルチェーン経営者の手へ
今年3月に大統領に就任した国民党のルイス・アルベルト・ラカリェは従来の倹約国ウルグアイに戻るべきだとして専用機の売却を決めたもの。ウルグアイは1830年の初代大統領の時から右派のコロラド党と国民党が、途中軍事政権をあったが、政権を二分して来た国で、拡大戦線というのはバスケスとムヒカの二人による15年間の政権だけである。拡大戦線が政権を担っていた時は野党であった国民党のラカリェ大統領は、専用機は必要ないという考えに基づいて売却することを決めていた。それも競売にかけての販売で進めた。パナマとアルゼンチンの企業家の間の駆け引きとなったが、最終的にアルゼンチンのホテルチェーンの経営者が18万ドルで落札した。
専用機を救急用としても利用できるようにしたため、その為のベッド1台にその為の設備の設置費用が9万ドルしたが、今回の売却はベッドを2台据えたかのような費用での販売だということになることを外相のハビエル・ガルシアが指摘している。
同外相は、競売で落札された価格そのものへの評価よりも、2年半の維持費用が今後必要でなくなるということに重きを置いて、「国家にとって大変重要な節約になる。それは我々の倹約政治に沿うものである」と述べた。(参照:「El Observador」)
日本ではホセ・ムヒカ元大統領の引退だけが報じられたが、同時にコロラド党のフリオ・マリア・サンギネティー元大統領(1985-1990と1995-2000)もムヒカと同じく上院議員の席を明け渡すことにして政界から引退した。双方は長年のライバルであった。Youtubeにてこの二人の抱擁を見ることができる。
<文/白石和幸>
【白石和幸】
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身
ムヒカ氏の言葉を振り返る。ウルグアイの「世界一貧しい大統領」が政界引退
ムヒカ氏がここまで支持されるのはなぜだろう。
それは多くの人が、どこかおかしいと思いながらも流されていく、行き過ぎた資本主義、またそこから生み出される格差について、はっきりと敵意を表し、語り、そしてなにより自らその流れにきちんと立ち向かって生きてきたということだと思う。
ムヒカ氏が大統領であったウルグアイは南米では豊かとはいえ、世界第三の経済大国である日本には経済力で遠く及ばない。それでも彼のように質素を旨とする政治家を支持し、支える国民が居て彼を大統領にまで押し上げた。
つまりウルグアイの人々は我々、日本人よりも経済的には豊かではないが、もはや富だけがすべてではない。経済発展にすべてを捧げるのは誤りだと気づいたと言うことだろう。実際、ウルグアイは南米でも特に質素を旨とする国民性らしい。
僕ら日本人もそろそろ気づいてもいいころだろう。
日本はもう十分に豊かだ。富の偏在はあるが、全体のパイを大きくするためにすべてを捧げる時代はもう終わった。パイを維持しながら、パイを切り分ける時代だ。
世界一の経済大国であるアメリカは気づかない。何しろ行き過ぎた資本主義の総本山だ。これからも走り続けるだろう。
世界二位の経済大国に躍り出た中国も、まだまだ発展途上国の一面も持っており、11億人の中には本当に貧しい人々がおり、政治的不安定差に弱い独裁制である以上、高度成長を続ける必要があり、資本主義の回し車から降りるのは難しいだろう。
そこで日本だ。アメリカには結局追いつけず、今や中国にも抜かれたが、今なお世界第三位の経済大国だ。
十分に豊かになった、さぁ、次のステージに移ろうという資本主義の新しいステージに向かう事のできる唯一の大国だ。三大経済大国のうちの日本だけが新しい資本主義に舵をきれる大国だと思う。
労働人口の減少、高齢化など、今までの資本主義レースのルールでは勝ち目はない。だからこそ競争のルールを変え、その新しいルールで超大国を目指そう。
そう、国民がどれだけ心豊かに暮らす幸せな国になるかと言う新しいルールで。
その点でムヒカ氏から学ぶことはとても多い。
「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領(85)が10月20日、上院議員を辞任して政界を引退すると表明した。NHKなどが報じた。
共同通信によるとムヒカ氏はこの日、演説に臨み、引退の理由を語った。慢性的な免疫系の持病があり、新型コロナウイルスの流行が引退の理由の一つだとした。(ハフポスト日本版・安藤健二)
ムヒカ氏とは?左翼ゲリラから政界に。大麻合法化も推進
「現代外国人名録2016」などによると、ムヒカ氏は1935年生まれ。貧困家庭に生まれ、家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら育った。1960年代に入って左翼ゲリラ組織「ツパマロス」に加入。武装闘争の資金を稼ぐために強盗や誘拐などに手を染めた。朝日新聞デジタルによると投獄4回、脱獄2回。銃撃戦で6発撃たれ、重傷を負ったこともある。軍事政権が終わるまで14年近く収監されていたが、出所後は国会議員となり、2010年3月から2015年2月まで大統領を務めていた。
ムヒカ氏は大統領在任中、カトリック教会の反発を抑えながら人工妊娠中絶を合法化したほか、同性婚も認めた。また犯罪抑止の目的で、世界で初めて生産や販売を含めて大麻を合法化している。
大統領時代は月給の約90%を慈善団体に寄付していたことから、2012年にBBCに「世界一貧しい大統領」とBBCに報じられた。2010年の個人資産は、所有しているフォルクスワーゲン・ビートルのみだったという。
「貧しいと感じていません」ムヒカ氏の言葉
まさに波乱の人生を送ってきたムヒカ氏の人生哲学を、彼の言葉から振り返ってみよう。
「私は 『最も貧しい大統領』と呼ばれていますが、貧しいと感じていません。貧しい人たちとは、優雅な暮らしをし続けるためだけに働き、常により多くを望む人たちのことです」(2012年のBBCの報道より)
「独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ」(2016年の朝日新聞のインタビューより)
「私は、消費主義を敵視しています。現代の超消費主義のおかげで、私たちは最も肝心なことを忘れてしまい、人としての能力を、人類の幸福とはほとんど関係がないことに無駄使いしているのです」(2014年のスペインのテレビ番組での発言)
「痛みや試練を伴ってもなお人生の美しさは褪せません。生きるということは、転んでは立ち上がり、前に進むことの積み重ねなのです」(2017年のN高等学校の入学式に寄せたビデオメッセージより)ハフポスト日本版・安藤健二
「喰っていけない」という言葉を捨てよう
「そんなことでは喰っていけない」と言えば、自分の行動を、職業選択の自由を、縛ります。現代では、特にこの豊かな日本では、どんな生き方を選んでも、どんな職業を選んでも、「食べていくことができます」
国民年金支給額の月額6万5千円で暮らしていると言うと、必ず言われるセリフがあります。
それは
「そんな金額じゃ、喰っていけるわけがない」
という一言です。
冷静に考えれば、月額6万5千円という金額は食費に一日2千円使っても、お釣りがくる金額です。
これはもうすべて外食でも、まかなえるような額です。
つまりはこれはウソ、ある種の自己欺瞞、自己暗示に過ぎません。
もちろん、6万5千円をすべて食費にあてるわけではありませんが、何より生きることに直結する食費を最優先にすれば、間違っても飢え死にするような金額ではないと言えるでしょう。
本当は誰もが知ってはいるのです。月に6万5千円あれば、飢え死にするようなことはないと。
それでもなぜ人は、まるで月額6万5千円では、飢え死にするような言い方、
「そんな金額じゃ、喰っていけるわけがない」
と、言うのでしょうか。
そうすることで、自分の思考を停止させるためです。
生きとし生ける存在として、飢え死にするような話には、検討の余地はない。だから私はこれらも世間や社会に求められるまま、自分の本当の希望から目をそらしながら、働き生きつづける、と。
現実を見ましょう。
もちろん、月額6万5千円は暮らすには、生活全般を変える必要はあるでしょう。
でも本当のところは飢え死にするようなことはありませんし、「生活するために月額6万5千円は稼ぐが、それ以上の分は労働から自分の人生を買い戻す」という程度の話です。
社会や、世間は、より働き、よりお金を使う人間を求めますから、まるでその規範から外れると「飢え死にするような」印象を与えて脅してくるのです。
少し大きな視点で見てみましょう。
実際に主に食糧生産に携わっていると考えられる農業就業者数は日本では168.1万人(平成31年度農林水産省データ)
日本の人口をざっくり1億2千万とすると、比率で言えば約1.4%。たった1.4%の人の労働で食料生産は足りているということになります。
日本は食料輸入大国だからその数字は小さすぎるという声もあるでしょう。確かにその通りです。
日本の食料自給率はカロリーベースで38%、生産額ベースで66%(農林水産省HPより)となりますから、どっちを採用するかは議論の分かれるところですので、ざっくりと間を取って50%としましょう。
つまり海外にも、僕ら日本人の為に食料を生産している人がいる人が、日本にいる農業従事者と同じ数だけいると考えることにします。
僕らの食べ物を賄っている人の数は国内168万人、海外にも168万人。国内外に合計で336.2万人ということになります。
日本の人口に比較すると2.8%です。たった2.8%の人の労働だけで、我々の「喰っていく」は賄う事が出来ているのです。
大昔は王侯貴族以外はすべて食糧生産に従事しなければ、食べていけませんでした。しかし、今はたった3%以下の人が農業をするだけで、我々の「喰っていく」は賄うことができているのです。
日本では、農業は他の産業に比べて生産性が低い、だから海外に勝てないのだなどと言う議論もありますが、100年を超えるスパンで考えれば、農業ほど飛躍的に生産性が高まった産業はないのかも知れません。
これらの点を考えても、フルタイムで働かなくては「喰っていけない」。ギターでは「喰っていけない」。夢ばかり見ていては「喰っていけない」。生きていくためには多少はグレーなことをしなければ「喰っていけない」というのは、自己欺瞞でしかありません。
本当の意味で「喰っていけない」と思っているわけではないという反論もあるでしょうが、言葉は行動に強い影響を与えます。
「そんなことでは喰っていけない」と言えば、自分の行動を、職業選択の自由を、縛ります。
現代では、特にこの豊かな日本では、どんな生き方を選んでも、どんな職業を選んでも、
「食べていくことができます」
僕の例では、国民年金額の月額6万5千円あれば十分に食べていけます。
毎月手取り20万円、30万円なければ、飢えて死ぬ、「喰っていけない」と考えていた時よりも、人生の自由度が増した気がしませんか?
人生は、日本は、この現代は、あなたが思っているよりも、自由で、豊かで、良い時代なのです。