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『負債論』書評・目次・感想・評価

【『負債論』目次と読書メモ】

第一章 モラルの混乱の経験をめぐって

 
 古来より、借金をした人、高利貸しの双方が悪として見られている。
 ここにモラルの混乱がある。
 植民地化された地域には宗主国に借金があるとして延々と搾取され続けた現実がある。
 ハイチ共和国がその例である。
 IMFはだぶついた資金を発展途上国の独裁者に貸し出し、その後その借金をその独裁に苦しんだ国民たちから回収した無料の教育、無料の医療の廃止を強要した。
 債権者と武力は常に結託している。
 借金を取り立てる側に武力がなければ意味がない。
 税金を債務と捉えれば債務から逃れうる人はほとんどいない。
 また債務を支払っなかったことによる投獄はその多くは税を発端としていた。
 
^_^ 働けば働くほど国に対する債務が増えると考えると税は恐ろしい。借りたものは返さなければならないと言うモラルは一種の思考停止とも言える。

第二章 物々交換の神話
 
 経済は物々交換から始まったと生の教科書にも書かれているが、実際に原始生活を送っている諸民族の中で物々交換を日常としている民族は見つかっていない。
 
 物々交換の「欲求の二重の一致」と言う不都合を乗り越えるために貨幣が誕生したというのは経済学者が都合の良い神話を作り上げたに過ぎない。
 
 実際の物々交換は継続した関係を維持しない敵、またはよそ者との間に行われた。
 
 植民地世界にあてはまる。ここではしばしマダカスカルに戻ってみよう。
 島の征服が完了した1901年、フランスの将軍が理恵人が最初に行った政策の1つが人頭税の課税である。
 これは大変な重税だあったばかりでなく、発行されたばかりのマダガスカルフランによってのみ支払い可能だった。
 まず紙幣を刷り、それから住民にその金の一部を改正と要求したわけだ。
 その課税は「道徳課税」もしくは「教育課税」と呼ばれた。
 農民が課税する最も簡単な方法は、収穫期の値段の安い時期に米を打って納税すること。
 その結果1年を通じて家族を養う分は残らない。
 結果的に商人から借りることになり、農民たちはすぐさま絶望的な債務地獄に陥った。
 結果的に農民たちは白人のプランテーションに子供を差し出す羽目になった。
 同時に農民たちの手元にわずかばかりのお金が残りそのお金で新しい趣味や習慣、期待を発展させることを行った商店での買い物である。
 傘、口紅、クッキーなど侵略者たちが来る前には必要とされていなかったものが新しい習慣により消費されるようになる。
 
^_^ これは植民地に限らず、この日本でも行われている。企業CMでよく聞く「これが新習慣」というキャッチフレーズは消費者に消費者に商品を伴う新しい習慣をもたらし、さらなる消費、つまりは空なる労働を強制しようとしていると考えるのは考えすぎだろうか。
もちろん企業の側はそんなことを意図しているわけではないだろうが、企業、政府、世間のモラルが、18世紀の植民地だったマダガスカルと同じような構造になっていないだろうか。我々、労働者、消費者は、より賢く、ならなければならない。
 
 
■ワード
欲求の二重の一致
物々交換が構造的に、自分が欲しいもの相手が持っており、相手が欲しいものを自分が持っているという二重に条件が成立しなければ行えないこと。
 
 擬似的な貨幣経済が登場する場合はその参加者がもともと貨幣経済に浴していなければならなかった。
 捕虜収容所、崩壊直後のソ連経済崩壊をしたアルゼンチンなど。
 
 物々交換の不都合から貨幣が生まれ、その後、信用が生まれたとされる過去の経済学の歴史は誤りで、そもそも信用経済があり、貨幣が生まれ、時として物々交換が行われたというのが数々の証拠が示す歴史の形である。

 生きることそれ自体が神に対する負債という考え方もある。
 負債は死をもって返済される。
 途中に行われる供物は利子とすら考えられる。

第三章 原初的負債
貨幣の国家理論と貨幣の信用理論
神話を求めて
 
 人は生まれながらに負債を負っているという考えがある。
 自然に、先祖に、先人に。それを利用して国家や宗教はその負債を返済する義務があるとして代理人を名乗り、税を、貢物を取ってきた。
 近代国家もある程度、ナショナリストである。
 すべての国民は負債があるとされ、その返済を迫られる。
 戦争の時、それは顕著になる。国家に負債を返済するために命をと叫ぶのだ。
 すべての人は負債を背負っているというのはおかしい。
 神が全能だとすれば供物は必要ない。
 神と取引ができるなら人と神は平等な位置にいると言える。
 それもおかしい。
 さらにその仲介をする神官や国家は一体なんだろう。
 神がすべてであれば独立した仲介人は存在しない。
 
第四章 残酷さと贖い
 
■名言
人間だから、われわれは助け合うのだ。それに対して礼を言われるのは好まない。今日私がうるものを、明日はあなたがうるかもしれない。この地で我々がよく言うのは、贈与は奴隷を作り、無知が犬を作る、ということだ。(イヌイットの狩人)p119
 
 カーストなどの生来の格差と違って、債務、債権の関係は対等な間で生じるものでその中での格差を生む。本来仲間であったものの土地を取り上げ、家族を売り飛ばしと言う現象が生じる。
 
第五章 経済的諸関係のモラル的基盤についての小論
 コミュニズム
 交換(エクスチェンジ)
ヒエラルキー
様相間の移動
 
■小話
 シートン動物記で知られるシートンは21歳の誕生日に奇妙な請求書を受け取りました。それは父親によって記録された本人の誕生時に医者から請求された費用からその日までの養育費全額の仔細な明細でした。シートンは請求書の支払いを済ませ二度と父親と口をきく事はなかったと言います。
 
 資本主義社会の会社はコミュニズム的に動いている。「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」。つまりバーガーキングでも、あの悪名高きゴールドマン・サックスでも、そこのペンをとってくれないかと言われた同僚は代わりに何をくれる?とは聞かない。各人が協力してプロジェクトを進めていく。
 また地震などの災害時も、社会はコミュニズム的になる。
 実はコミュニズムこそが、あらゆる人間の社交性の基盤なのだ。
 
■小話
サンタクロースの原型とされている聖ニコラウスは子供の守護聖人であるだけでなく盗人の守護聖人でもある。p164

 
第六章 性と死のゲーム
 不適切な代替物としての貨幣
 血債 (レレ族)
 人肉負債 (ティヴ族)
 奴隷売買
 暴力についての考察
 
 原始社会においても、人の命は人の命を持ってしか償えないものとされてきた。
 価値あるものとしての鯨の歯や、真鍮の棒も、殺人の償いや、花嫁の対価とはなり得なかった。
 それはあくまで借りがあるということの証でしかなかった。
 
 奴隷貿易が行われるようになると、闘鶏が行われて庶民が借金を負うように仕向けたり、到底守れないような法が制定されるなどして、人々が家族を売り、自身を売るように陥れられた。
 
 現代においても、もし圧倒的な軍事力を持つ宇宙人が現れて人を1人につき100万ドルを支払うと宣言すれば実際に人をさらって売り飛ばす輩は一定数現れるだろう。
 
 古来、花嫁の対価と人の死による生贄の牛代などで貧しいものは富める者に借金をする。
 
^_^ 結婚、葬式で散財するのは今も変わらない。それと病の治療費かな。現代、葬式と結婚式に金を使わなくなった分、人々は賢くなったのかもしれない。
 
^_^ 現代の日本の社会にも奴隷制はあると思える。それは時に時間制であったり、限度が設けてあるように見える。意に添わぬ労働は強制ではないように見えるが労働なくして生活が成り立たないのであればそれは強制となら変わらない。
 
第七章 名誉と不名誉 あるいは、現代文明の基盤について
 名誉とは過剰な尊厳[剰余尊厳]である
 
 奴隷制度は現在我々が戦争を見るように廃止できると考えるのはナイーブすぎると考えられていた。
 奴隷商人は決して尊敬される職業ではなく非人間的な冷血漢だとされていた。
 
^_^ この考え方は知らなかった。そう考えればいずれは戦争も廃止できると考えるのはナイーブすぎるだろうか?
 
 人間が奴隷になるのは、さもなければ死ぬより他ない状況においてのみである。
 これは戦争において明白である。
 古代において勝者が敗者に対して完全な支配力を持つとみなされ、それが及ぶ範囲には女性や子供も含まれていた。p255
 
 名誉代価 (中世初期のアイルランド
 メソポタミア (家父長制の起源)
 古代ギリシア (名誉と負債)
 古代ローマ (所有と自由)
 いくつかの結論
 
 自由とはひいては自分自身を売る自由ともつながっていて、ひいてはそれは奴隷制度の根本にもつながっている。
 賃金労働は自分を時間で売るとまではいかないまでも、自分を時間で貸す行為とも言える。
 
第八章 「信用」対「地金」 ――そして歴史のサイクル
 メソポタミア(前三五〇〇 ― 前八〇〇年)
 エジプト (前二六五〇 ― 前七一六年)
 中国 (前二二二〇 ― 前七七一年)
 
 貨幣はその昔から、賠償金や花嫁の結納金として使われることが多く、一般に流通していたのは相互信用、もしくはその証書であることが多かった。
 
第九章 枢軸時代 (前八〇〇 ― 後六〇〇年)
 地中海世界
 インド
 中国
 唯物論1 利潤の追求
 唯物論2 実体
 
第一〇章 中世 (六〇〇 ― 一四五〇年)
 中世インド (ヒエラルキーへの飛躍)
 中国:仏教 (無限負債の経済)
 近西:イスラーム (信用としての資本)
 極西:キリスト教世界 (商業、金貸し、戦争)
 では、中世とは何だったのか?
 
第一一章 大資本主義帝国の時代 (一四五〇から一九七一年)
 第一部:貪欲、恐怖(テロル)、憤慨、負債
 
^_^ ここに書かれているメキシコにおけるコルテスとその部下たちの暴逆の理由が、負債にあったことに戦慄した。
 
 メキシコを征服したコルテスの部下たちは遠征が成功したにもかかわらず、必要だった装備代その他莫大な借金を背負わされ、各地に行政官として派遣され、借金の返済のためにインディオたちを非常なまでに酷使することとなった。
 遠征の利益をがめていたコルテス自身すら数年後には借金で首が回らなくなり国に戻って皇帝に援助を求めなければならなかった。
 彼には宮殿すらなかった。
 
 世界初の大株式会社が、征服者達と全く同じで、冒険、征服、抽出の組み合わせを追求したイギリスとオランダの東印度会社だった事は偶然でないのである。
 それは利潤以外のあらゆるモラルの明法を排除することに意図した形成物なのだ。
 もしも扱っているのは自分自身の金銭だったなら、定年の1週間前に長年勤務の従業員の首を切ったりしないし、小学校の近隣に発がん性廃棄物を捨てることもないと、意思決定の立場にある企業幹部たちも考えているかもしれないし、現実にしばしその発言もしている。
 だが、実際には彼らがこういった配慮モラルと言う点で無視しなくてはならない。
 なぜなら彼らは従業員に過ぎないのであり、株主たちにその投資に対する最大の利益をもたらすことがその唯一の責任だからである。(もちろんいかなる意見表明も株主たちに誰も求めない)ページ473
 
^_^ ある意味、企業幹部と言うものはスペインを征服したコルテスの末裔であり、冒険し、市場を征服し、儲けが出るものだけを抽出し、その他を切り捨てる。法に触れて株主の利益を損なわない限り、つまり株主の利益を損なわない限りあらゆる方法を選ぶ。法に触れなければ、もしくはバレなければなんでもやる。それは、租税回避する企業群を見てもわかるし、首切り人として渡り歩く経営者が日本人でも存在する。彼らは自身の手腕に対する評判と他の人に比べて高い水準に見える生活の為に実際にも精神的にも負債を負っている。そして、彼らはその負債を返すために、また市場を征服に行くのだ。株主におった自身の負債のために。多くの人が食べて行くのには仕方ないといって、資本主義的モラルに溺れて自分の人生を費やす。資本主義のために自分の周りに悲劇をもたらし、家族に、何より自分自身を略奪する小さなコルテスなのかもしれない。
 
 自分の置かれた立場が全く不当であると感じる債務者について、本質的な何かを体現している。
 その心理とは、自分の周りに存在するもの全てを琴線に変えねばならないと言う狂わんばかりの焦燥であり、そしてそのようなことをせねばならない人間に貶められたことに対する憤怒と義憤である。ページ481
 
^_^ ここに借金の本質があると思う。不思議なもので借金に関してはある程度免責が認められている現在の法体系の中でも、人は借金を踏み倒す以上の罪深いこと、例えば盗み、そして強盗、さらには殺人を犯してまで借金を返そうとすることがある。逆にあいつには「貸し」があると言う理由で肉体的精神的暴力が正当化される事件も後を絶たない。時にそれが年端もいかない子供であったりする痛ましい事件も。「あいつはずっと面倒をみてやってたんですよ、あんなにやってやったのに、言うことを聞かなかったから」なんて、、、。

 第二部:信用の世界と利子の世界
 
小話
エリザベス女王の治世における浮浪(失業)に対する懲罰は、初犯では釘による耳のさらし台への打ち付け、再犯では死刑だった。ページ491

 第三部:非人格的信用貨幣
 第四部:それで、結局、資本主義とはなんなのか?
 
無からカネを生み出すことができると信じるほど他人はおろかであると妄想したのである ページ514
 
^_^ バブルを表現するのになかなか適切な表現。
 
 首まで借金に使っていたのは、征服者(コンキスタードール)と同じく、その地域に送り込まれた代理人や監督者たちの方だった。
 この場合は彼らを委任したペルーの会社への借金である。
 さらにこの会社自身がそもそもロンドンの投資家たちから信用借りしていた。
 これらの代理人たちが、信用の網の目をインディアンにも広げる意図をもっていたのは間違いない。
 だが交易のために持ち込んだ布や斧や硬貨などにウィトト族が何の関心も示さないことが明らかになる。
 ついに諦めた彼らはインディアンたちをかき集め、銃を突きつけてローンを受け入れるように強制し、押し付けたゴムの量を借財として記入した。ページ516
 
^_^ 借金の連鎖がその末端までたどり着いたとき、その借金を拒否したものまで巻き込んで虐殺した。そして彼らを殺して言うのだろう。仕方なかったんだ。俺たちには莫大な借金があって、、、。
 
 これが資本主義の秘められたスキャンダルである。
 すなわち、資本主義はいかなる時点においても「自由な労働」をめぐって組織されていたことなどなかったのである。ページ517
 
 自己の身体以外に売るものを持たない人間とはどんな意味においても真に自由な行為主体ではありえない ページ518

 第五部:黙示録
 
第一二章 いまだ定まらぬなにごとかのはじまり(一九七一年から今日まで)
 結論:おそらく世界こそが、あなたから生を借りている[あなたに生を負っている]
 
 金融の命法が、絶えず私たちを、好むと好まざるとにかかわらず、単に金になるものとしてしか、世界を見ない掠奪者もどきへと還元している、そのやり方である。
 続いて金融の命法が語りかける。世界を掠奪者としてみることを意思するものだけが、人生のうちに金銭以外の何かを求めるために必要な資産を手にすることができるのだ、と。ページ575
 
^_^ 正にその通りだ。一生遊んで暮らせる金を手にしたものだけが人生で金以外の価値あるものを追い求める権利があるような世の中だ。それ以外は人生の大部分を仕事とその為の休息に当てなければならない。一時的にしても、形式的には自分の意思であるように見せかけられつつも自分自身を捧げなければ生きていけないのだ。そして何をやるにも考える。これは経済的に正しいのか?(コスパはいいのか?儲かるのか?)学校を選ぶ際にも、結婚相手を選ぶ際にも、トイレを流す時にも、だ。
 
 今や真の問いは、どうやって事態の進行に歯止めをかけ、人々がより働かず、よりよく生きる社会に向かうか、である。ページ576
 
^_^ より働かずより良い暮らし。これこそ、求めるべき答えだ。AI?ベーシックインカム?他には?
 
 私は勤勉ではない貧者を言祝いで、本書を終えたい。
 少なくとも、彼らは誰も傷つけていない。彼らが、余暇の時間を、友人たちや家族と過ごすこと、愛する者たちと楽しみ、配慮向き合うことに費やしている以上、彼らは考えられている以上に世界を良くしているのだ。
 おそらく、私たちは、彼らを、私たちの現在の経済秩序がはらんでいる自己破壊衝動を共有しようとしない、新しい経済秩序の先駆者とみなすべきだろう。
 
^_^ これほど怠け者の僕を讃えてくれる文章があるだろうか?この一文を読めただけでこの分厚い一冊を読み通した価値があった
 
あとがき:二〇一四年