『波止場日記 労働と思索』評価・感想・読書メモ

波止場日記――労働と思索 (始まりの本)

  • 単行本: 272ページ
  • 出版社: みすず書房 (2014/9/11)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4622083744
  • ISBN-13: 978-4622083740
  • 発売日: 2014/9/11

 

 自由と言う大気の中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する。エリック・ホッファー

ある社会の活力を判断するには維持能力を見るのが最も良い。どんな社会でも何かの建設のためにしばらくの間かけずことがある。しかし毎日よく手入れする力と技術は稀にしか見られない。ページ27
 
^_^ 日本は停滞していたと言われるがある意味、維持していたと考えることもできる。20年も成長せずに維持できたというのは快挙とも言える。
 
自分の国が飛び抜けた指導者を極度に必要としているのに気づくのである。これは不健全の兆候である。ページ30
 
^_^ 日本に一時、そのような兆候があったが、今は少しなりを潜めている。安倍総理というずば抜けてもいないし、最近はやや傲慢さを感じるがそこそこの指導者で満足することを知ったということか。
 
現代のあらゆる大衆運動においては、教師たちが不可欠の、そしてしばしば指導的な役割を果たした。また、かけてもいいが、アフリカの指導者たちの半分以上は元教師である。ナチの運動においては、小学校の教師たちが、際立った、そして決定的な役割を果たした。時々教えたいと言う衝動ー学びたいと言う衝動よりもはるかに強力で原始的ーは大衆運動を盛り上げる1つの要因なのではないかと考えたくなる。共産主義社会がどうなっているかを見れば良い。世界の半分は10億の生徒を持つ巨大な教室と化し、狂った教師たちの思いのままになっているではないか。ページ38
 
^_^ これはとても示唆に富む。日本における左翼にたくさんの教師がいること、そしてその根底には社会を我々が生徒と同様に導き教えなければならないという義務感が感じられる。とにかく彼らは自分たちが正しく賢いと思っているので話を聞かない。
 
決定的な疑問は、ニグロが果たして差別と言う言い訳を放棄するだろうか、と言うこと。人間は、成就感のもたらすつかの間の浮かれ気分を求めるために、永遠に通用する好都合な言い訳を放棄しようとはしない。さらに厄介なことがある。2黒の言い訳の正当性が低下すればするほどに黒はいっそう情熱的にそれに執着するであろうし、またいっそう大声で不平を鳴らすであろう。ページ44
 
^_^ これは韓国と日本の間にも同じようなことが起きているのかもしれない。韓国は植民地時代を永遠に言い訳にするだろう。それが日本を苦しめ、同時に韓国自身の足枷になっている。そして当の韓国はそれに気づいていない。
 
 
必要なもののためにあくせくしている間は、人間はまだ動物なのである。不必要なものや途方もないものを求めるときに、人間は、人間と言う独自の存在となる。ページ93
 
^_^ これは含蓄がある言葉だ。コスパ必要性とか言っているうちはまだ動物か。
 
20世紀最大の犯罪は、金銭欲にかられた資本家たちによってではなく、献身的な理想主義者たちによって犯された。レーニンスターリンヒトラーは、金銭を軽蔑した。ページ131
 
^_^ 金銭欲に目が眩んだ資本家の罪は赦されるのだろうか?それとも金は理想主義よりもゆっくりとせかいをむしばむのだろうか?いや、金銭欲に目が眩んだ資本家の行為が理想主義者に力を与えてしまうのではないだろうか?226事件ユダヤ人に対する怒り、世界不況。再び世界に破壊的な理想主義が台頭するとしたら強欲な資本家によ世界恐慌か。既に格差が広がることで危険な理想主義、排他主義国家主義が力を持ち始めているということもできるのではないだろうか?
 
私な欠点や欠陥にみちた社会に生きている。しかし。この社会はすべての人に好きなことをさせる十分なゆとりをもった社会である。決意した人が、何に望みをかけているのであれ、これほど妥協することなく前進できる国はない。しかし、干渉されることなく自己の能力と才能を発揮したい人々にとっては、この国は理想的な国である。この国では、自分が容認しないものー無作法、虚偽、順応主義、追従、ねこかぶり、その他の退廃的な影響や感化すべてーと関係を断つことが信じられぬほど容易である。
 
^_^1958年当時のアメリカでさえ、そうであったのだから、当然、現代の日本も同じように個々人が本当にやりたいことをやるだけの余裕がある。人々がそれに気づいていないだけである。
 
活気のある社会は、玩具に心を寄せ、必要なものを得るためよりも不必要なもののために懸命に働く人々の作る社会である。ページ165
 
^_^ 誰もが他人からどーでもいいものに熱中している社会こそが本当の豊かさかもしれない。
 
飛び抜けた指導者なしにやっていく能力は社会の活力のしるしである。ページ166
 
^_^ ここ数十年、優秀な指導者なしでやってきたということは日本はやはりうまく行っていたということの裏返しでもある。
 
若者と老人、成功者と失敗者の区別なく。それなりの悲惨さを持たの魂など全世界に1つとして存在しないように思えたのだ。ページ178
 
^_^ この世では誰もが重荷を背負っている。
 
どの国もその国の年少者にとっては良い国ではない。新たに到着した移民と同様に、
 
^_^ これは名言ではないか。意図的に切ったのだが。だからこそ若者は社会を変革しようとするのだ。
 
自由と言う大気の中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する。ページ190
 
^_^ 右寄りの人々は自由な空気がにがてなんだろうな。
 
モーゼは、いかなる移住も、いかなるドラマも、いかなるスペクタクルも、いかなる新話も、いかなる奇跡も、奴隷を自由人に買えないことを発見した。それはできない相談である。そこで彼はドレーたちを裁くに連れ戻し、奴隷の世代が死に絶え、新しい世代ー砂漠で生まれ育ったーが約束の地に入る準備ができるまで、40年間待った。
すべての革命指導者は熱烈に変化を解くけれども人々が変わりえないことを知っている。もう前と違って彼には手ごろな砂漠もなければ40年も待つほどの忍耐もない。そこで、成人世代を追放するためのパージとテロ。
面白いことに、客観的な科学の世界においても人間の頭脳は習慣にとらわれた日常生活の世界上に順応性に富むわけではない。新しい科学的真理は、その反対者の説得によってではなく、その反対者がついに死にたい、新しい科学的真理に馴染んだ新しい世代が成長するがゆえに勝利を得るのだとマックス・プランクが行っている。ここでもまた砂漠の40年が必要なのである。
 
^_^ここで思い出すのはカンボジアの悲劇。ポルポトは大人をことごとく抹殺した。どんなに新しい優れた思想が現れてもそれが当たり前になるには世代の入れ替わりが必要なのだ。人間が長命になればなるほどその入れ替わりには時間がかかる。科学は進歩しても人の意識は変わらない。
つまりは大人が柔軟に学ぶようにならなければならない。負うた子に教えられるのが当たり前にならなければならないのだ。高齢化が進む日本が停滞しているように見えるのは当然か。
 
98点