『二畳で豊かに住む (集英社新書)』書評・目次・感想・評価

【Q1】どんな人にオススメ?

 押し入れとか、クローゼットの中とか、キャンプのテントとか、車中泊とか、実は狭いところが好きな人。狭いところに住む話がたくさん出てきます。

【Q2】この本の弱みは?

 あくまで歴史の話でどれも快適には見えないので、現代の住みたくなるような極小住宅も最後の章あたりで紹介して欲しかった。夏目漱石の下宿先が2畳か3畳かでこだわり紙幅を使い過ぎ。

【Q3】この本の強みは?

「2畳で豊かに住む」というタイトルが秀逸。戦争に絡んだ話も多いので、敗戦後の住宅事情を知る上でも価値がある一冊。

二畳で豊かに住む

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【『二畳で豊かに住む』目次と読書メモ】

二畳で豊かに住む (集英社新書)
 
はじめにー狭いながらも豊かな空間
 
第一章 内田百閒、二畳に夫婦で住む
 
 内田百閒、終戦直前に焼け出され隣家の二畳の掘っ立て小屋に住むその中でもユーモアを忘れず。
 しかし流石にそこに3年も住むとうんざりしたようだ。
 
^_^ 危機に際して心躍る。という気持ちは自分の中にもある。それは自分にとっても有益な性分だと思っている。
 
第二章 高村光太郎の山小屋ー雪深い里で詩作に励む
 
 高村光太郎は62歳から7年間、移築した飯場小屋に住んだ。
 冬の季節は辛かったようだ。
 彼もまた戦争で焼け出されそこにたどり着いた。
 
^_^ ずいぶんと増改築を繰り返していたようだがやはり自分の家に手を入れると言うのは芸術家にとっても楽しいことだったんだろう、気持ちはわかる。
 
第三章 永井隆の二畳の如己堂ー原爆の町で平和を求めて
 
 永井隆は自身も長崎で被爆して現地で救護活動をし、のちに病に伏し、二畳の如己堂で子供2人と住みながら、平和への思いを発信し続けた人である。
 
^_^ 不勉強で永井隆と言う人を知らなかった。ウィキペディアで生涯を読んで泣いた。
 
第四章 多摩川船場二畳の小屋ー氾濫したら持ち運ぶ
 
この小屋の現物は川崎市日本民家園に現存しているらしい。
 
^_^ 畳一畳土間一畳の合わせて1坪の小屋を担いで運んだ話はキャンピングカーの元祖みたいで面白い。
 
^_^ こーゆー話を読んでいると庭に庵を立てたくなる
 
第五章 夏目漱石中村是公、二人の二畳の下宿ー予備門時代を語る漱石
 
 夏目漱石は大学予備門に通いながら塾の講師をしながら昔の同僚と二畳の部屋で寝起きした。
 
^_^ この著者、やたらと漱石の下宿先が二畳か三畳かにこだわるどっちでもいいと思うんだけど。著者が建築家だからか?
 
第六章 正岡子規の病床六尺ー布団1枚、これが我が世界
 
 正岡子規は病床六尺の布団の上に居ながら俳句の世界では巨人であった。
 正岡子規を支えたの母と妹の律であった。
 
^_^ 人は病床にあるとろくなことを考えないものだが病床にありながら文学をし続けた正岡子規はやはり偉大だと思う。自分などはちょっと具合が悪いだけでこの世の終わりのような気分になるものだが。
 
第七章 四国、村はずれのお茶堂ー遍路たちの一夜の宿
 
 四国の村の村外れにはお遍路を接待するお茶道が建てられていることがある。
 村人はそこに棲みつかなければ時に食事を与えたりと、とても優しいものであったが、その多くは三方開け放ちで村人はお遍路を監視していた。
 
^_^ 旅人を受け入れる四国の村々、同時によそ者に対する警戒も忘れなかった。
 
第八章 建築家提案の最小限住居ー極小空間の特色
 
 大正時代から建築家小さい住居の提案をしてきた。小さいながらも快適に住める家だ。
 
^_^ 現代における小さい家の提案を少し調べてみたくなった。
 
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