2章 考え方編11 痛みをやわらげてくれるお金無しで放り出される

 就職なら、業界にはなんの興味もないが、とにかく給料が高いからという理由で、経済系の学部に行き、金融業界に就職するとか。

 

 ビジネスなら、社会的に意義もなく、時には社会にとって害悪にすらなるビジネスで心が痛むが、法の規制が緩く、大儲けできそうだからという理由で参入するとか。

 

 結婚なら、この人のことは愛しているとは言えないが、この人と結婚すれば、とりあえず経済的に困ることはなさそうだから結婚するとか。

 

 自分の本当の気持ちに背いて「お金」と言う理由で、人生の進路を選ぶ人がいます。

 

 その人生では「本当にやりたかったこと」とか、「本当は社会を良くする存在でありたかった心」とか、「本当は愛していたが結婚しなかったあの人」などが、折々「楽しくはない仕事」や「ときどき痛む良心」や「愛せないパートナー」などとなって、心に痛みもたらします。

 

 そこで痛み止めとなるのが、お金です。お金を使うこと、お金に恵まれていると思うことは、心の痛みをやわらげてくれます。

 

 しかし、痛みそのものを消してくれることはありません。痛みはそこにあり続けます。そして、悲しいことにお金の効用も、薬の痛み止め同様、効果が薄れてゆきます。

 

 明日の痛みをやわらげるには今日よりたくさんのお金が必要になるでしょう。そして、お金に完全に依存するようになるのです。

 

 そして悲劇が起こります。何らかの理由で収入や資産が減ったりすれば「お金のために選んだ生きたくもない人生」に「痛みをやわらげてくれるお金なし」で放り出されるのです。

 

 人生にお金は必要です。それは私も認めます。しかしあまりに多くの人がお金に依存し、お金を基準に人生を生きていると思うのです。

 

 お金なんかはちょっとでいい。それに気づければ私たちはもっと、夢に、愛に、自分が正しいと思えることに、生きられるのではないだろうかと、思うのです。