2章 考え方編13 お金はあまりにわかりやすいゆえに人生の決断を支配する
人生の目標をお金にしてしまうことは、とても空しいことです。
たとえば、あなたが「お金に不自由しないだけの資産をつくること」を人生の目標に定めたとします。
それが見事に達成されたとしても、あなたはたまたま資産家の家に生まれたというだけのお坊ちゃんやお嬢ちゃんのスタート地点にたどりついたに過ぎません。
資産家の家に生まれた子供たちは生まれた瞬間から、お金に関しては一切の心配のない人生、お金でできることは何でもできる人生が与えられています。
あなたは人生の大半を費やし、どうにか彼らのスタート地点にたどり着いたというわけです。貴重な人生を費やして彼らに追いつくことに何の意味があるでしょう?
お金を人生の成功のモノサシとする争いはとてつもなく不平等なのです。何しろ、生まれた瞬間にゴールにたどり着いている人たちがいるのですから。
しかしありがたいことに、お金では買えないものの中にこそ、人生で本当に大切なものは隠されています。
愛する人との暮らし、無我夢中で熱中できるもの、そして健康。
これらは資産家の子弟でも、たやすく手に入れられるものではありません。むしろ、有り余るお金を持ちながら、これらを手にすることができずに苦しむ。そんな例はいくらでもあります。
私たちはすぐにお金があれば幸せになれると思いがちです。
つまり
現在→お金持ち→幸せ
と考えがちです。
しかし、わざわざ一旦「お金持ち」を経由しなくても
現在→幸せ
に直行する道があるはずです。
私たちは人生で大切なのはお金ではないと考えているつもりですが、翻ってみると、お金を優先して大切なものを犠牲にしている例は数多いのです。
より多くの給料を得るために、愛する家族との生活ができなくなる単身赴任を引き受ける。より給料が高いという理由で、やりたいことをあきらめ、やりたくない仕事を選ぶ。仕事のノルマのために食事や睡眠の時間を削るなど。
お金というものはあまりにわかりやすい上に、世界に共通する価値観であるために油断をするとすぐに他のあらゆる価値観を押しのけて人生に過剰な影響を与えます。
私たちは人生の岐路に立つとき、この決断はお金というあまりにわかりやすい価値観にとらわれて、もっと大切なものを見逃していないかと、意識して考えてみなければならないのです。
というわけで以下、悪魔のささやきです。
生きていくのに実はお金はそんなに必要ありません。国民年金額(月額6万5000円)で幸福に生きていけます。
週に2日働いて週休5日、本当にやりたい事をやって生きる。それが「勝手にベーシックインカム生活、国民年金額の月額6万5000円で生きる」なのです。